怪談:妖しい物の話と研究


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ろくろ首他
1 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/02/24(月) 19:11:44.87 ID:aA9cS1+A0
【出版依頼】
【著者】ラフカディオ・ハーン
【翻訳者】小林幸治
【予定価格】100円
自分で出版するので、厳密には依頼では有りませんが、スレ立てサンプルとして
収録予定は「ろくろ首」「青柳の話」「安芸乃助の夢」は決定してます。
「虫の研究」を収録するかどうかは何とも言えません。

表紙にする「ろくろ首」の画像も募集します。
謝礼は表紙2000円、それ以外は1000円です
このスレッドへの画像投稿でお願いします。

表紙は横800ピクセル縦1200ピクセルにしますので、
それに近いサイズにして、文字を入れるスペース
も意識しつつお願いします。

採用の場合はレスをしますので、メールで送金方法と電子書籍に収録する時の
名前を連絡して下さい。
送金は銀行振り込みまたはAmazonギフトを考えています。
謝礼放棄の場合もこっそりメールして下さい。

2 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/02/24(月) 19:16:44.32 ID:aA9cS1+A0
ろくろ首

 今から五百年近く前のこと、磯貝平太左衛門武行《いそがいへいたさえもんたけつら》
という名の侍が、九州の菊池《きくじ》という領主に仕えていた。この磯貝は沢山の武勲を
立てた先祖から人並み外れた怪力と戦の鍛錬に於ける天賦の才を受け継いでいた。まだ少年
の頃には既に剣術の技、弓矢、槍使いで師匠を凌ぎ、豪胆で巧みな兵士のすべての才を見せ
ていた。その後、永享の御代[1]の乱では顕著な働きであったので高い名誉が与えられた。
しかし菊池家が没落すると磯貝は主君を失ってしまった。他の大名の下で仕官の口を得るの
は容易であったであろうが、独りだけの名声を求めた事は一度も無かったし、心は依然とし
て先の主君の元に有り続けたので、彼は世を捨てる道を選んだ。そうして髪を切り、
怪龍《かいりょう》の法名を得て旅の僧侶となった。
 しかし怪龍はいつでも僧侶の衣の下には熱い物を秘めた侍の心を持ち続けていた。他の何
年かの間命にかかわるような危険を笑い飛ばしていたので、やはりそのように今でも危機を
物ともせず、天気や季節に関わり無く、他の僧侶が敢えて避けるような場所に行ってはあり
がたい教えを説く旅をしていた。その時期というのは、暴力と無秩序の時代で、街道では、
たまたま彼が僧侶であったとしても、ひとり旅をする者の身を守る術はまったく無かった。

3 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/02/25(火) 21:11:02.61 ID:7bv8+YDy0
 最初の長旅の道筋で怪龍は甲斐の国を訪れる機会が有った。ある晩、その国の山々
を巡って旅をする内に、どんな村からも遠く離れた、たいそう物寂しげな辺りで暗闇が
彼を包み込んだ。それから星の下で夜を過ごそうと決め、道端の都合の良い草深い
場所を探して横になり眠る支度をした。難儀はいつでも望む所だった。剥き出しの岩で
さえ良い寝床であり、より良い物が見つけられなかった時でも松の木の根は素晴らしい
枕であった。彼の体は鋼鉄であり、雨露や雪や霜でさえ決して苦にする物では無かった。
 横になると間もなく、斧と大きな薪の束を背負った男が道沿いにやって来た。この樵は
怪龍の寝転ぶのが見えると立ち止まり、しばらく物も言わずに観察した後に、ひどく驚い
た声音で語りかけた。
「あんたは一体どういうお方ですか、だんな、こんな所にわざわざ独りで寝ようなんて……
この辺りは魑魅魍魎が・・奴等の大半が出ますぜ。魔物が怖く無ぇんですかい。」
「痛み入ります。」怪龍は快活に答えた。「儂はただの旅の坊主です。雲と水を供に流れ
ていく、俗に言う雲水の良客というやつですよ。それに化け狐や化け狢やその類の生き物
の事をおっしゃっているのでしょうが、儂は魔物は少しも怖くありません。人里離れている
というなら、儂はそんな場所が好きです。座禅を組むのに丁度いい。野宿は慣れとりますし、
それに儂は自分の命を惜しまず修行しとりますから。」
「なるほどあんたぁ豪傑に違い無ぇ、お坊様よ。」無学な者が応じた。「ここで寝なさるなんて、
この場所はえらい評判が悪い、ほんに悪い噂が立っとります。だけども『君子危うきに近寄
らず』と諺に言います。それにだんな、ここは寝るには非常に危険なのは間違い無ぇです。
だから、儂の家は粗末な藁葺き屋根の小屋だけども、今すぐ一緒に来てくれるようにお願ぇ
します。食べる物は差し上げられませんが、少なくとも屋根が有るから眠るのに危険は有り
ませんぜ。」

4 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/02/27(木) 21:59:43.59 ID:K/+JgkP50
 彼は真剣に話した。そして怪龍は、その男の親切な口調に好感を持ったので、この
控え目な申し出を受け入れる事にした。樵は街道を上り山林を通って先に立ち小道伝
いに彼を案内した。それは──時に断崖に張り付き──時には滑りやすい木の根が
網のように張った所にしか足の置き場がなかったり──時にはギザギザの岩の間を
よじ登るかくねり上がる──荒れた物騒な道だった。しかし怪龍はとうとう頭上に輝く
満月に照らされた丘の頂きの明るい場所に居る自分自身に気が付くと、目の前に楽し
げな灯りの漏れる小さな藁葺きの小屋が見えた。樵は家の裏に有る物置小屋に彼を
案内し、竹筒を通してどこか近くの小川から水が引かれた所で二人は足を洗った。
物置の向こう側には野菜畑と杉木立に竹藪、木々の向こうには仄かに光る滝の姿が
見え、どこか遥かに高い所から水を落とし、月明かりの中で白く長い衣のように揺れ
動いていた 。
 怪龍が案内人と共に小屋へ入ると住居に組み込まれた炉《ろ》に炊かれた小さな炎
で両手を温めている四人の者達──男と女──を認めた。彼らは坊主に深くお辞儀を
し、非常に丁寧な作法で挨拶をした。あの者達はこの通り貧しく、おそろしく人里から離
れた住まいに居ながら、礼儀正しい挨拶の作法をわきまえていることを、怪龍は不思議
に思った。「ここの人達は立派だ、」と彼は思った。「それに彼らは礼儀作法の決まり事を、
とてもよく知っている誰かの教えを受けているに違いない。」それから主人──主や家主
と他の者達は呼ぶ──の方に向かい、怪龍は言った──
「あなたの親切なお話と、家族の方達がとても礼儀正しく歓迎して下さったことから、あなた
は元から樵だったのではないと想像しているのですが。おそらく以前は高い身分にある中
のおひとりではありませんでしたか。」

5 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/01(土) 20:16:51.36 ID:4RsnToZL0
priestの訳語が僧侶になってたり、坊主になってたりしますが
その辺は出版時には統一する予定、雲水あたりで良いかと
思わなくもないです。

