怪談:妖しい物の話と研究


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奇談
1 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:16:03.69 ID:XRRvBaIb0
【出版依頼】
【著者】ラフカディオ・ハーン
【翻訳編集】小林幸治
【予定価格】100円

小泉八雲の「怪談」に収録されていない、霊的な話や不思議な話を収録して
電子書籍にします。

話の画像はいつでも募集してます。謝礼はカラー2000円、モノクロ1000円、
著作権は絵師に残り、私に利用権を与え、著作権者は他所で利用しても良い
という方向です。

2015/03/09修正と追記
内容を追加した改訂版の無料アップデートはKindleの規約上不可能であると分かりました
14話程度で1冊作り3巻の電子書籍にする予定です
最後に全話まとめて1冊作り、計4冊にしようかと思います

2 :化け蜘蛛1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:19:26.80 ID:XRRvBaIb0
化け蜘蛛

 かなり昔の本では、日本にはたくさんの化け蜘蛛がいたと言う。庶民の
何人かは、まだ化け蜘蛛は居ると主張する。そいつらは昼の間は普通の
蜘蛛と変わらないが、夜がかなり更けて、誰もが眠りにつくと、とても、
とても大きくなって、恐ろしい事をする。化け蜘蛛はまた、人の姿をとる
不思議な力を持つとうわさされ──そうして人々を欺く。そういった蜘蛛に
ついての有名な日本の話が有る。

3 :化け蜘蛛2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:21:11.24 ID:XRRvBaIb0
 かつて村の淋しいところに、化け物が出る寺が有った。その建物には
化け物がとり憑いているせいで、誰も住むことができなかった。化け物を
退治するために何度か勇敢な侍がその場所に向かった。だが寺に入った
後に再び話を聞くことは無かった。
 勇気と賢明さで名高い最後のひとりは、夜の間に寺を見張りに行った。
そして、そこまで付き添った人達に言った──「朝になってもまだ生きて
いたら、寺の鐘を鳴らしてやろう。」それから提灯の明かりを頼りに、ひとり
で見に行った。

4 :化け蜘蛛3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:24:28.73 ID:XRRvBaIb0
 夜が更けた頃、彼はほこりまみれの仏画に見守られた祭壇の下に身を
かがめた。夜半を過ぎるまでは、おかしな物は何も見えず、物音ひとつ
聞こえなかった。それから体が半分だけのひとつ目の化け物がやって
来て言った。「人臭い」だが侍は動かなかった。化け物は去った。
 それから坊さんがやって来て三味線をとても上手に弾いたが、これは
人の演奏ではないと侍は確信した。すぐに刀を抜いて跳び上がった。
坊さんは彼を見て大声を出して笑いながら言った──あんたはわしが
化け物だと思いますかね、なんてこった、わしはこの寺のただの坊主
ですが、化け物を近づけないために演奏していました。──この三味線の
音はお気に召しませんでしたか、少し弾いてくださいな。」
 そして彼が差し出す楽器を侍はとても慎重に左手で握った。だが三味線
は即座に巨大な蜘蛛の糸に変わり、坊さんは化け蜘蛛になって、武士は
左手からしっかり蜘蛛の糸に捕らえられた自分自身に気が付いた。彼は
勇敢に暴れ、蜘蛛を刀で斬りつけ、傷を負わせたが、すぐに網の中で絡まって
しまいじっとするよりなく、動けなくなった。
 けれども負傷した蜘蛛は、のろのろと逃げていった──そして日が昇った。
少ししてから人々がやって来て、恐ろしい網の中の侍を見つけ出し解放した。
彼らは床の上の血の痕を見つけ、跡をたどっていくと寺の外の人気の無い
庭に穴が有った。穴の外には恐ろしい唸り声が出ていた。彼らは穴の中に
負傷した化け物を見つけて、それを殺した。

5 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:35:03.53 ID:XRRvBaIb0
Japanese Fairy Tale SeriesのThe Goblin Spiderという絵本からの
話でした。

Fairy Taleという言葉を直訳すれば妖精譚ということになりますが、
妖精が出てくる話は無いので、お伽噺という事でしょう。

元々が絵本の為に書かれた話なので、文章だけを読むと少し物
足りない感じがします。

元の絵本は全ページがネット上に存在しますので、探して見ながら
この翻訳を読むと面白いと思います。

6 :幽霊滝の伝説 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:13:56.16 ID:NE4wS9Rl0
幽霊滝の伝説

 伯耆の国の黒坂村の近くに幽霊滝と呼ばれる滝が有る。どうしてそう呼ばれて
いるのかは知らない。滝の麓近くに人々が滝大明神と名付けた土地神を祀る
小さな神道の社が有り、社の前には信者からの供物を受け取る小さな木製の
金箱─賽銭箱─が置かれている。そしてこの賽銭箱にまつわる話が有る。

7 :幽霊滝の伝説2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:17:03.55 ID:NE4wS9Rl0
 三十五年前の凍てつく冬のある晩、黒坂のとある紡績工場─麻取り場─
で、一日の仕事を終えた雇われの女房や娘達が紡ぎ部屋の大きな火鉢の
回りに集まっていた。その時は面白半分に怪談話を語り合っていた。十を
越える話が語られ集まったほとんどが気味悪く感じながらも、恐怖の盛り
上がりが最高潮に達した頃、ひとりの娘が叫んだ「そうだ、今晩この中の
誰かひとりだけ幽霊滝に行ってみない。」この提案は全体に神経質な爆笑
を伴う金切り声を引き起こした……「私が今日紡いだ麻全部あげるよ」
集まった中のひとりがからかって言った「行った人にね」「そうしよう」別の者
が声をあげた「私も」三人目が言った。「みんなが」四番目が確認した……
その時紡績工の中のひとり、大工の妻の安本お勝が立ち上がった──
彼女には二歳になるひとり息子が有り、背中で包まれて気持ち良く眠って
いた。「聞いて」お勝は言った「みんなが今日紡いだ麻を全部私にくれるのに
賛成なら、幽霊滝に行ってくる。」彼女の提案には驚き呆れた叫びが返って
きた。しかし何度か繰り返した後で、真剣に受け入れられた。紡績工それぞれ
が、お勝が幽霊滝へ行ってきたのなら、その日の仕事の分け前をお勝のために
あきらめて手放すと合意した。「でも、本当に行ったのか、どうしたら分かるの」
鋭い声がたずねた。「賽銭箱を持って帰ったらいいんじゃない」紡績工達から
おばあさんと呼ばれる年取った女が答えた「証拠には十分だろう」「持ってくるわ」
お勝が叫んだ。そして背中に子供をおぶったまま、外の通りへと飛び出して
行った。

8 :幽霊滝の伝説3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:19:29.41 ID:NE4wS9Rl0
 その晩は霜が降りるほど寒かったが澄みきっていた。人影の無い
通りをあわただしく下っていくお勝の目に、刺すような寒さのため扉を
固く閉めきった家々が見えた。村を出て、星の明かりだけを頼りに静まり
返る凍った田んぼの間を──ぴちゃぴちゃ──街道沿いにひたすら
走った。半時間ほどはまともな道沿いに、それから崖の下の曲がり
くねった狭い道を回って降りた。小道は進むほどに暗く粗くなって
いったが、彼女はそれをよく心得ていて、すぐにゴーゴーと水の立てる
鈍い音が聞こえてきた。ほんの数分の後、道は峡谷へとひろがり
──鈍い轟音は高く騒々しくなっていき──彼女の前に暗黒の塊に
反して浮かび上がる、滝の長い微かな光が見えた。ぼんやりと
社─の賽銭箱─が見分けられた。彼女は急いで進み出た──手を
突き出して……
「おい、お勝さん」不意に水の砕ける辺りから戒めの声が呼び掛けた。
 お勝は立ったまま動かなかった──恐怖のあまり茫然としていた。
「おい、お勝さん」声が再び響いた──前よりも威嚇の調子が強かった。
 だがお勝は実にたくましい女だった。すぐに麻痺から立ち直ると、
賽銭箱をひったくって走った。彼女は街道に到着するまでは、それ
以上の警告は何も聞かず何も見なかった。そこでひと息いれるため
立ち止まった。それから黒坂に着くまで──ぴちゃぴちゃ──しっかり
走って、麻取り場の扉をゴンと叩いた。

9 :幽霊滝の伝説4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:21:19.84 ID:NE4wS9Rl0
 女房や娘達がどんなに叫んだことか、賽銭箱を手にした彼女があえぎ
ながら入ってきたものだから。皆は息を呑んで彼女の話を聴き、水の方
から幽霊が名前を呼ぶ二度の声について語ると、共感の悲鳴が上がった
……なんという女だ、勇敢なお勝──麻を受け取るのに相応しい……
「でも坊やは凍えてるはずだよ、お勝」おばあさんが叫んだ。「火のそばの、
こっちで預かるよ」
「お腹がすいてるはずだわ」母親が声を上げ「すぐにお乳をやらないとね」
……「困ったお勝だよ」そう言っておばあさんは、子供を運んだ包みを外す
手伝いをした──「あら、背中じゅうずぶ濡れじゃない」それからかすれた
叫びを上げ、大声で喚いた「あら、血だわ」包みをほどいて脱がせて床に
下ろし、血でびしょ濡れになった赤ん坊の着物の塊からそのまま露出して
いる、ふたつの非常に小さな褐色の脚とふたつの非常に小さな褐色の手
──それ以上無かった。
 子供の頭はちぎられていた。

10 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:28:09.27 ID:NE4wS9Rl0
Kotto(骨董)からThe Legend of Yurei-Daki
でした。

11 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:39:30.85 ID:NE4wS9Rl0
最後の「頭はちぎれていた」でも良いかもしれない
幽霊にちぎられたとは限らないのだから

12 :ちんちん小袴1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:40:16.15 ID:fltZOasb0
ちんちん小袴《こばかま》

 日本の部屋の床は葦を編んだ分厚く柔らかで美しい複数の敷物で覆われて
いる。それらは共に非常に近接してぴったり合わせてあるから、あなたはその
すき間にナイフの刃を問題無くゆっくり滑らせることができる。それらは毎年
一度取り替えられ、非常に清潔に保たれている。日本人は家の中では靴を
着用せず、椅子やイギリスの人々が使うような家具を使用しない。彼らは座る
のも、眠るのも、食事も、時には書き物でさえ床の上でする。そういった敷物は
実のところ非常に清潔を維持しなくてはならないが、日本の子供は言葉を
話せるようになるとすぐに、敷物を傷めたり汚したりしないよう教えられる。

13 :ちんちん小袴2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:40:56.81 ID:fltZOasb0
 さて 日本の子供達は本当にたいへん立派だ。旅行者の全てが日本について
楽しい本を書いたが、日本の子供達はイギリスの子供達やそれより腕白さで
劣る子供達よりはるかに素直だと発表している。彼らは物を傷付けたり汚したり
せず、自分だけの玩具でさえ決して壊さない。小さな日本の女の子は彼女の
人形を壊さない。いや、素晴らしい手入れをして、大人になって結婚した後で
さえずっと持っている。彼女が母親になり娘を持つ頃、その人形を小さな娘へと
与える。そして、その子も母親がしたのと同じ手入れを人形にし、彼女が大きく
なるまで保管し、最後に自身の子供に与え、その子もまさしく祖母がしたのと
同様きちんと遊ぶ。そうして私は──あなたにこのちょっとした話を書いているが
──日本で百歳以上の人形達を見てきたが、新品と変わらず本当に可愛らしい
外見だった。これは日本の子供達がどんな具合で非常に立派なのかあなたに
示し、どうして日本の部屋の床がほとんどいつも清潔に保たれているのか理解
できるだろう──引っ掻いたり腕白な遊びで台無しにされずに。
 あなたは、全て、日本の子供達全員がそんな風に立派なのかと訊ねる──
いや、まれに、ごくごくまれに横着なのがいる。では、この横着な子供の家の敷物
では何が起こるか。大きな悪いことは何も無い──敷物を手入れする妖精がいる
からだ。この妖精達は、敷物を汚したり傷めたりする子供達を、いじめたり怖がらせ
たりする。少なくとも──かつては、そんなやんちゃな子供達をいじめたり怖がらせ
たりしたものだ。私はこの小さな妖精達がまだ日本に住んでるいるのか、全く確信が
無い──新しい鉄道や電信柱が怖がらせて、かなり多くの妖精達が去ったからだ。
だが、それについてのちょっとした話がここにある。

14 :ちんちん小袴3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:48:27.72 ID:fltZOasb0
 かつて、たいへん可愛らしく、そのうえ非常に無精な小さな女の子がいた。
彼女の両親は裕福で、たいへん多くの使用人があり、この使用人達は小さな
女の子にとても優しく、自分のためにできる彼女がするべきことの何もかも
してくれた。おそらくこのことが彼女をたいそうな無精者にしたのだろう。彼女が
美しい女性に成長した時も、まだ無精なままだったが、使用人達がいつでも
服を着せたり脱がせたり髪を整えて、とても魅力的な外見にしたので、彼女の
欠点については誰も考えなかった。
 ついに彼女は勇敢な戦士と結婚し、別の家で暮らすために彼と共に出て
いったが、そこは使用人が少なかった。実家で持っていたのと同じほどの
使用人がいないため、世間ではいつでも自分ですることのいくつかを、彼女が
しなくてはならなくなったので気が重かった。それは、着物を自分で着替えたり、
自分の着物の手入れをしたり、きちんとした小綺麗な身なりで夫を喜ばせると
いった悩みだ。しかし夫は戦士なので、しばしば軍隊と共に家から離れることが
あり、たまには望む通りの無精ができた。夫の両親はとても老いていて、人の
良い性格で、やかましく言わなかった。
 やれやれ、夫が軍隊で留守のある晩、彼女は部屋の中の小さな雑音で目を
覚ました。大きな提灯のそばで、とてもよく見えるところに、奇妙なものが見えた。
なんだろう?
 まるで日本の戦士のような服装だが、わずか二センチ余りの背丈の、数百の
小さな男達が、全員で彼女の枕の回りで踊っていた。彼らは夫が休日に着る
のと同じ種類の服──(裃《かみしも》、四角い両肩を備えた長い衣)──を
着て髪は結んで縛られ、それぞれが小さな二本の刀を身につけていた。全員が
躍りながら彼女を見て、笑い、全員が同じ歌を、何度も繰り返し歌った──

15 :ちんちん小袴4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:49:22.97 ID:fltZOasb0
 ちんちん小袴
 夜も更け候──
お静まれ、姫君──
 やとんとん

その意味は「我々はちんちん小袴である──夜遅い──眠りなさい、高貴な貴族の
かわいい人よ」
 この言葉はとても礼儀正しいが、すぐにこの小さな男達は彼女を残酷にからかって
いるだけなのがわかった。彼らもまた醜い顔を作って彼女へ向けた。
 彼女はいくつかを捕まえようと試みたが、辺りをとても素早く跳ね回るので、それは
できなかった。それから追い払おうとしたが、彼らは出て行かず、彼女を笑いながら
「ちんちん小袴……」と歌うのをやめなかった。そして、これが小さな妖精だと
分かると、叫ぶことさえできないほど非常な恐怖の虜となった。彼らは朝になる
まで彼女の回りで踊り続けた──それから全員が突然消え去った。
 彼女は何が起こったか、誰かに告げるのを恥じた──彼女は戦士の妻なので、
どんなに怯えているのか、誰にも知られたくなかった。次の晩、ふたたび小さな
男達が来て踊り、その次の晩も、毎晩やって来た──いつも同じ時間、昔の日本で
使われていた「丑の刻」と呼ばれる、我々の時間にしておよそ午前二時頃だ。
しまいには寝不足と恐怖によって、とても具合が悪くなった。しかし、小さな男達は
彼女をひとりにしようとはしなかった。夫が帰宅し、彼女が病で寝込んでいるのが
分かると、たいへん心配した。はじめ彼女は病の原因を話せば、笑われるのでは
ないかと恐れた。しかし彼はとても親切でとても穏やかに彼女を説得したので、
しばらくして毎晩何が起こったかを話した。彼は全く笑わなかったが、一時非常に
真剣な顔をした。それから訊ねた──
「そいつらは何時頃やって来るのだ。」彼女は答えた──「いつも同じ時刻──
丑の刻でございます。」
「よく分かった」夫は言った──「今晩、わしが隠れて見てやろう。恐れることはない。」
 そのように、その晩戦士は寝室の押し入れに身を隠し、襖の狭いすき間から
覗き続けた。
 彼は「丑の刻」まで待ちつつ覗いたが、その時突然、小さな男達が敷物を通って
やって来て、踊りと歌を始めた──

16 :ちんちん小袴5 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:49:51.87 ID:fltZOasb0
 ちんちん小袴、
夜も更け候う……

 彼らはとても珍妙な外見をし、なんとも滑稽なやり方で踊ったので、戦士は
笑いをこらえるのに苦労した。しかし彼の若い妻の怯えた顔が見えると、日本の
ほとんどの幽霊や妖怪は刀を恐れるのを思い出し、刀を抜いて、押し入れから
跳び出して、小さな踊り手達をなぎ払った。たちまち彼らの全ては姿を変えた
──何だと思う?
                       つまようじ!
 小さな戦士達はもういなかった──たくさんの爪楊枝が敷物の上に散らばって
いるだけだった。
 若い妻は爪楊枝を捨てるのを怠け過ぎて、毎日、新しい爪楊枝を使った後、
それを目につかなくするため、床の上の敷物の間に刺して落としたのだろう。
そのため敷物を手入れする小さな妖精達が怒って彼女を責め苛んだのだ。
夫が彼女を叱ると、たいへん恥じ入り、どうしたら良いのか分からなくなった。
使用人が呼ばれ、爪楊枝は焼き捨てられた。その後、小さな男達がふたたび
帰って来ることは無かった。

17 :ちんちん小袴6 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:51:48.58 ID:fltZOasb0
 無精な女の子について伝えられた話が更に有る。その子はスモモを
食べた後で、種を敷物の間に隠す習慣だった。長い間見付からずに
こんなことができた。しまいに妖精達の怒りを買い懲らしめられた。
 毎晩、小さな小さな女達が──全員が長い袖の付いた鮮やかな赤い
着物を着て──同じ時間に床から湧き出してきて、踊り、彼女にしかめっ面
を向けて眠りを妨げた。ある晩母親が身を起こして伺うと、それが見え、
叩いた──すると彼女達全員がスモモの種に姿を変えた。そうして小さな
女の子のいたずらは見付かった。その後、彼女は非常に立派な少女と
なった、確実に。

18 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 12:11:24.77 ID:fltZOasb0
Japanese Fairy Tale SeriesのChin Chin Kobakamaという話でした。

このシリーズは布に質感を似せた和紙に印刷された絵本で、
絵もなかなか面白いです。でも、この「ちんちん小袴」では、イラスト
と前書きでネタばれしているような・・・

敷物はmatsの訳で、この話では畳の事ですね、畳と翻訳しても
良かったのですが、文中にJapaneseという単語がいくつか有ったので
外国人視点で見るなら、敷物と訳した方が良いだろうと思いこうして
います。

ところでこの絵本、当時でも高価だったのではと想像できますが、
現在の古書市場でも40万円以上します。ネットを検索すると、
PDFファイルや、画像を掲載しているサイトが複数ヒットします。
そちらで楽しみましょうか…

19 :若返りの泉1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:05:52.95 ID:8gfWneok0
若返りの泉

 むかしむかし、日本の山々の間のどこかに、貧しい樵《きこり》と
その妻が住んでいた。ふたりはとても年老いていたが、子供が
無かった。夫は毎日ひとりで森へ木を切りに行き、妻は家で座って
機を織った。
 ある日老いた男は、とある種類の木を捜しに普段よりも森の奥へ
進んで行くと、いつの間にか自分が今までに見たことの無い小さな
泉の端にいるのが分かった。水は不思議なほど冷たく澄みきって
おり、またその日は暑い中を苦労して歩いたので喉が渇いていた。
そうして大きな麦藁帽子を脱ぎ、膝をついて長いこと飲み続けた。

20 :若返りの泉2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:07:46.96 ID:8gfWneok0
 その水は極めて脅威的な方法で彼を元気付けたように見えた。
それから泉に自分の顔を見付けて、後ずさった。間違い無く自分の
顔ではあるが、家の銅鏡で見慣れたのとは全く違っていた。それは
とても若い男の顔であった。彼は自分の目が信じられなかった。
ちょっと前に綺麗にはげ上がった頭に両手をのせて、いつも持ち歩いて
いる小さな青い手拭いで拭いてみた。ところが今ではふさふさとした
黒い髪でおおわれていた。また、顔は皺のことごとくが消え去り、
少年のようにすべすべになっていた。同時に自分に新しい力が
みなぎっているのを発見した。寄る年波で長い間萎え衰えた手足が、
今では引き締まった若い筋肉で固くしなやかになった驚きで目を
みはった。知らぬ間に若返りの泉を飲み、それにより彼は一変したのだ。

21 :若返りの泉3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:09:47.13 ID:8gfWneok0
 最初に高く跳び上がって大きな喜びの声を上げ──それから
今までの人生でかつて走ったよりも早い速度で家へ走った 。彼が
家に入ると妻は怯えてしまった──彼を知らない人だと思い込み、
不思議な出来事を話しても、一度に信じてはくれなかった。しかし
長いことかかって、今目の前にいる若い男が本当に彼女の夫だと
説得できて、泉の場所を話し、一緒に行こうと誘った。
 それに対して彼女は言った──「あんたは、そんな男前で、そんなに
若くなりなさっては、こんなお婆を愛し続けられません──そんなら
私もすぐに、なんぼかその水を飲まななりません。だけど同じ時間に
家を空けてしまっては、私達双方の為になりません。私が行っている間、
ここで待っていて下さいませんか。」そして彼女は木々の間を全て
ひとりで走った。
 彼女は泉を見付け、膝をついて飲みはじめた。ああ何て冷たくて
気持ちがいいんだろう、この水は。彼女は飲んで飲んで飲んで、息を
継ぐ為だけに休んで、また繰り返した。

22 :若返りの泉4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:10:24.36 ID:8gfWneok0
 夫はもどかしげに彼女を待った──彼は可愛らしい細身の娘に
なって帰って来る彼女に会えると期待していた。しかし彼女はいつ
までたっても戻って来なかった。彼は心配になって、家の戸締まりを
して、彼女を捜しに出かけた。
 泉に着いても彼女は見付からなかった。ちょうど彼が帰ろうとした
所で、泉のそばの高い草の間から、小さな泣き声が聞こえた。そこを
調べてみると、妻の着物と赤ん坊が見付かった──とても小さな
赤ん坊で、おそらく六ヶ月くらいの歳だろう。
 お婆さんは不思議な水をあまりにもたくさん飲み過ぎたために、
若い頃を越えて言葉を話せない幼児の時代に遠く後退するよう自身を
飲み込んだ。
 彼はその赤ん坊を両手で抱き上げた。その子は悲しく不思議そうに
彼を見た。彼はその子を家まで運んだ──奇妙な哀しみの思いを──
ぶつぶつ言い聞かせながら。

23 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:18:39.69 ID:8gfWneok0
Japanese Fairy Tale SeriesのThe Fountain of Youthでした。

「お婆」は沖縄の人ならオバアと読みますかね、他の人なら
オババでしょうか。出雲ではおばあさんと言う所をオババと
今でもよく言うので、お婆さんとはしませんでした。

お婆さんのセリフは出雲弁にしたかったのですが、読みづらい
だろうと思い程々に出雲風にしておきました。

鋭い人ならお婆さんが帰って来ないところでオチが読めたかも
しれませんねw

24 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 08:59:49.22 ID:vqaVLv9o0
>>17のスモモを梅干しに訂正します。

plumという単語を調べ直してみると、
plum【名刺】スモモ、西洋スモモ、日本の梅、干しぶどう

という事でした。

25 :因果話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:02:23.54 ID:vqaVLv9o0
因果話

※文字どおり因果の話。因果は悪い宿縁や過去の存在の状態で
誤った関わりによる悪い結果に対する日本の仏教用語。おそらく
この奇妙な説話の題名は、死者が犠牲者の過去の暮らしの中の
悪しき行いとのかかわり合いの結果においてのみ、生者を害する
力を持つという仏教の教えの説明に最適なのだろう。題名と説話の
双方とも、百物語という題名の怪談集で見付かるだろう。

26 :因果話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:04:58.39 ID:vqaVLv9o0
 大名の妻が臨終を向かえていたが、彼女は死にゆくことを
知っていた。文政十年の初秋から寝床を離れることができ
なかった。今は文政十二年の四月──西暦一八二九年、
桜の木が花を咲かせていた。彼女は庭の桜の木と、その
春の喜びに思いを巡らせた。子供達のことを思った。夫の
様々な側室に思いを寄せた──とりわけ十九歳の雪子御前。
「愛する妻よ」大名が話しかけた「そなたは三年の長きに渡って、
とても重く苦しんできた。我々はそなたの為になることは出来る
全てをしてきた──昼夜お前のそばで見守り、祈り、しばし
断食をした。愛情のこもった看病にもかかわらず、我々の
最高の医術を尽くしたにもかかわらず、今そなたの命の終りは
遠くないように見える。そなたの悲しみより、お釈迦様がとても
正しく名付けた「この世の火宅」を旅立つそなたを見送る我々の
悲しみが間違い無く大きいであろう。わしは、そなたの来世の
役に立つと思える法要のことごとくを──どんな費用を
かけても──実施させるつもりで、我々の皆はそなたが
暗闇で迷うこと無く、 速やかに浄土に入り、仏の位に到達
できるように休み無く祈ろう。」
 彼女を優しく撫でながら細心のいたわりを込めて話した。
それから、まぶたを閉じ、彼女は虫のようにかぼそい声で
答えた──
「かたじけのうございます──何よりも感謝いたします──
あなたの親切なお言葉……そうです、あなたのおっしゃる通り、
三年もの長きに渡り病に臥して、できる限りの看病と愛情の
こもった治療をいただきましたのに……まあ、どうして死を
間近に控えて正しいひとつの道から顔をそむけることが
ございましょうか……このような時に俗世の心配をするのは
良くないのでしょうが──最後にひとつお願いがございます
──ひとつだけ……雪子御前をここへお呼びください──
ご存知のように私はあの娘《こ》を妹のように愛しております。
この家の細事について話しておきたいのです。」

27 :因果話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:08:30.57 ID:vqaVLv9o0
 主人の合図に従って、雪子が呼ばれ寝所の傍《そば》に正座
して座った。大名の妻は目を開き雪子を見つめて話した──
「ああ、雪子がここに……あなたの顔が見られてどんなに嬉しい
ことか、雪子……もっとそばにおいで──あなたによく聴こえる
ような、大きな声では話せないのですもの……雪子、私は死に
ます。私の望みは、私達の大切な旦那様の全てのことをあなたが
誠実に行ってくれること──私が逝ってからの勤めは、あなたに
引き継いでほしい……あなたがいつもあの方から愛されるよう
望みます──そう、私がいただいた百倍以上に──そして、
とっても早く高い地位に登って、光栄な妻になるのです……
大切な旦那様をいつも大事にしてくださるよう切にお願いします。
他の女に寵愛を奪われるのは許しません……これがあなたに
言いたかったことです。可愛い雪子……よく分かりましたか。」
「ああ、いとしい奥方様、」雪子は諌《いさ》める「なりません、
お願いでございます、どうしてそのようなおかしな事をおっしゃる
のでしょう、よくご存知のように私は貧しく卑しい身分の者で
ございます──いつか私達の旦那様の妻になるような、
大それた望みをどうして持てるのでしょうか。」
「いえ、いえ」妻がかすれ声で返す──「今は建前を言う時
ではありません。お互いに本音だけで語り合いましょう。私が
死んでから、あなたはきっと高い地位に昇るでしょう、今私が
請け合いますから、私達の旦那様の妻となるよう重ねて
お願いします──そう、これが私の望み、雪子、私が仏と
なることより、もっと望んでいます……ああ、もう少しで
忘れるところでした──あなたにしてほしいことが有ります、
雪子。あなたも知っての通り、一昨年《おととし》大和の
吉野山から持ってきた八重桜[1]が庭に有ります。今それが
満開だと聞いています──死ぬまでの少しの間、お花見
でもしていたいのです──死ぬ前にあの木を見ておかなくては
なりません。今あなたに庭まで連れて行ってほしいのです
──すぐに、雪子──私が見られる内に……そう、あなたの
背中で、雪子──私をおぶっておくれ……」

28 :因果話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:11:38.79 ID:vqaVLv9o0
 こうして求めているうちに、彼女の声は次第に明瞭に、力強く
なっていった──まるで望みの強烈さが、彼女に新しい
生命力を与えたかのように。それから彼女は急にわっと泣き
出した。雪子はどうしたら良いか分からず、正座のまま動けず
にいたが、殿様が同意して頷いた。
「それがこの世の最後の望みだ、」彼が言った。「こいつは
いつも桜の花を愛していて、大和木に花が咲くのを随分と
見たがっていたのを知っている。おいで、可愛い雪子、その
思いを叶えてやるといい。」
 乳母が子供にするかのように、すがりつけるよう背中を向け、
雪子は肩を差し出して言った──
「奥方様、支度が整いました、どうか具合の良いお世話が
できるやり方をおっしゃってください。」
「では、こうして」──瀕死の女は言葉を返し、雪子の両肩に
まとわり付き、ほとんど人間離れした努力で自身を引き上げた。
しかし、彼女はまっすぐ立ち上がりながら、素早く痩せた両手を
両肩の上から下ろし、着物の下へ滑らせ、娘の両乳房を
掴《つか》むと、いやらしい笑い声をほとばしらせた。
「望みは叶った」彼女は叫んだ──「桜の花[2]への望みは
叶った──だけど庭の桜の花じゃあない……望みを叶える
までは死にきれなかった。今それは叶った──おお、
嬉しや嬉しや。」
 そしてこの言葉と共に、しゃがんだ娘の上に前のめりに
なって死んだ。

29 :因果話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:13:20.28 ID:vqaVLv9o0
 お付きの者達が一度体を持ち上げて、雪子の肩から寝床へ
横たえようとした。だが──奇妙なことに──これが見た目ほど
簡単にできることではなかった。冷たい両手それ自体が不可解な
やり方で──急に肉と一体化して成長したかのように──娘の
乳房に張り付いていた。雪子は恐怖と苦痛と共に気を失った。
 医者達が呼ばれた。彼らは何が起こったか分からなかった。
通常の手法では死んだ女の手を、被害にあった彼女の体から
離せなかった──それは余りにもぴったりくっついていたので、
どんなに頑張って取り除いても血を流さずには済まなかった。
これは指で握っているのではなく、手のひらの肉それ自体が
何か説明できない具合に乳房の肉と結合していたからだ。

30 :因果話6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:15:55.56 ID:vqaVLv9o0
 その頃江戸で最も医術に優れていたのは異国人──
オランダ人船医であった。彼を呼び寄せる決定がなされた。注意
深く診察した後で彼が言うには、この状態は自分には理解
できないが、すぐに雪子を助けるには、死体から両手を切るしか
できることは無い。乳房からそれを切り離すのは危険だろうと
名言した。彼の忠告は受け入れられ、両手は手首で切断された。
だがそれはぴったりくっついたまま残り、すぐに暗い色になり
干からびた──まるで死んでから長い時を経た人の手のように。

31 :因果話7 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:17:16.67 ID:vqaVLv9o0
 これはまだ恐怖の始まりに過ぎなかった。
 干からびて血の気がないにもかかわらず、この手は死んでは
いないように見えた。それらは周期をもって蠢《うごめ》くのだった
──密やかに、まるで巨大で灰色な蜘蛛のように。以来、夜ごと
──いつも丑の刻[3]に始まり──握り、圧迫し、苦しめていった。
寅の刻を向かえてのみ苦痛は止むのであった。

32 :因果話8 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:19:03.12 ID:vqaVLv9o0
 雪子は髪を切り、托鉢の尼僧となって──脱雪の法名を得た。
彼女は死んだ女主人の戒名──妙高院殿知山涼婦大姉──
を担《にな》った位牌(慰霊の銘板)を作り、流浪の旅の間いつも
これを携え、毎日その前に伏して死者に許しを乞い、嫉妬深い
魂が安らぎを得られるよう、仏教の法要を行った。しかし
そのような苦悩をもたらした悪い宿縁を、すぐには解消させられ
なかった。十七年以上にわたって、毎晩丑の刻になると、両手は
彼女を苦しめずにはおかなかった──彼女が、ある晩立ち寄った
下野の国河内郡田中村の野口田五左衛ー門の家で 、最後に
自分の話を語った、そこの人達の証言による。それは弘和三年
(一八四六年)のことである。それ以後の更なる彼女については、
これまで聞こえていない。

33 :因果話9 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:20:18.28 ID:vqaVLv9o0
[1]八重桜、八重の桜、二重に花をつける日本の桜の木の品種。
[2]日本の詩や諺では、女性の肉体的美しさを桜の花と比較
する一方、かよわい貞淑な美しさを梅の花と比較する表現方法。
[3]日本の古代の時間で、丑の刻は幽霊達の特別な時間で
あった。それは午前二時に始まり、午前四時まで続く──古い
日本の時間は現代の時間の二倍の長さがあったからだ。寅の
刻は午前四時に始まる。

34 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:36:34.30 ID:vqaVLv9o0
In Ghostry Japan(霊的日本にて)よりIngwa-Banashiでした。

私が初めてこの話を読んだのは社会人になってから買った
田代三千稔訳の本でした。
当時は嫉妬の恐ろしさに鳥肌が立ったものでした。

今、改めて自分で翻訳してみると、怪異の原因は嫉妬ではなく、
雪子への異常な愛情ではないかと思えてきました。

奥方は死んでからも、ずっと雪子と一緒にいられて幸せだった
のだろうなと、そう思うと・・・恐ろしさに鳥肌が立ちます。

托鉢という言葉は解説不要ですよね?
原文ではmendicantという単語になっています。
托鉢の他に、乞食や物乞いの意味が有ります。

35 :死骸に乗る者1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:17:05.48 ID:T3Mh4rHn0
死骸に乗る者

