怪談:妖しい物の話と研究


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奇談
1 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:16:03.69 ID:XRRvBaIb0
【出版依頼】
【著者】ラフカディオ・ハーン
【翻訳編集】小林幸治
【予定価格】100円

小泉八雲の「怪談」に収録されていない、霊的な話や不思議な話を収録して
電子書籍にします。

話の画像はいつでも募集してます。謝礼はカラー2000円、モノクロ1000円、
著作権は絵師に残り、私に利用権を与え、著作権者は他所で利用しても良い
という方向です。

2015/03/09修正と追記
内容を追加した改訂版の無料アップデートはKindleの規約上不可能であると分かりました
14話程度で1冊作り3巻の電子書籍にする予定です
最後に全話まとめて1冊作り、計4冊にしようかと思います

2 :化け蜘蛛1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:19:26.80 ID:XRRvBaIb0
化け蜘蛛

 かなり昔の本では、日本にはたくさんの化け蜘蛛がいたと言う。庶民の
何人かは、まだ化け蜘蛛は居ると主張する。そいつらは昼の間は普通の
蜘蛛と変わらないが、夜がかなり更けて、誰もが眠りにつくと、とても、
とても大きくなって、恐ろしい事をする。化け蜘蛛はまた、人の姿をとる
不思議な力を持つとうわさされ──そうして人々を欺く。そういった蜘蛛に
ついての有名な日本の話が有る。

3 :化け蜘蛛2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:21:11.24 ID:XRRvBaIb0
 かつて村の淋しいところに、化け物が出る寺が有った。その建物には
化け物がとり憑いているせいで、誰も住むことができなかった。化け物を
退治するために何度か勇敢な侍がその場所に向かった。だが寺に入った
後に再び話を聞くことは無かった。
 勇気と賢明さで名高い最後のひとりは、夜の間に寺を見張りに行った。
そして、そこまで付き添った人達に言った──「朝になってもまだ生きて
いたら、寺の鐘を鳴らしてやろう。」それから提灯の明かりを頼りに、ひとり
で見に行った。

4 :化け蜘蛛3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:24:28.73 ID:XRRvBaIb0
 夜が更けた頃、彼はほこりまみれの仏画に見守られた祭壇の下に身を
かがめた。夜半を過ぎるまでは、おかしな物は何も見えず、物音ひとつ
聞こえなかった。それから体が半分だけのひとつ目の化け物がやって
来て言った。「人臭い」だが侍は動かなかった。化け物は去った。
 それから坊さんがやって来て三味線をとても上手に弾いたが、これは
人の演奏ではないと侍は確信した。すぐに刀を抜いて跳び上がった。
坊さんは彼を見て大声を出して笑いながら言った──あんたはわしが
化け物だと思いますかね、なんてこった、わしはこの寺のただの坊主
ですが、化け物を近づけないために演奏していました。──この三味線の
音はお気に召しませんでしたか、少し弾いてくださいな。」
 そして彼が差し出す楽器を侍はとても慎重に左手で握った。だが三味線
は即座に巨大な蜘蛛の糸に変わり、坊さんは化け蜘蛛になって、武士は
左手からしっかり蜘蛛の糸に捕らえられた自分自身に気が付いた。彼は
勇敢に暴れ、蜘蛛を刀で斬りつけ、傷を負わせたが、すぐに網の中で絡まって
しまいじっとするよりなく、動けなくなった。
 けれども負傷した蜘蛛は、のろのろと逃げていった──そして日が昇った。
少ししてから人々がやって来て、恐ろしい網の中の侍を見つけ出し解放した。
彼らは床の上の血の痕を見つけ、跡をたどっていくと寺の外の人気の無い
庭に穴が有った。穴の外には恐ろしい唸り声が出ていた。彼らは穴の中に
負傷した化け物を見つけて、それを殺した。

5 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:35:03.53 ID:XRRvBaIb0
Japanese Fairy Tale SeriesのThe Goblin Spiderという絵本からの
話でした。

Fairy Taleという言葉を直訳すれば妖精譚ということになりますが、
妖精が出てくる話は無いので、お伽噺という事でしょう。

元々が絵本の為に書かれた話なので、文章だけを読むと少し物
足りない感じがします。

元の絵本は全ページがネット上に存在しますので、探して見ながら
この翻訳を読むと面白いと思います。

6 :幽霊滝の伝説 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:13:56.16 ID:NE4wS9Rl0
幽霊滝の伝説