6 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/01(土) 20:21:57.34 ID:4RsnToZL0
 微笑みながら樵は答えた──
「だんな、あなたは間違っちゃいませんよ。今はご覧の通りの暮らしをしていますが、
かつては幾らかの栄誉を受ける者ではありました。私の話は人生の没落話です──
没落は自ら招いた不始末です。私はとある大名に仕え、責任の軽くない仕事を任される
地位にありました。けれど私は女好きなうえに大変な酒呑みで、欲望のおもむくまま
不道徳な行いをしました。私の自分勝手な行いは一族を没落へと導き、多くの者が死に
ゆく原因となりました。天罰が当たり、私は長い余生をこの地に隠れ住んでいます。今は、
いくらか私の行った悪事の償いや先祖代々からのお家が再興ができるようにと、しばしば
祈っております。しかし、そうする方法は見いだせないだろうと心細く思っています。それ
でも、誠実に悔い改め、できるだけ困っている人達を助けることで、誤った因縁に打ち克つ
よう努めています。」
 怪龍はこの立派な決意の告白に満足して、主に言った──
「友よ、若い頃に愚かな行いをした人が、年月を重ねた後に極めて真面目に正しく暮らす
ようになるのを、儂は見てきました。最強の悪行は、立派な決意の力によって、最強の
善行となせる、尊い経典にはそのように書かれています。儂はあなたが立派な心の持ち
主であると疑いませんし、より良い運命がやって来るよう願います。今夜、儂はあなたのため
にお経を読み上げ、過去の過ちによる因縁に打ち克つ功徳を授かるよう祈りましょう。」
 このような申し出と供に怪龍が主におやすみの挨拶をすると、主人から既に寝床の用意
が整った、非常に小さな横の部屋を見せられた。坊主を除いた皆が眠ると、彼は行灯の灯り
のそばで読経を始めた。深夜になるまで読経と祈りを続け、横になる前に景色を眺めよう
と、狭い寝室の小さな窓を開けた。その夜は美しく、空には雲ひとつ無く、風も無く、強烈
な月の光が木々の葉の鮮明な黒い影を投げ落とし、庭の露を輝かせていた。コオロギと
鈴虫の甲高い音が調子の良いざわめきを作り上げ、近くの滝の音は夜と供に深まって
いた 。怪龍は水のざわめきを聞いているうちに喉の渇きをおぼえ、家の裏の竹の水路を
思い出して、そこなら眠っている同居人の邪魔をせず水を飲めると思った。居室を隔てる
襖を非常に穏やかに押し開くと、行灯の灯りで横になった五つの体が見えた──頭は
無い。

7 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/03(月) 13:52:26.62 ID:EG+EfRVq0
 彼は一瞬の間当惑し──犯罪を想像した。また瞬時に、血は流れていないし、頭の
無い首は切られた後には見えないようだと認識した。そうして考えを巡らせた──
「これは妖怪が作り出した幻覚か、ろくろ首の住みかに誘い込まれたのだろう……
相神記という書物には書かれている、もしも頭の無いろくろ首の体のひとつを見つけた
ならば、その体を別の場所に移動させよ、頭は自分自身で再び首に繋がることはでき
ないであろう。書物は更に言う、頭が戻って来てその体が動かされたのを見つけ出す
時、それは自らを床に三度叩き付けるであろう──弾む毬の如く──恐慌に喘ぎながら
死すであろう。今、もしこのろくろ首達が儂にとって良くない意味をもつなら──書物が
示唆する通りの行為は許されるだろう。」……
 彼は主の体の足を握り、窓まで引っ張り、外へと押し出した。それから裏口へと回り、
そこが閉じられているのを確認し、頭達は開いたままになっている屋根の煙突を通る
経路を出口にしていると推察した。ゆっくりと扉を開け、庭への経路を確認し、木立の
向こう側の存在へ、考えられる限りの用心をして進んでいった。木立の中から話し声が
聞こえてくると、声のする方へと進んでいった──こっそりと影から影へと丁度いい隠れ
場所に達するまで。そうして幹の後ろから頭達が──五人全部──蝙蝠のように飛び
蝙蝠のように会話する姿を視界に捕らえた。彼らは芋虫や他の虫達を地面の上や木々
の間から見つけ次第に食べていた。やがて主の頭が食べるのをやめて言った──
「あぁ、今夜来たあの旅の坊主は──なんとまあ太りきった体だ、あいつを食べれば、
俺達は気持ち良く満腹になるだろうよ……だが過去を話した俺は馬鹿だった──俺の
魂のためにお経を読み上げるように仕向けてしまった。あいつが読経をしている間は
近づくのが難しいだろう、俺達は祈り続ける間は手出しできない。だが、今はもう朝方
近い、あいつも眠っているだろう……お前らの誰かひとり家に戻ってあ奴が何をして
いるか見てこい。」

8 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/03(月) 14:20:28.49 ID:EG+EfRVq0
何気なく「煙突」という言葉を使ってしまいましたが、江戸時代までの藁葺屋根に
煙突が想像できないですね、煙出しの方が良いかもしれません。

9 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/04(火) 19:35:55.34 ID:4Ng9orZq0
 別の頭が──若い女の頭だが──すぐさま蝙蝠と同じように軽々と飛び上がり、家の
方へひらひらと飛んでいった。少しの間を置いて帰ってくると、警報器が鳴るように大きく、
しわがれ声で叫び出した──「あの旅の坊主は家には居ませんぜ──あいつは出て
いった。だけど、それは最悪のことじゃあ無い。あいつは我らの主の体を持っていった、
それを何処に置いたのか分からない。」
 この報告がなされると主の頭は──月明かりの中で明確に見えたが──目を醜く拡
げ、髪を逆立たせ、歯を軋らせた恐ろしい形相を現した。唇から叫びが爆発し──憤怒
の涙を流して泣き──大声で叫んだ──
「俺の体が動かされてしまったからには、繋ぎ直すことはできなくなった。俺は死なねば
ならん……全てを通してあの坊主の仕業だ。俺は死ぬ前にあの坊主を捕まえて──
引き裂いた上で──むさぼり食ってやる……あいつが居るぞ──あの木の後ろだ──
あの木の後ろに隠れているぞ。見ろあいつを──臆病者のデブが……」
 その瞬間、主の頭は、他の四人の頭と供に怪龍に飛びかかった。だが怪力の僧侶は
若い木を引き抜いて武装し、その木でやって来る度に頭達を打ち叩いた──とてつも
ない打撃で叩きのめした。彼らの四つは飛んで逃げたが、主の頭は、何度も何度も打
たれまくり、必死になって僧侶に弾んでは向かい続け、とうとう衣の左側の袖を捉えた。
だが、怪龍は素早くその頭の髷をつかむと、繰り返し叩いた。それは離れなかった、
しかし長いうめき声を上げてから後はあがきをやめた。そいつは死んだ。しかし、その
歯はまだ袖を噛み続け、怪龍の怪力の全てをもってしても力づくで顎を開けられなかっ
た。
 まだ袖に頭をぶら下げたまま彼は家に引き返すと、体を取り戻して、頭に傷を負い血
を流しうずくまる、四つのろくろ首を視界に捉えた。しかし彼に気が付くと裏口から全てが
金切り声をあげた「坊主だ、坊主だ」──そうして別の出入口を通って木々の中へ逃げ
ていった。
 東の空は白み、夜は明けていた。妖怪達の力は暗い時間に制限されると怪龍は知っ
ていた。彼は袖にまとわりつく頭を見た──その顔全体は血と泡と泥で汚くなっていた
が、彼は声を上げて笑い、心に思った「何という土産だ──妖怪の頭とは」彼は数少な
い所持品をかき集めた後、旅を続ける為にのんびりと山を下っていった。