※「今昔《こんせき》物語」より

 体は氷のように冷たく、心臓は長らく鼓動を終えていたが、他の死を示す
兆候はまだ無かった。女を埋葬しようとは誰も全く話さなかった。彼女は離縁
されたことに悲しみ怒って死んだ。彼女を埋葬するのは無駄であろう──死に
行く者の復讐に対する最後の望みは滅びることが無く、どんな墓石でも粉々
に吹き飛ばし、最も重い墓場の石でも割れるからである。彼女が横たわる
家の近くに住む者達は、彼らの家庭から逃げ出した。彼女がただ離縁した
男の帰りを待っているだけなのは、皆が知っていた。
 彼女が死を迎えた時、男は旅の途上にあった。戻ってから、何が起こったか
を聞いた男は、恐怖の虜となった。「暗くなる前に助けが見つからねば」男は
自分自身を思った。「あの女は俺を八つ裂きにするだろう。」まだ辰の刻[1]では
あるが、無駄にする時間は無いのが分かった。
 男はいったん陰陽師《いんようし》の元に行き、救いを求めた。陰陽師は死んだ
女の話を知っていて、その死体を見ていた。彼は嘆願する男に言った──「大変
大きな危険が迫っています。あなたを救えるよう努力はします。しかし、あなたは
これから私が言うどんなことでも実行すると、約束しなければなりません。あなた
を助けられる、たったひとつの方法です。それは恐ろしいやり方です。あなたが
勇気を出して挑まなければ、彼女は手から脚から、あなたを引き千切るでしょう。
もしあなたが勇敢になれるなら、夕方の日が落ちる前、再び私の元へ来て下さい。」
男は身震いをしたが、彼が言う必用なことは何でもすると約束した。

36 :死骸に乗る者2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:18:40.95 ID:T3Mh4rHn0
 日が落ちると、陰陽師は男を連れて死体が横たわる家に行った。陰陽師は
引き戸を押し開けると、依頼人へ入るように言った。周辺《あたり》は急に暗く
なっていた。「そんな勇気は無い」男は喘ぎ、頭から足まで全身で震えた──
「あの女を見る勇気なんて無いよ。」「あなたには彼女を見る以上のことをやって
もらわなくてはなりません。」陰陽師は宣言した──「それに、従うと約束した
ではありませんか、入るのです。」彼は震える男を強引に家の中の死体の
横まで連れて行った。

37 :死骸に乗る者3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:24:09.26 ID:T3Mh4rHn0
 死んだ女はうつ伏せに横たわっていた。「今から彼女の上にまたがりなさい」
陰陽師は言う「そして、馬に乗るのと同じように、しっかりと背中に座るのです
……来なさい──そうしなくてはなりません。」陰陽師が支えなくてはならない
ほど男は震え──恐ろしく震えながらも従った。「では、両手で髪を掴み
なさい、」陰陽師が命令した──「半分を右手に、もう半分は左手で……そう
……それを手綱のように握らなくてはなりません。手に巻きつけて──両手に
──しっかりと。そのやり方です……聞いて下さい。あなたは、そのまま
朝まで居なくてはなりません。夜には恐ろしいことが起きるでしょう──きっと
たくさん。けれど何があっても、決して彼女の髪を離してはなりません。もし
離せば──ほんの一瞬であっても──肉の塊にされてしまいます。」
 陰陽師はそれから死体の耳に奇妙な言葉を囁いてから、その乗り手に
言った……「さて、理由《わけ》あって彼女と共にあなたを残して立ち去ら
なくてはなりません……そのまま残っていて下さい……とりわけ彼女の
髪を離してはならないと、覚えておいて下さい。」そして彼は出て行き
──背後の戸を閉めた。

38 :死骸に乗る者4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:26:18.48 ID:T3Mh4rHn0
 何時間も何時間も暗い恐れの中、男は死骸の上に座っていた──
そして周辺を夜の静けさが深く深く増していくと、それを破るため彼は
叫び出した。いきなり男を振り落とすかのように、下から体が跳ね
上がり、死んだ女が大声で叫び出した、「おお、何て重いんだろう。
だが今すぐあいつをここに連れて来てやろう。」それから高く彼女は
上がり、戸口まで跳び、乱暴に開けて──ずっと男の重みを支えた
まま──夜の闇へ突進した。が、男は両目を閉じて、うめくことさえ
できない、凄まじい恐怖に怯えながらも──固く、固く──彼女の
長い髪を両手に巻き続けた。どれだけ彼女が遠くまで行ったか、
男には全く分からなかった。男は何も見えず、暗闇に──ぴちゃ
ぴちゃ、ぴちゃぴちゃ──彼女の裸足の足音と、走るたびにシュー
シュー鳴る息遣いが聞こえるのみであった。
 とうとう彼女は引き返し、家の中へ走って戻り、最初と同じように、
きっちりと床へ横になった。雄鶏が鳴き始めるまで、女は男の下で
喘ぎもがき続けた。その後彼女は横になったまま動かなくなった。
 しかし男は、歯をガチガチ言わせて、日が昇り陰陽師が来るまで
の間、彼女の上に座り続けた。「そうやって彼女の髪を離さなかった
のですね。」──よく確めてから陰陽師は大いに喜んだ。「それで
良いのです……もう立ち上がれますよ。」彼は再び死骸の耳に
囁くと、男に言った──「あなたは恐ろしい夜をやり過ごさなくては
なりませんでしたが、他の方法では助けられなかったのです。
これから先、彼女からの復讐の心配は必用有りません。」

39 :死骸に乗る者5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:28:03.66 ID:T3Mh4rHn0
***
 この話の結末が、倫理的に十分とは思わない。死骸に乗る者が
発狂したとか、男の髪が真っ白に変わったとは、記録されていない。
ただ「男は涙を浮かべて陰陽師を拝んだ」と語られているに過ぎない。
詳細を説明する追加の書き込みも、同様に期待外れだ。「こう知ら
された、」日本の筆者は言う、「〔死骸に乗った〕男の孫はまだ存命
であり、陰陽師の孫もまさしくこの時代に大宿直村〔たぶん、おおと
のいむらと発音するのだろう〕で暮らしている。」
 この村の名前は今日《こんにち》どんな台帳にも見当たらない。
この話が書かれて以来、多くの町や村の名前が変わったからだ。

40 :死骸に乗る者6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:29:27.77 ID:T3Mh4rHn0
[1]辰の刻、龍の時間、昔の日本の時間で、午前八時頃。
[2]陰陽師、陰陽の科学の教授もしくは指導者──陰陽の科学、
万物に浸透する男性と女性の原理に関する理論に基づく、古い
チャイナの自然哲学。

41 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:31:43.76 ID:T3Mh4rHn0
Shadowings(影)よりThe Corpse-Riderでした。

42 :梅津忠兵衛の話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:42:13.99 ID:RFHpMe2E0
梅津忠兵衛の話

※「仏教百科全書」で語られていた。

 梅津忠兵衛は怪力で勇敢な若侍であった。彼は出羽の国の
横手の近くに在る高い丘の上に城を構える殿様、戸村十太夫
に仕えていた。殿様の家臣の家は、丘の麓の小さな町に集まっ
ていた。
 梅津はその中から城門の夜番に選ばれた者のひとりであった。
夜の見張り番には二種類あり──一番目は日の入から始まって
真夜中に終わり、二番目は真夜中に始まり日の出に終わる。
 かつて梅津は二番目の見張り番の時、不思議な出来事に
遭遇する破目になった。真夜中に守衛の場所へ行こうと丘を
登っている時に、城までの曲がりくねった道の最後の曲がり角
の先に、女がひとり立っているのを認めた。女は両手で赤ん坊
を抱いて、誰かを待っているように見えた。人気《ひとけ》の無い
場所でこんな遅い時間に女がひとり立っているとは、異常極まり
ない状況としか言いようがなく、それに梅津は暗くなってから
妖かしが人を騙したり殺したりするため、か弱い姿をとる習慣が
あるのを思い出した。そういう訳で、目の前の女に見える存在が
本当の人間であるか疑っていると、不意に話をするかのように
顔を向けてきた。ならば無言で通り過ぎてやろうと心に決めた。
しかし、なんとも驚くべきことに、女が彼を名前で呼び、たいそう
美しい声で、話しかけたのだ──「頼もしい梅津様、今夜私は
かなり大きな困難を抱えて、最も苦しい勤めを果たさなくては
なりません。お慈悲でほんの一刻《いっとき》ほど、この赤子を
抱いていては下さいませんか。」そして子供を差し出した。

43 :梅津忠兵衛の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:47:09.75 ID:RFHpMe2E0
 女が見せるたいそうな若さ、疑わしい不思議な声の魅力、
神秘的な誘惑への疑い、何もかもが疑わしく、梅津には受け入れ
られなかった──が、彼は生まれつき親切であったし、妖かし
への不安に取り付かれた一時の感情で、情けを惜しむのは
男らしくないと感じた。彼はためらいもせず子供を受け取った。
「どうか私が戻るまで、その子を抱いていて下さい。」女は言った
「ほんの少しの間で戻って参ります。」「抱いていよう」彼が答えると、
すぐに女は背中を向け、道を下り、とても軽快にかつとても素早く
音も無く跳ねて丘を下って行ったので、彼は我が目を疑った。
女はほんの僅かな時間で視界から消えていった。
 梅津は、はじめて赤ん坊を見た。それはとても小さく、まるで
生まれたばかりのように見えた。彼の腕の中で少しも動かず、
全く泣きもしなかった。
 突然その子が大きくなったように見えた。改めて見直して見ると
……いや、それは変わらず小さな生き物で、全く動いてもいなかった。
なぜ大きくなったと思い込んだのだろう。別の瞬間になぜだか
分かり──冷気に射貫《いぬ》かれたように感じた。子供は大きく
なっていたのではない、重くなっていたのだ……はじめは三キロか
三・五キログラム程度の重さと感じていたが、その重さが次第に
二倍──三倍──四倍となっていった。いまでは重さが二十キロ
を下回ることはあり得ない──そしてそれは、まだまだ増していく
重く重く……五十キロ──七十キロ──九十キロ……梅津は
欺かれたのだと知った──彼は死すべき運命にある女と話した
のではなく──子供は人ではなかった。しかし梅津は約束した。
侍にとって約束は絶対である。したがって彼は腕の中の幼児を
守る、それが重くなり続けても、もっと重く……百十キロ──
百四十キロ──百八十キロ……何が起ころうとしているのか
想像もできなかったが、断固として恐れず子供は離さない、
力の続く限り……二百二十キロ──二百五十キロ──
二百七十キロ!全身の筋肉は張りつめて震え始めていた
──が、重みはまだ増し続けていく……「南無阿弥陀仏」
呻《うめ》くように呟《つぶや》いた──「南無阿弥陀仏──
南無阿弥陀仏」ちょうど三回目の念仏を唱えた時に、衝撃と共に
重みは去っていき、彼は空になった両手と共に茫然と立ち尽くした

44 :梅津忠兵衛の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:49:02.52 ID:RFHpMe2E0
──不可解にも子供は消えていたのだ。しかし、ほとんど間を
置かず神秘に包まれた女が、去っていった時と同じように急いで
戻って来た。まだ喘ぎながら彼の元に来た女は、はじめとても
清らかに見えた──が、額に汗を浮かべ袖を襷《たすき》の紐で
後ろに縛り、重労働でもして来たかのようであった。
「慈悲深い梅津様、」女は言った。「あなたはどんなに重要な
手助けをなさったのか、ご存じ有りません。私はこの地の氏神[1]
で、今夜は氏子のひとりが出産の陣痛に自分で気が付いて、
私に加護を祈ったのでございます。けれどもその分娩は大変な
困難なものに間違いなく、すぐに私ひとりの手で彼女を救うことは
できないであろうと分かりました──そういう訳で、あなたのお力
と勇気におすがりしようと思ったのでございます。そしてあなたの
手に預けたその子は、まだ生まれていない子供で、はじめに子供が
重く重くなったとお感じになった時には、たいへん危ない状態でした
──産門が閉じていたのでございます。そして子供が重くなり過ぎた
とお感じになって、そう長くは重みを支えられないと絶望なさった時
──同時に、母親は死んだようになって、家族は泣いていたので
ございます。その時あなたは念仏を三回唱えられました、南無
阿弥陀仏と──すると三回目の呟きに御仏の加護の力が我々まで
届き、産門が開いたのでございます……あなたの行いには、
適切なお返しがなくてはなりません。勇敢なお侍様には剛力
以上に役立つ贈り物はございませんから、あなただけではなく、
あなたのご子息とそのご子息にも同様に、剛力を授かるでしょう。」
 そして、この約束と共に氏神は姿を消した。

45 :梅津忠兵衛の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:51:56.95 ID:RFHpMe2E0
 梅津忠兵衛は、はなはだ奇妙に思いながらも、再び城への
道を歩きはじめた。日が昇り、勤めから開放されて、いつもの
ように朝の祈りをする前に、顔を洗いに行った。しかし使い
慣れた手拭いを絞りはじめると、驚いたことに触れた丈夫な
布地が手の中で音を立てて真っぷたつになったのだ。別れた
布切れを一緒にして捻《ひね》ってみると、再び布地は
千切れた──まるで水に浸した紙のようであった。その四つを
重ねて絞る試みをしたが、結果は変わらなかった。青銅や鉄製
の様々な物に行き当たると、触れただけで粘土のように曲がって
しまう、そうした後、やがて、約束された完全な剛力の持ち主に
なったので、これから先は物を触る時に、指の中でぼろぼろに
しないよう気を付けるべきなのだと理解した。
 家に帰ってから、この集落で夜の間に子供が生まれていた
かどうか聞いて回った。すると、彼の出来事のまさにその時間、
実際に出産が有って、正しく氏神と関わった通りの有り様で
あったと知った。

 梅津忠兵衛の子供達は、父親の力を受け継いでいた。多く
の彼の子孫は──皆が並外れた力持ちで──この話が
書かれた頃には、まだ出羽の国に住んでいた。


[1]氏神は一族や地域を守護する神道の神に与えられた称号。
一族や地域に生活し、神の神殿(宮)の維持を援助する者全員
を氏子と呼ぶ。

46 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 01:07:32.94 ID:RFHpMe2E0
A Japanese Miscellany(日本雑記)よりThe Story of Umetsu Chubei
でした。

これは私の好きな話として上位に入るひとつです。

重さの単位がキログラムという事で、違和感が無くもないですが、
原文ではポンドになっていまして、そのままポンドにする訳にも
いかず、かといって尺貫法は現在の人には尺がフィートと同じ
約30センチくらいとしか分からないだろうし、重さを尺貫法に
してもピンと来ないだろうと思いまして、キログラムに変換しました。

実際、私も尺貫法で尺以外はピンときません。

47 :常識1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:04:31.53 ID:bm5068Df0
常識

 かつて京都に近い愛宕山と呼ばれる山に、熱心に時間の
全てを座禅と聖典の研究に費やす、誠実で博識の僧侶が
住んでいた。どこの村からも遠く離れた小さな寺に居住し、
そんな人里離れた所では、公共の援助が無ければ生活に
必要な物を手に入れられなかった。しかし、何人かの信心
深い田舎の人々が定期的に援助のお布施として、野菜と
米の補給物資を毎月運んでくれた。
 この善良な村人の中に、時々獲物を探しに山へ泊まりに
来る誠実な猟師がいた。ある日、この猟師が米の袋を持って
寺にやってきた時、住職が言った──
「友よ、この前あなたに会ってからずっと、素晴らしいことが
起こっていると、お知らせしなくてはなりません。私ごとき
卑賎の身には、どうしてこのようなことが起こったのかは、
確かには分かりません。が、あなたもご存じのように、長年
に渡る毎日の座禅と読経をしていれば、その信心の行動
を通じて相応の功徳の獲得が保証されると考えられます 。
こうと確信してはいません。が、夜ごとこの寺へ象に乗った
普賢菩薩[1]がいらっしゃるのは間違い有りません……
今夜ここで一緒に泊まりましょう、友よ、そうすれば仏様を
拝見して拝むことができます。」
「それほど有難い光景の証人となれるとは、」猟師は返事
をした、「まったくもって光栄です。喜んで泊まって一緒に
拝みましょう。」
 そうして猟師は寺に残った。しかし住職が勤行《ごんぎょう》
に従事している間、猟師は約束された奇蹟について思いを
巡らせ、そのようなことが有り得るのか疑念を持った。考える
ほどに疑念はつのった。寺には幼い少年──小僧──が
いた。猟師は質問の機会を見付けた。「ご住職から伺った
んだが、」猟師は言う、「あの普賢菩薩が、夜更けにここの
寺へ来るんだってね。あんたも普賢菩薩を見たのかい。」
「既に四回ほど、」小僧が返事をした、「お目にかかり、
普賢菩薩をうやうやしく拝みました。」
 少年の誠実さは疑いようも無いにも関わらず、この告白は
猟師の疑念を深める役にしか立たなかった。しかしながら、
熟慮の末、おそらく少年が見た何もかもが見られるだろうと
思い、約束の光景の時間を熱心に待った。

48 :常識2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:09:11.22 ID:bm5068Df0
 真夜中になる少し前に、住職が普賢菩薩を迎える仕度を
する時間だと知らせてきた。小さな寺の戸は開け放たれ、
住職は戸口で顔を東へ向けて正座した。小僧は左手の方
に正座し、猟師は住職の背後に謹んでその身を置いた。
 それは九月二十日の夜であった──暗く、もの寂しい、
かなりの風が吹き荒ぶ夜、三人は長いこと普賢菩薩の到着
を待った。しかし、とうとう東の方角から星のように白い光
の点が表れ、この光が急速に接近してきた──近づくに
連れて大きく大きくなっていき、山の斜面全体を照らした。
やがてその光は形を取りはじめて──六本の牙を持った
雪のように白い象に乗った神々しい姿になった。そして間も
なく輝く乗り手と共に象が寺の前に到着して、まるで月光の
山のように高くそびえ立った──この世の物とは思えない
素晴らしさであった。

49 :常識3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:10:12.02 ID:bm5068Df0
 住職と少年は、自《おの》ずからひれ伏して、熱心過ぎる
ほど普賢菩薩への祈りを繰返した。が、不意に猟師が彼ら
の背後に立ち上がり、手に持った弓を一杯に引き絞って、
長い矢を輝く仏を目掛けてヒューと一直線に放つと、矢の
羽根まで深く胸に突き刺さった。
 間もなく、雷鳴のような音と共に白い光は消え、何も見え
なくなった。寺の前には風の強い闇の他、何も無かった。
「この、恥知らずが、」住職は羞恥と絶望の涙を流して
叫んだ。「卑劣な極悪人め、お前は何をした──一体
何をしたんだ。」
 しかし、猟師は反省や立腹の気配を全く見せずに、住職
の非難を受け入れた。それからとても穏やかに言った──
「和尚様、どうかお気を静めてお聞きください。あなたは、
たゆまぬ座禅と読経を通じて何らかの功徳を授かったと
お考えになった。けれど、もしその通りなら、仏様はあなた
だけに姿を見せるでしょう──私や、小僧さんでさえなく。
私は無学な猟師で、殺生を仕事としています──命を取る
のは御仏の忌み嫌うことです。どうしてあの時私は普賢
菩薩が見えたのでしょう。仏様は我々の回りのどこにでも
存在し、我々が無知で不完全であるため、見えないまま
なのだと教わりました。あなたは──清浄に暮らす博学
な僧侶ですから──仏様を見られるようになる、実際に
そういった修行が身に付いているのかもしれませんけど、
では、生計を立てるために獣を殺す者は、どうやって神々
を見る力にたどり着くのでしょう。私と、この幼い少年は、
共にあなたの見た物全てが見えました。今は私を信じて
ください、和尚様、あなたが見た物は普賢菩薩ではなく、
あなたを騙すための妖かしのたくらみ──おそらくあなた
達を殺してしまうための物でしょう。夜明けまでお気を確か
にお持ち下さるようお願いします。そうすれば、私の言葉
の間違い無いことが証明されるでしょう。」
 夜が明けて、猟師と住職が幻の立っていた場所を調べる
と、薄い血のついた引きずり痕が見付かった。この痕を
たどって行くと、何百歩か離れた窪みで、猟師の矢に貫かれた、
巨大な狸の体に遭遇した。

50 :常識4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:10:47.25 ID:bm5068Df0
 住職は博識で敬虔な人であったが、容易に狸に騙された。
しかし猟師は無学で不信心な人で、経験に基づく分別に恵まれ、
ひとり常識によって破滅へと導く危険な幻を一度で見破る
ことができた。


[1]サマンタバドラ・ボーディサットヴァ。

51 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:34:12.61 ID:bm5068Df0
Kotto(骨董)よりCommon Senseでした。

狸の原文はbadgerとなっています。これを直訳するとアナグマ(イタチの仲間)
になります。が、他の話の原文にTanuki (badger)というのが有ったので、
小泉八雲は狸をraccoon dogではなくアナグマと認識していたと思われるので、
狸と訳しました。

なおムジナはアナグマの一種ですが、「怪談」に収録されているムジナが狸か
どうかは謎です。小泉八雲はムジナという名前の妖怪と認識していたのでは
ないかと思いますが、真相は不明です。

なお昔は地方によってムジナと狸の呼び名が逆だったり、狸とムジナを区別
していなかったようで、昔話に出てくる狸が現在我々が狸と認識している動物
と同じ生き物だったかどうかは疑問の余地が有ります。

「怪談」のムジナは小泉八雲の認識とは別に、狸かアナグマのどちらだったか
となると、東京で明治の頃に狸とムジナはどういう生き物と認識されていたか
を調べなくてはなりません。個人的には東京での呼称が他の地方の呼称に
とって代わられる可能性は低いだろうと思い、ムジナはアナグマだったの
だろうと思っています。

52 :狐の話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:17:16.56 ID:Xfzo83IR0
狐の話

 松江の士族が、ある夜家に帰る途中、母衣町《ほろまち》と
呼ばれる通りで、犬達に追いかけられ命懸けで走っている
一匹の狐を見かけた。彼が持っていた傘で犬を叩いて追い
払うと、そうして狐は逃げる隙を与えられた。次の日の晩に
誰かが戸口を叩く音が聞こえたので、戸を開けてみると非常
に可愛らしい少女がそこに立っていて彼に言った、「昨夜
《ゆうべ》はあなたの尊いご親切が無ければ、確実に死んで
いるところでした。私は十分な感謝の仕方を知りませんが、
これはお粗末なだけの少しばかりのお礼です。」そして小さな
包みを彼の足元に置いて去った。包みを開けてみると二羽の
美しい鴨と二枚の銀貨であった──これは長くて重い葉っぱ
の形をした硬貨で──それぞれ十ドルか十二ドルの価値が
有る──骨董品の収集家が熱心に探し求める類いの物だ。
少ししてから硬貨のひとつは目の前で草切れに変わり、別の
物はいつまでも大丈夫であった。

53 :狐の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:19:45.03 ID:Xfzo83IR0
 松江の医者の杉貞庵《すぎていあん》さんは、ある晩出産の
患者の世話をするために、市街からかなり離れた白鹿山
《しらがやま》という丘の上の屋敷に呼ばれた。彼は高貴な
家紋[1]の描かれた提灯を持った使用人に案内された。豪邸に
入ると丁寧に侍の作法で迎えられた。母親は無事に元気な
子供を産んだ。家族は医者を豪華な夕食に招待して、優雅に
もてなし、土産とお金を積んで家まで送った。翌日、日本の
礼儀作法に従って、もてなしのお礼をしに再び訪ねて行ったが
彼は屋敷を見付けられなかった。実際に、白鹿山には森の他
には何も無かった。家に帰って、支払われた黄金を調べてみると、
全ては良好であった、草切れに変わった一個を除いてのことだが。

[1]携帯する灯火の全ては、主の紋を入れて、暗い夜道を照らす
ために使われる。

54 :狐の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:24:38.37 ID:Xfzo83IR0
 物好きは都合良く狐神に関する迷信を利用する。
 松江に何年か前、珍しく幅広い常連を抱えて繁盛する豆腐屋
があった。豆腐屋は豆腐が売られた店──豆を調理した凝乳
で、外見が良質のカスタードによく似ている。全ての食べ物の中
で狐は、豆腐とそば粉で調理された蕎麦が大好物だ。上品に
着飾った男の外見をした狐の伝説さえ有り、かつて湖水端
《こすいばた》の人気の蕎麦屋、乃木の栗原屋を訪れてたくさん
の蕎麦を食べた。しかし客が帰った後で支払われたお金が木の
削り屑に変わった。
 豆腐屋の持ち主は違った経験をした。みすぼらしい着物を着た
ひとりの男が毎晩彼の店へ豆腐を一丁買いに来て、しばらくの
空腹を埋めるため早急にその場でがつがつ食べた。数週間毎日
やって来て、ひと言も話さなかったが、ある晩主人は客のボロ着
の下から、ふさふさした白い尻尾の先が突き出ているのを見た。
見たことによって奇妙な憶測と異様な期待を引き起こした。その
夜から彼は不思議な訪問者の機嫌を取るように世話を焼き始めた。
話しをする前に更に一ヶ月が過ぎた。それから話したのは、およそ
次のようなことだ──
「そなたには拙者が人に見えるであろうが、拙者は人ではなく、
ここを訪ねる時のみ人の姿を取るのである。拙者は高町から
やって来たが、そなたもよく訪れる拙者の寺がそこに有る。そなた
の信心と善良な心に報いたいと思って、今夜は大災厄から救う
ためにやって来た。我が通力によって明日この通りが焼けるのを
知った。全ての家は、そなたの家を除いてすっかり滅びてしまうで
あろう。拙者が回避のための護符を作ろう。しかし拙者がこれを
行うには、そなたは蔵(土蔵)を開けて拙者が入れるように
しなくてはならぬ、そして誰も拙者を見てはならん、生者の目に
ふれると護符の効果が無くなってしまうからな。」
 店の主人は、熱烈な感謝の言葉と共に倉庫を開け、うやうやしく
稲荷もどきを入れて、家族や使用人に、誰も見張りをしないように
指示を与えた。この指示はとてもよく守られ、倉庫内の貯蔵品と
家族の貴重品は、夜の間に支障無く持ち去られた。翌日、空っぽ
になった蔵が発見された。そして火事は起こらなかった。

55 :狐の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:28:32.57 ID:Xfzo83IR0
 簡単に別の偽《にせ》稲荷の餌食になった、もうひとりの
松江の裕福な店主の確かな実話が有る。この稲荷は夜に
決まった宮へいくらかのお金を置いておけば、朝には二倍
になって見付かるだろう──それが終生の信仰への褒美
であると言った。その店主がごく少数の金額を宮に運んだら、
十二時間の内に二倍になっているのを見付けた。それから
もう少し大きな金額を預けると、同様に増加した。更に覚悟
の上で数百ドル相当にしても再現した。しまいには、ある晩
その神の宮に銀行から全財産をおろして置いた──が、
再びそれを見ることは無かった。

56 :狐の話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:31:10.19 ID:Xfzo83IR0
 地行場《じぎょうば》稲荷への滞在からの帰り、案内をして
くれた私の使用人がこの話を語ってくれた。
 隣の家の七歳になる息子が、遊びに出たまま二日間消息を
断った。はじめ両親は心配せず、もしかしたら親戚の家へ行っ
て、時々するように一日か二日泊まるのかも知れないと思って
いた。しかし二日目の晩になって、問い合わせた家に子供が
いないのが知れた。ただちに捜索が開始されたが、どこを捜し
ても、誰に問い合わせても、全く甲斐が無かった。しかしながら
夜遅くなって、少年の住む家の戸口を叩く音が聞こえ、母親が
急いで出てみると、地面の上で熟睡する不在であった子供を
見付けた。彼女は戸を叩いた者を発見できなかった。その少年
は起きてから笑い、失踪した朝とても可愛らしい目をした同じ
くらいの年齢の男の子に会い、離れた森へと誘われて、そこで
昼も夜も次の日もずっと一緒に不思議でおかしな遊戯をして
遊んだと語った。しかし、しまいには眠くなったので仲間が家
まで運んだ。腹は減っていなかった。その仲間は「明日来る」
と約束した。
 しかし、その神秘的な仲間は来なかった。それに近所に該当
するような子供もいない。その仲間は狐がちょっとからかって
みたくなったのだという結論になった。からかわれた子供は
愉快な仲間を想って、長らく虚しい悲しみに暮れたという。

57 :狐の話6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:33:55.69 ID:Xfzo83IR0
 三十数年前、松江に飛川《とびかわ》という名前の元力士が
住んでいた。彼は狐を目の敵にし、常々情け容赦無く狩っては
殺していた。彼は物凄い腕力によって魔力に対する免疫を得て
いると一般に信じられていたが、古老達は自然な死に方では
死なないだろうと予想していた。この予想は的中して、飛川は
非常におかしな死に方をした。彼は、はなはだしく悪ふざけの
実践を好んだ。ある日、自分で天狗という神聖な妖かしに変装
して、翼と鉤爪《かぎづめ》と長い鼻を付け、楽山《らくざん》に
近い神聖な林の木の高みに登り、そこでしばらくしていると、
無邪気な百姓達がお供えを持って拝みに群がってきた。この
見世物を自分で面白がって、枝から枝へと素早く跳び移る
演技に挑み、足を踏み外して落下し首を折った。

58 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:46:00.57 ID:Xfzo83IR0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
のKitsuneの章よりの抜粋です。原文はStory of Foxes
というタイトルでサイト上に公開予定です。

湖の周辺を湖水端と呼ぶのは出雲地方独特の言い回し
かどうかは、よく知らなかったりしますが、松江の話なので
こういった表現にしました。ちなみに海の近くは海水端では
なく、海岸端ですね、川の近くは川端で・・・

最後の話は子供の頃、「出雲の民話」という本で似た話を
読みました。その話は「しくじった飛川(ひかわ)」という題名
で、飛川は死んだとは書いてなくて、旅人をからかった話
でしたから、小泉八雲とは別のソースかも知れません。

59 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/24(水) 21:49:00.95 ID:r/qVr9WZ0
>>51でムジナについて触れましたが、「怪談」の古い訳のPDFが
有ったので解説を読んでみたところ、小泉八雲の「ムジナ」は
原話ではカワウソになっているのだそうです。

そういえば子供の頃に見た特撮「変身忍者嵐」に顔盗りカワウソ
という妖怪(怪人?)が出ていたな〜と思い出しました。

のっぺらぼうは脅かすだけでなく、顔を盗る危険な妖怪なのかも。

60 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/03(金) 23:50:51.13 ID:t13QPURV0
忠五郎の話

 長らく前、江戸の小石川地区に、鈴木という名前の旗本が
住んでいた。彼の屋敷は江戸川の岸に位置していて、中野橋
と呼ばれる橋からそう遠くない。鈴木の家臣の中に足軽[1]の
忠五郎という名前の者がいた。忠五郎は凛々しい若者で、とても
愛想が良く聡明で、同僚達から大変好かれていた。
 忠五郎は鈴木に仕える数年の間、よく自己を律し、これといった
間違いも見当たらず勤めを続けていた。しかし、とうとう忠五郎が
毎晩庭の道から屋敷を抜け出して、夜の明ける少し前まで外泊
する習慣を、別の足軽が見付けた。はじめこの奇妙な行動に
ついては、彼の不在によって正規の勤めにこれといった支障が
出る訳では無く、色恋沙汰による物だと思われたので何も言わな
かった。しかし、しばらくする内に彼が青白い顔をして衰弱して見え
始めると、同僚達は重大な過ちを犯しているのを疑い、やめさせよう
と決めた。そういう訳で、ある晩、ちょうど彼が屋敷を密かに抜け出そう
とする時に、初老の家臣が傍らに呼んで言った──
「おい、忠五郎、お主が夜ごと出掛けて朝方まで外泊しているのは、
我々も知っておるが、見たところ余り具合が良くないようだ。間違った
付き合いを続けて健康を害してないかと皆が心配しておる。お主の
振る舞いについてまともな申し開きが出来なければ、この問題を上役
に報告する義務が有ると思っている。何が有っても我々はお主の同僚
であり友人だ、だからこそ何故この屋敷の慣例を破って、夜中に出掛け
て行くのか知らねばならん。」
 忠五郎はこの言葉に、非常に当惑して不安な姿を見せた。が、少しの
沈黙の後、同僚に促されて庭を通り抜けた。それから二人は、人に
聞かれず休むのに都合の良い場所を見付けると、忠五郎が立ち止まって
言った──
「今、何もかも話してしまおうと思いますが、あなたには秘密を守って頂く
ようお願いしなくてはなりません。これから話すことを他所でされると、
私に大きな不運が起こるかも知れません。

61 :忠五郎の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:02:00.96 ID:rF/Ax54J0
「それは、先頃の早春のことです──およそ五ヶ月くらい前──その
頃、初めて夜に外出し色恋の付き合いを始めました。ある晩、両親を
訪問した後、屋敷へ戻る途中に、正門までの道からそう遠くない所で、
女がひとり川岸に立っているのを見掛けました。彼女は高い身分の人
がするような服装をしていたので、こんな時間に女がひとりで立派に
着飾って立つ必用が有るとは、おかしな事だと思いました。けれど、
まともに問い掛けようとは思わず、黙って通り過ぎようとすると、前に
出て私の袖を引っ張ったのです。その時私は彼女が非常に若く魅力的
なのが分かりました。『橋の所まで、ご一緒しませんか』彼女は言いました、
『あなたにお話しすることが有ります。』彼女の声は非常に落ち着いて
いて感じが良く、微笑みながら話し、その微笑みに抗うのは困難でした。
そうです、私は彼女と一緒に橋まで歩き、道々話してくれたのですが、
彼女は屋敷に出入りする私をよく見掛けて、好感を持ってくれていたの
です。『あなたを夫にしたい。』彼女は言いました──『もし、あなたが
私を好いてくれるなら、お互いをとっても幸せにできるでしょう。』私は
どう答えたら良いのか分かりませんでしたが、彼女をとても魅力的に
思いました。橋に近づくと再び彼女は袖を引っ張り、堤防を下った川の
ごく端の位置まで案内しました。 『一緒にいらっしゃい』そう囁いて私を
水の方へ引っ張りました。ご存知のように、そこは深くなっているので、
急に彼女が恐ろしく思えてきて、引き返そうとしました。彼女は微笑み、
私の手首を掴んで言いました、『あら、私と一緒なら恐れることはありま
せんよ。』どういう訳か、彼女の手に触られると子供よりも無力になって
しまうのです。夢を見ている時は走ろうとしても手や足を動かせない、
そんな感じでした。水中深い所へ彼女は歩を進めて私を引き寄せました
が、私は見えも聞こえもせず、明かりに満ちた大きな宮殿が見えてくる
まで、彼女の傍らを歩き通した自分に気が付く以上のことは、何も感じ
ませんでした。濡れもせず冷たくもなく、回りの何もかもが乾いて暖かく
美しかったのです。どこに居るのか、どうやって来たのか私には理解
できませんでした。女は私の手をとって、部屋から部屋を通り抜け──