 伯耆の国の黒坂村の近くに幽霊滝と呼ばれる滝が有る。どうしてそう呼ばれて
いるのかは知らない。滝の麓近くに人々が滝大明神と名付けた土地神を祀る
小さな神道の社が有り、社の前には信者からの供物を受け取る小さな木製の
金箱─賽銭箱─が置かれている。そしてこの賽銭箱にまつわる話が有る。

7 :幽霊滝の伝説2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:17:03.55 ID:NE4wS9Rl0
 三十五年前の凍てつく冬のある晩、黒坂のとある紡績工場─麻取り場─
で、一日の仕事を終えた雇われの女房や娘達が紡ぎ部屋の大きな火鉢の
回りに集まっていた。その時は面白半分に怪談話を語り合っていた。十を
越える話が語られ集まったほとんどが気味悪く感じながらも、恐怖の盛り
上がりが最高潮に達した頃、ひとりの娘が叫んだ「そうだ、今晩この中の
誰かひとりだけ幽霊滝に行ってみない。」この提案は全体に神経質な爆笑
を伴う金切り声を引き起こした……「私が今日紡いだ麻全部あげるよ」
集まった中のひとりがからかって言った「行った人にね」「そうしよう」別の者
が声をあげた「私も」三人目が言った。「みんなが」四番目が確認した……
その時紡績工の中のひとり、大工の妻の安本お勝が立ち上がった──
彼女には二歳になるひとり息子が有り、背中で包まれて気持ち良く眠って
いた。「聞いて」お勝は言った「みんなが今日紡いだ麻を全部私にくれるのに
賛成なら、幽霊滝に行ってくる。」彼女の提案には驚き呆れた叫びが返って
きた。しかし何度か繰り返した後で、真剣に受け入れられた。紡績工それぞれ
が、お勝が幽霊滝へ行ってきたのなら、その日の仕事の分け前をお勝のために
あきらめて手放すと合意した。「でも、本当に行ったのか、どうしたら分かるの」
鋭い声がたずねた。「賽銭箱を持って帰ったらいいんじゃない」紡績工達から
おばあさんと呼ばれる年取った女が答えた「証拠には十分だろう」「持ってくるわ」
お勝が叫んだ。そして背中に子供をおぶったまま、外の通りへと飛び出して
行った。

8 :幽霊滝の伝説3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:19:29.41 ID:NE4wS9Rl0
 その晩は霜が降りるほど寒かったが澄みきっていた。人影の無い
通りをあわただしく下っていくお勝の目に、刺すような寒さのため扉を
固く閉めきった家々が見えた。村を出て、星の明かりだけを頼りに静まり
返る凍った田んぼの間を──ぴちゃぴちゃ──街道沿いにひたすら
走った。半時間ほどはまともな道沿いに、それから崖の下の曲がり
くねった狭い道を回って降りた。小道は進むほどに暗く粗くなって
いったが、彼女はそれをよく心得ていて、すぐにゴーゴーと水の立てる
鈍い音が聞こえてきた。ほんの数分の後、道は峡谷へとひろがり
──鈍い轟音は高く騒々しくなっていき──彼女の前に暗黒の塊に
反して浮かび上がる、滝の長い微かな光が見えた。ぼんやりと
社─の賽銭箱─が見分けられた。彼女は急いで進み出た──手を
突き出して……
「おい、お勝さん」不意に水の砕ける辺りから戒めの声が呼び掛けた。
 お勝は立ったまま動かなかった──恐怖のあまり茫然としていた。
「おい、お勝さん」声が再び響いた──前よりも威嚇の調子が強かった。
 だがお勝は実にたくましい女だった。すぐに麻痺から立ち直ると、
賽銭箱をひったくって走った。彼女は街道に到着するまでは、それ
以上の警告は何も聞かず何も見なかった。そこでひと息いれるため
立ち止まった。それから黒坂に着くまで──ぴちゃぴちゃ──しっかり
走って、麻取り場の扉をゴンと叩いた。