10 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/05(水) 12:57:00.59 ID:iXKOzCRJ0
 さて、彼の旅はというと、信濃の諏訪までやって来て、肘に頭をぶら下げたまま、
諏訪の大通りを堂々と闊歩していた。女は気絶し、子供達は悲鳴を上げて逃げ出し、
群衆は捕り手(この頃は警察のようなものをこう呼んだ)が僧侶を捕まえて牢屋に
入れるまでざわめき続けた。彼らは、その頭は殺された人が死ぬ間際に人殺しの
袖を歯で捕まえた頭だと推測したからだ。怪龍は微笑むだけで彼らの問いかけに
何も言わなかった。そのように牢獄で夜を過ごした後に、彼はその地区の奉行の
前に引き立てられた。その時彼は、僧侶の身でありながら、如何にして袖にしがみ
つく男の頭を見つけ出したのか、何故に人々の前で罪悪を見せびらかす、このよう
な恥知らずを敢行したのか説明を要求された。
 怪龍はこれらの問いかけに長らく大声で笑ってから言った──
「皆様、その頭は儂が取り付けたのではありません、それ自身がそこに飛びついて
来たのです──儂の意思に大きく逆らって。それに儂は全く罪を犯しては居りません。
それは人の頭ではなく、妖怪の頭なのですから──妖怪に死を与えたのですが、
それは流血沙汰をしたのではなく、単に我が身を守る為に当然の用心をしたまで
です。」……そして彼は続けて冒険の全てを話した──五つの頭との対戦を話して
いる時には、もうひとつ心からの笑いを爆発させた。しかし奉行達は笑わなかった。
皆は彼を札付きの犯罪人で、その話は良識への侮辱と判断した。その結果、詮議に
時間をかけずに、直ちに死罪に処すべきと決めた──全員が、ひとり年老いた男を
除いて。この老いた役人は審議の間ずっと見解を述べずにいたが、同僚の意見を聞き
終えた後に立ち上がり言った。──
「まず始めに我々はその頭を慎重に吟味しよう、思うにこれには、まだ何もしていない
のだから。もしその僧侶の言葉が誠ならば、その頭自体が証拠となるだろう──頭を
ここへもってこい。」

11 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/07(金) 18:30:18.66 ID:vT6OA+Pe0
 それから頭は、まだ歯にくわえた衣ごと、怪龍の両肩から脱がされ、鑑定人の
前に置かれた。老人はそれをぐるぐる回して、注意深く観察し、首のうなじに、
幾つかの不思議な赤い文字を発見した。これらを同僚に注意を促し、そして首の
縁を観察し、凶器で切り取られた跡は何処にも見付からないと表明した。逆にその
切り口は葉っぱが自然に根元から離れた跡のようになめらかだった……そして年寄は
言った──
「儂はその僧侶の話に事実から外れた物は無いと真実確信した。これはろくろ首の頭だ。
本物のろくろ首のうなじには決まって赤い文字が見つけられると確かに南方異物誌という
書物に書かれている。それらの文字は手書きされた物ではないと、見れば分かるだろう。
それに、かなり古い時代から甲斐の国の山々周辺では、こんな妖怪がよく知られて
いる……だが貴殿」興奮ぎみに言い、怪龍へ向き直り──「貴殿はどういった成り行き
で勇敢な坊さんになったのかな、間違いなく貴殿は坊さんが持つには珍しい勇気を身を
持って示している、坊さんよりむしろ武人の雰囲気がある。おそらく、かつて侍の身分に
あったのではないかな。」
「正しい推測です。」怪龍は答えた。「僧侶になる前は、長きに渡って武芸を仕事とし、
その日々は人や魔物を決して恐れはしませんでした。その頃の名前は九州の磯貝
平太左衛門武行、それを記憶している人も皆様の中にはいらっしゃるのではないで
しょうか。」その名前が表明されると審議の部屋は感嘆のざわめきに包まれた。居合
わせた多くの者が、それを記憶していたからだ。そして怪龍はすぐに裁く側から代わっ
た友人達に囲まれた自分に気がついた──友人達は兄弟のように親切な思いを顕に
気遣った。栄誉と供に彼を大名屋敷に案内し、歓迎し、宴を催し、旅立ちを許す前に
身なりを綺麗に整えた。彼が諏訪を離れる時には、この儚い世界で僧侶に許された
幸福を感じた。頭の方はといえば、彼が持って行った──冗談めかして土産と言い
張り言い張りながら。

12 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/08(土) 15:45:44.79 ID:VkuCJzkO0
 そして今では頭がどうなったかという話だけが残っている。
 諏訪を離れてから一二日後に怪龍は追い剥ぎに遭い、そいつは人里離れた場所で
彼を止め、衣服を脱ぐよう命令した。怪龍はいったん衣を脱ぎ、追い剥ぎに差し出すと、
そいつはすぐに何かが袖にぶら下がっているのに気がついた。勇敢ではあったが盗賊は
驚きの余り衣服を取り落とし、跳び退いた。そうして彼は叫び出した──
「あんた──どういう坊主なんだよあんたは、何てこった、あんたは俺なんかよりよっぽど
悪党だ、それは間違いねえ、俺は何人も人を殺してきたが、誰かの頭を袖に引っ付けて
歩くような真似は絶対にしねえ……そうだ、お坊様よ、きっと俺達は同業者だ、俺はあんた
に感服すると言わずにいられない……今その頭は俺に必要だ、そいつで大勢の人を脅
かしてやれる。売ってくれるか。あんたは衣と交換で俺の服を取ればいい、追加でその
頭に五両払うぜ。」
 怪龍は答えた──「どうしてもと言うなら頭と衣をゆずらんでもないが、こいつは人の
頭じゃあないと言っておかねばならん。こいつは妖怪の頭だ。こいつを買ったせいで何か
厄介事に巻き込まれたとしても、どうか儂に騙されたんじゃあないと思い出してくれ。」
「何と愉快な坊さんだ、あんたは。」興奮して追い剥ぎは言った。「あんたは人を殺して、
そいつを冗談にする……だけど俺は本当に真剣だ。ここに俺の服、そしてこれがお金
だ──さあ頭をくれ……何でふざけるんだ。」
「持って行け」怪龍は言った。「儂はふざけてはおらん。ふざけているとすれば──これ
までで、いくらかふざけが有るとすれば──妖怪の頭に結構な金額を払う全く馬鹿な
お前だ。」そして怪龍は大声で笑いながら立ち去った。

13 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/10(月) 18:43:30.91 ID:xRTSSPTD0
 このようにして追い剥ぎは頭と衣を手に入れて、しばらく街道で妖怪坊主を演じた。
しかし諏訪の周辺までやって来て、そこで頭の本当の話を耳にしたところ、ろくろ首の
魂が厄介事を引き起こすのではないかと恐ろしくなった。そうして彼は頭を来た時の
場所へ返して体と供に埋葬しようと決心した。彼は甲斐の山で人里離れた小屋を見つ
けたが、そこには誰も居らず、体も発見出来なかった。仕方がないので頭だけを小屋
の裏の木立に埋葬して、墓の上に石碑を建て、ろくろ首の功徳になるようにと施餓鬼
供養を執り行った。そしてその石碑は──ろくろ首の石碑として知られ──今日でも
目にできる(少なくとも日本の語部はそう主張している)。

14 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/10(月) 18:48:04.03 ID:xRTSSPTD0
ろくろ首、これにて終了です
タブレットを使って翻訳した後、校正を入れていないので、変な部分が有ったかも
しれません

2〜3日間をおいてから「青柳の話」を始めます
こっちも校正を入れてない下訳段階の物です

感想等ありましたら、遠慮なく書き込んで下さい

15 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/16(日) 00:16:40.36 ID:0jNTZ5880
青柳の話

 文明年間(1469-1486)能登の領主畠山義統《はたけやまよしむね》に仕える知忠と
呼ばれる若い侍がいた。知忠は越前の生まれであったが、幼少の頃より能登の大名
屋敷へ小姓として上がり、殿様の息子である若君を師匠と仰ぎ、武士の教育を受けて
いた。成長するにつれ彼は良き弟子であり良き兵士である事を身をもって証明し、
若君の寵愛を享受し続けていた。温厚な性格に人を惹き付ける話ぶりと凛々しい人格
を身に付けていく彼は、侍の仲間達に称賛され、たいそう好かれていた。
 知忠が二十歳くらいの頃、畠山義統の血族で京都の偉大な大名、細川政元への
個人的な使いを命じられた。越前を通って旅をするようにと命令されたので、若者は
道中でやもめになった母親の元への寄り道を願い出て許しを得た。