62 :忠五郎の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:04:54.64 ID:rF/Ax54J0
どれも空っぽではあっても、非常に立派なたくさんの部屋を通り過ぎ──
千畳敷の客間へ入るまで私を導きました。ずっと先の端まで灯りが燃や
された大きな床の間の前には、宴をするように座布団が敷かれていました
が、お客は見当たりませんでした。彼女は私を床の間の傍《そば》の上座
まで案内し、私の前の自分の席につき言ったのです。『これが私の家、
ここで一緒に幸せになれるとお思いになりますか。』彼女は訊ねると共に
微笑み、私は彼女の微笑みが世界中の他の何よりも美しいと思い、心から
答えました『はい……』と。その瞬間に私は浦島の話を思い出し、彼女は
神の娘かも知れないと想像して何かを訊ねるのが不安になったのです
……間もなく侍女達が入ってきて酒とたくさんの皿を運んで私達の前に
並べました。それから私の前に座った彼女が言いました。『今夜は私達の
婚礼の夜になるでしょう、あなたは私を好いているのですから、これは私達
の婚礼の披露宴です。』我々はお互いに七生《しちしょう》の誓いをし、宴の
後で、準備の整った新婦の部屋へ案内されました。
「朝のまだ早い時刻に、彼女は私を起こして言いました。『愛しい人、今あなた
は真実私の夫ですわ。けれどもあなたには言えない、訊《き》いてもならない
理由によって、私達の婚礼は秘密のままにしておく必要が有るのです。あなた
が夜明けまでここに留まると、お互いの命に関わる犠牲が出るのです。
そういう訳で、お願いですから、今あなたの主の家へ送り返さなくてはならない
からといって、お気を悪くなさらないでくださいね。あなたは今晩再び、私の元へ
おいでになれるのです。これから先毎晩、初めて会ったのと同じ刻限にです。
いつも橋の所でお待ちになっていて下さい。そう長くはお待たせしませんから。
ただ何よりも覚えていて頂きたいのは、私達の婚礼は秘密にしなくてはならない
こと、もしそれについてお話しになったら、きっと永遠のお別れになるでしょう。』

63 :忠五郎の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:07:33.01 ID:rF/Ax54J0
「私は全てのことに従う誓約をしました──浦島の悲運を覚えていましたから
──そして彼女は全てが空っぽで美しいたくさんの部屋を通って、私を玄関
まで連れて行きました。そこで再び彼女が私の手首を掴むと、またたく間に何も
かもが真っ暗になって、中野橋近くの川岸にひとりで立っている自分に気が付く
までは、何も分かりませんでした。それから寺の鐘がまだ鳴らない内に、屋敷へ
戻りました。
「夜になって指定された時間に再び橋へ行くと、彼女が私を待っていました。彼女
は以前のように私を水の深みへ連れて行き、そして素晴らしい場所で夫婦の夜
を過ごしました。それから毎晩、同じように会って彼女の元で宴をしました。今夜
も間違い無く彼女は私を待っているでしょう、彼女を失望させるくらいなら死んだ
方がましですから、だから私は行かなくてはならないのです……ですが、重ねて
お願いさせて頂きます。友よ、私が語ったことについては、決して誰にも話さない
でください。」

 年長の足軽はこの話に驚き心配した。忠五郎は真実を語っているのだろうが、
この真実は嫌な可能性を示しているように感じた。おそらく体験の全体は幻覚
であろうし、幻覚は悪意に満ちた結果を狙って、何か邪悪な力によって作られた
のだろう。とは言え、本当に魅入られているのなら、この若者を非難するのは
気の毒であるし、強引な口出しは良くない結果を招くと思われた。そうして足軽
は優しく答えた──
「話しはせんよ、お主の言ったことは──お主が無事に生き続けている限り、
最後まで決してな。行って女に会うが良い、だが──その女には用心しろ。
わしはお主が悪霊か何かに騙されているのではないかと心配しておる。」
 忠五郎は老人の忠告に微笑だけを返して、急いで去った。数刻の後、彼は
妙に落胆した姿で再び屋敷へ入って来た。「あの女に会ったのか」同僚は
囁いた。「いいえ、」忠五郎が返した「彼女は居ませんでした。彼女が居ない
なんて、初めてのことです。もう二度と会ってはくれないと思います。あなたに
話したのがまずかった──約束を破った私がまったく馬鹿でした……」彼を

64 :忠五郎の話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:10:06.31 ID:rF/Ax54J0
慰めようと、いたずらに話を逸らしてみた。忠五郎は寝転んで、それ以上ひと言
も口を利かなかった。彼は悪寒がするかのように、頭から足まで全身で震え出した。

 寺の鐘が夜明けの時刻を告げると、忠五郎は起き上がろうと試みて、再び意識
を無くした。彼が病んでいるのは明らかであった──それも瀕死の病である。
とある漢方医が呼び寄せられた。
「何故この人には血液が存在しないのだ。」注意深く診察した後、医者は声を荒げ
て言った──「存在しないのに血管を水が流れている。彼を救うのはとても難しい
だろう……これは一体どんな禍《わざわい》なのですか。」

 忠五郎の命を救うため、出来ることの全てが行われた──血管の中を除いて
だが。彼は日が沈むように死んだ。それから同僚は話の全体を繋ぎ合わせて
みた。
「ああ、大いに疑わしいでしょう。」医者は大声で言った……「彼を助けられる力は
存在しません。あの女に破滅させられたのは彼が初めてでは無いのです。」
「あの女とは誰です……いや何ですか。」足軽が訊ねた──「妖狐ですか、」
「いいえ、あの女は太古の昔からこの川で狩りをしているのです。彼女は若い
血を好みます……」
「蛇女ですか──龍女ですか、」
「いえいえ、あなたが日中に橋の下のあの女を見ようとすれば、彼女はとても
忌まわしい生き物の姿を見せるでしょう。」
「どういった類いの生き物ですか。」
「ただの蛙ですよ──大きな醜い蝦蟇《がま》。」



[1]足軽は兵士では最下級の家臣。

65 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:27:46.62 ID:rF/Ax54J0
Kotto(骨董)よりThe Story of Chugoroでした。

夜中に怪しい女の人から声を掛けられたのは梅津忠兵衛と
同じなのに、この理不尽な違いは何だろうと思ってしまいます。

さて、奇談用の話も10話翻訳できたので、電子書籍の出版
準備をしたいところですが、同時に改訂版出版予定の怪談
虫の研究の蟻の翻訳が仕上がりません。

蟻の翻訳をしつつ、他の話も少し翻訳するかも知れません。

66 :普賢菩薩の伝説1 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:52:33.59 ID:mjHdshVn0
普賢菩薩の伝説

 かつて非常に信心深く博学な性空上人《しょうくうしょうにん》
という僧侶が、播磨の国に住んでいた。長年に渡って法華経の
普賢菩薩〔ボーディサットヴァ・サマンタバドラ〕の章を黙想し、
かつ朝夕の祈祷に使用するのを日課としていたから、いつか聖典
に描写された姿の生身のような普賢菩薩を拝する許しを得られない
ものかと思っていた[1]。

 ある晩、お経を読んでいる最中に睡魔が彼を打ち負かし、脇息[2]
にもたれたまま眠りに落ちた。それから夢を見て、普賢菩薩を見る
ためには、神埼の町に住む遊女の長者[3]という者の娼館へ行くべき
だと、夢の中の声に言われた。眠りから醒めると早速神埼へ行く決意
をし──できるだけ急いで仕度をして、翌日の晩には町へ到着した。
 彼が遊女の館に入った時、既にたくさんの人達が集まっているのが
分かった──その大部分が美貌の女の評判に釣られて神埼へ来た
京の若者達であった。彼らが飲食をする前で、遊女は鼓《つづみ》
(小さなハンドドラム)を非常に巧みに使って演奏しながら歌った。彼女
が歌ったその曲は室積《むろづみ》町の有名な神社についての日本の
古い歌でこんな詩だった──

周防《すをう》室積の中なるみたらい[4]に
風は吹かねども
水の面《おもて》に波のたたぬ時なし

67 :普賢菩薩の伝説2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:54:23.58 ID:mjHdshVn0
 甘美な声が皆を驚きと喜びで満たした。離れた所で耳を
傾ける奇妙な気持ちの僧侶は、突然娘にじっと見つめられ
ると、瞬時に彼女が六本の牙を持った雪のように白い象に
乗る普賢菩薩に姿を変えて、額から宇宙の果てを越えて
貫き通すかのような光の束を放射するのを見た。彼女は
依然として歌い続けた──が、その曲も今では様相を
変えて、僧侶の耳にはこのような言葉がやって来た──

滅私静穏なる大海に
五堕六欲の風は吹かねども
深く面《おもて》に広がる悟道の大波うねらぬ時なし

68 :普賢菩薩の伝説3 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:57:46.81 ID:mjHdshVn0
 神々しい輝きのまぶしさに僧侶は目を閉じたが、まぶたを
通してまだ明瞭にその映像が見えた。それから再び開けて
みると、それは過ぎ去り、ただ鼓を持った娘が見え室積の水
についての歌が聞こえるだけであった。しかし彼は、目を
閉じる度に六牙の象に乗った普賢菩薩が見られ、滅私静穏の
神秘な歌が聴けるのに気が付いた。その場の他の人達には、
遊女が見えているのみで、顕現を拝してはいなかった。
 それから不意に歌い手は宴の部屋から姿を消した──いつの間に
どうやってかは誰にも言えなかった 。その瞬間からどんちゃん騒ぎ
は止み、歓楽の場は陰気な物になった。あても無く娘を待ったり
捜したりした後、大きな悲しみの中で座は散々《ちりぢり》に
なった。一番最後に立ち去った僧侶は、その晩の感動に戸惑った。
しかし、ろくに門を通過しない内に遊女が姿を現して言った──「主様、
今夜ご覧になったことは、まだ何方《どなた》にも言ってはなりんせんよ。」
そしてこの言葉と共に彼女は消え去った──辺り一帯に芳《かぐわ》しい
香りを残して。

***

 ここまでの伝説を書き残した修業僧は、次のような見解を述べて
いる──遊女の身分は低く哀れなもので、かつては男の色欲に奉仕
する運命にあった。したがって、そのような女が菩薩の化身や転生
かも知れないと誰が想像するだろう。だが忘れてはならない、如来
や菩薩はこの世に無数の異なる形を選んで顕現できると、高貴な
慈悲のためなら、粗末極まりなく卑しむべき姿でさえも、このような
姿で危険な幻から衆生を救い、正しい方向へ導き救済することができる。

69 :普賢菩薩の伝説4 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 19:02:10.01 ID:mjHdshVn0
[1]僧侶の願望は、おそらく「普賢菩薩の激励」
(カーン氏訳の「東洋の聖典」─433から434
ページ─の妙法蓮華経に見える)と題された章
に記述された約束に触発されたのだろう──「その
時、普賢菩薩は領主に言った……『この法門に
専念する伝道者が歩を進めるであろう時、お殿様、
私は六牙の白象に跨がり、この法門を守護する
ために、その伝道者が歩む場所へ向かうでしょう。
そして、この法門に専念する伝道者がひとつの
言葉や音節しか思い出せない時、私は六牙の白象
に跨がり、その伝道者に私の顔を見せこの真理の
全体を繰り返すでしょう。」──しかし、この約束に
当てはまるのは「時の終り」である。
[2]脇息は詰め物をした肘掛けもしくは腕置きの一種
で、僧侶が読み物をする時に片方の腕をもたれさせる。
とは言え、そのような脇息の使用は仏教の聖職者
に限定されない。
[3]昔の遊女は、高級娼婦であると同時に歌姫で
あった。「遊女の長者」という用語は、この場合単純に
「一番(最高)の遊女」という意味だろう。
[4]みたらい。みたらい(みたらし)は──石か青銅の
──水溜《みずため》または水盤に付けられる特別な
名前で、神道の社の前に置かれ参拝者が祈願の前に
唇と両手を清める。仏教徒の水溜に、そのような作法は
無い。

70 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 19:17:34.11 ID:mjHdshVn0
※古い物語の本「十訓抄《じっくんしょう》」より

Shadowings(影)よりA Legend of Fugen-Bosatsuでした。

冒頭に注釈を入れるのを忘れていました。

歌詞については、検索した十訓抄の一部を参考に英文から
それっぽく意訳しました。
十訓抄に載ってる歌詞は次の通り

周防むろつみの中なるみたらゐに、風は吹ねとも さゝら波たつと、
實相無漏の大海に五塵六欲の風は吹ねとも、随縁真如の波のたゝぬ時なしと、

これに対する小泉八雲の英文は
Within the sacred water-tank of Murozumi in Suwo,
Even though no wind be blowing,
The surface of the water is always rippling.

On the Vast Sea of Cessation,
Though the Winds of the Six Desires and of the Five Corruptions never blow,
Yet the surface of that deep is always covered With the billowings
of Attainment to the Reality-in-Itself.

当初は十訓抄の詩をそのまま持ってくれば良いと考えて
いましたが、英文と比較すると微妙に意味が違うみたいなので、
自分で訳しました。誤解していなければ良いのですが・・・

71 :川の子供1 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:33:24.46 ID:/8/M4UZA0
川の子供

 河童は正確には、海の妖怪ではなく川の妖怪だが、河口
近くの海にだけは出没する。
 松江からおよそ2キロ半、河内と呼ばれる川が通る河内村
という小さな村に、カワコの宮と呼ばれる小さな祠が建っている
(出雲の一般の人々の間では河童という言葉は使われず、「川の
子供」の意味でカワコと表現する)。この小さな社には河童が署名
したと言われる文書が保管されている。話は昔へ遡るが、その
河童は河内を棲みかとし、多くの村の住人や家畜を捕らえ殺して
暮らした。しかしながら、ある日馬が水を飲みに川へ入ったところを
捕まえようとして、どうした拍子にか河童はその頭を馬の腰帯の下
に巻き込んでしまい、怯えた馬が慌てて水から出て地面に河童を
引きずった。そこで馬主と数人の百姓が河童を捕まえて縛り上げた。
聞こえるように許しを請い地面に頭を下げる化け物を見るために、
村人の全員が集められた。百姓達はすぐに殺してしまおうと望んだが、
たまたま村長であった馬主はこう言った「河内村のために、人や家畜
に二度と悪さをしないと誓うなら、それで良い。」誓約の様式をした
書き物が用意され、それを河童に読み聞かせた。そいつが言うには、
字は書けないが文書の最後へ手に墨を付けた手型を押し、それを署名
としよう。これを守ると同意して、河童は解き放たれた。その時から後、
河内村の住人や動物が妖怪に襲撃されることはずっと無かった。

72 :川の子供2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:36:15.01 ID:/8/M4UZA0
 かつて出雲の持田の浦と呼ばれる村に、たいそう貧しく子供を
持つことを怖れる農夫が住んでいた。そして妻が子供を産むたびに
川へ投げて、死産であったと偽りを述べた。時には息子であり、
時には娘であったが、いつでも幼子は夜中に川へ投げられた。
このようにして六人ほど殺された。
 しかし、時は流れ、農夫は自分が少し裕福になっているのに
気が付いた。お金で土地を買い賭けをできるようになった。そして
とうとう、妻が七人目の子供を産んだ──男の子だった。それから
男は言った「今、我々は子供を養えるし、年を取った時に手助けして
くれる息子が必要だ。それにこの子は綺麗だ。だからこの子を育てよう。」
 そして幼子は育つと共に、毎日冷酷な農夫は自分の心に驚きを
深めるのであった──日々息子への愛が深くなっていくのに気が
付いたのだ。
 ある夏の夜、彼は子供を腕に抱いて庭を散歩していた。小さな子は
五ヶ月になっていた。
 その夜は大きな月が出ていてとても美しく、農夫は感嘆の声を上げた──
「ああ、今夜めずらし、え夜《よ》だ。」
〔ああ、今夜は本当に素晴らしく素敵な、美しい夜だ。〕
 その時幼子は彼の顔を見上げて 、大人の話し方で話すように言った。
「どうして、お父さん、わしを最後に投げ捨てた時も、ちょうど今夜の
ようで、月の見掛けは同じではありませんか。[1]」
 以後その子供は、他の同じ年頃の子供達そのままの話しぶりである。

 農夫は出家した。


[1]「おとつぁん、わしをしまいにしてさした時も、ちょうど今夜のよな月夜だたね。」
──出雲の方言。

73 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:54:03.16 ID:/8/M4UZA0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
から民話を語られている部分を抜き出しました。

出雲地方では河童の事をカワコと言うのは知識として知って
いますが、いまだ河童をカワコと呼ぶ人には会った事が有り
ません。日常会話で河童が話題になる事は有りませんから

カワコを棒読みするなら、発音はかーこになるはずですが、
アクセントがワに有るからカワコなのかも知れません。

子捨ての話は持田の浦という地名が何処なのか今ひとつ
分かりませんが、松江市に西持田町という地名が有ります
から、その周辺の話なのかもしれません。

注釈の出雲の方言というのは、今ひとつ方言という感じが
しませんが、「し」を「す」に読み替えるとそれっぽくなるかも
しれません。

なお「我々」は出雲風に訛ると「わーわー」もしくは「わーわ」
となります。今でも年配の人はこの発音をします。

74 :破られた約束1 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:28:48.45 ID:YQx3cNNR0

※出雲の伝説



「私は死を怖れません。」死にかかった妻が言う──「今、ひとつだけ
心配な事が有ります。この家の私の立場に、どなたがお座りになる
のか、それが知りとうございます。」
「おまえ、」悲痛な声で夫が返す「永遠にわが家でおまえの立場に
座る者は、誰もいないだろう。わしは決して、決して再婚をしない。」
 この時の言葉は、命を失いそうな女を愛していたので、心からの
話しである。
「侍の信念に誓って、でございますか」弱々しく微笑みながら訊ねた。
「侍の信念に誓ってだ。」夫が答える──やつれた青白い顔を撫で
ながら。
「でしたら、あなた」妻が言う「お庭に葬っていただきたいのです
──ふたりで向こう側へ植えた、あの梅の木々の側《そば》へ──
いかがでしょうか。ずっと前からこのお願いをしたかったのですが、
思うに、もしもあなたが再婚なさるなら、こんな近くに私のお墓が
有るのを、お好みにならないでしょう。今あなたは他の女性を、私の
後へ置かないとお約束なさいました──ですから遠慮なく望みを
話せます……私はお庭への埋葬をそれはもう強く望んでいるの
です。お庭なら時にはあなたのお声が聞こえるでしょう、それに
まだ春のお花が見られるでしょう、そう思うのです。」
「おまえが望むようにしよう、」夫が答えた。「だが今は埋葬の話を
するな、望みが全く無いほどひどい病ではない。」
「私は……ます。」妻が返す──「私は朝の内に死にます──
お庭に葬っていただけますか。」
「ああ、」夫が言う──「ふたりで植えた梅の木の陰の下へ──
そこで綺麗な墓石の持ち主となろう。」
「それに、小さな鈴を頂けますか。」
「鈴を」
「はい、小さな鈴をお棺の中に置いて頂きとうございます──
お遍路さんが持ち歩くような小さな鈴でございます。頂けますか。」
「おまえは、小さな鈴を持つことになろう──他に何か欲しい
物は有るか。」
「他には何も望みません、」彼女は言った……「あなた、あなたは
いつでも、私にとてもよくして下さいました。今私は幸せな旅立ち
ができます。」

75 :破られた約束2 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:30:51.62 ID:YQx3cNNR0
 それから彼女は目を閉じて息を引き取った──疲れた子供が眠りに
落ちるような安らかさであった。顔に笑みを浮かべて死んだ、この時の
彼女は美しく見えた。

 彼女は庭の愛した木の陰の下へ葬られ、小さな鈴も一緒に埋めら
れた。墓には綺麗な石碑が建てられ、一族の家紋で飾られ、戒名が
刻まれた──「大姉光影梅花院慈大海殿居士」

………

 しかし、妻の死から十二カ月も経たないうちに、侍の親類と友人は
再婚を強く奨め始めた。「お主はまだ若い、」彼らは言う「それにひとり
息子な上に子供が無いではないか。結婚するのも侍の務めだ。もし
子供の無いまま死んでみろ、ご先祖様達を忘れず、お供えをする
のは誰になるんだ。」
 多くのそうした進言によって、とうとう彼は再婚の説得に応じた。新婦
はほんの十七歳であったが、彼女を心から愛せるのに気が付いた。
物言えぬ庭の墓石が悲しげに非難するにもかかわらず。

76 :破られた約束3 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:33:56.50 ID:YQx3cNNR0



 婚礼から七日の間は若妻の幸せを脅かすことは何も起こら
なかった──その頃夫は、夜の城に居なくてはならない、とある
任務の命令を受けていた。最初の晩、やむを得ず妻を独りで
残したが、彼女は説明しようの無い不安を感じていた──なぜ
だか分からない漠然とした恐怖であった。寝床に入ってはみた
が眠れなかった。空気に奇妙な圧迫感があった──嵐の前の
静けさのような言い知れぬ重苦しさである。
 丑の刻あたりで、夜中の屋外から、鈴を鳴らす音が聞こえて
きた──遍路の鈴だが──どんな巡礼がこんな時刻に侍屋敷
の周辺《あたり》を通り抜けるのだろうと不思議に思った。やがて
鈴の音は、しばらく間を置いてかなり近くへ来た。どうやら巡礼
は家のすぐ近くまで来ているようだ──でも、どうして後ろから
近づくのか、道も無いのに……不意に犬が尋常ではない
恐ろしい唸《うな》りと遠吠えを上げた──そして恐怖は恐ろしい
夢を見るかのようにやって来た……鳴っているのは間違い無く
庭の中……彼女は使用人を起こすつもりで立ち上がろうとした。
が、体を起こせないことに気が付いた──動くことも──叫ぶ
こともできなかった……そして更に近く、より一層近くに、鈴の
響きがやって来た──そして、おお、どれだけ犬が吠《ほ》えた
ことか……その時、影が忍び込むように静かに、部屋の中で
女がすっと動いた──どの戸もしっかりとした状態で、どの
衝立も動いていないのに──女は経帷子《きょうかたびら》を
着て、巡礼の鈴を身に付けていた。目が無い顔で来た──
長らく死んでいたから──ほどけた髪は顔の周りに垂れ
下がっていた──その乱れたすき間を通して無い目で見て、
無い舌で話した──

77 :破られた約束4 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:36:51.36 ID:YQx3cNNR0
「この家ではない──お前が居ていいのは、この家ではない。ここの
女主人は、まだ私だ。帰るがいい、そして言ってはならん、お前が
帰る理由は一言も。もしあの人に言えば、細切《こまぎ》れに引き
裂いてやる。」

 そのように話しながら、化生《けしょう》は姿を消した。花嫁は
恐怖と共に意識を失った。夜が明けるまでそのままであった。

 それにも関わらず、日中の陽気な日射しの中で、彼女は見た
こと聞いたことの現実を疑った。警告の記憶はまだかなり重く
のし掛かり、見たことを敢えて夫や他の誰にも話さなかったが、
具合が悪くなって嫌な夢を見ただけともう少しで納得できる
ようになった。
 しかしながら、続く夜は疑いようが無かった。再び丑の刻に
なると、犬が唸りと遠吠えを始めた──再び鈴の音が響き
渡り──ゆっくりと庭から近づいて来た──再び聞き手は
起きて叫ぼうと無駄な努力をした──再び死者が部屋へ
入って来て非難をした──

「帰るがいい、そして誰にも言ってはならん、なぜ帰らねば
ならぬのか。もしあの人に囁《ささや》きでもしたら、お前を
細切れに引き裂いてやる……」

 今度の化生は、寝床に近寄り──その上で体を曲げて
低く呟《つぶや》き顔をしかめた……
 翌朝、侍が城から帰ると、その前で若妻は自《みずか》ら
嘆願のためひれ伏した──
「伏してお願い申し上げます、」彼女は言った「このような
申し出をする恩知らずで大変な無礼をお許し下さい。けれど
私は実家へ帰らせて頂きとうございます──すぐに出て行き
とうございます。」
「ここは楽しくないのか。」彼は心から驚いて訊ねた。「わしの
不在の間に誰かが、けしからん意地悪でもしたのか。」
「そうでは有りません──」彼女はすすり泣きながら答えた
……「けれど、あなたの妻で居続ける訳にはいきません──
出て行かねばならないのでございます……」

78 :破られた約束5 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:39:32.39 ID:YQx3cNNR0
「おまえや」非常な驚愕に彼は声を荒げた、「それは非常につらい
ことだ、この家でおまえを不幸にする原因にさらしいていると分かった
のだから。しかし、おまえがどうして出て行くのを望まねばならん
のか、想像すらできん──誰かがおまえに酷《ひど》い意地悪でも
したのでなければ……まさか離縁を望むつもりで言っているのでは
有るまいな。」
 彼女は震えて涙ながらに返事をした──
「離縁して頂けなければ、私は死んでしまいます。」
 彼はしばらくの間沈黙したまま──この驚くべき告白の原因となる
幾つかに、無駄な考えを巡らせていた 。それから、幾らも感情を
抑え切れないまま答えを返した──
「何の落ち度も無いおまえを、今から里の人達に返せば、恥ずべき
行いに見えるだろう。おまえの望みの納得できる理由を語ってくれる
なら──恥ずべきことの無い重要な説明であれば、どんな理由でも
わしは受け入れ──離縁状を書いてやれる 。だが、納得できる
理由を提示できなければ、離縁には応じられん──我がお家の
名誉は、非難を浴びながら維持されねばならんからだ。」
 そうして彼女は話さざるを得ないと感じて、何もかも語った──
恐怖による苦悩を付け足した──
「あなたに知らせた今となっては、あの女は殺すでしょう──私を
殺すでしょう……」

79 :破られた約束6 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:43:13.92 ID:YQx3cNNR0
 勇敢な男で、幽霊を信じる性分では少しも無かったが、
一時的に侍を驚かすには十分以上であった。しかし単純
で自然な問題の説明は、すぐに彼の心へ届いた。
「おまえや、」彼は言う、「今はとても不安定になっていて、
誰かが馬鹿げた話を聞かせたのだと心配している。
離縁状は渡せない、おまえはこの家で悪い夢を見たに
過ぎないからだ。だがわしは、不在の間このようなやり方
で、確かにおまえを苦悩させねばならなかったと、非常に
申し訳なく思う。今夜もわしは城に居らねばならんが、
おまえを独りにはせん。わしは二人の家臣に命令して
おまえの部屋で見張らせよう、それでおまえは安心して
眠れるだろう。彼らは立派な男だ、おまえの世話を何でも
してくれるだろう。」
 それから彼は非常に思い遣り深く、非常に愛情を込めて
話したので、ほとんど恐怖を恥じるようになり、家に残る
決心をした。

80 :破られた約束7 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:45:53.79 ID:YQx3cNNR0



 若妻の請求によって残された二人の家臣は大柄で度胸が
有り、誠実な男達であった──女や子供達の護衛の経験を
積んでいた。彼らは新婦の気持ちを和ませるために愉快な
話を語った。彼女は長いことお喋りをし、彼らの好ましくも
滑稽な冗談に笑い、ほとんど恐れを忘れた。しまいには眠る
ため横になり、武士達は衝立の後ろの部屋の隅の持ち場に
つき、碁[1]の試合を始めた──彼女を不安にさせないよう
囁き声だけで話した。彼女は幼子のように眠った。
 しかし再び丑の刻になると、彼女は呻《うめ》き声と共に目を
覚ました──鈴が聞こえ……それも既に近く、ごく近くまで
来ている。彼女は立ち上がり、絶叫した──しかし部屋の中に
動きは無かった──死のような静寂が有るだけで──静寂は
増大し──濃縮した静寂となった。彼女は碁盤の前に座る
武士達の元へ急行した──動きは無い──それぞれ動かぬ
目で一方を凝視している。彼女は鋭い悲鳴を浴びせ、彼らを
揺さぶったが、凍りついたようにそのままであった……

 後になって彼らが言うには、鈴の音を聞いた──新婦の
叫びも聞いた──目覚めさせようと揺さぶる彼女の試みさえ
感じていた──それにも関わらず、彼らは動くことも話すことも
できなかった。それから間もなく、聴覚や視覚を失い黒い眠り
に支配された。
……………………
 明け方に新婚の部屋へ入った侍は、消えかかった行灯の
灯りで、血の池に横たわる、若妻の頭の無い体と対面した。
やり掛けの試合を前に、座り込んだまま二人の家臣が眠って
いる。主人の叫びに彼らは跳び起きて、床の恐ろしい事態を
茫然と見つめた……

81 :破られた約束8 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:48:20.02 ID:YQx3cNNR0
 頭は何処にも見当たらず──忌まわしい致命傷は、切断
されたのでは無く、もぎ取られたことを示していた。血の跡は
寝室から縁側の角へ続き、そこの雨戸はバラバラに破られた
のが確認できた。三人の男はその跡を庭へたどった──
草の広がりを越え──砂の敷地を越え──菖蒲が縁取る
池の岸に沿って──杉と竹が色濃く影を落とす下へ。そして
突然、曲がった先で、彼らは悪夢の正体に対面したのだと
気付いたが、それは蝙蝠《こうもり》のようにヒューヒュー咽を
鳴らし、長らく埋葬されていた女の姿で、その墓石の前に
真っ直ぐ立っていた──片方の手に鈴をしっかり握り、もう
一方には濡れ滴る頭……一瞬の間、三人は茫然と立ち尽くし
た。それから武士の一人が、念仏を発しながら、抜刀し、その
姿に向かって斬りつけた。即座にそれは地面へと崩れ落ちた
──空っぽで四散した埋葬のぼろ布《きれ》と骨と髪──鈴は
音を立てて残骸から転がり出た。しかし、肉の無い右手は、
手首から分断されてはいたが、まだもがいていた──その
指は血の滴る頭を握り続け──ずたずたに引き裂いた──
落ちた果物にしきりと執着する黄色い蟹《かに》のハサミの
ように……

***

〔「それは酷い話だ。」それに関係する友人に私は言った。「死者
の復讐は──全て受け入れるとして──男が受けるべきだ。」
「男はそう考えます」彼は答えを返した。「しかし、女の感覚では
そうしません……」
 彼が正しかった。〕

[1]チェッカーに似た遊びだが、もっと複雑である。

82 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 23:34:09.02 ID:YQx3cNNR0
A Japanese MiscellanyよりOf a Promise Brokenでした。

日本では珍しいゾンビの伝説ですね。数十年前に怪談が
映画化される際、この話は恐ろし過ぎて映像化出来ない
と見送られたいわく付きの話です。

今回は辞書を引いてもよく分からない単語が有りました

haunter
手元の書籍を数冊参考に見ると、全て幽霊となっていました。
しかし、phantomでもghostでも無いし、動く死体を幽霊とは
言いません。
動詞のhauntが「幽霊のように出没する」なので出没する存在
には間違い有りません。日本語では「お化け」や「化け物」
「物の怪」が適切な気がしますが、表現が大袈裟に過ぎます。
当初は「怪異」としていましたが、違和感有りまくりでした。
そういう訳で現在あまり使われていない「化生」を当てました。
妖魔詩話でも「念の化生」というタルパのような存在を指す
言葉が出て来ます。

nightmare-thing
プロの翻訳複数で、魔物となっていました。直訳すれば悪夢の
物、新妻の悪い夢に出て来た存在と解釈して悪夢の正体とし
ました。

chippered
辞書では出て来ませんでしたが、動詞のchipperは鳥がチュッ
チュッと鳴く、人がぺちゃくちゃ喋るなので、日本語のピーチク
パーチクのような擬音と解釈し、舌の無い口で喋ろうとして喉の
空洞を空気が通り笛のような音を出している状態と推測しました。

83 :守られた約束1 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 09:52:02.60 ID:h3tzpEyN0
守られた約束


※「雨月物語」で語られていた。

「初秋の頃には帰るだろう、」赤穴宗右衛門《あかなそうえもん》が
言ったのは、何百年か前──義兄弟の若い丈部左門《はせべさもん》
へさよならを告げた時である。時は春、所は播磨国《はりまのくに》の
加古《かと》村。赤穴は出雲の侍で、生まれ故郷への里帰りを望んでいた。
 丈部は言った──
「あなたの出雲──八雲立つ国[1]──は 、かなり遠方です。ですから、
どれか特別の日にここへ帰る約束は、きっと難しいでしょう。けれど
我々にその特別な日が分かるなら、嬉しく思います。それなら、歓迎の
ご馳走の準備と、門口でお出迎えが出来ます。」
「どうして、そのような」赤穴が返す「わしは旅にはよくよく慣れたもの
ゆえ、その場に着く迄どれだけかかるか、普通に話せるが、ここでの
特別な日を確実に約束できる。我々が重陽《ちょうよう》の節句と呼ぶ日
だろう。」
「それは9月の9日ですね、」と丈部は言い──「その頃には菊の花が
咲きます、一緒に見に行けますね。どんなに楽しいことでしょう……
9月9日にお帰りになる、確かな約束ですか。」
「9月9日に、」赤穴は繰り返し、微笑みながら暇乞《いとまご》いをした。
それから彼は播磨国の加古村から大股で歩き去った──丈部左門と
丈部の母は、目に涙を浮かべて見送った。

84 :守られた約束2 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 09:55:54.50 ID:h3tzpEyN0

「日も月も、」日本の古い諺《ことわざ》は言う、「彼らの旅に決して
休み無し。」瞬く間に月は流れ、秋が来た──菊の花の季節である。
そして9月9日の朝早く、丈部は義兄弟の歓迎の仕度をした。立派な
物でご馳走を調理し、酒を買い、客間を飾り付け、二色の菊の花で
床の間の花瓶を満たした。そんな彼を見て母は言った──「出雲国
は、せがれや、この地から百里以上もあって、そこから山を越える旅
は難儀で疲れますから、赤穴が今日帰るとはあてにできませんよ。
この骨折りは仕上げてしまわずに、お帰りを待ってからにしませんか。」
「いいえ、母上」丈部は答える──「赤穴は今日ここでと約束したの
ですから、彼は約束を破れません。それにもし到着した後から用意
し始める我々が見えたとすれば、彼の言葉を疑ったと知られて恥を
かきます。」

85 :守られた約束3 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:00:16.66 ID:h3tzpEyN0