9 :幽霊滝の伝説4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:21:19.84 ID:NE4wS9Rl0
 女房や娘達がどんなに叫んだことか、賽銭箱を手にした彼女があえぎ
ながら入ってきたものだから。皆は息を呑んで彼女の話を聴き、水の方
から幽霊が名前を呼ぶ二度の声について語ると、共感の悲鳴が上がった
……なんという女だ、勇敢なお勝──麻を受け取るのに相応しい……
「でも坊やは凍えてるはずだよ、お勝」おばあさんが叫んだ。「火のそばの、
こっちで預かるよ」
「お腹がすいてるはずだわ」母親が声を上げ「すぐにお乳をやらないとね」
……「困ったお勝だよ」そう言っておばあさんは、子供を運んだ包みを外す
手伝いをした──「あら、背中じゅうずぶ濡れじゃない」それからかすれた
叫びを上げ、大声で喚いた「あら、血だわ」包みをほどいて脱がせて床に
下ろし、血でびしょ濡れになった赤ん坊の着物の塊からそのまま露出して
いる、ふたつの非常に小さな褐色の脚とふたつの非常に小さな褐色の手
──それ以上無かった。
 子供の頭はちぎられていた。

10 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:28:09.27 ID:NE4wS9Rl0
Kotto(骨董)からThe Legend of Yurei-Daki
でした。

11 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/08(金) 14:39:30.85 ID:NE4wS9Rl0
最後の「頭はちぎれていた」でも良いかもしれない
幽霊にちぎられたとは限らないのだから

12 :ちんちん小袴1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:40:16.15 ID:fltZOasb0
ちんちん小袴《こばかま》

 日本の部屋の床は葦を編んだ分厚く柔らかで美しい複数の敷物で覆われて
いる。それらは共に非常に近接してぴったり合わせてあるから、あなたはその
すき間にナイフの刃を問題無くゆっくり滑らせることができる。それらは毎年
一度取り替えられ、非常に清潔に保たれている。日本人は家の中では靴を
着用せず、椅子やイギリスの人々が使うような家具を使用しない。彼らは座る
のも、眠るのも、食事も、時には書き物でさえ床の上でする。そういった敷物は
実のところ非常に清潔を維持しなくてはならないが、日本の子供は言葉を
話せるようになるとすぐに、敷物を傷めたり汚したりしないよう教えられる。

13 :ちんちん小袴2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:40:56.81 ID:fltZOasb0
 さて 日本の子供達は本当にたいへん立派だ。旅行者の全てが日本について
楽しい本を書いたが、日本の子供達はイギリスの子供達やそれより腕白さで
劣る子供達よりはるかに素直だと発表している。彼らは物を傷付けたり汚したり
せず、自分だけの玩具でさえ決して壊さない。小さな日本の女の子は彼女の
人形を壊さない。いや、素晴らしい手入れをして、大人になって結婚した後で
さえずっと持っている。彼女が母親になり娘を持つ頃、その人形を小さな娘へと
与える。そして、その子も母親がしたのと同じ手入れを人形にし、彼女が大きく
なるまで保管し、最後に自身の子供に与え、その子もまさしく祖母がしたのと
同様きちんと遊ぶ。そうして私は──あなたにこのちょっとした話を書いているが
──日本で百歳以上の人形達を見てきたが、新品と変わらず本当に可愛らしい
外見だった。これは日本の子供達がどんな具合で非常に立派なのかあなたに
示し、どうして日本の部屋の床がほとんどいつも清潔に保たれているのか理解
できるだろう──引っ掻いたり腕白な遊びで台無しにされずに。
 あなたは、全て、日本の子供達全員がそんな風に立派なのかと訊ねる──
いや、まれに、ごくごくまれに横着なのがいる。では、この横着な子供の家の敷物
では何が起こるか。大きな悪いことは何も無い──敷物を手入れする妖精がいる
からだ。この妖精達は、敷物を汚したり傷めたりする子供達を、いじめたり怖がらせ
たりする。少なくとも──かつては、そんなやんちゃな子供達をいじめたり怖がらせ
たりしたものだ。私はこの小さな妖精達がまだ日本に住んでるいるのか、全く確信が
無い──新しい鉄道や電信柱が怖がらせて、かなり多くの妖精達が去ったからだ。
だが、それについてのちょっとした話がここにある。