16 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/17(月) 14:27:02.66 ID:C4AboxF10
 一年の内で最も寒さが厳しい頃に出発したので、力強い馬に乗ってはいたが、
ゆっくりと進まざるを得ないと分かった。彼がたどり進む山岳地域を通る道は、
人家は疎らで遠く離れていて、旅の二日目には、馬に乗り疲れた後、予定の休息
場所には深夜になるまでたどり着けないと分かり狼狽した。気がかりな理由が有
った──猛烈な吹雪がやって来て、激しく冷たい風を伴い、馬が疲労の色を見せて
いたからだ。しかし、その難儀な瞬間に、知忠は思いがけず近くの丘の頂きに小さな
家の茅葺きの屋根を見つけた。そこには柳の木が繁っていた。やっとの思いでその
民家まで疲れた馬を急かせると、風を防ぐ為に閉じられた雨戸をけたたましく叩いた。
老婆が戸を開けたが、凛々しい旅人を目にすると同情するように叫んだ。「まあ何て
お気の毒に──こんな天気の中お若い殿方がひとり旅だなんて……若様、お入り
なさいませ。」

17 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/18(火) 11:40:52.48 ID:4VGjn3Q20
 知忠は馬を下りて、裏の小屋に馬を連れて行き、小さな家に入ると、そこには
老いた男と娘が竹切れを火に焼べて暖をとっているのが見えた。彼らは丁重に
火の側へ招待をすると、老いた家族は暖めた酒を差し出し、旅人への食事の
用意をし、旅であった事を恐縮しながら訊ねた。その一方で若い娘は衝立の影
に姿を隠した。知忠は目をやって、驚く、彼女は桁外れに美しかった──哀れ
極まる種類の身なり、長く、結われず乱れた髪にもかかわらず。彼はこのように
器量の良い娘が、人里離れた場所で惨めに暮らしているのを不思議に思った。
 老いた男が彼に言った──
「お武家様 、隣村まではかなり遠く 、雪は激しく降ります。風は身にしみ、足元は
とても悪うございます。ですから、今夜これより先に進まれるのは、危険でしょう。
たとえこのあばら家はあなた様が留まるに相応しくないと致しましても、満足な
おもてなしができなくても、今夜この粗末な屋根の下に留まるのが安全でござい
ましょう……馬のお世話もしっかり致します。」

18 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/19(水) 10:09:25.04 ID:Hs9f5MH10
 知忠はこの謙虚な申し出を受け入れた。──もっと若い娘を見ていられる
機会が得られたのを密かに喜んだ。やがて彼の前に粗末ではあるが充分な
食事が出され、お酌をしに、娘が衝立の影からやって来た。今度は粗末だが
清楚な手織りの着物に着替え、長く結われていない髪はきちんと櫛を通して
滑らかになっていた。彼女は盃を満たしに前へかがみ、知忠は彼女が今まで
見てきたどんな女よりも飛び抜けて美しいのに気がつき仰天し、立ち居振舞い
のことごとくが優雅なのに驚いた。しかし、年寄達は彼女の為にお詫びを言い
始めた「若様、私達の娘の青柳は山の中のここで、ずっと孤独に育ち、上品な
もてなし方を知りません。娘の無知蒙昧をお許し下さるようお願い致します。」
知忠は、このような麗しい乙女に給仕して貰えて幸運に思うと断言した。彼は
娘から目を離せなかった──感心して見つめると顔を赤らめるのが見えるにも
かかわらず──そして彼の前の、まだかなり残っている酒と食べ物から手を
置いた。すると母親が声を掛けた。「親切な若様、私達は少しでもお食事と
お飲み物をとられますよう、とても強く望んでおります──百姓のひどい
食べ物でありましても──冷たい風に凍えていらっしゃったのに違いない
のですから。」老いた家族を喜ばせようと、知忠はできるだけ食べて飲んだが、
赤面した娘への思いは彼の中でまだ育ち続けていた。娘と一緒に話してみると、
その話し方は顔と同じように甘美であるのが分かった。山の中で育ったのだろう
──が、この場合は彼女の両親が高い身分の時期が有ったに違いない、だから
高貴な令嬢のように話し振る舞うのだ。ふと歌にのせて彼女へ話し掛けた──
問い掛けも含めて──胸のときめきが告げるまま──

「訪ねつる、花かとてこそ、日を暮らせ、明けぬにおとる、あかねさすらん」
(訪ねて行こうとする道で、見つけたのは私が摘む花となる物、だからこそ私は
ここで日を暮らす…どうして夜明け前の時間は、暁の赤らみを濃く染めねばならぬ
のか──それが本当に分からない)

 少しの間も躊躇わず、彼女はこの返歌をした──
「出づる日の、ほのめく色を、我が袖に、包まば明日も、君やとまらん」
(もしも、夜明けの太陽の仄かな穢れ無き色を、私が袖で隠したなら──そしたら
私のご主人様は多分朝にも居てくれるでしょう。)

19 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/21(金) 09:46:22.28 ID:XayUXUWU0
 それで知忠は彼女が想いを受け入れくれたのを知る、そして歌によって伝え
られた確かな気持ちを大いに喜んだが、それよりも彼女の詩歌の感性を言葉
にする技量に少なからず驚かされた。彼は今確信した、この世の中の全てに
おいて目の前の田舎の乙女より、もっと美しく気が利く娘に会うのは望めない
だろう、まして得るなど、心の声が叫び出したようだ、急げ「神々がお前の道に
置いた幸運をつかめ」要するに彼は魅了された──どんな具合に魅了されたか
というと、後先考えずに、老人達に娘さんを嫁に下さいと申し出──同時に彼の
名前と家柄、能登の領主の家臣としての身分を伝えた。
 彼らはたいそう驚き感謝し感激し、目の前で膝をつき頭をさげた。が、少しの間
明らかに躊躇した後、父親が返事をした──
「お武家様、あなたは高い身分にあるお方で、もっと高い所まで昇ってお行きなさる
とお見受けします。あなた様からのもったいないお申し出は身に余る物でござい
ます──まったく、感謝の深さを示す言葉を見つけようもございません。ですが
この私達の娘は下等な生まれの愚かな田舎娘で、一人前の躾《しつけ》や教育
を受けておらず、立派なお侍の妻となさるに、相応しくはございますまい。このよう
な話しをすることさえとんでもない……ですが、娘を目にされてからずっと好意を
寄せていらして、百姓の作法を許し、たいそうな無作法者を大目に見て我慢して
下さるなら、粗末な侍女として喜んで娘を差し上げます。ですから先々の配慮は
堂々と好きなようになさって下さい。」

20 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/21(金) 09:48:04.70 ID:XayUXUWU0
最後の方で文章が抜けているような気がしますが、
原文を見直す暇が無いので、取り敢えずこのまま

21 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/22(土) 22:10:28.48 ID:4Fq1NHR60
 朝になる前に嵐は過ぎ去り、雲ひとつ無い東の方から明るくなってきた。
もしも青柳の袖が暁の赤らむ薔薇色を愛する者の目から隠してさえ、彼は
これ以上長く留まることはできなかった。しかし彼女と一緒に、お役目を辞退
する訳にも行かないので、旅の準備の全てを整えると、両親にこのように申し
出た──
「これまで受けた以上を求めるのは、恩知らずに見えるかも知れませんが、
娘さんを妻とするため私に下さいと重ねてお願いせねばなりません。今と
なっては娘さんと離れるのは私には難しく、彼女は私に同行しても良いと、
あなた方がお許し下さるなら、私は彼女その人を連れて行けます。もし
あなた方が彼女を私に下さるなら、あなた方を両親としてずっと大切に
していきます……それから、親切で温かいおもてなしへの僅かばかりの
お礼をどうかお受け取り下さい。」