 その日は雲ひとつ無い素晴らしい天気で、空気は澄み渡り
世界は平素より千里も広がって見えた。朝の内に多くの旅人達
が村を通り過ぎた──その中には侍もいて、来る人それぞれを
丈部は注目し、一度ならず赤穴が近くにやって来る想像をした。
しかし寺の鐘が正午を鳴らしても、赤穴は現れなかった。午後の
間じゅう丈部は見続け虚しく待った。日が落ちてもまだ、赤穴の
気配は無かった。それでも丈部は木戸に留まり道を注視し続けた。
遅くれて母が彼の元へ来て言った──「人の心とは、せがれや
──諺が言うように──秋の空のように変わりやすいものです。
けれどあなたの菊の花は、明日になっても新鮮なままでしょう。
今は眠った方が良い、そして朝になって、あなたが望むなら、また
赤穴のために待てるでしょう。」「母上は休んで下さい、」丈部が
返す──「でも私は、まだ彼が来ると信じています。」それから母は
自室へ行き、丈部はいつまでも木戸に残っていた。その夜は昼間の
ように澄み渡り、空には満天の星が瞬き、白い天の川が常ならぬ
輝きを揺らめかせていた。村は眠っていた──静寂を破るのは
小川のかすかなせせらぎと、遠くから聞こえる農家の犬の遠吠え
だけであった。丈部はまだ待っていた──細長い月がほど近い
丘の向こうへ沈むまで待った。それから最後には、不安になり疑い
始めた。ちょうど家へ入り直そうとした頃、遠方に背の高い男が
近づいて来るのを認めた──とても静かで素早く、そして次の瞬間
はっきりと赤穴と分かった。

86 :守られた約束4 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:04:16.07 ID:h3tzpEyN0
「おお」丈部は叫び、出迎えのために跳び出した──「朝から
今までずっと待っていました……やはり、この通り本当に約束は
守るのですね……しかしお疲れになったはずです、お気の毒に
兄上──お入り下さい──何もかも用意はできています。」彼は
赤穴を客間の上座へと案内し、低く燃えていた灯りを急いで整え
た。「母上は、」丈部は続けた、「今夜は少し疲れを感じて既に寝床
へ入っていますが、すぐに起こして参ります。」赤穴は首を振り、
小さく制止の身振りをした。「分かりました、兄上、」丈部は言い、
暖かい食べ物と酒を旅人の前へ置いた。赤穴は食べ物や酒に手を
付けなかったが、動きを止めたまま少しの間沈黙した。それから、
囁《ささや》き声で話し──母が起きるのを気遣うかのように言った──
「さて、何が有ってこのように遅れて来たのか、話さなくては
ならん。わしが出雲に帰ってみれば、人々は先の領主、立派な
塩冶候のご恩を忘れ、富田《とんだ》城を占拠する略奪者、
経久《つねひさ》に気に入られるよう努めているのが分かった。
わしは従兄弟の赤穴丹治を訪ねなくてはならなかったが、彼は
経久への配下へくだるのを受け入れ、家臣のように城下の土地で
暮らしていた。彼は経久の前でわしを土産《みやげ》とするよう
説得し、わしは専《もっぱ》ら顔も見たことの無い新しい領主を
見極めるために従った。それは度胸溢れる熟練の兵士であった
が、狡猾で残忍でもあった。それを見抜いたわしは、その臣下に
加わることはできないと知らせる必要が有った。対面から去る
わしを従兄弟に引き止めさす命令が下った──屋敷から
出られぬまま拘束するためだ。わしは9月9日に播磨へ帰る
約束が有ると断言したが、出立の許可は拒否された。わしは
それから、夜に紛れて抜け出す望みを抱いたが、四六時中
見張られていて、今日まで約束を果たす方法を見付けられ
なかった……」
「今日までですって」当惑した丈部が叫んだ──「城はここ
から百里以上ありますよ。」

87 :守られた約束5 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:06:23.71 ID:h3tzpEyN0
「左様、」赤穴が返す「生者の足では1日に百里の旅は
できん。しかし、約束を守らねば、お主はわしを良く思っては
くれまいと感じ、そして、魂《たま》よく1日に千里を行《ゆ》く
〔人の魂は1日に千里の旅ができる 。〕という古い諺を思い
出した。幸い刀の所持は許されていた──こうしてお主の
元へ来られたのだ……我々の母上を大切にしてくれ。」
 この言葉と共に立ち上がり、その瞬間に姿が消えた。
そうして丈部は、約束を果たすため赤穴は自害したのだと知った。

 夜が明けるとすぐ、丈部左門は出雲国の富田城を目指して
出発した。松江に着き、そこで彼は9月9日の夜、城の土地に
在る赤穴丹治の屋敷で赤穴宗右衛門が腹切りを実行したと
聞かされた。丈部は赤穴丹治の屋敷へ行き、家族の目の前で
赤穴丹治の裏切り行為を非難して殺害し、無傷で逃走した。
そしてその話を聞いた経久候は、丈部を追ってはならんと命令を
出した。彼自身不道徳で冷酷な男ではあったが、経久候は
他人の真実の愛を尊重し、丈部左門の友情と勇気に感服
できたからである。


[1]出雲すなわち雲州《うんしゅう》の古い詩的な名前。
[2]1里はイギリスの2マイル半におよそ等しい。

88 :小林 ◆matome2rkQ:2014/12/27(土) 10:25:46.60 ID:h3tzpEyN0
A Japanese Miscellany(日本雑記)よりOf a Promise Keptでした。

上田秋成の有名な雨月物語の「菊花の約(きっかのちぎり)」を
元にした話ですね。

固有名詞の多くは雨月物語から漢字を拾いました。ただ、
Lord Enyaは雨月物語は塩谷ですが、誤記であろうと、塩冶を
あてました。

この話は「守られた約束」であって「菊花の約」ではない、という
のと、出雲市を拠点に活動していた人の名前は間違えられ
ないという理由からです。

富田城は松江じゃなくて、安来では?という疑問も有りますが
その辺は気にしないことにします。

経久とは、もちろん尼子経久です。

義兄弟の苗字は雨月物語の通りにしない方が良いのでは?という
気がしないでも有りませんが・・・

「破られた約束」と「守られた約束」は、約束をテーマにした点と
出雲地方に関係した話という点で、やはりセットにすべきですね。

89 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 14:40:39.18 ID:h3tzpEyN0
>>83
「どうして、そのような」
why, as for that

と訳していましたが、

「ああ、そうだな」

の方が良いかもしれません。

90 :鳥取の布団の話1 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:40:55.81 ID:iH9pV0ck0
鳥取の布団の話

 かなり昔、鳥取の町のとても小さな宿屋が、最初の客として
行商人を受け入れた。この小さな宿屋に良い評判を立てようと
いう主《あるじ》の望みによって、普通より親切に迎えられた。
新しい宿ではあったが、主人が貧乏なため大部分の道具──
箪笥《たんす》と調度品──は古手屋《ふるてや》[1]から購入した。
ではあるが、なにもかもが清潔で快適できれいであった。お客は
思う存分食べほど良く暖められた酒を存分に飲んだ後で、柔らかい
床《ゆか》に用意された寝床に倒れこみ眠るために体を横たえた。

91 :鳥取の布団の話2 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:43:40.00 ID:iH9pV0ck0

〔ここで少しの間、日本の寝床について言及するため話を
中断しなくてはならない。病気になって療養でもしていない
限り、日中どんな日本の家屋でも、部屋のことごとくを訪ね、
隅々まで覗いたとしても、あなたは決して寝床を見ることは
ない。実際に西洋的な言葉の意味での寝床は存在しない。
日本人が寝床と呼ぶ物は、寝台が無く、バネも無く、マットレス
やシーツや覆いも無い。綿で満たしたと言うよりは詰め物を
した、布団と呼ばれる分厚いキルトだけから成る。ある枚数の
布団は畳(床敷き)の上に横たえ、そして別のある枚数は掛ける
ために使う。金持ちは布団を五六枚敷いた上で横になり、同じ
くらい多くを自分に掛けて満足できる一方、貧しい庶民は二三枚
に甘んじなくてはならない。もちろん種類は多く、西洋の炉の前の
敷物ほどの大きさもなく、さして厚くも無い使用人の木綿布団から、
8尺の長さで7尺幅の、裕福な金持ちだけが買える、厚くふくらんだ
極上の絹布団まで有る。
その上、幅の広い着物のような袖を備えて、どっしりとした布団で
作られた夜着《よぎ》まで有って、極めて寒い天気の時には、
非常に快適であるのが分かる。こういった物の全てが、日中は
壁に細工をして窪《くぼ》ませた小空間へ、きちんと畳んで
襖《ふすま》──普通は上品な模様の入った不透明な紙で
覆《おお》われた、綺麗な仕切りの引戸──を閉め、視界の外に
しまい込まれている。また、日本人の結い髪を寝ている間の乱れ
から保護するために考案された、おかしな木製の枕もしまわれて
いる。
 この枕は、間違いなく神聖視されているが、その起源と明確な
信仰の本質に関して、私は確認できていない。今これだけは
分かる、それを足で触るのは大変な間違いと考えられ、偶然で
あっても蹴ったり、そのように動かしたなら、不調法は枕を手で
額まで持ち上げて、お許しをお願いしますという意味の言葉
「ごめん」を添え、丁寧《ていねい》に元の位置へ置き直して
償わなければならない。〕

92 :鳥取の布団の話3 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:48:50.38 ID:iH9pV0ck0

 さて、夜がことのほか涼しく、寝床がとても心地良ければ、
暖かい酒をたらふく飲んだ後は、たいてい人はぐっすり眠る
ものである。しかしその客は、部屋の中から声がするせいで、
ほんの少しの間眠っただけで目を覚ました──いつまでも
同じ問い掛けでお互い訊ね合う子供の声であった。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 このような日本の旅館には、部屋と部屋の間を仕切る紙を
貼った引戸の他に扉が無いため、部屋の中の子供の存在は、
お客を悩ませはするが、驚かせはしない。それゆえ彼には、
闇の中を誤って子供が何人か座敷へ迷い込んだに違いない
と思われた。彼はいくらか穏やかに小言を口にした。しばらく
沈黙だけが有って、それから優しく、か細い、哀れな声が耳元で
訊ねた「あにさん、寒かろう」〔お兄さん、寒くありませんか〕そして
別の優しい声がなだめるように答えを返す「おまえ、寒かろう」
〔いや、お前の方が寒くないか〕
 彼は立ち上がり、行灯[2]の中の蝋燭に再び火を灯し、部屋を
見回した。誰も居ない。障子は全て閉まっている。戸棚を
調べると、空《から》ばかりであった。訝《いぶか》りながらも、
灯りを燃えるまま残し再び横になると、すぐに枕元から再び
ぶつぶつと話す声がした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 その時初めて、夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を
全身で感じた。繰り返し聞こえ、その都度怖れは深まった。
声は布団の中からだと分かったのである。それは寝床の掛け
布団が、このような呼び声を出していた。
 彼は慌ただしく少ない所持品をかき集めて階段を降り、
家主を叩き起こして、何が話されたかを伝えた。すると主は
たいそう腹を立てて言い返した「大事なお客だから喜んで
貰おうと何もかもやったのに、本当は大事なお客どころか
大した大酒呑みで、悪い夢を見たんだ。」それでもお客は、
さっさと宿代を払ってどこか他所の宿を捜すと言い張った。

93 :鳥取の布団の話4 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:51:37.90 ID:iH9pV0ck0
 次の晩、ひと部屋泊まれないかと別のお客がやって来た。
夜更けになって、家主は同じ話で泊まり客に叩き起こされた。
そしてこの泊まり客は、不思議なことに全く酒を飲んで
いなかった。何かの妬みから、商売の破滅を企んでいるのかと
疑い、家主は感情的に答えた「汝を喜ばせるため、全てのことを
立派にこなしたにも関わらず、不吉で忌々しい悪態の限りを
浴びせる。この宿屋にはわしの生活が掛かっている──
それは汝にも分かりきっている。であるから、そんなことを話す
のは正しくない。」するとお客は怒りだして、もっと悪いことを大声で
言い、二人は激しい怒りの中で別れた。
 しかし、お客が去った後、家主はこういった全てがとても奇妙に
思えて、布団を調べに空の部屋へ登った。そうした内に彼は声を
聞いて、お客は本当のことしか言わなかったのだと気が付いた。
呼び掛けるのはある掛布団──たったひとつ──であった。残りは
静かである。彼は自分の部屋へ掛布団を持ち込み、夜の残りをその
下で横になった。その声は夜明けの時刻になるまで続いた。
「あにさん、寒かろう」「おまえ、寒かろう」そのため眠れなかった。
 しかし日が昇ると起き上がり、布団を買い取った古手屋の店主を
捜しに外へ出た。販売者は何も知らなかった。彼は布団を更に
小さな店から買い、その店の持ち主は遠く離れた市の郊外に
住んでいる更にもっと貧しい商人から、それを購入していた。そして
宿屋の主人は次から次へと訊ねて回る。
 それで最後に分かったのが、その布団はある貧しい家族の物で、
町の近隣に暮らしていた家族の小さな家の大家から買われた。そして
その布団の話はこうだ──

94 :鳥取の布団の話5 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:54:24.55 ID:iH9pV0ck0
 その小さな家の家賃は、月にたったの六十銭であったが、
これでも貧しい庶民が払うには大きな負担であった。父親が
稼げるのは月に二三円だけ、母親は病気で働けず、二人の
子供がいた──六歳と八歳の少年である。そして彼らは
鳥取では他所者であった。ある冬の日、父親が病気になり
7日の間苦しんだ後に死んで埋葬された。それから長く病んだ
母親も後を追い、子供達は身寄りも無く残された。彼らは助け
を求められる者を誰も知らず、売れる物が有れば生きるために
売り始めた。
 それは多くない、死んだ父母の着物、それと自分達の物の
ほとんどと何枚かの木綿の布団、僅かな貧しい家庭の調度品
──火鉢、皿やお椀に茶碗、他の些細な物。毎日何かを売って
1枚の布団の他は何も残らないまでになった。そして食べる物が
何も無く、家賃を払っていない日が来た。
 恐ろしい大寒、最も寒さの厳しい季節の到来、吹き寄せる雪が、
小さな家から遠く歩き回るには激し過ぎた。そのため、1枚の
布団の下で横になるしかできず、寒さに震え、子供らしいやり方で
お互いにいたわり合った──
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 火は無く、火を焚ける何物も無いまま闇がやって来て、凍える風が
ヒューヒューと小さな家の中まで吹き抜けた。
 彼らは風を怖れたが、家賃の取り立てで乱暴に追い立てる家主が
もっと恐ろしかった。邪悪な顔をした厳しい男であった。何も払えないと
分かると、子供達を雪の中へ追い出し、1枚の布団を取り上げ、
家に鍵をかけた。

95 :鳥取の布団の話6 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:56:09.58 ID:iH9pV0ck0
 それぞれが薄く青い着物しか持たず、他の全ての衣類は
食べ物を買うため売ってしまい、何処にも行くあてが無かった。
遠くない所に観音の寺は在るが、たどり着くには雪が激し
過ぎた。そうして大家が去ると 、彼らはこっそり家の裏へ
戻った。そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるよう
抱き合って眠った。眠っている間に、神々が彼らへ新しい
布団を掛けた──霊的な──白くてたいそう美しい物で
あった。彼らはもはや寒さを感じなかった 。多くの日々を
そこで眠り、それから誰かが彼らを見付け、寝床を用意
されたのは千手観音の寺の墓場の中であった。
 この事を聞いた宿屋の主人は、小さな魂のために経を
読み上げて貰うため、布団を寺の坊さんに渡した。それから後、
布団は話しをやめた。


[1]古手屋、中古品──古手──の商人によって設立
された。
[2]行灯、独特の構造をした紙灯籠で夜の灯りに使う。
行灯のいくつかは実に美しい外観である。

96 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 10:12:39.45 ID:iH9pV0ck0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
日本海に沿っての章よりStory of the Futon of Tottoriでした。

出雲地方では今でも年配の人が中古品の事を古手《ふーて》と
言ったりするので、古手屋は方言なのかと思いましたが、検索
したところ、全国的な言葉と分かりました。

江戸時代の日本は小氷河期だったという説が有るくらいですから、
鳥取でも相当に寒かったでしょう。

子供を見捨てたという点で、鳥取の人にはありがたく無い話かも
知れませんが、こういう話が伝わっているという事は、身寄りの
無い子供に優しくしようという気持ちが鳥取の人に有ったのだと
思います。

97 :妖魔詩話1 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:05:37.30 ID:7WXFPAHM0
妖魔詩話

 最近一件の古本屋を散策している時に、たくさんの妖魔の絵を収録した3巻から
なる妖魔詩集を見付けた。詩集の名前は「狂歌百物語」という。百物語とは有名な
幽霊の本のことだ。話の個々の主題には、異なる時代の様々な者達の詩で構成
されている──詩の区分は狂歌と呼ばれる──そしてこれらは収集され私が幸運な
所有者となった3巻の形式に編集された。詩集は確かに工匠《たくみ》甚五郎《じんごろう》
によって「天明老人」の筆名の下(往古の天明時代)に書かれた。工匠が死んだ
のは文久元年(1861年)、八十歳の大往生であり、嘉永6年(1853年)の出版と
詩集に見える。絵は「亮斎閑人」の筆名の下に仕事をした正純と呼ばれる画家の作で
ある。
 序文の覚え書きによると、かつては人気が有り世紀のなかば以前に廃れてしまった
詩歌の種類を甦らそうと望んで、工匠甚五郎は収集品を出版し公開したのだ。狂歌
という言葉は漢字で「非常識」や「いかれた」を示し、独特で風変わりで多様なお笑い
の詩を意味する。その形式は古典的な短歌の三十一音節(五七五七七の配置)
から成る──しかし主題はいつでも古典的とは対極にあり、芸術的な効果は数多くの
先例の助け無しでは説明できない、言葉の曲芸の手法に依存する。工匠によって
出版された詩集は、西洋の読者が価値を見い出せない数多くの要素を含むが、
その最高の物が持つ明白で奇怪な特色は、恐ろしい主題で遊ぶフッドの怪奇な
技巧のひとつを思い出させる。この特色と恐ろしさに遊び心を混合させる日本独特
の手法は、様々な狂歌の原文をローマ字で模写し、翻訳と注釈を添えてのみ暗示
と説明ができる。
 私が行った選抜は、それが少ししか、あるいは全くまだ英語では書かれていない、
日本の詩歌の一種について読者へ紹介するからだけでなく、それ以上に大部分が
まだ未発見のまま残された超自然の世界を幾らか垣間見させてくれるから、
面白いと保証する。極東の迷信と民話の知識無くして、日本の小説や芝居や詩の
本当の理解は決して可能とは成らない。

98 :妖魔詩話2 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:07:20.98 ID:7WXFPAHM0

 3巻の狂歌百物語には何百もの詩が有るが、幽霊や妖魔の数は書名が示す
百には足りない。ちょうど九十五である。この妖かし全部が読者の興味を惹く
とは推測できないから、主題の7分の1未満の選抜とする。顔無し赤子、長い
舌の乙女、三つ目坊主、枕返し、千頭、提灯持ち小僧、夜泣き石、化け鷺《さぎ》、
風妖、龍灯、山姥は、印象に残らなかった。西洋人の神経には凄惨過ぎる空想
──例えば、おぶめどりのような──また、それらが単なる土地の伝統として
の扱いなら、狂歌の選択から外した。地方の民間伝承よりむしろ全国を代表
する主題を選んだ──かつて国中で広く認められ、一般的な文学にしばしば
取り上げられた古い信仰(大部分はチャイナ起源)である。

99 :妖魔詩話3 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:09:15.29 ID:7WXFPAHM0

一、狐火

 ウィル・オー・ザ・ウィスプは『狐火』と呼ばれるが、昔は妖狐がそれを生成する
と想像されたからである。古い日本の絵画でそれは、暗闇を浮遊する青白く赤い
舌のように表現され、すっと動く時に外面が発光を放たない。
 この主題で取り上げる幾つかの狂歌を理解するため、読者は狐が起こす各種の
おかしな言い伝えの妖力について、ある迷信を知っておくべきだ──他所者との
結婚に関するもののひとつである。以前のまともな一般人は、外部ではなく自身
の共同体からの結婚を期待され、この考えの中で伝統的な慣例を無視する男は、
それの集団的な憤怒をなだめるのが困難であると悟る。今日でさえ、長らく生まれ
故郷を留守にした後の村人が、見知らぬ嫁を連れて帰ると、もっともらしく意地悪
な事を言われる──このように、「分からない物を引っ張って来た……何処《どこ》
の馬の骨だ。」(「誰も知らないどんな種類の物をここまで彼は後ろに引きずる
のか、何処で拾い上げた古い馬の骨か。」)馬の骨、「古い馬の骨」の表現は、
説明を要する。
 妖狐は多くの形をとる力を持つが、男を騙す目的のため、通常は可憐な女の
姿をとる。この種の魅力的な見せ掛けを造ろうとすると、古い馬の骨か牛の骨を
拾い上げて口に咥《くわ》える。やがて骨は光り輝き、その回りに──遊女か
芸妓《げいこ》の形体で──女の姿の輪郭を形成する……そういう訳で、見知らぬ
嫁と結婚する男への疑問について「どんな古い馬の骨を拾い上げたのか」が
本当は、「どんな尻軽女が誘惑したのか」と意味している。それは更に、他所者は
特殊部落の血筋かも知れないという疑いを含んでいる 。ある種の遊び女《め》
は、古くからエタや他の下層階級の娘達の間から主に募集されてきた。

100 :妖魔詩話4 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:10:46.48 ID:7WXFPAHM0

   灯ともして
 狐の化せし、
   遊び女[1]は
 いずかの馬の
 骨にやあるらん

〔──ああ、その尻軽女は(提灯に灯を点けている)──そうして狐が変化《へんげ》
する時の、狐火を燃やす……おそらく本当は何処かしらの古い馬の骨でしか
ない……〕

   狐火の
 燃ゆるにつけて、
   わがたまの
 消ゆるようなり
 こころほそ道[2]

〔そこで狐火が燃えているから、まさに私の魂は消えていくようだ、この狭い道で
(あるいは、この気が滅入る寂しい場所で)。〕

[1]遊び女、高級娼婦、字義通りなら「遊びの女」。エタと他の下層階級が、この
女達の大きな割合を提供した。詩の意味全体は次のようになる「提灯を持った
あの若い尻軽女を見ろ。ちょっと見は可憐だ──しかし、そういうのは畜生の
鬼火を燃やしている狐のちょっと見で、作り物の娘と思われる。ちょうどお前の
女狐のように、古い馬の骨に過ぎないと証明されて、そうしてあの若い娼婦も、
その美貌で男を愚行へと惑わす、エタよりマシな者では無かろう。」

[2]遅くなった旅人が、鬼火を怖れて語ったと想像される。最後の行は2つの読み
を可能とする。『こころほそい』は「気後れ」を意味し、『細い道(ほそみち)』の意味
は「狭い道」で、具体的には「淋しい道」である。

101 :妖魔詩話5 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:13:22.07 ID:7WXFPAHM0

二、離魂病《りこんびょう》


 『離魂病』という用語は、「影」「念」「化生」を示す「離魂」の言葉と、「病気」や
「疾患」を示す「病」の言葉で構成される。文字通りの表現で「念の病気」と言っ
ても良いだろう。和英辞典であなたには「離魂病」の意味が「心気症《ヒポコン
デリー》」の定義で見付かるであろうし、医者達は実際この近代的な感覚で
専門用語を使う。しかし、古くからの意味は、分身を造り出す心の疾患であり、
1冊全体がこの異様な病にまつわる不思議な文献が存在する。それは恋愛を
原因とする激しい恋慕の嘆きの影響下で、苦しむ者の精神が分身を造り出す
のだろうと、以前はチャイナと日本の双方で信じられていた。このような離魂病
の被害者は、ふたつの体を持って現れ、寸分違わぬこの体のひとつは、もう
一方が家に残ったままで、そこには居ない愛する者の元へ出掛けて行く。(私の
「異国情趣と回顧」の「禅書の一問」の章から読者はこの主題の典型的なチャイナ
の話を見付けるだろう──娘《むすめ》倩《しん》の話)分身と生き霊の幾つか
の素朴な信仰形態は、おそらく世界のどの地域にも存在するが、この極東の
多彩さは、恋愛が分身の原因になると信じられていたから特別興味深く、女性
に有りがちな苦悩が対象である……離魂病という用語は、精神の乱れが化生を
造り出す想定と同様、その化生達にも適用されて見える。それは「念の疾患」
と同様に「霊的分身《ドッペルゲンガー》」をも意味する。

 ──この必要な説明と共に、次の狂歌の質が理解できるようになる。狂歌
百物語に出てくる1枚の絵は、1杯のお茶を女主人へ差し出すのを不安がる
侍女が見える──「念の病気」の被害者である。侍女は目の前の本物と化生
の姿の間で見分けができず、その状況の難しさは、翻訳した最初の狂歌に
示されている──

102 :妖魔詩話6 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:14:58.75 ID:7WXFPAHM0

   こやそれと
 あやめもわかぬ
   離魂病、
 いずれを妻と
 引くぞわずらう

〔こちらなのか──あちらなのか、離魂病のふたつの姿、それは見分けが付け
られない 。どちらが本当の妻か見付け出すのは──精神の苦悩であろう全く。

   ふたつ無き
 いのちながらも
   かけがえの
 からだの見ゆる──
 影のわずらい

〔命がふたつ無いのは確実だ──にも関わらず、影の病のせいで、余計な体
が見える。〕

   長旅の
 夫《おと》をしたいて
   身ふたつに
 なるを女の
 さる離魂病

〔離れた旅に在る夫のあとを慕う女は、霊的な病気のため、こんなふたつの
体になる。〕

   見るかげも
 無きわずらいの
   離魂病──
 おもいの他に
 ふたつ見る影

〔霊的な病気であるから、(そう言う)とはいえ、彼女の影が残っては見えない
──その上期待に反した 、ふたつの影が見える。[3]〕

   離魂病
 人に隠して
   奥座敷、
 おもてへ出さぬ
 影のわずらい

 離魂病の苦悩、彼女は奥の部屋へ人々から隠れ去り、家の前へ出よう
とはしない──病の影のせい。[4]〕

   身はここに
 魂《たま》は男に
   そい寝する──
 こころもしらが
 母がかいほう

〔体はここに横たわるが、魂は遠く行って男の腕に眠る──そして白髪の
母は、娘の心をよく知らず(体だけ)看病している。[5]〕

   たまくしげ
 ふたつの姿
   見せぬるは、
 あわせ鏡の
 影のわずらい

 もし、化粧台に座っている時なら、鏡に映った彼女の顔をふたつ見る──
影の病の影響下での合わせ鏡になったからであろう。[6]〕

103 :妖魔詩話7 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:17:11.73 ID:7WXFPAHM0

[3]日本人は病気でひどく痩せ衰えた者を「見る影も無い」と言う──「見るに
耐えない」感覚と同じ言い回しで使う事実から、別の表現をすることも可能
である──「この霊的病気の苦悩する者の顔は見るに耐えないけれども、
その上〔他所の男への〕秘めた想いから、今は彼女の顔がふたつ見える。」
4行目の『おもいの他』という表現は「期待に反して」を意味するが、秘められた
想いへの想像をも暗示するよう巧妙に作られている。

[4]4行目は珍しい言葉の遊びになっている。『おもて』の言葉は「前」を意味
するが、『おもって』という「考え」を意味する発音でも読める。したがってその
詩はこのようにも翻訳できる──「彼女は本心を家の奥側に隠して、決して表
の側で人から見えるようにしない──〔恋の〕影の病に苦しんでいるからである。

[5]4行目は二重の意味を表現しているというよりは、むしろ暗示している。
『しらが』「白髪」という言葉は、『しらず』「知らない」を暗示する。

[6]この詩には多様な暗示が有り、翻訳して伝えるのは不可能である。日本の
女性は化粧をする間ふたつの鏡(合わせ鏡)を使う──その内のひとつは
手鏡で、髪型の後ろの部分の見掛けを整えるため、それを大きな固定の鏡の
中に反射させて見る役に立たせる。しかし、この離魂病の場合、その女性は
大きな鏡の中に見るのは顔と頭の後ろだけではなく、自分の分身が見える。
この詩では、鏡のひとつが影の病を受けたため、それ自体二枚になったと述
べている。更に鏡とその持ち主の魂の間に存在すると言われる、霊的共感を
暗示している。

104 :妖魔詩話8 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:20:05.74 ID:7WXFPAHM0

三、大蝦蟇《おおがま》

 古いチャイナと日本の文献で蝦蟇は、超自然的能力を持つと信じ
られた──雲を呼び寄せる力、雨を降らす力、口から魔力の有る霧
を吐き出して極めて美しい幻影を造る力等である。善良な精神で、
聖者の友人の蝦蟇も幾らか存在する──日本の芸術で有名な
「蝦蟇仙人」と呼ばれた聖者は、通常彼の肩の上に止まるか、側《そば》に
しゃがむ白い蝦蟇と共に描写された。幾つかの蝦蟇は邪悪な妖かし
であり、人を破滅へ誘い込む目的で幻像を造り出す。この種の生物に
ついての代表的な話は、拙著「骨董」の中に「忠五郎の話」と付けた
題名で見付かるだろう。

   目は鏡、
 口は盥《たらい》の
   ほどに開《あ》く
 蝦蟇もけしょうの
 ものとこそ知れ

〔その目は大きく開かれ(丸い)鏡のようであり、口は洗い桶《おけ》の
それのように開いている──この事から、蝦蟇は魔性の物(あるいは、
蝦蟇は化粧の品)と知りなさい。[7]〕

[7]仮名で書くと同じで、発音も同様ではあるが、漢字で表現すると全く
異なる『けしょう』という2つの日本の言葉が有る。仮名で書けば、『けしょうの
もの』という表現で「化粧の品」や「怪物的存在」「妖魔」共に示すことができる。

105 :妖魔詩話9 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:21:35.57 ID:7WXFPAHM0

四、蜃気楼

 『蜃気楼』という呼称は、「ミラージュ」の意味として、また極東の寓話の
仙境、蓬来の別名としても使われる。日本の神話の様々な存在が、蓬来の
蜃気楼を造り出す死にいたる欺きの力を持つと信じられた。古い絵の
ひとつに、蝦蟇が口から蓬来の形をした幻影の靄《もや》を吐き出す行為を
する表現を見ることができる。しかし、とりわけこの幻影を生じさせる習慣の
ある生き物は、蛤《はまぐり》である──二枚貝によく似た日本の軟体動物
のひとつ。その殻を開け、紫がかった霧の息を空気中に送ると、その霧は
真珠層の色彩の中に、蓬来と龍王の宮殿の輝く映像の形を明確にとる。

   はまぐりの
 口あく時や、
   蜃気楼
 世に知られけん
 龍《たつ》の宮姫《みやひめ》

〔蛤が口を開く時──見よ!蜃気楼が出現する……その時は皆が龍宮の
乙姫を明瞭に見られる。〕

   蜃気楼──
 龍の都の
   雛型[8] を
 潮干の沖に
 見するはまぐり

〔見よ!引き潮の沖を、はまぐりが蜃気楼で小規模な幻の映像を作って
いる──それは龍の首都!〕

[8]『雛型』は特種な「模型」「縮小した複製」「平面描写図」他を意味する。

106 :妖魔詩話10 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:23:31.79 ID:7WXFPAHM0

五、ろくろ首

 『ろくろ首』の語源の意味を、どんな英語の表現でも簡潔に示すことは
できない。『ろくろ』という用語は、回転する物体の多くを無頓着に明示する
のに使われる──物体は、滑車、巻き取り車、錨《いかり》の巻き上げ機、
回転旋盤、陶芸の轆轤《ろくろ》といったように似ていない。ろくろ首の表現を、
このような『旋回首』や『回転首』にするのは思わしくない──この用語が
示す日本人の思い付きは、旋回する首がその回転の方向に合わせて伸び
たり縮んだりするからである……妖かしとしての表現が意味するろくろ首は
と言えば、(1)寝ている間に首が驚くほど延びる者で、そうして頭はむさぼり
食える物を捜しに、およそどの方向へも彷徨《うろつ》くことができるか、
(2)体から頭を完璧に取り外して、後で首へ再結合できる男か女の人である。
(この最後に言及したろくろ首の一種については、拙著「怪談」に日本語から
翻訳した珍しい話が有る。)頭の完全な分離を可能とするような、首が
そうした構成のチャイナの神話的存在は特種な階級に属するが、日本の
民話にこの特徴が、いつでも維持されている訳ではない。ろくろ首の特徴に、
夜の灯火の油を飲む悪い癖がある。日本に於ける絵画のろくろ首は通常
女として描かれ、古い本が言うには女がそれと知らないままろくろ首になる
のであろう──夢遊病者が眠っている間に歩き回るのと同様、事実の
存在に気付いていない……次のろくろ首にまつわる詩は、狂歌百物語の
中の二十首から選んだ──

107 :妖魔詩話11 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:24:35.18 ID:7WXFPAHM0

   寝乱れの
 ながき髪をば
   ふりかけて
 ちひろに延ばす
 ろくろ首かな

〔おお!……眠りで乱れた結わない長い髪をゆらして、ろくろ首は
千尋(訳注:約千八百メートル)の長さへ首を伸ばす。〕

   「頭なき
 化けものなり」─と
   ろくろ首、
 見ておどろかん
 おのが体を

〔ろくろ首じゃない、(背後に残された)彼女自身の体を驚き眺めて
叫び出す「ああ、なんて事、あなた頭の無い妖怪になったのね」〕

   つかの間に
 梁《はり》をつたわる、
   ろくろ首
 けたけた笑う──
 顔のこわさよ

〔すたすたと、天井の梁(天井の支柱)に沿って滑空する、ろくろ首が
「けたけた」と声を出して笑う──おお、恐るべきは彼女の顔。〕

   六尺の
 屏風《びょうぶ》にのびる
   ろくろ首
 見ては五尺の
 身をちじみけり

〔六尺の屏風の上へ浮上するろくろ首を拝すると、五尺程度の者は、
恐怖で縮むだろう(あるいは、幾らかの者の身長は、五尺の高さから
減少するだろう。)[10]〕

108 :妖魔詩話12 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:25:39.57 ID:7WXFPAHM0