22 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/23(日) 19:51:02.26 ID:2jJtlmLM0
 そう言いながら控え目な主人の前に小判が入った財布を置いた。しかし、老いた
男はたいそう平伏した後で、穏やかに贈り物を押し返して言った──
「親切なご主人様、私達にお金は必要ないでしょう、それに長く寒い旅の間で、多分
あなた様には必要になるでしょう。ここでは買う物がありませんし、そんなに沢山の
お金は自分達には使えません、もし望んだと致しましても……娘のことは、すでに
ご自由になさるよう差し上げました──娘はあなたのものです、ですから彼女と供に
歩むため私達の元を離れる許可は必要有りません。すでに娘はあなたについて行き、
居ても良いと想われる間お仕えしたいと申しております。私達は 、もう娘を受け入れて
下さると分かっただけで幸せなのですから、私達の懐などでお心を悩ませないよう
お願い申し上げます。こんな所では娘にまともな衣装を持たせてやれません──
持参金はもっと無理です。その上、年寄ですから娘とはそう遠くない内の行事で離れ
なくてはなりませんから。ですから、今あなた様の方から娘をもらって下さるのはとても
幸運なのです。」
 老人達に贈り物を受け取るよう説得する試みは徒労に終わり、彼らはお金に関心が
無いと分かった。しかし、老夫婦は娘の運命を彼の手に委ねるのを切望していると
分かったので、彼女を連れて行く決断をした。そうして彼女を馬に乗せ、老いた両親に
誠実な感謝の言葉を沢山伝えつつ暇乞いをした。
「若様」父親が返事をした。「感謝するべきなのは、あなた様ではなく、私達なのです。
あなた様は私達の娘を思いやって下さると信じていますから、娘の為に心配することは
有りません。」……

23 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/24(月) 20:44:19.08 ID:Y6+B1zxz0
(ここで日本の原話には、物語の自然な成り行きの中で、おかしな断裂が有る、
というのはその場面から奇妙に一貫性が無くなっている。この先では、知忠の
母親や青柳の両親や能登の大名については何も語られていない。明らかに
筆記者はこの時点で仕事に飽きて、かなり投げやりに、驚愕の最後の為に
話を急いだのだ。私には彼の手抜きの埋め合わせや構成の欠陥の修復は
できないが、幾つかの構成上の細部を補う為に冒険するべきだろう、そうしないと
物語の残りが繋がらないだろうから……それは知忠が軽率にも青柳を京都へ
一緒に連れて行き、揉め事に巻き込まれて始まるのだが、その後二人がどこに
住んでいたのか、我々には知らされていない。)
……当時の侍は領主の同意が無ければ結婚を許されないが、知忠は役目を
完了する前では、この承認を得る期待は出来なかった。彼は考えた、そのような
事情の下で、青柳の美貌が人目に付き危険を招く恐れがあり、それは彼女を拐って
行く準備がされたかも知れないということだ。京都では、そういう訳で彼女を周りの
好奇な目から守るよう努めた。しかし、細川候の家臣が、ある日青柳を見かけて
知忠との関係を調べ上げ、事の次第を大名へ報告した。そこで直ちに大名──
面食いの若殿──は娘を屋敷へ連れて来いと命令を与え、すぐさま無作法に
そちらへ連れ去られた。

24 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/26(水) 21:55:53.55 ID:yquT5W7d0
 知忠は悲しみの余り言葉も無かったが、無力な自分を知っていた。遠く離れた
大名に仕える身分の低い使いの者で、役目の途中の彼は、より強大な力を持つ
大名の裁量の内に有り、その思惑には逆らいようが無かった。その上知忠は自分
が馬鹿な行いをしたのに気が付いた──彼は自身の不運を連れて来た、内縁関係
に入る、それは武士階級の規則で禁止されている。しかし、今は望みがひとつ有る
──絶望的な望みだが、青柳にはできるかも知れない、自らの意思で抜け出して
彼と供に逃げ去る。長らく考えこんだ後、彼女へ手紙を送ってみる決断をした。その
試みは危険であろう、もちろん書き物を彼女へ送れば見付けられ大名の手に渡る
だろう、恋文を屋敷の囚人へ送るなど許し難い罪だ。しかし、不利は承知の上で
決断し、漢詩の書式で手紙を書き上げ、彼女の元へ届くよう努めた。詩は二十八
文字だけで書かれた。しかし、この二十八文字に深い愛情の全てを表現し、喪失
の痛みの全てをそれとなく書き込んだ──
公子王孫逐后塵 公子《こうし》王孫《おうそん》后塵《こうじん》を逐《お》う
緑珠垂涙滴羅巾 緑珠《りょくじゅ》涙《なみだ》を垂《た》れて羅巾《らきん》を滴《ひたた》る
候門一入深如海、候門《こうもん》一度《ひとたび》入りて、深きこと海の如《ごと》し
是従簫郎是路人 これより簫郎《しょうろう》、これ路人《ろじん》
(気をつけて、若い王子に気をつけて、宝玉に輝く乙女への興味の後が今──
 美人の涙は落ちて、袖の全てを濡らす
 けれど尊い領主はそんな彼女に夢中──思いの深さは海のよう
 だからこそ孤独に立ち去るだけだ──さ迷うままに立ち去るだけ)

25 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/27(木) 15:22:45.10 ID:06nXfr390
 この詩を送った翌日の晩、知忠は細川候の前に姿を見せるようにと呼び出され
た。若者は信頼が裏切られたと直ぐに勘づいたが、もし手紙が大名に見られたの
なら、厳しい処罰から逃れる望みはない。「すぐに我が死の命令が下されるだろう、」
知忠は思った──「だが青柳を取り戻せないなら、命なんかどうでもいい。それに、
処刑の宣告が下るなら細川殺しに挑むくらいはできる。」彼は両刀を帯に差し、屋敷へ
急いだ。謁見の間に入ってから見えたのは、壇上に座った細川候が、烏帽子と儀式
の衣装をまとった高位の侍に囲まれた姿だった。皆は彫像のように無言で、知忠が
お辞儀をしに前へ出る間、その静寂は重く不吉に見えた。まるで嵐の前の静けさの
ように。しかし不意に細川は壇上から降りて若者の手を取りながら、詩の一節を繰り
返し始めた──公子王孫后塵を逐う…」そして知忠が見上げると、若殿の優しい目が
涙で潤んでいた。

26 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/29(土) 15:17:16.92 ID:oEd07S350
 そこで細川が言った──
「お前達がそこまで深く愛しあっているなら、拙者が責任を持ってお前の結婚を
許そう、我が親族の能登の領主に代わって、それからお前達の婚礼は今拙者の
前で挙行させてやろう。賓客は集めた──引き出物の準備も整っている。」
 領主の合図と供に、襖が押し開かれその先に隠されていた座敷で知忠は見た、
式典の為に集められた屋敷中の高位高官と、婚礼衣装を着飾って待つ青柳を……
そして婚礼は豪華で喜びに満ちたもので──若殿と一族の面々から若い二人へ
の貴重な贈り物だった。
***

27 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/30(日) 22:06:27.33 ID:koxmbTHY0
 婚礼から五年まで知忠と青柳は一緒に幸福に暮らした。しかしある朝青柳は、
家庭の諸事について夫と話している時、突然大きな苦痛の叫び声を上げ、真っ
白になって動きを止めた。しばらくしてから弱々しい声で言った。「このような
無作法な叫び声を上げた私をお許し下さい──この通り突然痛み出したもの
ですから……愛しいだんな様、私達の結婚は前世の幾つかの因縁を通して
もたらされたに違い有りません、それは幸福な関係でした、私は思うのです、
来世でも再び一緒になれるでしょう。けれど、今生に贈られた存在の私達、
その関係は今終わりました──私達は離れることになります。唱えて下さい、
深くお願い致します、念仏の祈祷を──私は死ぬのですから。」
「おいおい、なんて奇妙ででたらめな空想だ。」驚いた夫 が叫んだ──「お前は
少し具合が悪いだけだ、愛しい人よ……しばらく横になって休みなさい、それで
病気は直るだろう……」
「いえ、いえ」彼女は答を返した──「私は死にます──それは空想では無い
のです──私には分かります……そして今となっては必要の無い事を、愛する
だんな様、長い間隠していた真実を──私は人では無いのです。木の魂が私の
魂──木の心が私の心──柳の生気が私の命。そして誰かが、この無慈悲な
瞬間に、私の木を切り倒しています──そのために死は逃れられないのです…
…泣くことさえ今の力では叶いません──早く、早く、唱えて下さい念仏を、
私のために……早く……あぁ……

28 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/31(月) 12:50:45.99 ID:C0GR9xPj0
 もう一度の苦痛の悲鳴と供に美しい顔をそむけ、袖の陰に顔を隠そうとした。
しかし、ほとんど同時に不可思議極まりない具合で彼女の姿全体に陥没が現れ
てきて、下へ沈み、下へ、下へ──床と同じ高さに。知忠は彼女を支えようと駆け
寄った──が、支えられる物は何も無かった。畳の上には中身の無い美しい何物
かが着ていた着物と彼女がその髪に着けていた飾り物、体は存在を終えた……
 知忠は頭を丸め、仏教徒の誓願をし、放浪の僧となった。彼は帝国全土を旅して
回り、聖地に滞在した折りは、青柳の魂への祈祷を捧げるのだった。巡礼の行路で
越前に到着した時、最愛の人の両親の家を探し歩いた。その時人里離れた丘の
頂の彼らが住んでいた場所に到着したが、小さな家は消失しているのが分かった。
建っていた場所のしるしになる痕跡すら無かった、有ったのは柳の木の切り株──
二つの老木と若木がひとつ──それは彼が訪れる遥か以前に斬り倒されていた。
 これら柳の木の切り株の傍らに、彼は徳の有る様々な文字を彫り込んだ慰霊の
墓標を建て、そこで青柳とその両親の功徳を願って多く仏教の法要を営んだ。

29 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/03/31(月) 12:52:11.79 ID:C0GR9xPj0
「青柳の話」これにて終了です
数日の間をおいてから「安芸乃助の夢」を投稿します

30 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/14(月) 02:49:48.88 ID:ZinzDg+00
安芸乃助の夢

 大和の国の十市と呼ばれる地方に、宮田安芸乃助という名前の郷士が住んで
いた……(ここで言っておかなければならないが、日本の封建時代にはイギリスの
ヨーメンに相当する武装農民──自由民──の特権階級が有り、それは郷士と
呼ばれていた。)
 安芸乃助の庭には大きく古い杉の木があり、蒸し暑い日にはその下で 休息を
とるのが常だった。あるとても暑い午後、彼は郷士仲間の友人二人とこの木の下に
座って、酒を飲み雑談をしていたが、不意に強烈な眠気に襲われた──とても眠い
ので皆の居る中で昼寝をとらせてもらうようお願いした。それから彼は木の根方で
横になり、こんな夢を見た──

31 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/22(火) 22:27:32.80 ID:76aSeUsQ0
 庭で横になっていると、近くの丘をどこかの立派な大名行列のような行進が
下って来るのが見えたので、それを見るために起き上がったように思った。それは
本当に大変立派な行列だった──彼が以前見たどんな物より立派で、それは
堂々と彼の居る場所に向かって前進してきた。一団の先頭に豪華な衣装をまとった
若い男達が、輝く絹の布を垂らした立派な漆塗りの御所車という屋敷状の乗り物を
引いているのが観察された。行列は家からほど近い場所に来たところで止まり、
豪華に着飾った──明らかに身分は──その中では上位の男が、安芸乃助に
近づき、深くお辞儀をして言った──

32 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/23(水) 23:08:57.09 ID:hD6vO9Sx0
「御前様、目の前に参りましたのは、常世の国王の家来でございます。
私の主人、誇り高き王の名によって御挨拶するよう命じられ、御前の意思
に全て従うよう遣わされました。また、宮殿へお出でになるのを篤く望んで
いる旨をお伝えするよう命じられております。そうした事情ですから、どうぞ
このお迎えに遣わされた御車にお召し下さいませ。」
 こういう言葉を聞いた上で安芸乃助は適切な返事を思いつくよう望んだが、
驚き過ぎて話しに困った──そうこうしている間に彼の判断は溶けて流れ
去り、もう家来の言う通りにするしかできなくなった。彼が車に入ると、家来が
側に座り、合図をすると、曳き手達は、絹製の綱を掴み、立派な車を南の
方角へ向けた──旅は始まった。

33 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/24(木) 22:42:46.13 ID:NJNqTUrw0
 安芸乃助が驚くほど、ごく短時間に、かつて見たことの無いチャイナ風の
大きな二階建ての出入口(楼門)に乗り物が止まった。ここで家来が車から
降りて「御前の到着を公表して来ます」と言いながら──姿を消した。少しの
間待たされた後、安芸乃助は、紫の絹の衣と非常に高い身分を示す形をした
高い帽子を身に付けた、高潔な顔つきの二人の男が楼門からやって来るのが
見えた。二人は彼に丁寧な敬礼をしてから、車を下りるのを手伝い、それから
巨大な門をくぐり、広大な庭を横切り、宮殿の入口まで案内したが 、その正面
は西と東へ何里も離れて広がって見えていた。それから安芸乃助は華麗で
素晴らしい大きさの応接間へ案内された。案内人は彼を上座へと導き、うやうやしく
離れて座り、その間に礼服を着た給仕の侍女がお茶とお菓子を持って来た。
安芸乃助がお菓子を食べていると、紫の衣の付き添い人二人が深くお辞儀をして、
次のように話しかけた──宮中の礼儀作法に従って、それぞれ交互に──

34 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/28(月) 02:24:01.80 ID:I6FBERNZ0
「これからあなたにお伝え致しますのは、我々の尊いお役目です……あなたを
こちらへお招き致すほどの理由といいますのは……我々の主人、国王は、
あなたを養子にしたいと切望しております……それは願望であり命令でもあり、
今日この日あなたにはご結婚していただきます……尊い王女であるご令嬢と
……我々はすぐにあなたを謁見の間にご案内致します……ちょうど今、そこで
陛下があなたをお迎えする為にお待ちです……けれど、まずは我々のお世話が
必要でしょう……儀式にふさわしい衣装にお着替えなさる為に。」
 こう話してから案内人達は一緒に席を立って、大きな金蒔絵の衣装箱が有る
床の間まで進んで行った。彼らは衣装箱を開け、そこから多彩な衣と豪華な布地
の帯、それに王族の頭飾りである冠《かむり》を取り出した。それらで安芸乃助に
似合い、かつ王族の花婿にふさわしいよう正装させた。それから彼は謁見の部屋
へ案内され、そこには黄色い絹の衣を身にまとい、高く黒い元首の帽子を被り、
台座の上に座る常世の国王が見えた。台座の右と左には高位高官が身分ごとに、
じっとして寺院を思わせる荘厳さで座っていたが、安芸乃助は彼らの真ん中を
進んでいき、三段階に平伏する作法で国王に敬意を示した。国王は感謝の言葉を
添えて挨拶をして言った──

35 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/29(火) 15:32:56.80 ID:ozH/hbM90
「そなたがこの席に呼ばれた理由についてはすでに伝えてある。我らのひとり娘の
婿養子になってもらうよう決めている──そして婚礼の儀式を今から執り行う。」
 国王が話し終えると、楽しい音楽が聞こえてきて、幕の陰から美しい宮中の淑女の
長い行列が進んできて、安芸乃助を花嫁が待つ部屋へと導いた。
 部屋は広大であったが、婚礼の儀式に立ち会うために集められた賓客の大勢の
ほとんどは入れなかった。一同が安芸乃助の前でお辞儀をしてから彼が席につくと、
用意された折り敷きの座布団の上で国王の娘と顔を合わせた。天国の乙女のような
花嫁が姿を見せたが、その着物は夏の空と同じように美しかった。そして大きな喜びの
中で婚礼は執り行われた。
 その後、夫婦は宮殿の別の一角に用意された、ひと続きの部屋へと導かれ、そこで
多くの貴人から数えきれない祝辞と贈り物を貰った。