[9]この文章中の二重の意味を全て描写するのは、できる事ではない。
『つかの間』は「少しの間」や「す早く」を示すが、それは「天井の支柱〔束《つか》〕
の間の空間〔間《ま》〕」をも意味できる。「桁《けた》」は横梁を意味するが、
『けたけた笑う』は嘲《あざけ》るやり方の笑いや含み笑いを意味する。化生は
けたけたの響きで笑い声を立てる。

[10]本間《ほんけん》屏風は、通常6日本フィート。

109 :妖魔詩話13 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:27:40.10 ID:7WXFPAHM0

六、雪おんな

 雪の女性、あるいは雪の残像、様々な形態を想定されているが、古い
民話のほとんどに美しい見掛けで現れ、その抱擁は死である。(彼女に
ついての非常に珍しい話が拙著「怪談」で見付けられる。)

   雪おんな──
 よそおう櫛も
   厚氷《あつこおり》
 さす笄《こうがい》や
 氷なるらん

〔雪おんなであるなら──最高の櫛でさえ、間違っていなければ、厚い
氷で作られる、そして髪留め[11]も、おそらく氷で作られている。〕

   本来は
 くうなるものか、
   雪おんな
 よくよく見れば
いち物《ぶつ》もなし

〔全く初めの時から錯覚だったのか、あの雪おんなは──虚空へ
消えていく物なのか?注意深く辺りの全てを見たが、痕跡はひとつ
として見当たらなかった。〕

   夜明ければ
 消えてゆくえは
   しらゆき[12]の
 おんなと見しも
 柳なりけり

〔日の出に消えて行った(雪おんな)、何処へ行ったかは何も言えない。
しかし実際は一本の柳の木が、白い雪の女になったように見える。〕

   雪おんな
 見てはやさしく
   松を折り
 生竹ひしぐ
 力ありけり

〔見掛けは細身で優しい雪おんなが現れたとはいえ、それでも、ポキッと
松の木を真っぷたつにし、生きた竹を押しつぶす力を持っているはずだ。〕

   寒けさに
 ぞっと[13]はすれど
   雪おんな──
 雪折れの無き
 柳腰かも

〔雪おんなが冷気で震えのひとつを作り出したとしても、すらっとした優雅さ
は、雪にも崩されない(換言すれば、寒さにも関わらず我々を魅了する)。

110 :妖魔詩話14 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:29:48.47 ID:7WXFPAHM0

[11]笄は、現在では結い髪の下へ通すべっ甲の四角い棒に与え
られた名前で、棒の端だけを露出するままにしておく。本来の髪留めは
簪《かんざし》と呼ぶ。

[12]『しらゆき』の表現は、ここで使われるように、日本の詩歌の『兼用言
《けんようげん》』つまり「二重の意図を持つ言葉」の実例として挙げられる。
すぐ次の言葉と連結して、「白い雪の女」(白雪の女)という言い回しを作る
──すぐ前の言葉と結合すると「何処へ行ったか知らない」(行方は知ら〔ず〕)
という読みを示す。

[13]『ぞっと』は、そのまま表現するのが困難な言葉で、おそらく最も近い
英語の相当する語句は「スリリング」である。『ぞっとする』は「スリルを引き
寄せる」や「ショックを与える」や「震えを作り出す」を示し、非常に美しい者を
こう言う「ぞっとするほどの美人」──意味は「非常に可憐なので、見るだけで
人に衝撃を与える女。」最後の行の『柳腰』の表現は、細身と優雅な姿に付け
られた共通する言い回しであり、ここで読者は表現の前半が、二重の役割を
果たすよう巧妙に作られているのに気が付くだろう──柳の枝が雪の重みで
下がる優雅さだけでなく、寒さにも関わらず必ず人が立ち止まり賞賛する
人間らしい姿の優雅さをも、その文脈は暗示している。

111 :妖魔詩話15 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:31:22.58 ID:7WXFPAHM0

七、舟幽霊《ふなゆうれい》

 溺死した霊は、手桶か柄杓《ひしゃく》(水をすくう物)と叫んで舟の後を
追うと言われる。手桶や柄杓の拒否は危険であるが、前もって用具の底を
叩いて外し、この行動を化生達が見ることを許さず実行して、要求に応じ
なくてはならない。もし無傷の手桶や柄杓を幽霊へ投げれば、舟を満たんに
して沈める為にそれを使うだろう 。この形状の者達を俗に「舟幽霊」と呼ぶ。
 1185年に壇之浦の大海戦で滅んだ平家一門、この戦士達の霊は舟幽霊
の間でも有名である。一門の武将のひとり平知盛《たいらのとももり》は、
この異様な役割で名高く、部下の戦士の幽霊達を従え波の上を走り、舟達を
追い越して襲う古い絵に代表される。かつて義経の家臣で名高い弁慶の
航海する船舶を威嚇したが、弁慶は仏教徒の数珠による手段だけで舟を救う
ことができ、化生達は怯えて逃げた……
 知盛は、しばしば背中に舟の錨《いかり》を背負って海の上を歩いて運ぶ
ように描写された。彼と部下の幽霊達は、船舶の錨を引き抜いて持ち去る
癖が有ると言われ、無分別に根城──下関の周辺──に繋いでいた。

112 :妖魔詩話16 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:33:27.18 ID:7WXFPAHM0

   えりもとへ
 水かけらるる
   ここちせり、
 「柄杓かせ」ちょう
 舟のこわねに。

〔もし首のうなじに冷たい水を振り掛けられたようなら──そう感じて
いる間、舟幽霊の声が聞こえる──「柄杓貸せ」と言う。[14]〕

   幽霊に
 貸す柄杓より
   いち早く
 おのれが腰も
 抜ける船長 。

〔船長自身の腰は、幽霊へ渡す柄杓の底よりも、物凄く早く抜ける。[15]〕

   弁慶の
 数珠のくりきに
   知盛の
 姿もうかむ──
 舟の幽霊

〔弁慶の数珠の功徳は、舟を追う幽霊さえも──知盛の化生でさえも
──救った。〕

   幽霊は
 黄なる泉の
   人ながら、
 青うなばらに
 などて出つらん

〔どんな幽霊でも黄泉《よみ》の住民にるはずなのに、どうやって青い
海原に現れたのだろう。[16]〕

   その姿、
 いかりをおうて、
   つきまとう
 舟のへさきや
 とももりの霊

〔その姿は、錨を背負って舟の後を追う──今は船首に、そして船尾
へ──ああ、知盛の幽霊だ。[17]〕

   つみふかき
 海に沈みし、
   幽霊の
 「浮かまん」とてや
 舟にすがれる。

〔「今、偶然に助かるかも」叫ぶ幽霊は、罪業の深い海に沈んで
通る舟へすがりつく。[18]〕

   浮かまんと
 舟をしたえる
   幽霊は、
 沈みし人の
 おもいなるかな

〔再び浮かぼうと(つまり「救われようと」)して、我々の舟の後を追う
幽霊達の苦労は、溺死した人達の思い(最後の執念)なのかも知れない。[19]〕

   うらめしき
 姿はすごき
   幽霊の
 かじをじゃまする
 舟のとももり

〔執念深い形相で、船尾に(出る)恐ろしい知盛の幽霊が、梶の操作の
邪魔をする。[20]〕

113 :妖魔詩話17 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:34:12.13 ID:7WXFPAHM0

   落ち入れて
 魚《うを》の餌食と
   なりにけん──
 舟幽霊も
なまくさき風。

〔海で滅んだから、(この平家達は)魚の餌になっているのだろう。
(いずれにせよ、いつでも)舟を追う幽霊達(の出現)の風は、生の
魚の臭いがする。[21]〕

114 :妖魔詩話18 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:37:00.96 ID:7WXFPAHM0

[14]『柄杓』は長い取っ手の付いた木製の杓子《しゃくし》、水を手桶から
小さな容器へ移すために使われた。

[15]一般的に『腰が抜ける』の表現は、恐ろしくて立ち上がれない意味で
ある。船長は柄杓の底を叩いて外そうとする間、幽霊へ渡す前に恐怖から
人事不省に陥った。

[16]死者の住む冥府は、その名前をふたつの漢字でそれぞれ「黄」と「泉」
と書き、黄泉──『よみ』あるいは『こうせん』──と呼ばれる。大洋の非常に
古くからの表現で、昔の神道の儀式によく使われたのが「青海原」である。

[17]終わりの2行には、翻訳不能な言葉の上での遊びが有る。表現上、
ふた通りの読みが可能である。

[18]この詩には表現上の示唆よりも、不気味さが存在する。4行目の『浮かまん』
の言葉は、「たぶん浮かぶだろう」や「たぶん救われるだろう」(仏教徒に於ける
魂の救済)のように表現できる──『浮かみ』にはふたつの動詞が存在する。
古い迷信によれば、このように溺死した霊は、生者を破滅へと誘い込める時
まで、水の中に住み続けなくてはならない。どんな溺死した者の幽霊でも
誰かの溺死に成功すれば、転生を得て永久に海から去れるだろう。この詩
の幽霊の歓喜の叫びの本当の意味は、「今から誰かを溺死させられるかも
知れない。」(非常によく似た迷信は、ブルターニュ沿岸に存在すると言われ
ている。)人の後をぴったり追うしつこい子供や誰かのことを一般の日本人は
こう言う「川で死んだ幽霊のような連れ欲しがる。」──「どこにでも着いて
来たがるあなたは、溺死者の幽霊みたいだ。」

115 :妖魔詩話19 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:37:22.20 ID:7WXFPAHM0

[19]ここでの様々な言葉の遊びを表現する試みはできないが、『おもい』の
言い回しには説明が必要だ。それは「思う」や「考える」を意味するが、日常
会話の言葉遣いでは、しばしば死にゆく者の復讐への最後の望みを、遠回し
に表現する際に使われた。様々な芝居で「幽霊の復讐」を意図して使われた。
「『思い』が帰って来た」このような──死者に言及した──叫びの本当の
意味は、「怒れる幽霊が現れた。」である。

[20]最後の行の『とももり』の名前の使用は、二重の意味が与えられている。
『とも』の意味は「船尾(艫《とも》)」、『もり』の意味は「漏れる」となる。そうすると
この詩は、知盛の幽霊が舟の梶の邪魔をするだけではなく、漏れの原因になる
と暗示する。

[21]『なまくさき風』の本来の意味は、「生物《なまもの》の悪臭」を含んだ風
だが、詩の2行目で餌の臭いを暗示している。この場合、文字通りの解釈は
できない、全体の構図が暗示だからである。

116 :妖魔詩話20 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:39:47.25 ID:7WXFPAHM0

八、平家蟹《へいけがに》

 読者は拙著「骨董」の中に、背中の甲羅の様々な皺《しわ》が怒れる
顔の輪郭に似た、平家蟹の記述を見付けることができる。下関では、
この珍しい生き物の乾燥した標本を販売している……平家蟹は壇之浦
で滅んだ平家の戦士の怒れる霊魂が形を変えたものだと言われている。

   しおひには
 勢揃えして、
   平家蟹
 浮き世のさまを
 横に睨みつ。

〔潮が引いて(浜辺の上に)整列した平家蟹は、この哀れな世界の見せ掛け
を斜めに睨む。[22]〕

   西海に
 沈みぬれども、
   平家蟹
 甲羅の色も
 やはり赤旗。

〔長らく前に(平家は)西の海へ沈んで滅びたけれど、平家蟹は上の甲羅に
まだ赤い色の旗を誇示する。[23]〕

   負け戰《いくさ》
 無念と胸に
   はさみけん──
 顔もまっかに
 なる平家蟹。

〔敗北の痛みからハサミは胸で伸びたのだと思う──平家蟹の顔でさえ
(怒りと恥で)真紅になる。

   味方みな
 押しつぶされし
   平家蟹
 遺恨を胸に
 はさみ持ちけり。

〔全ての(平家の)関係者は、すっかり潰され、心の中の遺恨から、ハサミは
平家蟹の胸の上で成長する。

117 :妖魔詩話21 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:40:16.52 ID:7WXFPAHM0

[22]詩の1行目の3番目の音節『ひ』は、「引き潮」と「乾いた浜辺」の『干潟
《ひかた》』の「ひ」を示す役割を持っている。『勢揃え』は、ローマの専門用語
「アキエス」の感覚で「布陣」を示す名詞である──そして『勢揃えして』の意味
は「全隊整列」である。

[23]平家つまり平《たいら》氏の旗印は赤、一方その仇敵である源氏つまり
源《みなもと》は白であった。

[24]5行目の『はさみ』の言葉の使われ方は、とても良い兼用言の実例である。
蟹や刃物のハサミを意味する『はさみ』という名詞が有って、『はさみ』という心に
抱くや、大事にする、慰めるを意味する動詞も存在する。(『遺恨をはさむ』は、
「敵への恨みを心に抱く」を意味する。)次とのつながりだけで言葉を読むと
『はさみ持ちけり』の表現は 「ハサミを持つ」であるが、先行する言葉と共に
『遺恨を胸にはさみ』の言い回しだと「恨みを彼らの胸で養う」となる。

118 :妖魔詩話22 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:41:35.54 ID:7WXFPAHM0

九、家鳴《やな》り

 最近の辞書は『家鳴り』の言葉の妖しい意味を無視する──地震の間
に家が揺れて出る音と伝えるのみである。しかし、この言葉は、かつて
妖魔が家を動かして揺れる物音を意味し 、目に見えない揺らす存在も
『家鳴り』と呼んだ。明白な原因が無く、夜中にいくらか家が震えて、
きしみ、音を立てると、かつて庶民は超自然的な悪意によって、外から
揺らす存在を想定した。

   床の間に
 生けし立ち木も
   たおれけり、
 家鳴りに山の
 動く掛け物。

〔床の間に置いた生きた木でさえ倒れ伏し、吊られた絵の山々は家鳴りの
作る振動で震える。[25]〕

[25]日本の部屋の『床の間』は、常に絵を吊り、花を入れた花瓶か小さくした
木が置かれた、装飾目的の窪みや小部屋の一種。

119 :妖魔詩話23 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:43:15.02 ID:7WXFPAHM0

十、逆さ柱《ばしら》

 『逆さ柱』(この狂歌では、しばしば『逆柱《さかばしら》』と短縮される)
の用語の文字通りの意味は、「上側が下になった柱」。木の柱は、特に
家の柱は、切り倒された木の本来の姿勢と一致して据え付けなくては
ならない──つまり、最も根に近い部分を下へ向ける。家の柱を反対の
やり方で立てると、不運を招くと考えられた──以前はこのような失敗は、
「逆さま」の柱が悪質な事をしようとするから、一種の霊的に不愉快な
事象に巻き込まれると信じられた。夜中に嘆きや呻きをあげ、割れ目の
全てを口のように動かしたり、全ての節《ふし》を目のように開いたりする。
更に、その霊魂は(家の柱の全ては霊魂を持つため)材木から長い体を
取り外し、部屋から部屋を回ってぶらつき、逆さまの頭で、人々へしかめっ面
をする。これで全てという物でも無かった。『逆さ柱』のひとつは、どうやって
一家の全ての事態に狂いを作り出すかを知っていた──どうやって
家庭内のいざこざを煽動するか──どうやって家族と使用人のそれぞれに、
不運を招き寄せるか──どうやって生きていくのが耐えられなくなる
寸前へ、大工のへまを見つけ出して、矯正するしかなくなるまで追い込む
のかである。

120 :妖魔詩話24 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:44:43.36 ID:7WXFPAHM0

   逆柱
 たてしは誰《た》ぞや
   心にも
 ふしある人の
 仕業なるらん

〔誰が逆さに家の柱を設置したのか。きっと心に節を持つ人の仕事に違いない。〕

   飛騨山を
 伐《き》りきてたてし
   逆柱──
 なんのたくみ[26]の
 仕業なるらん

〔あの家の柱を、飛騨の山から切り倒して、それからここへ持ち込んで、
逆さまび立てるとは──大工仕事の何ができるというのか。(あるいは、
「何の悪だくみが、この行為を実行することで、できるのか。)〕

   うえしたを
 違えて立てし
   柱には
 逆さまごとの
 うれいあらなん。

〔上下を間違えて立てた家柱に関しては、必ず災難と悲しみの原因に
なるだろう。[27]〕

   壁に耳
 ありて、聞けとか
   逆しまに
 立てし柱に
 家鳴りする音

〔おや、壁に有る耳よ[28]、汝は聞こえるか、逆さまに立てられた家柱の
呻《うめ》きと軋《きし》みが。〕

   売り家の
 あるじを問えば
   音ありて、
 われ目が口を
 あく逆柱。

〔売り家の主人に問いかけた時、応答に奇妙な音だけがあった──逆さ柱
が目と口(言い換えれば、それらの亀裂)を開ける音だ。[29]〕

   おもいきや
 逆さ柱の
   はしら掛け
 書きにし歌も
 やまいありとは

〔誰が思えるのか──逆さまに立てられた柱に掛かる、額に書かれた
詩でさえ、同じ(霊的)病気を持つとは。[30]〕

121 :妖魔詩話25 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:46:35.90 ID:7WXFPAHM0

[26]『たくみ』の言葉は仮名で書かれているから、「大工」や「陰謀」
「悪だくみ」「邪悪なからくり」のどれでも表現できる。このようなふたつの
読み方が可能である。ある読み方によれば、柱は不注意から逆さまに
据え付けられた、もう一方によると、それは悪意から故意にそうして
据え付けられた。

[27]字義通りなら「逆さまの事態の悲しみ」。『逆さまごと』「逆さまな
事件」は、災難、反対、逆境、無念の庶民的な表現。

[28]諺を暗示する『壁に耳あり』であるが、意味は「私的であっても、他人に
ついての話し方には気をつけろ。」

[29]4行目に、意訳できる表現よりも更に多くを暗示する語呂合わせが
存在する。『われ』の意味は状況によって「私」「私の物」「自前の」等々、
『われ目』(一語)では、ひび割れ、裂け目、分離、亀裂を意味する。読者は
『逆柱』の用語が「逆さまの柱」だけではなく、逆さまの柱の妖魔や化生を
意味すると覚えているだろう。

[30]言い換えれば「額の詩さえも逆さま」──全く正しくない。『はしら掛け』
(「柱に吊るされる物」)は、銘木の薄い板を指定し、彫ったり描いたりして、
装飾として柱へ吊るす。

122 :妖魔詩話26 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:48:28.84 ID:7WXFPAHM0

十一、化け地蔵

 子供達の幽霊の救済者、地蔵菩薩の姿は、日本の仏教で最も美しく慈悲深い
もののひとつである。この仏像は、およそ全ての村と全ての道端で見られる
だろう。しかし幾つかの地蔵の像は、魔物の仕業だと言われている──様々な
偽装をして夜中に歩き回るようなのがこれである。この種の彫像を「化け地蔵」
[31]と呼ぶ──変化《へんげ》を経た地蔵を意味する。昔ながらの1枚の絵は、
小さな少年が、いつものお供えの餅を地蔵の石像の前へ置く様子を表現する
──動く彫像がゆっくり彼に向かってかがんでいるとは、疑いもしない。

   なにげなき
 石の地蔵の
   姿さえ、
 夜《よ》は恐ろしき
 御影《みかげ》とぞなき。

〔まるで何の問題も無いように見える石地蔵であっても、夜には恐ろしい外見が
推測されると言う。(あるいは、「この像が、ありふれた石地蔵になって現れたと
しても、夜には恐ろしい花崗岩《かこうがん》の地蔵になると言う。」)[32]〕

[31]おそらくこの用語は「形状が変化する地蔵」に与えられたのだろう。動詞の
『化ける』が意味するのは、姿を変える、変身を経験する、怪異を起こす、その他
諸々の超自然的事象である。

[32]花崗岩の日本語は『御影』、神徳や天皇に関して用いる敬語の『御影』もまた
存在し、それが示すのは「尊い容姿」「神聖な霊気」等々……文字通りの解釈
では、後半の読みの5行目の効果を暗示できない。『影』が示すのは「陰」「姿」「力」
──特に見えない力 、前に付く敬称の『御』は、神々しい名称や特質に添える
「高貴な」と解釈できるだろう。

123 :妖魔詩話27 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:50:02.41 ID:7WXFPAHM0

十二、海坊主

 銘板の上に大きなイカを、体を上向きに、触手を下向きに置きなさい
──『海坊主』つまり海の僧侶を想像する最初の暗示、奇怪な現実を
前にするだろう。この配置で下の方にぎょろ目の付いた大きなつるつるの
体に、僧侶の剃った頭との歪められた類似が有り、底を這う触手の
(黒ずんだ膜で繋がった種もある)様子は、僧侶の上着の衣が揺れる動きを
暗示するからである……日本の妖しい文学と古風な絵本は、海坊主の姿を
よく扱う。悪天候の大海から、獲物を捕まえに浮上する。

   板ひとえ
 下は地獄に、
   すみぞめの
 坊主の海に
 出るもあやしな。

〔たった1枚の(船乗りと海を隔てる)板を除けば、そこから下は地獄、実に
妖しい事に、黒で装う僧侶が浮上するだろう。(あるいは「誠に不思議な
出来事は」等々。[33])〕

[33]洒落が手に負えない……『あやしい』の意味は「怪しい」「不思議な」
「超自然的な」「妖しい」「疑わしい」──始めの2行は仏教徒の諺を典拠と
している『船板1枚下は地獄』(拙著『仏陀の畠の落穂』206ページに、この
格言への参照がもうひとつ有るので見られたし 。)

124 :妖魔詩話28 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:51:45.07 ID:7WXFPAHM0

十三、札剥《ふだへ》がし[34]

 家は神聖な文字と護符によって悪霊から守られる。どんな村やどんな都市
でも、夜に雨戸が閉じられた通りではこの文字が見られ、雨戸が戸袋の中に
押し戻された日中は見えなくなっている。このような文字は『お札《ふだ》』(尊い
手書き文字)と呼ばれ、白く細長い紙の上に漢字で書かれ米の糊《のり》で戸
に貼り付けられ、種類も豊富である。幾つかの文字はお経から選ばれる──
般若心経や妙法蓮華経などである。陀羅尼からの聖句もある──それは魔力
を持つ。世帯の仏教の宗派を示す祈りだけのもある……他にも窓の上や脇、
隙間に貼られた中小様々なこの文字や小さな版画を見ることができる──ある
物は神道の神々の名前であり、別の物は象徴的な絵のみや、仏陀と菩薩の絵
とかになる。全ては神聖な護符である──この『お札』は家々を守り、妖魔や
幽霊は夜の間こうして護られた住居には、お札を外さなければ入れない。
 怨霊は脅迫か約束や買収の努力をして、誰かに外してもらわなくては、自身で
お札を外せない。お札を戸から剥がしてもらいたがる幽霊を札剥がしと呼ぶ。

   剥がさんと
 六字の札を、
   幽霊も
 なんまいだと
 数えてぞみる

〔幽霊でさえ、六つの文字が書かれた護符を剥がそうとして、「何枚だ」と
現物を数える試みを繰り返す(あるいは、「南無阿弥陀」と繰り返す)。[35]〕

   ただ1の
 かみのお札は
   さすがにも
 のりけ無くとも
 剥がしかねけり

〔(家の壁に貼られた)神の尊いお札は、固定する糊が全く効かなくなっても、
どんなに努力しようと1枚も剥がせない。〕

125 :妖魔詩話29 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:53:44.72 ID:7WXFPAHM0

十四、古椿《ふるつばき》

 昔の日本人には、昔のギリシャ人のように花の精と木の精霊の概念が
有り、幾つかの可愛らしい話が語り継がれている。また木には悪意の有る
存在も住むと信じられた──妖木。別の妖しい木の中で、美しい椿(キャメル
ジャポニカ)は不吉な木と言われている──少なくとも赤い花が咲く品種は
こう言われ、白い花を咲かせる種はもっと評判が良く、珍品として大事にされる。
大きくぼってりした深紅の花は、しぼみ始めると茎より自ら身を切り離し、ドサッ
と音を立てて落ちる珍しい習性が有る。昔の日本人にはこの重くて赤い花の
落下が、刀で切り落とされる人の頭のように想像され、その鈍い落下音は
切断された頭がドタッと地を打つようだと言われている。それでも日本の庭で
気に入られて見えるのは、つやつやした葉振りの美しさが適しているからで、
その花は床の間の飾りに使われる。しかし侍の家庭では、戦時の間は椿の花
を決して床の間へ置かないしきたりが有った。
 読者は次の──収集品の中で最も気味悪く見える──狂歌で、椿の妖かし
が「古椿」と呼ばれているのに気が付くだろう。若い木は妖かしの傾向は想定
されていない──長い年を経た後の存在だけが発現させる。別の奇怪な木
──例えば柳や榎《えのき》──も、同様に古くなった物だけが危険になると
言われ、類似した信仰は──子猫の状態では無邪気だが、老年に魔性を
帯びる──猫に見られるように、神秘的な動物を対象に普及している。

   夜嵐に
 血潮いただく
   ふるつばき
 ほたほた落ちる
 花の生首

〔夜の嵐によって振られた、血の冠と古椿、ほたほた(の音と共に)血みどろ
の花の頭が次から次へと落ちる。[36]〕

   草も木も
 眠れる頃の
   小夜風に
 めはなの動く
 古椿かな

〔草も木でさえ眠る頃の夜のそよ風の下──古椿が目と鼻を(あるいは、
古椿が芽と花を)動かす。[37]〕

   灯火《ともしび》の
 影あやしげに
   見えぬるは
 油しぼりし
 古椿かも

〔灯火の光が不気味[38]に見える(理由)について──ひょっとして古椿(の実)から搾《しぼ》った油なのだろうか。〕

126 :妖魔詩話30 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:56:34.65 ID:7WXFPAHM0
 *  *  *
──この狂歌に書かれている話と民間信仰にまつわる、ほとんど全てが
チャイナから渡来したように見え、日本の木霊の話の大部分は、チャイナに
起源を持つと思える。極東の花の霊と木の精霊のように、まだ西洋の読者に
よく知られていない次のチャイナの話は興味を惹くかも知れない。

 花への愛情の深さで有名な──日本の書物では唐の武三思《ぶさんし》と
呼ばれる──チャイナの学者が居た。彼はとりわけ牡丹を好み、極めて巧み
に根気よく栽培した。[39]
 ある日、たいそう顔立ちの良い娘が武三思の家へ来て、奉公したいと懇願した。
彼女が言うには、事情が有って卑賎な仕事を捜さざるを得ないが、文芸の
教育を受けているから、そう言う訳で、出来れば学者への奉公を望んでいる。
美貌に魅せられた武三思は、ろくに調べもせず住み込みで雇った。疑いようも
なく優秀な奉公人である上に、実のところ、諸芸の特徴からどこかの王族の
公邸か大貴族の宮殿で育てられたのだろうと武三思は薄々感じていた。礼儀
の完璧な知識と最高位の婦人だけが教わる洗練された作法を示し、書道、絵画、
あらゆる種類の詩歌を詠む驚くべき手腕を持ち合わせていた。やがて武三思は
想いを寄せ、彼女を喜ばすことだけを考えるようになった。学者仲間や他の重要
な来訪者が家に来ると、お客が待つ間に新しい奉公人をやってもてなさせ、
会った者の皆は雅で魅力的なのに驚いた。

127 :妖魔詩話31 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:56:59.59 ID:7WXFPAHM0
 ある日、武三思は高名な倫理学の師範である偉大な狄仁傑《てきしんけつ》の
訪問を受けたが、奉公人は主人の呼び掛けに応答しなかった。武三思は自分で
捜しに行き、狄仁傑に会わせて褒めて貰おうと望んでいたが、何処にも見付
からなかった。屋敷の中を無駄に捜した後で、武三思が客間へ戻ろうとすると、
不意に前の廊下伝いに音も無く滑る奉公人が目に入った。彼女を呼んで
慌ただしく後を追った。その時彼女は半ば振り返り、背後の壁へ蜘蛛《くも》の
ように張り付いて、彼の到着と同時に後退りした壁へ沈み込み、そうして──
紙に描かれた絵のように平らな──色の付いた影の他に見える物は何も残って
いなかった。しかしその影は唇と目を動かして、囁《ささや》くように話し掛けて
言う──
「畏れ多くもお呼びだしに従わなかったご無礼をお許し下さい……私は人の身に
有る者ではございません──牡丹の魂だけの存在でございます。あなたが
牡丹をそれはもう慈しんで下さいましたから、お役に立つために人の姿をとる
ことができたのです。でも今ここに狄仁傑が来ています──礼節の凄まじい
お方です──この姿をそう長く続ける訳にはいかず……来た所へ帰らなくては
なりません。」
 それから壁に沈み込んで完全に消滅し、むき出しの壁土の他には何も残って
いなかった。そして武三思が再び彼女と会うことは無かった。
 この話は日本で「開天遺事《かいてんいじ》」と呼ぶチャイナの書物に書かれて
いる。

128 :妖魔詩話32 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:58:26.60 ID:7WXFPAHM0

[36]3行目の『ふる』の言葉は、二重の役割を果たしている──形容詞の
「古〔い〕」と動詞の「振る」である。『生首』という古い表現(文字通りなら
新鮮な頭)は、切断されてから間が無くまだ血が滲み出す人の頭を意味する。

[37]仮名の「め」でふたつの日本の言葉が書かれている──片方の意味は
「芽」であり、もう一方は「目」である。同様に「はな」の語句も「花」と「鼻」の
どちらの意味にもなる。不気味さで、この短歌は明らかに成功している。

[38]『あやしげ』は「怪しい」「奇妙な」「超自然的な」「疑わしい」の形容詞
『あやし』の名詞形。『影』という言葉は「光」と「陰」の両方を示す──ここ
では二重の暗示に使われている。昔の日本で使われた灯火には椿の実
から採った植物油が使われていた。読者は古椿の言い回しは、椿の妖かし
と同等の表現だと覚えているだろう──椿は古くなった物だけが妖木に
変わると想像された。

[39]牡丹はここで言及する──ある花は日本で非常に尊重された 。8世紀に
チャイナから輸入されたと言われ、今では5百を下らない種類が日本の庭師
によって栽培されている。

129 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 20:04:28.59 ID:7WXFPAHM0
THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES
(天の川縁起その他)よりGoblin Poetryでした。

長かった〜

怪談話では有りませんが、電子書籍およびサイトの奇談のあとがき的な物として
翻訳しました。

ここまでの所を校正してから電子書籍「奇談一」に収録する予定です。
ほぼ同時期にサイト上にも原文と共にアップするつもりです。
たぶん数か月はかかるでしょう。

130 :猫を描いた少年1 ◆YAKUMOZcw.:2016/07/10(日) 18:08:33.89 ID:/sgcWspY0
猫を描いた少年

 遠い遠い昔、日本の田舎の小さな村に、とても善良な
貧しい百姓の夫婦が暮らしていた。子沢山なので、皆を
食わせていくのは非常に厳しいと分かっていた。年長の
息子はほんの十四歳の頃には父親を手伝うのに十分な
丈夫さで、小さな娘達は歩けるようになるやすぐに母親の
手伝いを学んだ。
 だが末っ子の小さな少年は、厳しい労働に耐えられる
ようには見えなかった。彼は非常に賢かった──兄や姉達
よりも賢かったが、かなり虚弱で小柄なので皆は大して
大きくなれないと言い合った。であるから両親は百姓になる
より坊さんになった方が良いだろうと思った。ある日、村の寺
へ連れて行き、そこの人の良い住職に小僧として坊さんの
知るべき全てを教えてくれないかとお願いした。
 老人は親切に男の子に話し、幾つか難しい質問をした。寺の
小僧として男の子を受け入れ、僧職の教育をするのに住職
が同意するには十分に賢い答えであった。
 少年が老僧の教えをすぐに覚えた姿は、ほとんどの事に
従順であった。しかし、ひとつ欠点が有った。勉強の間に猫を
描くのを好み、まったく猫が描かれるべきではない場所にさえ
猫を描く。
 ひとりになる度に猫を描いた。経本の余白や寺の屏風ばかり
ではなく、壁や柱にまで描くのだ。住職は良くない事だと度々
言って聞かせたが、猫を描くのをやめなかった。実のところ、
どうしようもなく描いた。いわゆる「天才絵師」であったが、まさしく
その理由から小僧になるには全くふさわしくなかった──良い
小僧は本で勉強しなくてはならない。

131 :猫を描いた少年2 ◆YAKUMOZcw.:2016/07/10(日) 18:11:58.78 ID:/sgcWspY0
 ある日、とても上手な猫の絵を障子に描いた後、老僧が
厳しく言った──坊や、この寺から直ぐに出て行きなさい。
おまえは決して立派な坊さんにはならないが、ひょっとする
と偉大な絵師になるかも知れない。さて最後にひとつ忠告
をしておこう、心して夢々忘れるでないぞ。「夜中は広い
場所を避け──小さくなっていなさい。」
 少年には住職の言っている事が何を意味しているのか
分からない「広い場所を避け──小さくなっていなさい。」
出て行くために着物の小さな包みを結ぶ間じゅう考えに
考えたが、この言葉を理解できず、さようならの他にそれ
以上住職と話すのを恐れた。
 とても悲しそうに寺を出て、どうしたものかと思案を始めた。
まっすぐ家に戻れば、住職の言いつけに従わなかったと父に
お仕置きをされそうで帰るのは怖かった。不意に5里ほど
離れた隣村にとても大きな寺が有るのを思い出した。その寺
には何人も坊さんが居ると聞いていたので、そこへ行って
小僧として使ってもらうようにお願いしようと決心した。
 さてその大きな寺は閉鎖されたのだが、少年はこの事実
を知らなかった。妖怪が坊さん達を怖がらせて追い払い、
その場に取り憑いたのが閉鎖された理由である。その後、
何人かの勇敢な武士が妖怪退治に夜の寺へ行ったが、再び
生きた姿を見せることは無かった。この事を少年に話す者は
まったくいなかった──したがって坊さん達にやさしく向かえ
られる期待を抱いて村までの道を歩ききった。
 村に着いた頃には既に辺りは真っ暗で皆は寝床に就いて
いたが、大通りの別の端の丘の上に大きな寺を見付け、その
寺の中に灯りが見えた。孤独な旅人に宿を乞うよう仕向ける
ため妖怪は灯りを灯すものだと、物語を語る人々は言う。少年は
すぐに寺へ行き扉を叩いた。中からの音は無い。再び叩きに
叩いたが、まだ誰も来ない。しまいにそっと扉を押すと、あいて
いるのが分かってすっかり嬉しくなった。そうして中へ入ると灯り
が燃えているのが見えた──だが坊さんは居ない。