36 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/04/30(水) 17:21:24.71 ID:Yahr3dRW0
 数日後、安芸乃助は再び玉座の間へと呼び出された。今度の場合は以前よりも
更に丁重に迎えられ、国王からの言葉があった──
「我々の領土の南西地区に莱州《らいしゅう》という島がある。今そなたをその島の
総督に任命する。そこの人々は誠実で素直なのに気がつくだろう、だが彼らの法律は
まだ常世の法律に相応しく調和させられてはいないし、その慣習は適切に調整されて
いない。彼らの社会的な状態をできる限り改善する職務をそなたに任せる、知恵と
思い遣りの有る統治を切望する。莱州への旅に必要な準備の全てはすでにできて
いる。」
 そうして安芸乃助と花嫁は常世の宮殿から出発して、海岸までは貴族と職員の
盛大な護衛が同行し、国王が用意した豪華船に乗った。優しい風と供に莱州まで
航海し、その島の良き人々が海岸に集まって彼らを歓迎してくれるのが見えた。
 安芸乃助はひとまず新しい職務に取り組んだが、厳しくなる物ではないのが明白
だった。任期の最初の三年間に彼は法律の構想とその制定にほとんどを費やした
が、賢い補佐人達が助けてくれて、不愉快な仕事は全く見当たらなかった。その
全てを終えると、昔からの習慣による行事や式典への出席の他は目立った仕事は
無かった。とても健全で肥沃な土地は病気や貧困とは無縁で、人々はとても
素晴らしく法律が破られることはかつて無かった。安芸乃助は莱州に二十年以上
住み統治した──その全ては二十三年の滞在になるが、期間中に彼の人生に
陰がよぎることは無かった。

37 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/01(木) 14:29:40.78 ID:gv07Buef0
 しかし任期の二十四年目に大きな不幸がやって来た、それは、七人の子供──
五人の男の子と二人の女の子──を産んだ彼の妻が、病気にかかって死んだ
からだ。彼女は蕃陵江《はんりょうこう》地区の美しい丘の頂上に華麗に葬られ、
非常に豪華な記念碑が墓の上に置かれた。しかし安芸乃助は彼女の死に悲嘆に
暮れて、生きる望みを無くした。
 喪に服する期間が終わると、莱州へ常世の宮殿から王室の伝令の使者がやって
来た。使者は安芸乃助に弔慰の伝言を伝えてから言った──
「これからの言葉は誇り高き我らの主人、常世の国王からの命令であり、それを
復唱いたします。『我々はそなたを自身の人々と土地へ送り返すとしよう。七人の
子供達については、国王の孫と孫娘として充分な世話をする積もりだ。従って
彼らについて心を悩ますには及ばない。』」
 この指令を受け取った安芸乃助はおとなしく出発の準備をした。それから全ての
事務処理を済ませ、補佐人達と信頼できる職員達へ別れの挨拶を告げる儀式を
終えて、彼は大きな名誉と供に港へと導かれた。そこで彼を送るための船に乗り
込んで、青い空の下、青い海へと帆を上げると、莱州の島の形それ自体が青く
変わり、それから灰色に変わり、永遠に消滅した……そして安芸乃助は突然
目が覚めた──彼の庭の杉の木の下で。

38 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/02(金) 09:54:16.30 ID:OO7L8TGE0
 ほんのしばらく、彼はぼおっとして目がくらんだ。しかし彼は二人の友人がまだ側に
座っているのを認めた──酒を飲み陽気に話し込んでいた。彼は大いに困惑して
友人達を見つめていたが、声に出して叫んだ──
「なんと不思議な」
「安芸乃助殿は夢を見ていたに違いない。」友人のひとりが驚きの声を上げた、笑い声
と供に。「不思議とは、安芸乃助殿は、一体何を見ていたのでしょうか。」
 それから安芸乃助は夢の話をした──二十と三年に渡る常世の王国と莱州の島
での滞在──友人達は驚いた、それというのも彼が実際に眠っていたのは、ごく
短時間でしかなかったからだ。
 郷士のひとりが言った──
「まったく、お主は不思議な物を見た。儂らもお主が眠っている間に不思議な物を
見た。一匹の小さな黄色い蝶々が、お主の顔の上をしばらくの間ヒラヒラしていた、
儂らはそれを見た。それからお主の傍の地面に降りて、木に近寄り、そこに降りて
すぐ傍に、大きな大きな蟻《あり》が穴からやって来て、そいつを捕まえて穴へと引っ
張り込んだ。ちょうどお主が起きる前まさにその蝶々が穴の外から戻って来て、
前と同じように顔の上でヒラヒラするのを儂らは見た。それから不意に姿を消したが、
儂らはそいつが何処へ行ったかは分からない。」
「おそらくそれは安芸乃助殿の魂ですよ。」別の郷士が言った──「私は思うのですよ、
私の見たそれは彼の口の中へ飛んで行ったに違いないと……しかしですよ、もしその
蝶々が安芸乃助殿の魂だったとしても、真相は彼の夢では説明できないのですよ。」

39 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/03(土) 09:38:04.78 ID:EWUJ+Mts0
「蟻ならそいつを説明できるだろう。」最初の話し手が返した。「蟻は怪しい存在だ
──ひょっとしたら妖かしかも知れん……ともかく、あの杉の木の下に大きな蟻の
巣が有る……」
「見に行こう」安芸乃助は叫び、この提案によって大きく移動した。それから鋤《すき》
を取りに行った。
 杉の木の辺りとその下の地面は、巨大な蟻の群体によって驚異の極みの状態に
掘られているのが判明した。そのうえ蟻は掘った所の内側に、藁と粘土と植物の
茎《くき》をくり抜いて街の模型に奇妙に類似した極めて小さな建造物を作っていた。
建造物の中央は残りの部分よりもかなり大きく、そこには信じられない数の小さな
蟻の大群が、黄色がかった羽根と長く黒い頭をした非常に大きな蟻の体の周りに
居た。
「なんと、夢の中の王様が居る。」安芸乃助は叫び「それに常世の宮殿も有る……
なんて不可解な……莱州がその南西のどこかに在るはずだ──あの大きな根っこ
の左側に……そうだ──ここだ……いやはやなんとも不可思議な、今なら確実に
蕃陵江の山と王女の墓が見つけられるはずだ……」
 巣を壊して調べに調べて、とうとうごく小さな盛り土を発見したが、そのてっぺんは
仏教徒の石碑によく似た形に水で削られた小石を使って固められていた。その下で
見つけた──粘土の中に埋められた──雌《めす》の蟻の死体を。

40 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/03(土) 09:41:56.66 ID:EWUJ+Mts0
「安芸乃助の夢」これにて終了です

「虫の研究」の「蝶」が翻訳途中ですが、まぁ1週間くらいで完了するでしょうから
少し間をあけてぼちぼち投下していきます。

固有名詞等はまだ詳しく調べていないので、間違っているかもしれません。

41 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/09(金) 01:09:31.65 ID:ItVoPlsX0
虫の研究





 日本の文芸で絽《ろ》さんとして知られるチャイナの学者の幸運が私にも望め
ないだろうか!彼は二人の乙女の霊、天人の姉妹、に愛されたのだから、彼女
達は十日毎に彼の元を訪問してきて蝶についての話を語った。さて、蝶については
素晴らしいチャイナの話が有る──幽玄な話だが、それらを知りたい。しかし私は
決してチャイナの言葉を読めないだろう、日本語も変わらないが、大いに苦労しながら、
チャイナの蝶の話の暗示を多く含む日本の短い詩歌をどうにか翻訳していて、
タンタロスの苦痛のような物を味わっている……もちろん、こんな懐疑論者の私自身
には、さすがに訪問して下さる乙女の霊はいないだろうが。

42 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/10(土) 18:25:21.88 ID:7CR2X0l30
 私は知りたい、例えば、チャイナの乙女の話の一部始終を、彼女は蝶々に
花として懐《なつ》かれ大群を従えていた──それほど香り良く、それほど
美しい女性。また、明帝《ミンハン》こと玄宗皇帝の蝶に関する出来事をもっと
知りたい、彼は愛妾を選ぶ際に蝶を使った……彼は酒宴を開く際に驚くべき
庭園を使ったが、とびきり美しい女性をそこへ出席させ、かごに入れた蝶を、
彼女達の間に解き放つと、最も美しい人の元へ飛んで行く、その最高の美人に
皇帝の寵愛を与えた。しかし玄宗皇帝が楊貴妃(チャイナではヤンクェイフェイと呼ぶ)
と出会ってからは蝶の選択を受け付けなくなった──それは不運なことで、
楊貴妃によって深刻な問題に巻き込まれたのだから……再び私はチャイナの
学者の体験についてもっと知りたい、日本では宗主の名前で有名だが、彼は
自分が一匹の蝶である夢を見て、その中で蝶の感覚全てを体験した。彼の魂は
実際に蝶の姿になって辺りを彷徨《さまよ》い、起きてからも、蝶の記憶と感覚が
生活に残るほど鮮明に心にきざまれ人間らしい行いができなくなった……最後に
私は知りたい、蝶になった皇帝や従者の様々な魂を正式に認定するチャイナの
確かと思える原文を……

43 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/11(日) 21:50:55.97 ID:eV6Zbfls0
蝶についての日本の文芸の大部分は、幾つかの詩歌を除いて、チャイナを起源と
するのは明白だ、それは昔の国民の審美的感覚の概念でさえも、日本の芸術や
歌や習慣における愉快な表現に見受けられるように、おそらく最初はチャイナの教え
の元に発達したのだろう。なぜ日本の歌人や画家がよく職業上の名前としての
芸名《げいみょう》で、蝶夢《ちょうむ》(蝶の夢)、一蝶《いっちょう》(ひとりの蝶)等の
名前を選ぶのかはチャイナの先例で多分説明できる。また今日でさえ
蝶花《ちょうはな》(蝶の花)、蝶吉《ちょうきち》(蝶の幸運)、蝶助《ちょうすけ》(蝶の援助)
といった芸名が舞妓の間で流行している。他にも蝶に関した風雅な名前、まだ実際に
使われるこのような種類の個人名(呼び名)が有る──蝶を意味する胡蝶や蝶。これらは
女に生まれた者だけに決まっている──もっとも幾らか風変わりな例外は有るが……
ここで言及しても良いだろう、陸奥の国では家族の最も若い娘をテコノと呼ぶ古く珍しい
習慣がまだ残っている──その古風な言葉は、他の地域では廃れたが、陸奥の
方言で蝶を意味している。古典的な時代に、これは美しい女性を示す言葉でも
あった……

44 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/12(月) 14:28:56.06 ID:2DOWO0WV0
また蝶についての日本の不気味な信仰もチャイナの派生と考えられるが、この
信仰はおそらくチャイナの物より古いだろう。私が最も興味深いと思う物のひとつ
は、生きている者の魂が蝶の姿になって辺りを彷徨う話だ。幾つかの可愛らしい
思い付きが、この信仰から発展した──もし蝶が客間に入ってきて竹の衝立の
裏側にとまったら、最も愛する者が会いに来るという。その蝶は誰かの魂ではない
だろうから、それを心配する必要は無い。ではあるが、蝶といえども膨大な数で
現れて恐怖させられる場合が有り、日本の歴史ではこんな事件が記録されている。
平将門《たいらのまさかど》が密かに有名な乱の準備をしていた頃、京都の広範囲
に蝶の大群が現れて人々が怯《おび》えた──思うに、怪異は凶事が来る前兆だった
のだろう……おそらくこの蝶達は戦いで死ぬ不幸な運命にある数千の魂であろう
と考えられ、幾つかの神秘的な死の予兆によって戦の直前に動揺したのだろう。
 しかしながら、日本の信仰での蝶は、死者と同じくらい生者の魂も有るだろう。
実のところそれは、最後に体から抜け出した事実を知らせるために蝶の姿をとる魂
の習慣で、この理由によって、どんな蝶であっても家に入って来れば優しく取り扱う
ようになっている。

45 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/13(火) 09:51:15.80 ID:IheLq5sn0
 この信仰と風変わりな空想が結びついた人気の芝居の中に多くの暗示が
有る。例えば「飛んで出る胡蝶の簪《かんざし》」というよく知られた演目が
有る。胡蝶は美しい女性で、無実の罪を着せられ残酷な扱いを受け自害
した。彼女の仇討ちを志願した者は、悪事の黒幕を捜して長く徒労を重ねて
いた。だが最後に、死んだ女性の簪が蝶に変わり、仇討ちの案内をする
かのように悪者の隠れ家の上で羽ばたいた。
──婚礼の際に作られる大きな紙の蝶々(雄蝶《おちょう》と雌蝶《めちょう》)は
当然ながら霊的な意味は全く持っていないと思われる。二人の結婚の喜びを
表現するだけの象徴なのだから、新婚の二人が楽しい庭から庭へと軽快に
飛びまわる蝶の番《つがい》のように一緒に人生を過ごして行けるように
という希望を──時に上に羽ばたき、時には下へ、けれど決して大きく離れ
ないように。

46 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/14(水) 22:19:27.63 ID:bmIQS5iz0


 蝶に関した俳句の僅かな抜粋は日本の美的側面を主題とした関心に
対する説明の助けとなるだろう。幾つかは描写に限定される──十七音
で作られた極めて小さな彩色スケッチ、幾つかは、可愛らしい空想や
上品な暗示の域を出ない──が、読む者は様々な発見をするだろう。
おそらくその一節それ自体は、それほど関心を惹かないだろう。格言的に
簡潔な種類の日本の詩歌の風味は、ゆっくり学習して味わうべきで、
その度合によって、辛抱強い勉強の後には、驚くべき構成の可能性を
公正に推測できるようになるだろう。軽率な批判は、十七音の詩歌に幾ら
かの真剣さを求める主張をするのは「不合理だ」と断言する。しかし、
カナの地の結婚披露宴で起きた奇跡におけるクラショーの有名な一行の
場合はどうだろう?──Nympha pudica Deum vidit, et erubuit.わずか
十四音──かつ不朽の名声。ところで十七の日本の音節にも全く
同じように素晴らしい物が──実際、もっと素晴らしく──表現されて、
一度や二度ではないが、おそらく千回は……しかしながら、次に示す
俳句に素晴らしい物は無い、文学以上の理由で選ばれたからだ──

47 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/05/15(木) 02:23:06.19 ID:beCYVy7+0
 脱ぎかける、羽織姿の胡蝶かな
(羽織を脱ぐ途中のような──それが蝶の形)
 鳥さしの竿の邪魔する胡蝶かな
(あぁ、蝶が鳥を捕るための棒に止まり続けている)
 釣鐘に止まりて眠る胡蝶かな
(寺の鐘を止まり木にして蝶が眠る)
 寝るうちも遊ぶ夢をや草の蝶
(寝ている間ずっと遊びの夢を見る──あぁ草の蝶)
 起き起きよ、我が友にせん寝る胡蝶
(起きろ!起きろ!──汝を我が同志としよう、眠る蝶よ)
 籠の鳥、蝶を羨む目付きかな
(あぁ哀れを目で表現する籠の鳥──蝶が羨ましいと)
 蝶飛んで風無き日とも見えざりき
(風が吹く日とは見えないけれど、蝶のひらひら飛ぶ様子では)
 落花、枝に返ると見れば、胡蝶かな
(花が落ちてから枝に戻って見えた──見よ!ただの蝶だ!)
 散る花に、軽さ争う胡蝶かな
(何と!落ちる花びらに蝶が軽さを競う努力をしている)
 蝶々や、女の道の後や先
(女の人の通り道の、あの蝶を見よ──後ろを飛んだり、前を飛んだり)
 蝶々や、花盗人をつけてゆく
(あはは、蝶々が!花を盗んだ者のあとについて行く)



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