132 :猫を描いた少年3 ◆YAKUMOZcw.:2016/07/10(日) 18:14:49.96 ID:/sgcWspY0
 すぐに何人かの坊さんがやって来るはずだと思い、
座って待った。そのとき寺の中のそこらじゅうが灰色
の埃と、厚く張った蜘蛛の巣に覆われているのに気が
付いた。ならばここを綺麗にしておくため、坊さん達には
きっと小僧が居るのが好ましいだろうと思った。どうして
何もかもをこんなに汚れるにまかせているのだろうと
不思議であった。けれども最高に嬉しかったのは、猫を
描くのに具合がいい何枚かの大きな白い障子であった。
疲れてはいたけれども、ただちに筆箱を捜し、見つけた
1本にいくらか墨をひたして猫を描きはじめた。
 障子にかなり多くの猫を描くと、とてもとても眠気を感じ
はじめた。ちょうど障子のひとつのそばの位置で、眠る
ために横になろうとすると、不意にあの言葉を思い出した。
『広い場所を避け──小さくなっていなさい。』
 寺はとても広くたったひとり、この言葉のように思えた──
それをすっかり理解はできなかったけれども──はじめて
小さな恐れを感じはじめ、眠るために『小さな場所』を捜す
決意をした。引き戸の付いた戸棚を見付けて入り、閉じ
こもった。それから横になると早速眠りに落ちた。

133 :猫を描いた少年4 ◆YAKUMOZcw.:2016/07/10(日) 18:17:29.66 ID:/sgcWspY0
 夜がとても更けてから、極めて恐ろしい物音で起こ
された──格闘の物音と甲高い鳴き声であった。小さ
な戸棚のすき間越しに除いてさえも恐ろしいほど酷い
もので、恐怖のためじっと横になったまま息を殺した。
 寺にあった灯りは消えていたが酷い物音は続き、より
酷くなって寺全体が揺れた。長い静寂の時が過ぎても、
少年はまだ動くには恐ろしかった。朝日の光が小さな
戸のすき間から戸棚の中に射し込むまでじっとしていた。
それから非常に用心深く隠れ場所から出て周囲を見回
した。最初に見た物は血に覆われた寺じゅうの床であった。
それから見たのは真ん中に横たわるその死体、巨大なぞっ
とする鼠──鼠の妖怪──牛より大きい。
 しかし誰が、いや何がそいつを殺せたのだろう。人や他の
生き物は見掛けなかった。突然、少年は前の晩に描いた
全ての猫の口が血で赤く濡れているのを発見した。そうして
妖怪は彼の描いた猫に殺されたのだと知った。そしてまた、
博識の老僧がどうして彼に言ったのか初めて理解した。
「夜中は広い場所を避け──小さくなっていなさい……」
 その後、少年はたいそう有名な絵師となった。彼の描いた
猫のいくつかは、まだ日本の旅行者のために陳列されている。

134 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/07/10(日) 18:26:56.63 ID:/sgcWspY0
Japanese Fairy Tale SeriesのTHE BOY WHO DREW CATSでした

ほぼ1年ぶりの投稿ですね。
これまで翻訳した話は何とか電子書籍にしたもののサイトへの掲載は
まだになっています。

実は仕事が忙しくなって自宅であんまり時間がとれなかったりします。
翻訳の方は仕事の休憩時間にできるので、久しぶりに投稿できたという
訳です。

やるやる詐欺になっている話も多々ありますが、まあぼちぼち手を付けて
行こうと思っています。

135 :団子をなくしたお婆さん1 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/02(火) 10:33:04.21 ID:EwduH00s0
団子をなくしたお婆さん

 遠い遠い昔、笑ってお米の粉で団子を作るのが
好きな、おかしなお婆さんがいた。
 ある日、夕食のために幾つかの団子を用意して
いるとその内のひとつを落としてしまい、それは
転がって小さな台所の土間の穴に入って消えた。
お婆さんはそれをつかもうと穴に向かって手を下ろ
すと、突然地面が開いてお婆さんは中に落ちた。
 かなりの距離を落下したが少しも怪我をしないで、
再び足で起き上がると、まるで彼女の家の前のよう
な道の上に立っているのを見た。下の方はかなり明
るく、たくさんの田んぼが見えたが誰もいなかった。
どうしてこうなったのかは言い様が無い。しかしそれ
は、お婆さんが異世界へ落ちたように見える。
 落ちた道はひどい坂になっていたので、いたずら
に団子をさがしたあとで、坂道を転がり落ちて遠く
へ行ったのに違いないと思った。彼女は叫んで道を
駆け降りた──
「団子や、団子──わたしの団子はどこじゃー」
 しばらくすると道端に石地蔵が見えたので話しか
けた──
──「お地蔵様わたしの団子を見掛けませんでしたか」
 地蔵の答えは──
──「ああ私のそばを団子が転がって道をくだるの
を見ましたよ。けれどあんまり先の方には行かない方が
よろしいですよ、下の方には邪悪な人食い鬼が住んで
いますから。」
 しかしお婆さんはただ笑って、さらに道を叫び
ながら走って下った──「団子や、団子──わたし
の団子はどこじゃー」そして別の地蔵の像まで
来て訊ねた──
──「親切なお地蔵様、わたしの団子を見掛けませんでしたか」
 そして地蔵は言った──
──「ああ少し前にあなたの団子が行くのを見ま
したよ。けれど、もっと先へ走るべきではありませ
んよ、下の方には邪悪な人食い鬼がいますから。」
 しかしただ笑って走って、なおも叫んだ──「団子
や、団子──わたしの団子はどこじゃー」
 そして三番目の地蔵の元に来て訊ねた──
──「愛しいお地蔵様、わたしの団子を見掛けま
せんでしたか」
 しかし地蔵は言った──
──「今は団子の話をしないでください。こちらに
鬼が来ました。ここでわたしの袖の影にしゃがんで、
音を立てないでください。」

136 :団子をなくしたお婆さん2 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/02(火) 10:39:04.53 ID:EwduH00s0
 間もなく鬼がやって来て、ごく近くに止まって地蔵
にお辞儀をして言った──
──「こんにちは地蔵さん。」
 地蔵も非常に丁寧にこんにちはと言った。
 それから鬼は、突然うさんくさいやり方で空気を二三
回嗅いで叫び出した──「地蔵さん地蔵さん、どこ
かで人の臭いがしますぜ──違いますか。」
──「ああっ」地蔵が言う──「たぶん勘違いでしょう。」
──「いやいや」再び空気を嗅いでから鬼が言っ
た。「あっしには人の臭いがしますぜ。」
 そうこうするうちにお婆さんは笑いがこらえ
きれなくなった。
「てへへ」──すると鬼はすぐさま地蔵の袖の影へ
大きな毛深い手を伸ばして彼女を引っ張り出した。
──まだ笑っている「てへへ」
──「あっはっは」鬼は高笑い。
 それから地蔵が言った。
──「この人の良いお婆さんをどうするつもりですか。
傷つけるんじゃありませんよ。」
──「そのつもりです。」と鬼は言った。「でも連れて
帰ってあっしらの飯を作らせましょう。」
──「てへへ」とお婆さんが笑った。
──「たいへんよろしい」と地蔵は言い──「けれど
本当にやさしくしなくてはなりませんよ。そうでなければ
わたしはとっても怒りますからね。」
──「まったく傷つけるつもりはありません」と鬼は
約束して「毎日ちょっとしたあっしらの仕事をさせる
だけですよ。さようなら地蔵さん。」
 それから鬼は道沿いに遠くの広くて深い川まで
連れて来ると、そこには1艘の舟があった。彼女を
舟に乗せて川向こうの家へ連れて行った。それは
とても大きな家であった。すぐに台所へ案内すると
自分と一緒に暮らす他の鬼のいくらかの食事を料理
しろと言った。そして小さな木のしゃもじを渡して言った──
──「あんたが釜に入れる米はいつでも1粒だけに
しなくちゃならね、それでこのしゃもじで水の中の米
1粒をかき混ぜると、その米粒は釜一杯になるまで
増え続けるぜ。」

137 :団子をなくしたお婆さん3 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/02(火) 10:45:13.03 ID:EwduH00s0
 そうしてお婆さんが鬼の言う通りきっちり米粒1
つを釜に入れてしゃもじでかき混ぜ始めると、かき
回す度に1粒が2粒に──それから4粒──そして
8粒──それから十六、三十二、六十四、さらに
もっと。しゃもじを動かす度に米は大量に増えて、
大きな釜はほんの数分でいっぱいになった。
 その後、おかしなお婆さんは長い間鬼の家で
過ごし、彼とその友達全部の食べ物を料理した。
鬼はけっして傷つけたり怖がらせたりせず、仕事は
──鬼がどんな人間が食べるよりもたくさん食べる
から、とてもとても大量の米を料理しなくてはならな
くても──魔法のしゃもじのおかげでまったく簡単
であった。
 けれども寂しくなって自分の小さな家へ帰り団子
を作りたいと、いつでも強く願うようになった。そして
ある日、鬼達みんながどこかへ出掛けた隙に逃げ
出そうと思った。
 手始めに魔法のしゃもじを取って帯の下にすべり
込ませ、それから川へ下りていった。舟がある所ま
で誰にも見られなかった。乗って押して、とても上手
く漕げたのですぐに岸から離れた。しかし川はとても
広く、鬼の全員が家へ戻った時に川幅の4分の1も
漕げていなかった。
 彼らは飯炊きも魔法のしゃもじも見つからないのに
気が付いた。すぐに川まで走って下りると、お婆さん
がとても速く漕ぎ去るのが見えた。おそらく全く舟の
無い場合には彼らは泳げない、そしておかしなお婆
さんを捕まえるには別の岸へ着く前に川の水全部を
飲み干すしか方法が無いと思った。そうして跪きとても
早く飲み始め、お婆さんが半分を渡り切る前に水が
すっかり低くなった。
 しかしお婆さんは水がとても浅くなるまで漕ぎ続け
て、鬼が飲みやめると歩いて渡った。それから櫂を
落として魔法のしゃもじを帯から取り出して鬼に向かっ
て振り、鬼の全てが吹き出すようなおかしな顔を作った。
 しかし彼らは笑った瞬間に飲んだ全ての水を吐き出
さずにいられず、そうして川は再びいっぱいになった。
鬼は渡ることができず、お婆さんは無事に向こう岸まで
渡り、できるだけ速く道を走って逃げた。再び自分の
家を見つけるまでけっして走るのをやめなかった。

138 :団子をなくしたお婆さん4 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/02(火) 10:45:55.24 ID:EwduH00s0
 その後、彼女はいつでも好きなだけ団子が作れる
のでとても幸せであった。それにお米が作れる魔法の
しゃもじを持っている。彼女は近所や旅人に団子を売っ
て、かなり短い期間で裕福になった。

139 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/02(火) 10:57:36.51 ID:EwduH00s0
Japanese Fairy Tale Seriesの
THE OLD WOMAN WHO LOST HER DUMPLING
でした。

Japanese Fairy Tale Series(日本お伽噺シリーズ)
の中で小泉八雲の著作は全5話ありまして、下約
では有りますが、これで全ての翻訳が終わりました。

化け蜘蛛>>2-5
ちんちん小袴>>12-18 >>24
若返りの泉>>19-23
猫を描いた少年>>130-134
団子をなくしたお婆さん>>135-139

140 :衝立の乙女1 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/06(土) 17:42:22.81 ID:vOf6jRBb0
衝立の乙女

※お伽噺百物語で語られていた。

 日本の老作家、白梅園露水は言う──[1]
「漢土と日本の本には──古い時代と現代のどちら
にも──あまりの美しさに、見る人へ不思議な影響力
を及ぼす絵についての多くの物語が語られている。かつ
そのような美しい絵に関して──花や鳥や人物に関わらず、
有名な絵師によって描かれた絵は──生き物の形や
人物の描写されたその物が、描かれた紙や絹から自身
を切り離し様々な行ないをくり広げる──まるで自身で
本当に生きているかのようになる──と付け加えられて
いる。古い時代から誰でも知っているこの種の物語も、
今では再現しないだろう。しかし現代にあってさえ菱川
吉兵衛によって描かれる絵──『菱川の肖像画』──の
名声は国中で広範囲に広まっている。」
 それから続けていわゆる肖像画の1つについて、次の
話を語る。

 トッケイという名の京都の若い学者がいる。以前に室町
と呼ばれる通りに住んでいた。ある晩訪問先からの帰り
道の途中で、中古品を扱う業者の店の前に売り出されて
いる折れの無い1枚の古い衝立に注意を惹き付けられた。
それはただの紙でおおわれた衝立であったが、青年の気
まぐれを捕らえる少女の全身像が描かれていた。聞いた
値段はとても安く、トッケイは衝立を買って自宅へ持ち帰った。


[1]享保十八年(1733年)没。彼が言及した画家は──正確に
は菱川吉兵衛師宣として収集家に知られている──十七世紀
後半に活躍をした。経歴は染め物師の見習いから始まり、芸術家
として名声を博したのは1680年頃、浮世絵という図画の流派を
創始したと言われているかも知れない。とりわけ菱川は風流(優雅
な作法)と呼ばれる物──上流階級まわりの生活の様態──の
描き手であった。

141 :衝立の乙女2 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/06(土) 17:46:52.08 ID:vOf6jRBb0
 自室で独りになって衝立を見直すと、絵は最前よりもずっ
と美しく思われた。写実的なのは明白である──十五六歳
の少女がいきいきと描かれ、髪の毛、目、まつ毛、口は細部
の隅々まで描かれ、讃えきれない迫真性と上品さで完成され
ている。まなじり[2]は「愛を求める芙蓉のよう」であり、唇は「丹花
の微笑みのよう」で、若い顔は欠けること無く言葉にならない
可愛らしさであった。真実の少女が肖像を描かれた通り愛らし
ければ、心を奪われずに見られる男はいないであろう。それに
誰かが話しかければ応えを返してくれそうに──姿がいきいき
として見えたので──彼女がこの通り愛らしいのに違いないと
トッケイは信じた。

 彼は熱心に絵を見つめ続けたので、次第にその魅力の虜に
なっていく自分を感じた。「こんなにも芳《かぐわ》しい乙女が」
独りつぶやく「本当にこの世に存在できるのだろうか。」ほんの
僅かな間でさえ(『一瞬であっても』と日本の筆者は言う)この腕
に抱けるなら、どんなに喜んで我が命を──いや千年の命を─
─差し出すだろう。ひと口で言えば絵に恋をした──そこに描か
れた人物以外のどんな女も決して愛せないと感じるほど激しく恋
をした。それでもまだ生きているなら絵とそっくりなままでは居られ
ない、おそらく彼が生まれる遥か前に埋葬されているだろう。

 それにもかかわらず、この見込みの無い恋慕の情は日々に大
きくなっていった。食べることも眠ることもできず、かつては大い
に彼を喜ばせた研究も心を占めることはできなかった。何時間も
絵の前に座って、それと話しをしようとした──他の何もかもを、
おろそかにするか忘れていた。そしてしまいには病気になった─
─そうして病は死に向かうものだと自覚した。

 さてトッケイの友人の中に、絵と若者の心にまつわる不思議な
事象に精通したひとりの高潔な学者がいた。トッケイの病気の知
らせを受けたこの歳をとった学者は、お見舞いに来て衝立を見る
と何が起こったのか理解した。それから問われたトッケイは友人
に何もかも認めて明言した──「こんな女性が見つけられなけれ
ば死んでしまいます。」

142 :衝立の乙女3 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/06(土) 17:50:18.24 ID:vOf6jRBb0
 老人は言った──
「あの絵は菱川吉兵衛が描いた──魂を込めて描
いた。描かれたその人はもうこの世にはいない。だが
菱川吉兵衛は外観と同じように心を描き、彼女の魂
は絵の中で生きていると言われている。だからあんた
は彼女を物にできると思う。」
 トッケイは寝床から半身を起こして熱心に語り手を
見つめた。
「彼女に名前を与えなくてはならん」老人は続ける─
─「そして毎日絵の前に座って、絶えず彼女へ向ける
想いを維持しながら、与えた名前で優しく呼び続けなく
てはならん、返事をするまで……」
「返事をするのですか」息が止まるほど驚いて恋する
者は大声を出した。
「ああ、そうだ。」助言者は応える「きっと返事をしてくれ
るよ。しかし返事をした時の贈り物として、これから言う
物を用意しなくてはならん……
「命を捧げますよ」トッケイは叫んだ。」
「いいや」老人は言った──「百件の異なる酒屋で買っ
た1杯の酒を贈る。すると彼女は酒を受け取るために
衝立から出て来る。それから先どうするかは多分彼女
が話してくれるだろう。」
 これだけ語ると老人は出て行った。彼の助言はトッケイ
を絶望から目覚めさせた。ただちに絵の前に自分を座ら
せて少女のその名前を──(何という名前かは日本の語
り部は言い忘れている)──何度も何度もとても優しく呼
んだ。その日も次の日もその次も、それは返事をしなかっ
た。しかしトッケイは信じる心や忍耐を失わず、そして何日
かたったある晩突然その名前に返事があった──

「はい」
 それから急いで素早く百件の異なる酒屋からの酒の少し
が注がれ、小さな盃に謹んで贈られた。それから少女は
衝立から歩み出し、部屋の畳の上を歩いてトッケイの手から
盃を受け取るために膝をついた──心地よく微笑み訊ねる──

143 :衝立の乙女4 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/06(土) 17:54:43.93 ID:vOf6jRBb0
「どうしてそんなに愛せるのでしょう。」
 日本の語り部は言う「彼女は絵よりも更に美しく──
指の爪の先まで美しく──心と気性も美しく──世の中
の他の誰よりも愛らしかった。」トッケイがどう質問に答え
たのかは記録されておらず、想像しなくてはならない。
「でも、すぐに飽きておしまいになりませんか」と訊ねる。
「生涯決して」断言した。
「その後は──」彼女は主張し続ける──日本の花嫁は
1回の人生の愛だけでは満足しないからだ。
「七生暮らすため」彼は懇願した「お互いに、共に誓約しま
しょう。」
「もしもつれない仕打ちでもなさいましたら」彼女は言った
「衝立に帰りますよ。」

 ふたりはお互いに誓約した。思うにトッケイは良い青年だっ
たのであろう──花嫁は決して衝立には戻らなかったのだ
から。彼女が占めていたその場所には空白が残っていた。

 日本の筆者は声を大にして言う──
「どうしてこのような事は、滅多に起こらないのだろう。」


[2]『目じり』とも書かれる──目のかどの外側。日本人は(古い
ギリシャと古いアラビアの詩人のように)髪、目、まぶた、唇、指
等々の特別な美しさを表現する多数の奇異で上品な言葉と喩え
を持っている。

144 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/08/06(土) 18:02:21.11 ID:vOf6jRBb0
Shadowings(影)よりThe Screen-Maidenでした

トッケイにどういう字をあてるかは未定です
原典のお伽百物語を探すか、他の複数の翻訳をあたって考えるか
まだ決めていません。

145 :人形の墓1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 19:57:53.72 ID:KoOkbeVE0
人形の墓

 万右衛門は屋内の子供をなだめて食事をさせた。
彼女は十一歳くらいで、知的で、哀れなほどおとなし
く見えた。名前は稲《いね》、『生えている米』を意味
するが、か弱い細さは名前にふさわしく見えた。
 万右衛門に穏やかに説得されて話を語り始めると、
彼女の声が変わっていくことから私は何か奇妙な予
感がした。高くて細い可愛らしい声で全く抑揚もなく話
した──炭火の上の小さなヤカンの単調な歌のよう
に感情の無い淡々とした声音《こわね》であった。日本
では少女や大人の女が感動的な、あるいは残酷な、
あるいは恐るべき何かを口にする時、まさにこのような
落ち着いた平板な透る声が聞かれるのは希では
ないが、決して何の関心も無い訳ではない。それは感
覚が常に抑制の元に置かれ続けていると意味している。
「家《うち》には6人いました」と稲は言った──「父と母
とかなり年老いた父の母と兄と私と妹でした。父は表具
屋という壁紙職人で、襖に紙を張ったり掛け物の表装を
しました。母は髪結いでした。兄は印鑑彫りの年季奉公
をしていました。
「父と母はうまくやっていて、母は父よりも多くのお金を
稼ぎました。私たちは良い着物を着て良い物を食べ、本
当に悲しいことなど何もありませんでした、父が病気に
なるまでは。
「それは暑い季節の中頃でした。父はいつでも元気で、
私たちは病気が危険な物だとは思いませんでしたし、本
人もそれほどとは思っていませんでした。けれどまさに
その次の日に死にました。私たちは大変に驚きました。
母は以前のようにお客さんを待つため本心を隠しました。
けれどそれほど強くはなくて、そのうえ父の死の痛みは
すぐにやって来たのです。父の葬式から8日して母も死
にました。誰もが驚くほど突然でした。それから近所の人
たちは人形の墓をすぐに作らなくてはと言いました──
つまりそうしなければ私たちの家から他の死人が出ると。
兄はその通りだと言いましたが、言われたことを先延ばし
にしました。たぶん十分なお金が無かったのでしょう、よく
分かりませんが、墓は作りませんでした……」

「人形の墓とは何ですか」と私はさえぎった。

146 :人形の墓2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:01:35.69 ID:KoOkbeVE0
「思うに」万右衛門が答える「それと知らずにたくさんの
人形の墓をご覧になっています──ちょうど子供の墓
のような見掛けをしています。同じ年に家族が2人死ぬ
と、必ず3人目もすぐに死ぬと信じられていました。『いつ
も墓は3つ』と言われています。そのように1つの家族か
ら同じ年に2人が葬られた時には、この2人の墓の次に
3番目の墓を作り小さな藁の身代わりだけを棺に入れ
ます──そしてその藁人形の墓には戒名[1]を書いた
小さな墓石を載せておきます。墓地のある寺の坊さんは、
この小さな墓石のために戒名を書いてくれます。人形の
墓を作ることで死が避けられるだろうと考えられています
……では稲の残りを聴きましょう。」

 子供は再開した──
「まだ4人いました──祖母と兄、私と妹。兄は十九歳でし
た。父が死ぬ前にちょうど年季奉公が終わっていましたから、
神様が憐れんでくれたようだと私たちは思いました。兄は
家長になりました。仕事の腕はかなり確かで多くの友人が
いましたから、私たちを養っていけました。最初の月に十三
円稼ぎました──これは判屋としてはかなり良い方です。
ある晩、具合を悪くして帰って来て頭が痛いと言いました。
母が死んでから四十七日たっていました。その晩は食べる
ことが出来ませんでした。翌朝は起き上がれませんでした
──とても高い熱が出て、私たちは出来るだけ良くなるよう
に看病し、夜中に起きて世話もしましたが良くなりませんで
した。病気の3日目に私たちはぎょっとなりました──母と話
し始めたからです。母の死から四十九日後でした──その
日に魂は家を去ります──そして兄は母が呼んでいるかの
ように──『はい、お母さん、はい──もう少しで行きます。』
それから母が袖を引っ張ると言いました。指差して私たちに
呼び掛けました──『そこにいる──そこ──見えないか。』
私たちは何にも見えないと言いました。それから言いました
『すぐに見ないからだよ、今は隠れた──畳の下へ行った
よ。』朝の間中こんなことを言っていました。しまいには祖母
が立ち上がって、足で畳を叩いて母をしかりました──大変な
剣幕でした。『タカ』と言い『タカ、何て悪いことをするんだ。お前

147 :人形の墓3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:04:06.34 ID:KoOkbeVE0
が生きていた時はみんな慕っていただろう。意地悪なことは
決して誰も言わなかった。何で今子供を連れて行きたがる、
我が家の大黒柱なのは知ってるだろう。もし連れて行けば、
御先祖様の面倒をみる者がここでは誰も居なくなると知って
るだろう。連れて行けば家名が絶えるのが分かるだろう。オタカ、
それは無慈悲で、恥知らずで、意地悪だよ。』祖母はこのよう
に体全体を震わせて怒りました。それから座って泣き、私と妹
も泣きました。しかし兄は、まだ母が袖を引っ張ると言いました。
日が沈む頃に兄は死にました。
「祖母は泣いて私たちをなでて、自分で作った短い歌を歌いま
した。まだ覚えていられます──

親の無い子と
浜辺の千鳥
日暮れ日暮れに
 袖しぼる[2]

「そうして3番目の墓が作られました──でもそれは人形の墓
ではありませんでした──そして私たちの家の終わりでした。
冬の間親戚で暮らしている時に祖母が死にました。夜中に死に
ました──誰にも知られず、朝方には眠っているように見えま
したが、死んでいたのです。それから私と妹は別れ別れになり
ました。妹は──父の友人の1人の──畳屋に引き取られまし
た。親切にされて、学校にさえ通《かよ》っています。」

「ああ不思議なことだ──ああ困ったね。」万右衛門が呟いた。
少しの間同情の沈黙があった。稲は感謝のお辞儀をして、立ち
去るために立った。草履の紐の下に足をすべらせたので、私は
老人に質問するため彼女の座っていた場所の方へ移動した。私
の意図に気付いた彼女はすぐさま言い様の無い合図を万右衛門
へ送り、彼はちょうど側に座ろうとした私をひき止めることで答えた。
「彼女の願いは」と言う「始めに旦那様がしっかり畳を叩いてくだ
さることです。」
「しかし何故」私は驚いて訊ねた──靴をはかない足の裏に、子供
が正座していた場所の心地よい暖かさの感覚を認識するだけである。

148 :人形の墓4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:05:26.33 ID:KoOkbeVE0
 万右衛門は答えた──
「誰かの体で暖められた場所へ座るということは──最初にその
場所を叩いておかなければ──その人自身の人生の悲しみ全て
を別の人が引き取ってしまうのだと彼女は信じています。」
 そこへ私は儀式を行わずに座り、我々は二人して笑った。
「稲、」万右衛門は言った「旦那様はお前の悲しみをお引き受けに
なる。旦那様は」──(万右衛門の敬語を表現する試みは私には
出来ない。)──「他の人々の痛みを理解なさりたいのだ。涙は要
らないよ、稲。」


[1]死後に埋葬される人の仏教徒名は墓に刻まれる。
[2]「両親のいない子供らは浜辺のカモメたちのようだ。夕方から夕
方に袖をしぼる。」『千鳥』という言葉は──多種の鳥に区別無しに
あてられるが──ここではカモメとして使われている。カモメの鳴き
声は、もの悲しさと寂しさを表現すると考えられ、それゆえの比喩。
日本の着物の長い袖は、悲しい時の顔を隠すだけではなく目を拭く
のにも使われる。「袖をしぼる」は──つまり涙でびしょ濡れになった
袖から水気を搾り取るということで──日本の詩ではしばしば表現
に使われる。

149 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:09:12.58 ID:KoOkbeVE0
Gleanings in Buddha-Fields(仏陀の畑の落穂)より
Ningyo-no-Hakaでした。

この話はハーンが雇った子守の娘から直接聞いた話です。

150 :伊藤則資の話1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:37:22.17 ID:hA+TYjsp0
 山城国は宇治町に、およそ六百年前、平家一門の
末裔で伊藤帯刀則資《いとうたてわきのりすけ》という
名の若い侍が住んでいた。伊藤は男前の人物に愛想
の良い人柄を備えた立派な学者で武芸の覚えも早かっ
た。しかし家族は貧乏で、彼は身分のある武士の間に
後見人を持たなかった──そのため前途はささやかで
あった。文学の研究に己れを捧げ、(日本の語り部が
言うには)「風月だけを友とした」たいそう穏やかな暮ら
し方であった。
 ある秋の夕暮れ時、近所の琴引山と呼ばれる丘で独
り歩きをしていると、同じ路をたどる若い少女が追い越
す事態が起こった。彼女は立派な服を着て、十一か十
二歳くらいに見えた。伊藤は挨拶して言った「じきに日が
落ちますよ、お嬢さん、ここは少々人里から離れていま
す。お訊ねしますが、道に迷われたのではありません
か。」彼女は朗らかな微笑を浮かべて見上げ、否定の言
葉を返した。「いえ、私はこの辺りで宮使いをしていて、
少し先に行くだけです。」
 宮使いという言い回しを使うことから、少女が高位の人
のお勤め中のはずだと知ったが、この付近ではいかなる
貴族も住んでいるとは聞いたことが無かったので、述べら
れた言葉は伊藤を驚かせた。しかし僅かに言った「私は
家の有る宇治に帰るところです。ここはとても寂しい場所
ですから、道中のお供をすることをお許しなさいませんか。」
彼女は申し出を喜ぶように優雅に謝意を表明し、連れ立っ
て歩き道々会話をした。彼女は天気と花と蝶と鳥について、
かつてした宇治での滞在について、出身地である首都の
有名な名所について話した──また新鮮なおしゃべりを
聞いて伊藤にとって愉しい一時があっという間に過ぎた。
やがて道の曲がる所で、若い木々の木立が色濃く影を落
とす集落へ入った。

〔ここで話を語る上での中断が必要なのは、最高に明るく
最高に暑い天気であっても日本の幾つかの田舎の村が
どれほど暗いままか、実際に見ること無しには想像出来な
いからだ。東京それ自体の近隣に、この種の村は多数存
在する。そのような村落から少し離れると家が見えなくなり、
常緑樹の密集した木立の他は視界に入らない。通常は若

151 :伊藤則資の話2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:40:13.75 ID:hA+TYjsp0
い杉と竹から成るその木立は、村を嵐から守り、また様々
な目的での材木も供給する。幹の間を通る余地の無いほど
密集して植えられた木々は、帆柱のように真っ直ぐ立ち、太
陽を遮る屋根のような外観に天辺が混ざり合う。めいめい
に屋根を葺かれた田舎の家は、植え込みの中の明るい場
所を占めその回りを建物の2倍の高さの木々が柵を形成す
る。木々の下では真っ昼間でさえいつでも薄明りで、朝や
夕方の家は半分は陰になっている。このような村のほとんど
が、およそ穏やかとは言えない第一引用を与えるが、透明で
はない暗がり、静寂の他にそれ自体が確かに持つ不思議な
魅力がある。五十や百の住居が在るかも知れないが、誰に
も会わず、見えない鳥がさえずり、たまに雄鶏が鳴き、蝉の
甲高い声の他には聞こえない。蝉でさえこの木立が薄暗く
過ぎるのが分かり微かに鳴くけれども、太陽を愛する物は
むしろ村の外側の木々を選ぶ。時たま──チャカトンチャカ
トンという──見えない折り返しが聞こえると言うのを忘れて
いたが、そのお馴染みの音は大きな緑の静寂の中ではお伽噺
の出来事に見える。静寂の理由は単に人々が家に居ない
ということだ。一部の弱った年長者を除く大人の全ては近隣
の田畑へ行き、女たちは背中で赤ん坊を運び、ほとんどの
子供はおそらく半里より少なくない道のりの最も近い学校へ
行っている。確かにこのほの暗く静まり返った村は、管子《かんし》
の書に記録された不思議な永久化のひとつを眺めるようだ──
「世界の栄養を手に入れた古代人達は何も望まず、世界は
充足していた──彼等は何もせず、全ての物は変えられた
──静寂は底知れず、人々は皆穏やかであった。」〕

……日が落ちて伊藤がそこへ着いた時には村はたいそう暗
く、夕暮れは木々の陰になって茜色を作らなかった。「さて、
ご親切なお方、」子供はこう言って、大通りに面した細い路を
指差した。「私はこの道を行かなくてはなりません。」「あなた
の家まで送ることをお許しください。」伊藤は応え、道を見るよ

152 :伊藤則資の話3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:42:19.77 ID:hA+TYjsp0
りはむしろ感じるようにして共に路を曲がった。しかし少女は
すぐ暗がりにぼんやり見える小さな門の前で止まった──格
子状の門の向こうに住居の灯りが見えた。「ここが」彼女は言
った「私の仕える高貴なお屋敷です。ご親切にこのような遠く
まで道を外れて来て頂いたのですから、お入りになってしばら
くお休みになりませんか。」伊藤は同意した。略式の招待に喜
び、どんな高位の身分にある人がこんな人里離れた村に住
む選択をしたのか知りたかった。時には貴族が祭り事への不
満や政治的ないさかいを理由に、公の生活からこのような方
法で引退するのを知っているが、目の前の居宅の住人の経
歴もこのような物だろうと想像した。若い案内人が開けてくれた
門を通ると、大きく古風な庭に居るのが分かった。造園された
子庭を、曲がりくねった小川が横切るのが微かに見分けられた。
「ほんのしばらくお待ちくださいませ」子供は言って「高貴なご
来訪をお知らせして参ります。」と家の方へ急いだ。それは広々
とした家ではあったが、たいそう古く、異なる時代の様式で建
てられたように見えた。引き戸は閉められなかったが、明りの
灯った屋内は通路の正面に沿って広がる美しい竹の幕で隠れ
ていた。その背後で影が動いた──女の影が──そして突然、
夜の中を琴の調べがあった。軽快で甘美な様は自分の感覚
の根拠がおよそ信じられないほどであった。聴こえた静かで穏
やかな喜びの感覚に心を奪われた──不思議なことに喜びに
は悲しみが混じっていた。女がどうやってこのような演奏を修得
できたのか疑問に思い──演者がそもそも女なのかどうか疑問
に思い──この世の音楽を聴いたのかどうかさえ疑問に思い、
その音色は血に訴える魔法のようであった。

 柔らかな音楽は終わり、ほとんど同時に小さな宮使いが側
にいるのに気がついた。「それでは」彼女は言った「お入り願
います。」彼女に玄関まで案内され、そこで草履を脱ぐと、老
女つまりは侍女長と思われる年をとった女が歓迎のため入口
までやって来た。それから老女は主屋の多くの座敷を通って
広くて照明の行き渡った部屋へ案内し、たくさんの丁寧な挨拶

153 :伊藤則資の話4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:45:31.70 ID:hA+TYjsp0
と共に賓客として栄誉に相応しい席へつくように懇願した。彼
は広間の荘厳さと、不思議な美しさに驚いた。やがて侍女の
数人が菓子を持ってきたが、前に置かれた茶碗と別の器が希
少で高価な技量で所有者の高い地位を示す様式が認められ
た。どんな高貴な人がこの孤独な隠れ家を選んだのか、どん
な出来事がこのような隠棲の願いを触発できたのだろう、ます
ます疑問に思った。しかし、突然の老いた案内人からの問い
かけが思索を中断した。
「あなたは宇治の伊藤様とは違いませんか──伊藤帯刀則資
様。」
 伊藤は同意のお辞儀をした。小さな宮使いには名前を告げ
ておらず、そういった問われ方に驚いた。「どうか私の問いを
無礼とお思いになりませんように。」案内人は続けた。「私の
ような老婆は余計な詮索なしにお伺いします。この家へおいで
になった時、あなたのお顔を知っていると思い、本題に入る前
に全ての疑いを消しておくだけのつもりでお名前を伺いしまし
た。あなたにしばらくお話しすることがございます。あなたは
幾度かこの村を通り抜けていらっしゃいまして、ある朝私たち
の姫君様[2]があなたが行くのをご覧になる事態が起こり、そ
れからというもの昼となく夜となくずっとあなたのことを考えて
いらっしゃいます。実のところ病気になるほど思い続け、我々
はとても心配しています。そうした理由からあなたの名前と住
所を捜す算段をしており、その場所へお手紙を差し上げようと
したその時に──まったく思いがけず──ちいさな小間使いと
共に我々の門までいらしたのです。今あなたにお会いできて、
どれほど嬉しいか言葉にできません、現実にしては余りにも
幸運な出来事に見えます。この出合いは縁結びの神──幸運
が融和する縁を結ぶ出雲の大神──のご好意によってもた
らされたのに違いないと本当に思います。幸運があなたをこ
ちらへ案内した今──このようなご関係の在り方に差し障り
が無ければ──姫君様のお心を幸せにしてあげることを拒否
なさらないでしょう。」

154 :伊藤則資の話5 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:48:20.98 ID:hA+TYjsp0
 しばらく伊藤はどう返答すべきか分からなかった。老女の話
が真実なら、並外れた好機が提供されたことになる。強い恋慕
の情だけが貴族の娘自身の意思で、富も如何なる見込みも持
たない無名の浪人の愛情を捜させることができた。一方、女の
弱味で利益を得ることに関心を持って行くのは、立派な男の有
りようではなかった。そのうえ状況は不穏で不可解であった。そ
れでも、こんなに思いがけず訪れた申し出をどうやって辞退する
のか少なからず彼を悩ませた。短い沈黙の後で返事をした──
私には妻も許嫁もいませんし、どんな女との関係も有りません
から何の差し障りも無いでしょう。これまで私は両親と暮らして
いて、結婚のことは一度も話し合いはしませんでした。私が高位
の人たちの間には全く後ろだての無い貧乏な侍だと知って頂く
必要があり、またこんな状態を好転させる幾らかの好機を見つ
けられるまでは、結婚をしたくありません。お申し出は大変大き
な名誉を与えてくれますが、私はまだどのような高貴な姫君の
注目にも値しない己れ自身を知っていると言えるだけです。」
 老女はまるでこの言葉に喜んでいるように微笑んで応えた──
「姫君様にお会いになるまで、決断をなされない方が宜しゅう
ございます。お会いになれば、躊躇いをお感じにはならないで
しょう。お引き合わせ致しますから、これから一緒にお越しくだ
さい。」
 彼女は別の更に大きな客間へと導き、宴の仕度のととのった
上座に案内してから彼の元を離れしばらく独りにした。姫君様
を連れて帰って来ると、初めて女主人を視覚にとらえ、伊藤
は再び琴の調べを聴いたような奇妙で不思議な衝撃と喜び
を感じた。このような美しい存在を夢にも見たことは一度も無
かった。ふわふわした雲を通した月のように、存在が光を発し
て衣服を通して輝くようであり、緩やかに流れる髪は柳の垂れ
た枝が春の微風に色めくようで彼女が動く度に揺れて、唇は
朝露に濡れる桃の花のようであった。視界にとらえた物に伊
藤は当惑した。天の河原の織姫──天国で輝く川に住み機
伊藤は呆けたままで、

155 :伊藤則資の話6 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:53:27.02 ID:hA+TYjsp0
↑訂正:[伊藤は呆けたままで、]は削除

を織る乙女──その人を見ていないのだろうかと自問した。
無言で目を伏せ頬を赤く染めた清らかな者に、微笑んだ老
女は振り向いて言った──
「ご覧ください姫様──今までこのようなことを望めそうに無か
ったのに、会いたいと願ったその人は同族の生まれです。こ
のように幸運な事件は、位の高い神々の意志だけがもたらす
ことができるのです。そう思うと嬉しくて涙がでます。」そして声
を出してすすり泣いた。「けれども、それは今」袖で涙を拭い
ながら続けた「あなた方がお互いに固い約束をして──あり得
ないと思いますが、どちらかがお望みにならないと証してくれ
るので無ければ──お二人の婚礼の宴の席が残されている
だけです。」

 比類なき美しさを前に意志は麻痺し舌は縛られ、伊藤は返
す言葉が無かった。侍女達が入って来てご馳走と酒を運び、
婚礼の宴が二人の前で開かれ、誓約は成された。それでも
伊藤は呆けたままで、予期せぬ出来事の驚きと花嫁の美しさ
の不思議にじっと当惑していた。これまで知っていた何物を
も超越した喜びが──大きな沈黙のように──心を満たした。
しかし次第に普段の落ち着きを取り戻し、それから先は当惑
せずに話しを交わすことができると気が付いた。手酌で酒を
飲み、見苦しくはなるが陽気な方法で、気掛かりな疑いと恐れ
について敢えて話した。その間花嫁は、月光のようにじっと目
を伏せたまま掛けられた言葉に頬を染めるか微笑むだけで
返事をした。

156 :伊藤則資の話7 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:55:53.04 ID:hA+TYjsp0
 伊藤は老いた従者に言った──
「しばしば独り歩きでこの高貴なお屋敷の存在を知らずに、
私はこの村を通り抜けました。そしてここに入ってからずっ
と、どうしてこの高貴な一族はこのような人里離れた場所を
選んで留まらなければならなかったのか不思議に思いまし
た……姫君様とお互いに誓約を交わした今、私が気高い家
族の名前をまだ知らないのはおかしなことのように感じます。」
 この言葉を口にすると、老女の優しい顔に影がよぎり、こ
れまでほとんど話すことの無かった花嫁は青ざめて痛々し
いほど心配する様子を見せた。幾らかの沈黙の後、老いた
女が応えた──
「これ以上秘密にし続けるのは難しいでしょう、それに我々
の身内にお成りになった今では、どんな状況に置かれてい
るのか真実を知っておくべきだと思うのです。伊藤様、あなた
の花嫁は名高くも不運な三位中条重衡卿の娘とお知りください。」
 この言葉──「三位中条重衡卿」──によって、若い侍は
氷のような寒気が全身の血管を通して脈打つのを感じた。
重衡卿、名高き平家の将軍にして政治家は何百年も土の下
であった。目の前には人々の姿ではなく死んだ人々の影、回
りの何もかも──広間と灯りと祝宴──は過去の夢だと、突
然理解した。
 しかし次の瞬間に氷のような寒気は去り、魅力が帰ってき
て彼の回りで深まるようで恐れは感じなかった。花嫁は黄泉
──死者の黄なる泉の地──から来たけれども、彼の心を
すっかりつかんだ。幽霊と結ばれる者は幽霊にならなくては
ならない──それでも目の前の美しい幻の表情に苦痛の影
をもたらすようなひとつの考えを言葉や外見でさらけ出すよ
りは、むしろ一度ではなく何度も死んだ方がましだと知って
いた。差し出される優しい愛に不安が無かったのは、無情な
意図でもっと旨く騙すこともできたであろうに、有りの儘が語
られたから。しかし、この考えと感情は瞬く間に過ぎ去り、当
たり前に贈られたような不思議な立場を受け入れて、寿永
年間に重衡の娘から選ばれたなら行動していたであろう通り
に振る舞おうと決意した。
「ああ、あの哀れな。」彼は大声を出した「高貴な重衡卿の残
酷な運命については耳にしています。」

157 :伊藤則資の話8 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:59:19.46 ID:hA+TYjsp0
「はい」老いた女は応え、話しながらすすり泣いた──「確か
に残酷な運命でした。馬を矢で殺され、ご存知の通りその
下敷きになり助けを求めた時、彼の恩寵で暮らしていた人
達に見捨てられたのです。そうして捕虜とされ鎌倉へ送ら
れ、恥知らずな扱いを受けたあげくに処刑されました。[3]
至るところで平家は捜し出され殺されましたから、妻と子
供──ここにいる貴い乙女──は身を隠しました。重衡
卿死亡の知らせが届いた時、産後の母親には明らかに
大き過ぎる苦痛で、そうして子供は──血族の全てが処
刑されるか姿を消してからというもの──私の他に誰も世
話をする者も無く残されました。まだ5歳でした。乳母であ
った私はできるだけの事をしました。我々は巡礼姿ではあ
ちこち放浪の旅をして年を重ねました……けれど深く悲し
いこの話は場違いですね」乳母は声をあげて涙を拭き取っ
た──「過去を忘れられない老婆の愚かな心をお許しを。
ご覧ください、私がお世話をした小さな乙女は、今や立派
な姫君様にお成りです──我々が高倉天皇の平和な日々
を生きていたなら、素晴らしい運命が約束されていたでし
ょう。けれども願い通りの夫を獲得され、それは最高に幸
せです……しかし時間が遅くなりました。婚礼のお部屋の
用意は出来ておりますから、これから朝までお互いにお好
きなようにお任せしなくてはなりません。」
 彼女は立ち上がり、隣の部屋から客間を隔てる襖を開け
て寝室の座敷へ二人を案内した。それから沢山の喜びと
お祝いの言葉と共に退室し、伊藤は花嫁と共に残された。
 二人で横になると同時に伊藤は言った──
「教えてください、愛する人よ、最初に私を夫にしたいと願っ
たのはいつですか。」
(何もかもが現実と変わらなく見えたので、回りに織り成す
幻への思考はほとんどしなくなった。)
 彼女は鳩が鳴くような声で答えた──
「尊き主人にして旦那様、初めてお会いしたのは養母と出
掛けた石山寺でした。お会いしたその時、その瞬間から世

158 :伊藤則資の話9 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:02:50.47 ID:hA+TYjsp0
界が変わりました。けれどあなたが覚えていらっしゃらない
のは、私達の出合いは現在ではなく、あなたの現世ではな
い遠い遠い昔のことだからです。その時からあなたは多くの
死と誕生を通過して多くの麗しい体をお持ちになりました。
けれども私は今ご覧の通りいつまでもこのままで、あなた
への大きな願いのため、別の体を得ることも別の存在状態
になることもできませんでした。愛しいご主人にして旦那様、
私は幾世代をも通してお待ち申しておりました。」
 そして新郎はこの不思議な言葉を聴いても決して恐れる
こと無く、人生にこれ以上は無い、つまり来たるべき人生に
おいて彼にまつわる腕の感触と優しく包み込む声を聞く以上
の望みはなかった。

 しかし寺の鐘の響きが、夜明けの近いことを知らせてき
た。鳥達はさえずり、朝の風は全ての木々をざわつかせ
た。突然老いた乳母が婚礼の部屋の襖を押し開けて叫ん
だ──
「私の子供達、お別れの時間です。日の光の下では一瞬
であっても取り返しがつきませんから、一緒には居られま
せん。お互いに別れを告げなくてはなりません。」
 言葉も無く伊藤は立ち去る用意をした。伝えられた警告
を漠然と理解し、全ては自分の運命と観念した。彼の意志
は影のような花嫁の喜びを望む、それ以上は持たなかった。
 彼女は珍しい彫刻のされた小さな硯《すずり》を手に渡し
て言った──
「若き主人にして旦那様は学者ですから、このささやかな
贈り物を蔑みはなさりませんでしょう。古いのでおかしな
作りをしていますが、光栄にも高倉天皇の好意により父へ
贈られました。そういった理由からだけでも貴重な物だと
思います。」
 伊藤はお返しに、梅の花と鶯を表現した銀と金の象眼
細工で飾られた刀の笄《こうがい》を形見として受け取る
ようにと懇願した。
 それから小さな宮使いが庭を通る案内をしに来て、養母
と一緒に花嫁が敷居まで同行した。

159 :伊藤則資の話10 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:05:18.00 ID:hA+TYjsp0
 彼が別れのお辞儀をするために石段の下へ回ると同時
に老女が言った──
「次は亥の年の、ここへいらしたのと同じ月の同じ日の同
じ刻限に再びお会いしましょう。今年は寅の年、十年待っ
て頂かなくてはなりません。しかし言ってはならない理由
から、二度と我々はここで会うことはできず、立派な高倉
天皇と父と身内の多くが暮らす京都の周辺《あたり》に行
っております。平家の皆あなたがいらっしゃるのを祝福す
るでしょう。お約束の日には駕籠《かご》[5]をお送り致します。」

 伊藤が門を潜った頃には村の上では星が燃えるようで
あったが、開けた道に出ると静かな畑のかたまりの先か
ら夜明けの光が見えた。胸の中には花嫁からの贈り物を
携えていた。声の魅力はずっと耳に残っている──それ
でも確かめるように指で触った形見が存在しなければ、
夜に夢を見た記憶であって人生はまだ自分の物だと言い
聞かせることができた。
 しかし自ら死を運命づけたことに少しも後悔の念は起こ
らないと確信し、別離の苦しみだけが、幻の前に繰り返す
べき季節の移ろいを思うと悩ましかった。十年……その年
までの日々が何と長く見えることか。不可解な延期の解明
は望めない、死者の秘密のやり方は神々だけが知っている。

 何度も何度も独り歩きで、伊藤は琴引山の村を訪れ、今
一度過ぎ去りし面影との遭遇を漠然と望んだ。しかし夜でも
昼でも影になった路地の素朴な門を見つけることは二度と
無く、夕焼けの中を独り歩く小さな宮使いの姿を認めること
は二度となかった。
 用心深く問いかけられた村人達は、彼が化かされている
のだと思った。かつて身を落ち着けて暮らした高位の者は
無く、彼が言うようなどんな庭もこの近隣には存在しないと
言った。しかし彼が話す場所の近くに、かつて大きな仏教寺
院があって墓地の墓石の幾つかはまだ見ることができる。
伊藤は密集した雑木林の真ん中で慰霊碑を見付けた。古代
のチャイナの様式のそれらは苔と地衣類に覆われていた。
その上に彫られた文字は、もはや解読不能であった。

 奇妙な体験について伊藤は誰にも話さなかった。しかし友

160 :伊藤則資の話11 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:07:23.86 ID:hA+TYjsp0
人と親族は、すぐに見える姿と態度の大きな変化を認めた。
医者は体の病気ではないと診断したけれども、日に日に顔色
は青ざめやつれていき、動く時は影のようであった。独りで物
思いに耽るのはいつものことであったが、以前に喜びを与え
た何もかもに──名声の獲得を望んでいたであろう文学の研
究においてさえも──関心が無いように見えた。母親へは──
結婚がかつての大望を刺激し人生への興味を甦らせるかも
知れないと考えていたが──生きている女とは結婚しない誓い
を立てたと言った。そして月日はのろのろと過ぎて行く。
 とうとう亥の年が来て季節は秋になったが、伊藤は好きだっ
た独り歩きはもはやできなくなっていた。寝床から起き上がる
ことさえできなかった。原因は誰にも言い当てることはできな
かったが、彼の生命力は衰退し、眠っていると死んでいるのと
間違えられるほどとても深くとても長く眠った。
 そのような眠りから、ある明るい夕方、子供の声に驚かされ、
見ると側には十年前に消えた庭の門へと案内した小さな宮使
いがいた。彼女はお辞儀をして微笑み言った「今夜あなたは新
居のある京都に近い大原でお迎えされ、駕籠の用意がされて
いますとお伝えするよう命じられました。」それから彼女は消えた。
 伊藤は日の光とは無縁の呼び寄せなのだと知っていたが、
その伝言は身を起こし母親を呼ぶ力に気づくほど彼を喜ばせた。
それから初めて婚礼の話を語り、貰った硯を見せた。それを棺
に入れてくれるように頼んだ──それから死んだ。

 硯は彼と共に埋葬された。しかし葬儀の前に調べた専門家が
言うには、それは宝安年間(AD1169年)に 製作され、高倉
天皇の時代に生きた作者の刻印がなされていたそうだ。

161 :伊藤則資の話12 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:09:24.99 ID:hA+TYjsp0
[1]豪邸の使用人。

[2]姫(王女)と君(元首、主人、主婦、領主、貴婦人等々)
の単語を合成された、ほとんど翻訳できない敬称。

[3]重衡は首都防衛の──その頃平《たいら》(つまり平
家)隊が支えていた──勇敢な戦いの後、源《みなもと》
軍の指揮官義経に奇襲され走らされた。家長という名前
の兵士は弓の名手で重衡の馬を射倒し、重衡はもがく動
物の下へ落ちた。彼は別の馬を連れて来るよう従者へ叫
んだが、その男は逃げた。重衡はそれから家長に捕らえ
られ、ついには源族の頭領頼朝に引き渡され檻で鎌倉に
送られることとなった。そこで様々な辱しめを受けた後、一
時思い遣りの有る待遇を受けた──漢詩によって頼朝の
残酷な心さえ感動させられた。しかし次の年には、清盛の
命によって行われた戦に反抗した南都の仏教僧の要請で
処刑された。

[4]これは刀の鞘に添えられた1組の金属の棒に与えられ
た名前で、箸のように使用する。それは精巧に装飾される
場合も有る。

[5]輿の一種。

162 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:13:28.11 ID:hA+TYjsp0
THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES
(天の川縁起その他)よりThe Story of Ito Norisukeでした。

割と長い話でしたので、日本語がおかしくなっている所もちらほら
有りますが、その辺は校正段階で修正しましょう。

163 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:29:39.21 ID:hA+TYjsp0
>>151
×第一引用
○第一印象

164 :振袖1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:25:23.65 ID:rbAKAE6Q0
振袖

 最近主に古着屋が入った小さな商店街を通って
いる時、1件の店の前に吊るされた豊かな紫の色
合いの振袖つまり長い袖の着物に気が付いた。
それは徳川の時代に身分の高い淑女に着られて
いたかのような着物であった。私はそれに付いた
5つの家紋を見るために立ち止まると、同時にかつ
て江戸に破壊を引き起こしたと言われる同様な着
物のこの伝説が記憶に甦った。

 二百五十年近く前、将軍の都の裕福な商人の
娘がどこかの寺の祭に参加している最中に、人
混みの中から著しい美貌の若い侍を見付けて
すぐさま恋に落ちた。不運なことに従者を通して
彼が何処の誰であったか知る前に雑踏の中に姿
を消した。しかし彼の姿は鮮明なまま──服装
の細部にいたるまで──記憶に残っていた。その
時の若侍が着ていた晴れ着は、若い娘のそれ
よりはるかに鮮やかで、この美貌の見知らぬ者の
上衣は夢中の乙女には驚くほど美しく見えた。布
地と色が同じ着物に同じ家紋を付けて着れば、
遠からず好機に見付けて貰えるかも知れないと
空想した。
 そういう訳で、その時代の流儀に従ったとても
長い袖の付いたこのような着物を作り、たいそう
大事にした。出掛ける時はいつでもそれを着て、
家に居る時は部屋に吊るして名も知らぬ恋人の
姿をそれに重ね合わそうとした。時にその前で何
時間も──夢を見ながら、打って変わってさめざめ
と泣きながら──過ごすことが有った。そして神
仏に若い男の愛情が得られますようにと──しば
しば日蓮宗の祈願、南無妙法蓮華経と繰り返し
──祈った。
 しかし二度と若者に会うことは無く、絶望したま
ま葬られた。埋葬の後、これほど彼女が大事に
した長い袖の着物は家族が住む地区の仏教寺院
に納められた。昔の習慣では、このように死者
の衣服を処分した。

165 :振袖2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:29:16.46 ID:rbAKAE6Q0
 その着物を住職が良い値段で売れたのは、高価
な絹とその上に落ちた涙の跡が残っていなかった
からだ。買ったのは死んだ淑女と同じくらいの歳の
娘であった。着たのはたった1日である。 それから
病気になり、おかしな行動をし始めた──若い美貌
の男の幻に取り憑かれ、愛する余り死にそうだと
大声を出した。そして少しの間の内に死んで、寺は
長い袖の着物の2度目の奉納を受けた。それは再
び住職に売られ、再び若い娘が所有し1回だけ着
た。それから彼女もまた病気になって、美しい影の
話をし、死んで葬られた。そして着物は三たび寺へ
納められ、住職は驚き怪しんだ。
 それにもかかわらず、不運な衣服を敢えてもう
1度売る試みをした。もう1度それは娘に購入され、
もう1度着られ、着た者は恋い焦がれて死んだ。
そして着物が寺へ納められたのは4回目であった。
 住職は行いにおいて何か邪悪な影響が有った
のだと確かに感じ、小僧達に境内で火を焚いて
着物を燃やすよう命じた。
 そのように彼らは火を焚いて着物を投げ入れた。
しかし絹が燃え始めると同時に突然、その上に
眩《まばゆ》い炎の文字が──南無妙法蓮華経
の祈願の文字が──現れて、これが次から次へ
と巨大な火の粉のように寺の屋根へ跳ねて寺に
火が点いた。
 燃える寺の残り火はやがて隣接する屋根へ
落ちて、すぐに通り全体が炎上した。それから
海風に煽られ更に遠くの通りへ破滅的に吹き付
けて、大火は通りから通りへ、町から町中へ、
ほとんど都市全体を焼き尽くすまで広がった。
そしてこの惨事は明暦元年(1655年)の1月
18日に発生し、東京では振袖火事──長い袖
の着物の大火──としてまだ記憶されている。

166 :振袖3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:29:56.18 ID:rbAKAE6Q0
 紀文大尽と呼ばれる物語の本によれば着物
が作られる元となった娘の名前はお雨《さめ》
と言い、百姓町の酒屋の彦右衛門の娘であっ
た。その美貌から彼女は麻布小町[1]とも呼ば
れていた。同書が言うには、言い伝えの寺は
本郷地区の本妙寺と呼ばれる日蓮宗の寺で、
着物の家紋は桔梗花である。しかし物語には
多くの異説が有り、美貌の侍が実は人では
なく湖──不忍の池──に以前住んでいた
龍や水蛇の変化《へんげ》と主張するから私
は紀文大尽を信用していない。

167 :振袖4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:31:21.09 ID:rbAKAE6Q0
[1]千年以上たっても小町、つまり小野小町の名前
はまだ日本では有名である。当時の最高の美人で
あり、干ばつの時に雨を降らすなど詩歌によって天
をも動かすことができた、とても偉大な詩人である。
多くの男が彼女を愛し、虚しく愛に殉じたと多くの人
は言う。しかし若さが衰えると不運に見舞われ、極
度の貧困へと落ちぶれた末に物乞いとなり、しまい
には京都に近い街道の広場で死んだ。見付けられ
た悪臭漂うボロ布のまま葬るのは恥ずべきことと
考えられ、貧しい誰かが死体を包むための使い古
しの夏の衣(帷子《かたびら》)を提供し、嵐山の近く
今でも旅行者には「帷子の地」として示される地点
へ埋葬された(帷子ノ辻)。

168 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:46:21.17 ID:rbAKAE6Q0
In Ghostry Japan(霊的日本にて)より
Furisodeでした。

注釈に有る小野小町の晩年については諸説有る
内のひとつと考えて下さい。

昔の日本では女性の怨霊を鎮めるために美人の
称号を贈る場合が多々有りましたので、怨霊になっ
てもおかしくないエピソードや祟りを疑われる事件
(大火等の災害)が有ったのかもしれません。

169 :和解1 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:47:25.85 ID:soxkgzCk0
和解

※原話は今昔物語と題された稀覯本で見付かるだろう。

 京都に若い侍がいたが、主君の没落により貧困へと落ち
ぶれ、家を出て遠く離れた藩の領主に仕えざるをえない
自分に気が付いた。首都の勤めをやめる前に、妻を離縁
した──気立ての良い美しい女であった──別の縁組み
をした方が出世の道が開けるとの信念があった。それから
とある名家の娘と結婚し、誘いの有った藩へ伴って行った。

 しかしそれは若さに由来する無分別な時期と辛い貧困の
経験から、侍はこうして軽率に投げ捨てた優しい愛情の
価値を理解できなかった。再婚が幸せな物である証しは
無く、新しい妻はきつく身勝手な性格で、すぐに京都の日々
への哀惜を想うあらゆる原因を見つけ出した。それから
最初の妻をまだ愛していることに気が付いた──これまで
2番目に対してできた愛よりも強く──そして、どんなに
不条理で、どんなに恩知らずな行いであったかと感じ始
めた。心が平穏なままでは居られないほど自責の念に
かられ、次第に後悔は深くなっていった。見捨てた女の
思い出が──優しい話し方、微笑み、華奢で、可憐な
仕草、申し分の無い忍耐力──次々と甦った。貧困に
苦しむ日々、家計の助けにと夜も昼も機を織る彼女を
時々夢に見る、もっと頻繁に、取り残された小さな荒れ
果てた部屋に独り座って着古した着物の袖で涙を隠す
姿を見た。公務の時間でさえ思考は彼女へと彷徨《さまよ》
い、どうやって暮らしているのか、何をしているのか自問
するのであった。彼女は別の夫を受け入れられないし、
許しを請えば決して拒まないと心の何処かで確信して
いた。そして京都に戻れるならすぐに彼女を捜し出そうと
決心した──それから許しを乞い、連れ戻して、男として
できる償いなら何でもする。しかし何年かが過ぎた。
 とうとう領主の公務の任期が満了し、侍は自由になった。
「愛する者の元へ今戻ろう。」自分に誓った。「ああ何と
無慈悲な──彼女を離縁するとは何と愚かであったこと
か。」(子供のできなかった)2番目の妻を実家へ返し、

170 :和解2 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:53:09.63 ID:soxkgzCk0
京都へ急ぎ、以前の連れ合いを捜しにすぐ出かけた──
旅装束に着替える暇さえ惜しんだ。

 彼女がかつて住んでいた街へ着いた頃には、夜は更け
ていた──九月十日の夜──都は墓場のように静かで
あった。しかし明るい月が何もかもを明瞭にしていて、家
は苦もなく見付かった。それは寂れた外観をしていて、
高い草が屋根まで伸びていた。雨戸を叩いたが、誰の
返事も無かった。戸がしっかりと締められていないのが
分かり、それを押し開けて入った。居間は畳が無く空っ
ぽで、敷き板の隙間から冷たい風が吹き、ボロボの床の
間の壁の裂け目から月が輝いていた。他の部屋は荒れ
果てた様相を呈していた。見たところ家には全く人が住ん
でいないようであった。それでも侍は住居の更に端にある
別の座敷のひとつ──妻のお気に入りの休憩場所で
あった、とても小さな部屋──を訪ねる決心をした。閉じ
られた襖に近寄ると、中から漏れる灯りを認めて驚いた。
襖を脇へ押しやると、そこに──行灯の灯りで針仕事を
する──彼女が見えて喜びの叫びを上げた。その瞬間
に目が合い、満面の笑みをたたえて彼女が挨拶をした
──ただ訊ねる──「お帰りなさい、いつ京都へ、真っ
暗な部屋ばかりですのに、どうしてここがお分かりに成っ
たのでしょう。」月日が経っても変わっていなかった。
記憶に残る極めて好ましい彼女と同様に、清楚で若く
見えた──しかし、どんな思い出よりも甘い驚き喜ぶ
声の調べが届いた。
 それから嬉しそうに旁へ座り全てを話した──自分
のわがままをどんなに後悔したことか──彼女が居
なくてどんなに惨めであったか──絶えず気にかけ
ずにはいられなかったこと───どんなに長らく償い
を望んで計画していたか──彼女を抱きしめながら
何度も何度も赦しを求めた。彼女は心に望まれるまま
の愛する優しさで答えた──自責の念は全部しまう
よう懇願した。間違いです、妻として相応しくないので
はと常々感じていたのだから、考えてくれるなら自身
を赦すべきですと言った。別れたのは貧乏なだけだと
知っていたけれども、一緒に暮らしている間はいつも

171 :和解3 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:54:55.07 ID:soxkgzCk0
優しくしてくれたと、彼の幸福を祈ることを決して止め
なかった。たとえ償いを話す理由が有ったとしても、
この名誉な訪問は身に余る償いです──ほんの束の
間でも、このようにまた会うよりも大きな幸せがありま
しょうか「ほんの束の間だと」彼は嬉しそうに笑って答
えた──「むしろ7度生まれ変わってもと言ってくれ、
最愛の者よ、おまえが禁じないなら儂はいつも一緒に
暮らすために戻って来る──いつも──いつも。二度
と別れるようなことは無い。今は財産と仲間が有る、
貧乏を恐れる必要は無い。明日、儂の荷物を持って
来よう、お前に付き添う使用人も来る、一緒にこの家を
綺麗にしよう……「今夜は」すまなそうに付け加える
「このように──着替えさえせずに──遅くなったのは、
おまえを愛する余りだと、会ってこれを伝えるべきだっ
た。」この言葉に彼女は大変嬉しそうにして、お返しに
離れた時から京都で起こった全てについて語った──
自身の不幸は話しから外し、やんわりとはぐらかした。
2人は夜遅くまでお喋りをして、それから彼女は南向き
のもっと暖かい部屋へ案内した──それは前の時の
婚礼の部屋であった。「この家には手伝いをする者は
誰も居ないのか。」彼女が寝床の支度を始めたので聞いて
みた。「いいえ」そう答えて元気に笑い「私には使用人を
雇う余裕が有りませんでした──それでずっと独りで
暮らしてきました。」「明日、沢山の使用人を持つことに
なる」と言った──「良い使用人達だ──何の不自由も
ない。」2人は休むために横になった──お互いに話す
ことが多過ぎて眠らなかった──過去と現在と将来の
ことを灰色の夜明けになるまで話した。それから、知ら
ぬ間に侍は目を閉じて、眠った。
 目が覚めた時、日の光が雨戸の隙間を通って流れ込
んでいて、朽ちかけた床の裸の板の上に寝転んでいる
自分に気が付きすっかり驚いた……夢を見ていただけ
なのか。いや、彼女はそこに──眠って……彼女の上
にかがみこんで──見て──悲鳴を上げた──寝てい
る人に顔が無かったからだ……目の前には経帷子だけ
で包まれた女の死骸が横たわる──死体は僅かに骨が
残されたとても痩せ細ったもので、長い黒い髪がもつれ
ていた。

172 :和解4 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:56:14.53 ID:soxkgzCk0
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ゆっくりと──日の下で震えながら気分を悪くして立っ
ていたから──氷のような恐怖は、とても耐え難い絶望、
とても残酷な苦痛を生じ、あざ笑う疑惑の影を掴んだ。
近所のことは知らないふりをして、敢えて彼女が暮らして
いた家への道で訊ねることにした。
「あの家には誰も居ません。」訊ねられた者は言った。
「以前は何年か前に都を離れた侍の奥様の物でした。
侍がここを去る前に別の女と結婚するために離縁され、
大いに心を痛めそれで病に成りました。京都に身寄り
は無く、世話をする人も居らず、その年の秋に亡くなり
ました──九月の十日に……」

173 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 20:02:09.04 ID:soxkgzCk0
Shadowings(影)よりThe Reconciliationでした

カッコで囲まない部分の言葉遣いが悩みどころですね。
ですます調か伝聞調で統一するべきですが、微妙に
混じってます。

174 :茶碗の中1 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:39:03.65 ID:lX0r3yKt0
茶碗の中

 これまでに何処かの古い塔の階段を登ろうとして、暗闇
から突き出て蜘蛛の巣が張った端の何も無い暗闇の中心
に居る自分に気が付いたことが有るだろうか。あるいは、
何処かの海岸沿いの切り立った崖に沿って進んだ曲がり
角のギザギザになった行き止まりの縁で自分を発見した
だけの経験が有るだろうか。このような経験の価値は─
─文学的見地から──感覚を覚醒させる力と、それが記憶
された生々しさによって証明される。
 さて、奇妙にも日本の物語の本に収録された、ほとんど
同様な感覚の経験を生じる確かな作り話の断片が存在
する……おそらく作者は不精で、おそらく出版者と仲たがい
をしていて、おそらくは突然小さな茶伏台から呼び出され
ずっと戻っていない、おそらく死んで中途半端に筆が止
まった。しかし死を免れない人には、どうしてこれが未完成
のまま残されたのか、決して語ることはできない……私は
代表的な実例を選んだ。

  * * *

 天和3年1月4日──つまり百二十年くらい前──中川
佐渡守が新年の訪問をする道中で、江戸の本郷地区に
ある白山の茶店で行列を止めた。一行がそこで休憩する
間、お供の1人──関内《せきない》とよばれる若党[1]─
─がたいそう喉の渇きを感じて大きな湯飲みにお茶を満た
した。茶碗を唇まで上げたその時、突然透き通った黄色い
お茶の中に自分ではない顔の映像、つまり映り込みを認
めた。驚いて周囲を見回したが、近くには誰も見つからな
かった。お茶に現れた顔は、髪型から若い侍の顔のようで、
妙に明確で美男子であった──少女の顔のように優美で
ある。そして目と唇が動くことから生きた顔が映っている
ようであった。この不可解な幻影に当惑した関内は、お茶
を捨てて注意深く茶碗を調べた。それには、どんな種類の
工芸的なカラクリも無い、かなり安物の湯飲みであると
確認できた。別の茶碗を見付けて満たすと、またお茶の
中に顔が現れた。それから新しいお茶を注文して再び
茶碗を満たすと、もう一度奇妙な顔が現れた──今度は

175 :茶碗の中2 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:42:27.33 ID:lX0r3yKt0
嘲《あざけ》る笑いが有った。しかし関内は自分が怯える
のを許さなかった。「お主が誰であろうと」彼は呟《つぶや》
いた「これ以上惑わせないだろうよ。」──それから顔ごと
全部お茶を飲みほして道を行き、幽霊を飲み込んだの
だろうかと訝《いぶか》しく思った。

 同じ日の夕方遅く中川候の屋敷の当直の最中、関内
は音も無く座敷にやって来た余所者に驚いた。この
余所者は豪華な着物を着た若い侍で、関内の正面へ
勝手に座ると若党に会釈で挨拶して観察した──
「拙者は式部平内《しきぶへいない》と申す──今日
初めて会った……見覚えは無いか。」
 かなり低いが、よく通る声で話した。そして関内は、
お茶の中で見て飲みほした幻影の整った顔と同じ禍々
しさに気付いて驚愕した。幻が微笑んでいたように、
今それは微笑んでいるが、据わった目で見つめ微笑む
唇の上にはすぐに挑発と侮蔑が浮かんだ。
「いいえ、覚えは有りません」怒りながらも冷静に関内
は返した──「それと、できましたら今この家に立ち
入る許しをどうやって得られたのか教えて頂けませんか。」
〔封建時代の領主の御殿はいつでも厳しく守られて
いて、希に武装した見張り役の許しがたい手抜かり
でも無ければ、公表されずに入場することは誰にも
出来なかった。〕
「ああ、覚えが無いのだな。」訪問者は皮肉っぽく声を
上げて、話しながらごく近くへ摺り寄ってきた。「いいや、
お主は今朝方自分で拙者に酷い怪我をさせたのに、
見忘れたのだな……」
 咄嗟に関内は帯から短刀[2]を取り、激しく男の喉に
突きかかった。しかし刃が物に当たった気配は無かっ
た。同時に侵入者は音も無く部屋の壁に向かって横
に跳び、それを通り抜けた……壁に退出の跡は見当た
らなかった。ただ行灯の紙を通過する蝋燭の光のよう
に横断していた。
 関内が事件の報告を上げると、彼の説明に家臣達は
驚き困惑した。事件のあった時間に屋敷を出入りした
余所者は見当たらず、また「式部平内」という名前は
中川候に仕える誰もこれまで聞いたことが無かった。


 次の夜、関内は非番で両親と共に家に残っていた。

176 :茶碗の中3 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:44:59.94 ID:lX0r3yKt0
やや遅い時間になって、何人かの余所者が家に呼び声
を掛け、話しが有ると面会を求めていると知らせが有った。
刀を携え玄関まで行くと、そこで戸口の段の前で待つ─
─見たところ何処かの家臣らしい──3人の武士を見い
出した。3人は恭《うやうや》しく関内にお辞儀をし、その
内の1人が言った──
「我々は松岡文吾、土橋文吾、岡村平六と申します。
式部平内様の家臣です。昨夜我々の主人が畏れ多くも
お訪ね遊ばした時、あなたは刀で斬りつけました。主人
は大怪我をし、今は温泉に行って傷の治療に専念せざ
るをえない状態です。されど来月の十六日に帰って参り
ますから、その時は受けた傷に見合った報復を致します……」
 それ以上聞かずに関内は跳び出し、手にした刀で
余所者達を右に左に薙ぎ払った。しかし3人の男は付近の
建物の壁へ跳んで、影のように壁を飛び回り……

  * * *

 ここで古い物語は中断している、話の続きは1世紀の間
に塵となった幾つかの脳内にだけ存在している。
 結末の可能性は幾つか想像出来るが、その内のどれも
1人の西洋人の空想を満足させないだろう。魂を飲み込ん
で起こりそうな結末は読者自身が決定して受け入れるの
が好ましい。


[1]武装した侍の従者はこのように呼ばれた。若党の侍へ
の関係は騎士と地主のそれである。
[2]侍が携帯する2本の剣より短い物。長い方の剣は刀と
呼ばれていた。

177 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:48:54.82 ID:lX0r3yKt0
Kotto(骨董)よりIn a Cup of Teaでした。

この話、冒頭に作り話(fiction)と有りますが、作り話に
しては不自然ということで、色々と想像が膨らみます。

178 :お白洲にて1 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:26:07.42 ID:dh0IOTnu0
お白洲にて

 偉大な仏教僧である文覚上人は著書の教行信証で言う
──「人々が崇拝するその神々の多くは不公平な神〔邪神〕
であるから、そのような神々は三宝[1]を尊ぶ者達からは崇拝
されなかった。祈りに応えたその神々から恩恵を受ける者達
でさえ、そのような恩恵が後の日になって不幸を引き起こす
と分かるのが常である。」この真実は日本霊異記という本に
記録された話が、良い例となる。

 聖武天皇[2]の時代、讃岐国の山田郡《やまだごおり》と呼
ばれる地区に布敷《ふしき》の臣《しん》という名前の男が住ん
でいた。彼の子供は衣女《きぬめ》[3]と呼ばれる娘の1人だけ
であった。衣女は器量良しでたいそう丈夫な娘であったが、
十八歳になって間もなく国のその地域に流行り始めた危険な
病気にかかった。それから両親と友人達は彼女のために信仰
する疫神にお供え物を捧げ──彼女を救って欲しいと強く願い
──疫神を祀る大変な苦行を行った。
 数日の間昏睡状態で横になっていた病気の娘は意識が戻っ
たある晩、両親に見た夢を告げた。夢に疫神が現れて話した
──「お前の身内はとても熱心に祈り、とても信心深く崇める
から我はお前を助けたいと思う。だが誰か別の者の命を与え
なければそう出来ない。誰でもお前と同じ名前を持つ別の娘を
知っているということはないか。」「そういえば、」衣女は答えた
「鵜足郡《うたりごおり》に私と同じ名前の娘が居ります。」「では
我に示せ」神は言って眠る者に触れた──触れられて1秒も
たたない内に宙へと浮かび上がり、2人は鵜足郡のもう1人の
衣女の家の前に居た。夜中ではあったが、家族はまだ寝床に
入っておらず、娘は台所で何かを洗っていた。「あの娘です。」
と山田郡の衣女は言った。疫神は帯の紅色の袋から鑿《のみ》
のような形をした長く鋭い道具を取り出して家に入り、鵜足郡の
衣女の額に鋭い道具を打ち込んだ。すると鵜足郡の衣女は恐ろ
しく悶え苦しみ床へ転がり、山田郡の衣女は目を覚まし見た夢
を語った。

179 :お白洲にて2 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:28:50.25 ID:dh0IOTnu0
 しかしながら、それを語ったすぐ後に再び彼女は昏睡に
落ちた。3日の間何が起こっているのか分からないまま
彼女は生き続け、両親は回復を諦めはじめた。それから
彼女はもう1度目を開けて話した。しかし、その瞬間に寝床
から起き上がり狂ったように部屋を見回して、大声で叫び
ながら家を飛び出した──「ここは私の家じゃない──
あなた達は私の両親ではありません……」

 何か奇妙なことが起こっていた。
 鵜足郡の衣女は疫神に打たれた後に死んだ。両親は
大いに悲しみ、菩提寺の住職達は仏教の法要を行い、彼女
の遺体は村の外の野原で燃やされた。死者の世界である
冥土へと降《くだ》った彼女の霊魂は──魂を裁く王──
閻魔大王の法廷へ召喚された。しかし裁司《さばきづかさ》が
彼女に目を投げるや、すぐに大声を上げた──この娘は鵜足郡
の衣女、こんなに早く連れて来るべきではない。すぐに
娑婆界[4]へ送り返し、もう1人の衣女──山田郡の娘──を
呼んで来い。」すると鵜足郡の衣女の霊魂は閻魔大王の前
で呻《うめ》いて異議を唱えた──「大王様、私が死んでから
3日以上に成りますが、今時分なら体は火葬されている筈です
ので、これから娑婆界に送り返されましても私はどうしたら
良いのでしょう。体は灰と煙に変わりました──私には体が
有りません。」「心配には及ばん」恐ろしい王は答えた──
「お前には山田郡の衣女の体を与えよう──彼女の霊魂は、
すぐここへ連れて来るべきだからな。体が焼かれたことについて
は気に病む必要は無い、もう1人の衣女の体の方がかなり良い
と分かるだろう。」話しが皆まで終わらぬ内に、鵜足郡の衣女の
霊魂は山田郡の衣女の体の中で生き返った。

180 :お白洲にて3 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:31:19.90 ID:dh0IOTnu0

 さて山田郡の衣女の両親は病気の娘が「ここは私の家
じゃない」と大声を上げて飛び出して逃げるのを見た時──
彼女の心は外へ行ったのだと想像して、叫びながら後を
追った──「衣女どこへ行く──ちょっと待ちなさい、お嬢
さん、そんなに走るには病気が重すぎる。」しかし彼女は逃
げて鵜足郡の死んだ衣女の家族の家に来るまで走るのを
止めなかった。その中に入って老いた身内を見付け、泣き
ながらお辞儀をした──「ああ、家に戻れてどんなに嬉しい
ことでしょう……お加減はいかがですか、お父様お母様。」
2人は見覚えの無い彼女が狂っているのだと思ったが、母親
が優しく話して訊ねた──「どちらからお出でになりましたか、
お嬢さん。」「冥土から来ました」衣女は答えた。「死から生還
したあなた方の娘、衣女。でも今は別の体です、お母様。」
彼女は起こったことの全てを語ったが、老いた身内は極めて
怪しみ、何が正しいのかまだ分からなかった。やがて山田郡
の衣女の両親も家へやって来て娘を捜し、それから2人の
父親と2人の母親は共に相談して話を繰り返させ、何度も何度も
質問した。しかし供述の信憑性に疑いようの無いそのような
方法で、彼女はあらゆる質問に答えた。しまいに山田郡の衣女
の母親は、病気の娘が見た不思議な夢を語った後で鵜足郡の
衣女の両親に言った──「私達はこの娘の精神が、あなた方
のお嬢さんの精神だと納得します。されどご存知のように彼女
の体は私達の子供の体ですから、双方の家族が彼女を共有
するのが当然だと思われます。それで今後は両方の家族の娘と
みなすのに賛成するようお願い致します。」鵜足郡の両親は
大喜びでこの提案に賛成し、その後衣女は両方の世帯の財産
を相続したと記録されている。

「この話は」仏教百科全書の日本の著者は言う「日本霊異記の
一巻十二枚目の左側で見付かるだろう。」


[1]三宝(ラテナトゥラヤ)──仏陀と教義と僧侶(訳注:仏法僧)。
[2]8世紀の第2四半期の間統治した。
[3]金色の梅の花。
[4]娑婆界は俗に言う人間界を意味する──人間が存在する領域(訳注:現世)。

181 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:44:58.43 ID:dh0IOTnu0
A Japanese Miscellany(日本雑記)より
Before the Supreme Courtでした。

原題を直訳すると「最高裁判所前」となりますが、
時代背景を考えると、そのまま使えませんね。

紙の書籍では「閻魔の庁にて」となっている物が有ります。
この題名を拝借すれば良さそうにも思いましたが、私の
頭からは絶対に出て来ない表現だろうという事で見送りました。

182 :天狗の話1 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:37:20.69 ID:2i2hxR390
天狗の話

※この話は『十訓抄』と呼ばれる古く珍しい日本の本で見付か
るだろう。同じ伝説は興味深い能の舞いの演目を提供し、大会
《だいえ》(大きな会合)と呼ばれた。
 日本で人気の芸術で天狗は一般的にくちばし状の鼻をした翼
の有る人として、あるいは猛禽類として、どちらかで表現された。
異なる種類の天狗もいるが、全ては山に出没する精霊と想像され、
多くの姿を装う能力が有り、時おり烏や鷲や鷹として姿を見せる。
仏教ではマーラ・カーィカスの仲間に天狗を分類するように見える。

 後冷泉《ごれいぜい》天皇の時代、京都に近い比叡山という山
の、西塔寺に住む徳の高い僧侶がいた。ある夏の日、この善良な
僧侶が都への訪問からの帰り、寺のそばの北の大路の道で何人
かの子供が鳶《とび》を虐めているのに出くわした。彼らは罠で捕ら
えた鳥を棒で叩いていた。「ああ、かわいそうなことだ。」僧侶は情け
深く大きな声で言った──「子供達よ、どうしてそれを苦しめるのだ。」
子供の1人が答えた──「殺して羽根を取りたいんだよ。」憐れみに
動かされた僧侶は、持っていた扇子《せんす》と引き換えに鳶をよこす
ように子供達を説得し、鳥を解き放った。重傷ではなかったそれは、
飛び去ることが出来た。

 仏教徒の善行を施せた満足をし、僧侶は歩みを再開した。それほど
遠くまで進まないうちに、道端の竹薮から奇妙な修行僧が出て来て
急いで彼の方へ向かうのが見えた。修行僧は恭《うやうや》しくお辞儀
をして言った──「お坊様、あなたの情け深い親切のお陰で命を拾い、
それで今礼儀正しく謝意を表明したいと思います。」このように自分に
宛てられた口上を聞いて驚いた僧侶は答えた──「本当ですか、これ
までに会ったのを思い出せませんが、どうかあなたが何者なのか教え
て頂けませんか。」「この姿の私に覚えが無いのは不思議では有りま
せん」と修行僧は返した「私は北の大路で狂暴な子供に苦しめられて
いた鳶です。あなたは命の恩人、そしてこの世に命より大切な物は有
りません。それで今何かしらの形で親切のお返しがしたいのです。何
か欲しい物や知りたい事、見たい物が有れば──要するに、私に出来

183 :天狗の話2 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:38:54.38 ID:2i2hxR390
ることなら何でも──少しばかり備わってきた六心通の力で、お申し
出なされるどんな望みでもほぼ満足して頂けますから、どうかおっしゃっ
て下さい。」この言葉を聞いた僧侶は、天狗と話しているのだと分かり
率直に答えた──「友よ、齢《よわい》七十になる今の私は、長らくこの
世の物事を気にすることを止めています──名声も娯楽も少しの魅力
も有りません。来世についての事だけが気掛かりに思いますが、誰に
も助けて貰えない問題ですから、それについて訊ねるのは無益でしょう。
実のところ1つだけは、望む価値が有ると思っています。私の生涯で悔
やまれるのは、釈尊《しゃくそん》の時代の天竺に生まれなかったため、
聖なる山の霊鷲山《りょうじゅせん》で行われた偉大な説法に参列出来
なかったことです。朝晩の祈祷の時間に、この無念が起こらないで済む
日は有りませんでした。ああ我が友よ、菩薩のように時空の征服が可能
なら、私はあの素晴らしい集会を見られたら、どんなにか幸せでしょう。」
──「おや、」天狗は声を上げた「その敬虔な願いは簡単に叶えられま
すよ。霊鷲山での説法は完璧なまでによく覚えていますから、そこで起
こったことを正確にあなたの前で、何もかも起こったまま再現してあげら
れます。そのような聖なる問題を表現するのは、我々の大いなる喜び
です……この道を一緒に来て下さい。」
 そして僧侶は、丘の斜面の松の間の地へ苦労して案内された。「さて、」
天狗は言った「あなたはここで目を閉じて、しばらくお待ちになるだけです。
法を説く仏陀の声が聴こえるまで開けてはなりません。それから見ること
が出来ます。けれど仏陀が姿を現すのが見えても、どんな形であれ信心
深い感情の影響を許してはなりません──お辞儀や祈りもしてはならず、
『仰《おおせ》のままに』とか『ありがたや』のような、どんな感嘆も絶対にし
ないで下さい。全く話すべきではありません。少しでも崇拝の仕草でもする
なら、私は何かとても不幸なことに見舞われます。」僧侶はこの指示に従う
と快く約束し、天狗は見せ物の用意をするかのように急いで立ち去った。

184 :天狗の話3 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:42:12.15 ID:2i2hxR390

 日が暮れて暗くなってきたが、老いた僧侶は目を閉じた
まま根気よく木の下で待った。ついに、唐突に声が頭上に
響き渡った──鳴り響く大鐘のような低く明瞭な素晴らしい
声は──正道《しょうどう》を布教する釈迦牟尼仏の声で
あった。それから大きな輝きの中で僧侶が目を開けると、
周囲の全てが実際に霊鷲山の地に変わっているのを認識
した──インドの神聖な山、霊鷲山で時は法華経の頃であっ
た。今では周囲から松は無くなり、宝石の果実と葉を付けた
不思議な輝きを放つ七宝珠の木 が有った──そして大地は
天界から降る曼陀羅華と曼珠沙華の花で覆われ──夜は
芳香と光輝と甘い大きな声で満たされていた。そして中空で
世界の上に輝く月のような、右手に普賢菩薩を左に文殊菩薩
を従える獅子の座(1)に座る祝福された存在を僧侶は見た─
─その前には──星の洪水のように果てしなく宇宙に広がる
──摩可薩と菩薩の軍勢が無数の「諸天、夜叉、龍蛇、阿修羅、
人、人外」を引き連れて集まった。舎利仏が、そして迦葉、阿難陀、
それと共に如来の弟子のことごとくが──そして諸天の王──
更に火の柱のような四方位の王──偉大な龍王──乾闥婆と
迦楼羅も──日と月と風の神──梵天が統べる天界の無数の
輝きが見えた。そしてこれまでの無限のこの栄光の輪よりも比較
にならない遥か先に──祝福された存在の額から放たれる、1条
の光線が時空を貫いたその先まで照らされて──東方の百八十万
の仏陀の畠とその住人の全て──六道のそれぞれに生活する
存在──涅槃に入り寂滅した諸仏の姿まで見えた。これ等と諸天
の全てと夜叉の全てが獅子の座を前にひれ伏すのが見え──
釈尊の前に海の唸りのごとく──無数の群集が法華経を讃える
のを聞いた。その時すっかり誓約を忘れ──正に仏陀そのものの
面前に立つ愚かな夢を見て──愛と感謝の涙を流して礼拝のため
に身を低く投げ出し大きな声で叫んだ「ありがたや……」

185 :天狗の話4 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:42:39.68 ID:2i2hxR390
 荘厳な光景は地震のような衝撃と共にあっという間に消失し、気が
付くと僧侶は暗闇の中を山腹の草の上に独り跪いていた。それから
無分別にも約束を破ったせいで幻影の喪失を招いたことで、言いよう
の無い悲しみに襲われた。悲しそうに帰途へと歩を返すと、もう一度
妖かしの修行僧が彼の前に現れ苦痛と非難のこもった調子で言った
──「私とした約束を守らずに、不注意にも感情の支配を許したため、
教義の守護者である護法天童が突然ものすごい怒りで天界から我々
の上に飛び降りて強く打ちのめし『どうして汝らは、このように信心深い
者を欺く企《たくら》みをするのか。』と叫びました。すると私が集めた
別の僧徒達は恐れてみんな逃げました。私自身はどうかと言えば翼
の1つを折られました──これで今は飛ぶことが出来ません。」この
言葉と共に天狗は永遠に姿を消した。


(1)訳注:玉座。

186 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:45:04.86 ID:2i2hxR390
In Ghostry Japan(霊的日本にて)より
Story of a Tenguでした。

187 :果心居士の話1 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 14:59:52.38 ID:tWyIpi6/0
果心居士の話

※古い奇書『夜窓鬼談』で語られていた。

 天正時代の頃、京都の北の地域に人々から果心居士
《かしんこじ》と呼ばれる老人が暮らしていた。彼は白く
長いあご髭をたくわえ、いつも神道の神官のような服装を
していたが、仏教の絵を見せ仏教の説法をすることで生計
を立てていた。天気の良い日には、祇園寺の境内へ行っ
て、適当な木に地獄の様々な刑罰が描かれた大きな掛け
物を吊るすのが常であった。この掛け物は全ての物が現実
に見える程の表現で描かれた、たいそう素晴らしい物で、
老人はそれを見に群がる人々に因果応報の教義を説明す
る講話をした──それぞれ異なる苦痛の詳細を、常々持ち
歩いている仏教の杖〔如意〕で指し示し、誰もが仏陀の教え
に続くよう熱心に勧めた。その絵を見て、それについての老
人の説法を聴きに大勢が集まり、時には賽銭を受け取るため
に前へ広げた敷物が、上に投げられて積み重なる銭で覆わ
れて見えなくなる程であった。
 織田信長は、その頃の京都と周辺地方の支配者であった。
荒川という名の家来の1人が祇園寺に出向いている間、そこ
に掛けられている絵を見る機会があり、城に戻ってからそれ
について話した。荒川の説明に興味を覚えた信長は、直ぐに
絵を持って城まで参れと果心居士に命令を送った。
 信長が掛け物を見た時、その鮮やかな仕事に驚きを隠しよ
うもなく、鬼達と拷問される亡者が実際に動いて目の前に出現
し、叫び声が絵の外まで聞こえ、そこに表現された血は実際
に流れているように見えた──絵の具が濡れているなら確か
めるために指を出さずにはいられない程であった。しかし指は
汚れなかった──紙が完全に乾いている証しであった。さらに
さらに驚いた信長は、その素晴らしい絵は誰の作なのかと訊
ねた。これは有名な小栗宗湛《おぐりそうたん》[2]が──百日
の間、毎日斎戒沐浴の儀式を行い、大変な苦行を繰り返して
天啓を得るために清水寺の観音様へ真摯な祈りを捧げた後
に──描きましたと果心居士は答えた。

 その掛け物が欲しいという、信長の明白な気持ちを察知し
た荒川は、大殿様へ献上品として「差し出すか」どうか果心

188 :果心居士の話2 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:03:23.14 ID:tWyIpi6/0
居士に訊ねた。しかし老人は勇敢に答えた──「この絵は私
の全財産で、こいつを人々に見せることではした金が稼げる
のです。今この絵をお殿様に献上すれば、生活の糧を得るた
った1つの手段を自分で奪うことになります。しかしながら、お
殿様がそれを手に入れたいと強くご所望なさるなら、彼から
金百両のお支払いをお願いします。それだけの金子《きんす》
が有れば、多少なりとも儲けの良い稼業に就けるでしょう。さも
なくば、絵を手放すのはお断りしなくてはなりません。」
 この返答に信長は面白くなさそうに沈黙したままであった。し
ばらくして荒川が殿様の耳に何かささやくと、同意してうなずき、
それから果心居士は謝礼の少額の金子と共に退去させられた。

 しかし老人が城を出ると、すぐに荒川は後を追った──汚い
手段で絵を奪うつもりであった。好機が来た、果心居士は町
外れの丘に通じる道をとったのだ。丘の麓《ふもと》の確実に
人気の無い急な曲がり角に差し掛かった時、突然荒川が襲い
掛かって言った──「お前は何故その絵に金百両を要求す
るほど強欲なのだ。金百両の代わりに今から3尺の長さの
鉄を1欠片《かけら》お見舞いしてやろう。」そうして荒川は刀
を抜いて老人を斬り殺し、絵を奪った。
 あくる日、荒川は──果心居士が城を出る前に包んだまま
になっている──掛け物を織田信長へ献上し、すぐに掛ける
よう命令された。しかし広げてみると、全く絵が無いと分かっ
て信長と家来は驚いた──白紙の他には何も無かった。
荒川はどうして元の絵が消えたのか説明できず──故意に
せよ過失にせよ──主君を欺いた責任が有るので罰を受ける
べしとの決定が成された。その結果、少なくない間謹慎をする
宣告を受けた。

 荒川の謹慎期間のほとんどが完了しない頃、果心居士が
北野寺の境内で、有名な絵を見せ物にしているとの知らせ
が届いた。荒川は自分の耳をほとんど信じることが出来な
かったが、その知らせは漠然とした希望と共に、どうにか掛
け物を確保して、それによって先の失敗による汚名が返上
できるかも知れないと予感させた。それですぐに何人かの
身内を集めて寺へ急いだが、到着した頃には果心居士は

189 :果心居士の話3 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:08:09.97 ID:tWyIpi6/0
去ったと告げられた。

 数日後、荒川の元へ清水寺で果心居士が絵を見せて、
それについての説法をしているとの知らせが届いた。荒川
は全速で清水へ向かったが、到着した頃には解散する群集
を見るだけであった──またしても果心居士は姿を消した。
 ある日、予想もしなかった酒屋でとうとう果心居士を見付け
て、そのまま捕らえた。捕まったことに気付いた老人は、ただ
上機嫌に笑って言った──「行きますよ、一緒に、されど少し
ばかり酒を飲むあいだ待ってはくれませんかね。」この要求に
荒川は異議を唱えず、果心居士はすぐさま飲み干したが、野
次馬が驚いたことに酒はどんぶり十二杯であった。十二杯目
を飲んだ後で満足の意を表明したので、荒川はお縄について
信長の屋敷までついて来るよう命令した。
 城のお白洲で果心居士は、ただちに奉行によって吟味され
厳しく叱責された。最後に奉行は言った──「お前が妖しげな
術を使って民を惑わせていたのは明白だ、この罪だけで重罪
に値する。ではあるが、今からあの絵を信長様に謹んで差し
出すなら、この度の罪は大目に見てやろう。さもなくば間違い
なくとても厳しい罰をお前に与えるだろう。」
 この脅しに果心居士は当惑した風に笑って大声を上げた──
「民を惑わす罪を犯しているのは私ではありません。」それか
ら荒川に向き直って叫んだ──「詐欺師はお前だ。お前は
あの絵を献上することで殿様の機嫌を取りたくて、それを奪う
ために私を殺そうとした。確かにそのような不道徳なことが有る
なら犯罪だ。運よく私を殺すことには成功しなかったが、もし
望み通りに事を成していたら、そんな行いをどんな申し開きを
したら許されるのか。いずれにしても、お前は絵を盗んだ。今
私が持っている絵は、ただの写しだ。そして絵を盗んだ後に
なって、それを信長様に献上することについては考えを変え、
自分のために隠しておく計略を思いついた。そうして白紙の
掛け物を信長様に献上し、秘密の行動と目的を隠すために
本物と白紙の掛け物をすり替えることで、私が騙したと嘘を
ついた。本物の絵がどこに有るのか私は知らない。おおかた
お前の仕業だ。」
 この言葉に荒川は怒り心頭に発し、囚人に向かって突進し

190 :果心居士の話4 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:11:02.86 ID:tWyIpi6/0
殴り掛かろうとしたが、警護の者に取り押さえられた。しかし
この突然の怒りの爆発によって、荒川は完全に潔白では無い
と奉行はうっすらと感じた。彼は果心居士にしばらく牢屋に
入っているよう命令し、続けて念入りに荒川を尋問した。目下
の荒川は自然と口が重くなって、この場合は興奮し過ぎて全く
まともに話しが出来ず、どもって矛盾すること自体がことごと
く有罪の徴候を示していた。そして奉行は真実を話すまで
荒川を棒で叩けと命令した。しかし真実を言っているように
見せることさえ容易では無かった。そのため感覚が無くなる
まで竹で打たれ虫の息で倒れた。

 牢屋の果心居士は、荒川に起こった一部始終を伝えられ
て笑った。しかし、少したってから牢番に言った──「お聞き
ください、あの荒川という奴は本当にならず者のように振る
舞いますから、この悪辣な傾向を矯正するつもりで、わざと
罰が下るように持って行きました。荒川は真相を知らなかった
筈ですから、これから私が全ての事が納得の行くように説明
しますとお奉行様にお伝え下さい。」
 それから果心居士は再び奉行の前に連れて行かれ、次の
告白をした──「本当に優れた物なら、どんな絵にも必ず
念が宿り、そういった絵は自分の意志を持って、命を与えた
者や正当な所有者からでさえ切り離されるのを拒否できます。
真に偉大な絵は魂を持つということを証明する数多くの話が
有ります。法眼淵信《ほうげんえんしん》によって襖《ふすま》
に描かれた何羽かの雀は、かつて飛んで逃げて表面を占め
ていた場所が空白のまま残っているのはよく知られています。
また、とある掛け物に描かれた馬が、夜になると草を食べに
よく出掛けたというのもよく知られています。さて、この現在の
状況は、同様に信長様が掛け物の正当な所有者にならなかっ
たがために、御前に広げられた時の絵は自らの意志で紙から
姿を消した、というのが真相だと思います。しかし最初にお願い
した金額──金百両──をお支払いになれば、今は空白となっ
ている紙の上に自然と絵がまた現れるだろうと思います。いずれ
にせよ、やってみましょう。何も危険は有りません──絵が再び
現れなければ、ただちにお金はお返しするのですから。」

191 :果心居士の話5 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:15:54.35 ID:tWyIpi6/0
 この一風変わった主張を聴くと、信長は百両が支払われるよう
命令し、結果を自分で確認しに来た。それから御前に広げられ
たその掛け物は、列席者全員が驚いたことに細部に至るまで
絵が再現していた。しかし色は少し褪《あ》せているようで、亡者
や鬼の姿も以前のように本当に生きているようには見えなかっ
た。この違いに気付いた殿様は、果心居士に理由を説明する
よう求め、果心居士は答えた──「初めにご覧になった時の、
その絵の価値は絵としては計り知れない値打ちでした。しかし
今ご覧なされている絵の価値は、それに支払われた物──金
百両──を正確に表現しています……他に有り得ましょうか。」
この答えを聞いた列席者全員が、これ以上老人に抵抗するのは
無益というより悪い事になると感じた。彼はただちに放免され、
荒川もまた刑罰による苦痛を受けて十分以上に罪をつぐなった
ために釈放された。

 さて荒川には武市という名の弟がいた──やはり信長に仕
える家来である。荒川が打たれ投獄されたことで武市は激しく
腹を立て、果心居士を殺そうと決意した。果心居士は再び自由
の身になったと気が付く間もなく、まっすぐ酒屋に行って酒を
注文した。武市は後から店に入り突進して押し倒し首を斬り落
とした。それから老人に支払われた百両を奪い、武市は頭と
黄金を一緒に風呂敷で包み荒川へ見せるため帰りを急いだ。
しかし風呂敷をほどいて目に入った物は、頭の代わりにただの
空の酒徳利とただの汚物の塊が黄金の代わりであった……
そして頭の無い死体が酒屋から消えた──いつ、どうやって
かは誰も言えなかった──との知らせに兄弟の当惑は深まる
ばかりであった。

 およそ一ヶ月の間は、それ以上果心居士のことは何も聞か
なかったが、ある晩信長候の城の門までの通路で眠り込んで
いる酔っぱらいが見付かったが、そのいびきときたらどれも
遠くで鳴り響く雷のゴロゴロいう音のような大音量のいびきで
あった。家来の1人が、その酔っぱらいは果心居士だと気が
付いた。この無礼な罪によって年寄りはただちに捕らえられ
牢屋へ放り込まれたが、十日と十夜の間絶え間なく眠り続け
た──遠く離れた所まで聞こえる大音量のいびきをずっと

192 :果心居士の話6 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:17:04.82 ID:tWyIpi6/0
かきながら。

 ちょうどこの頃、信長候が死を迎えたのは配下の指揮官
明智光秀の裏切りによる、光秀はすぐさま支配を奪った。
しかし光秀の権力はたった十二日間しかもたなかった。
 さて、京都の支配者となった光秀は、果心居士の事件を
知らされ囚人を眼前に連れて来るよう命令を出した。それ
に応じて果心居士は新しい領主の面前に呼び出されたが、
光秀は好意的に話し、客人を扱うように立派な夕食を出す
べきだと命じた。老人が食事に手を付けた時に光秀は言っ
た──「たいそう酒がお好きだと伺いましたが──一度の
席でいったいどれだけお飲みになれますか。」果心居士は
答えた──「どれだけかはよく分かりませんが、酔ってきた
なと感じた時だけ飲むのを止めます。」それから殿様は大き
な盃[3]を果心居士の前に置いて、家来には老人が望む
ならその度ごとに盃を満たすよう告げた。そして果心居士
は大きな盃を立て続けに十回空にして、お代わりを求めたが、
家来は酒樽が空っぽだと答えた。全ての出席者は、この
飲みっぷりに仰天し、殿様は果心居士に訊ねた「まだ足りま
せんかな、お客人。」「ああ、そうですな、」果心居士が答える
「いくらか満足しています──さて、立派なおもてなしの
お礼に、ちょっとした芸をお見せしましょう。それでは、あの
衝立をよく見ていて下さい。」近江の湖の美しい八つの景色
の描かれた大きな8曲の衝立(近江八景)を指差すと誰もが
その衝立を見た。景色の一つの中に、湖の上遥か遠く一艘
の舟を漕ぐ男を絵師が表現していた──その舟は、衝立の
表面の2センチに満たない空間を占めていた。果心居士は
それから舟に向かって手を振ると、舟は皆が見ている前で
突然向きを変え絵の前景の方へ進み始めた。素早く進み、
近づくに連れて大きく大きくなって、やがて船頭の顔形が
明瞭に見分けられるようになった。さらに舟は近くに描かれ
──どんどん大きくなっていく──ごく近くの距離に現れる
まで。そして不意に湖の水が──絵の外の部屋の中に──
溢れ出して見え、部屋は水浸しになり水が膝の上まできた

193 :果心居士の話7 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:17:49.07 ID:tWyIpi6/0
ので、見物人は急いで着物をたくし上げた。舟が衝立から
すべり出ると──本物の釣り舟である──同時に櫓のキィ
キィきしむ音が聞こえた。部屋の大水はさらに上がり、見物人
が帯まで水に漬かって立ち上がるまで続いた。それから舟
は果心居士のごく近くに来て、果心居士がそれに乗り込むと、
船頭は辺りに回してとても素早く皆から離れはじめた。そし
て舟が遠ざかりながら──絵の中へ引き返すよに見える
と共に──部屋の水は素早く下がりはじめた。舟がはっきり
と絵の前景を通り過ぎるやいなや、部屋は再び乾いた。しかし
描かれた船はさらに描かれた水の上をすべるように現れて
──遥か彼方まで遠ざかり、それに連れて小さくなっていき
──しまいには、どんどん小さくなって沖合いの点にまで
なった。それから完全に消えて、果心居士も一緒に消えた。
日本で再び彼が見られることは決して無かった。


[1]天正時代は西暦1573年から1591年まで続いた。この
話で表現した偉大な指導者織田信長の死亡は1582年に
起こった。
[2]小栗宗湛は十五世紀初頭に活躍した偉大な宗教画家
である。晩年に仏教の僧侶になった。
[3]「どんぶり」という用語の方が、語り部の伝える器の種類
をよく示している。祭りの際に使われるいわゆる盃のいくつか
は、とても大きい──1リットルよりかなり大きな容量の浅い
漆塗りの鉢。寸法の最も大きな物でぐいぐい飲んで空にする
のは、少なからず妙技と考えられた。

194 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:29:29.46 ID:tWyIpi6/0
A Japanese Miscellany(日本雑記)より
The Story of Kwashin Kojiでした

ちなみに司馬遼太郎の「果心居士の幻術」という
短編集にほぼ同じ話があります。

ただ若干結末が違います…その辺は司馬遼太郎
が夜窓鬼談を元にしたのか、ハーンの話を元にして
独自の解釈を付け加えたのか確認していません。

果心居士に限らず昔の本に登場する幻術使いは
魅力的なのですが、その術が超能力か、手品か、
催眠術か全くのフィクションかはよく分かっていま
せん。
手品や集団催眠で説明できるという話も有りますが、
幻術使いの奥義書が存在するという話は聞かない
ので謎のままです。


現在も別の話を翻訳中ですが、仕事の休憩時間が
短くなった関係で、今までより公開ペースは遅くなり
ます。



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