14 :ちんちん小袴3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:48:27.72 ID:fltZOasb0
 かつて、たいへん可愛らしく、そのうえ非常に無精な小さな女の子がいた。
彼女の両親は裕福で、たいへん多くの使用人があり、この使用人達は小さな
女の子にとても優しく、自分のためにできる彼女がするべきことの何もかも
してくれた。おそらくこのことが彼女をたいそうな無精者にしたのだろう。彼女が
美しい女性に成長した時も、まだ無精なままだったが、使用人達がいつでも
服を着せたり脱がせたり髪を整えて、とても魅力的な外見にしたので、彼女の
欠点については誰も考えなかった。
 ついに彼女は勇敢な戦士と結婚し、別の家で暮らすために彼と共に出て
いったが、そこは使用人が少なかった。実家で持っていたのと同じほどの
使用人がいないため、世間ではいつでも自分ですることのいくつかを、彼女が
しなくてはならなくなったので気が重かった。それは、着物を自分で着替えたり、
自分の着物の手入れをしたり、きちんとした小綺麗な身なりで夫を喜ばせると
いった悩みだ。しかし夫は戦士なので、しばしば軍隊と共に家から離れることが
あり、たまには望む通りの無精ができた。夫の両親はとても老いていて、人の
良い性格で、やかましく言わなかった。
 やれやれ、夫が軍隊で留守のある晩、彼女は部屋の中の小さな雑音で目を
覚ました。大きな提灯のそばで、とてもよく見えるところに、奇妙なものが見えた。
なんだろう?
 まるで日本の戦士のような服装だが、わずか二センチ余りの背丈の、数百の
小さな男達が、全員で彼女の枕の回りで踊っていた。彼らは夫が休日に着る
のと同じ種類の服──(裃《かみしも》、四角い両肩を備えた長い衣)──を
着て髪は結んで縛られ、それぞれが小さな二本の刀を身につけていた。全員が
躍りながら彼女を見て、笑い、全員が同じ歌を、何度も繰り返し歌った──

15 :ちんちん小袴4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:49:22.97 ID:fltZOasb0
 ちんちん小袴
 夜も更け候──
お静まれ、姫君──
 やとんとん

その意味は「我々はちんちん小袴である──夜遅い──眠りなさい、高貴な貴族の
かわいい人よ」
 この言葉はとても礼儀正しいが、すぐにこの小さな男達は彼女を残酷にからかって
いるだけなのがわかった。彼らもまた醜い顔を作って彼女へ向けた。
 彼女はいくつかを捕まえようと試みたが、辺りをとても素早く跳ね回るので、それは
できなかった。それから追い払おうとしたが、彼らは出て行かず、彼女を笑いながら
「ちんちん小袴……」と歌うのをやめなかった。そして、これが小さな妖精だと
分かると、叫ぶことさえできないほど非常な恐怖の虜となった。彼らは朝になる
まで彼女の回りで踊り続けた──それから全員が突然消え去った。
 彼女は何が起こったか、誰かに告げるのを恥じた──彼女は戦士の妻なので、
どんなに怯えているのか、誰にも知られたくなかった。次の晩、ふたたび小さな
男達が来て踊り、その次の晩も、毎晩やって来た──いつも同じ時間、昔の日本で
使われていた「丑の刻」と呼ばれる、我々の時間にしておよそ午前二時頃だ。
しまいには寝不足と恐怖によって、とても具合が悪くなった。しかし、小さな男達は
彼女をひとりにしようとはしなかった。夫が帰宅し、彼女が病で寝込んでいるのが
分かると、たいへん心配した。はじめ彼女は病の原因を話せば、笑われるのでは
ないかと恐れた。しかし彼はとても親切でとても穏やかに彼女を説得したので、
しばらくして毎晩何が起こったかを話した。彼は全く笑わなかったが、一時非常に
真剣な顔をした。それから訊ねた──
「そいつらは何時頃やって来るのだ。」彼女は答えた──「いつも同じ時刻──
丑の刻でございます。」
「よく分かった」夫は言った──「今晩、わしが隠れて見てやろう。恐れることはない。」
 そのように、その晩戦士は寝室の押し入れに身を隠し、襖の狭いすき間から
覗き続けた。
 彼は「丑の刻」まで待ちつつ覗いたが、その時突然、小さな男達が敷物を通って
やって来て、踊りと歌を始めた──

16 :ちんちん小袴5 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:49:51.87 ID:fltZOasb0
 ちんちん小袴、
夜も更け候う……

 彼らはとても珍妙な外見をし、なんとも滑稽なやり方で踊ったので、戦士は
笑いをこらえるのに苦労した。しかし彼の若い妻の怯えた顔が見えると、日本の
ほとんどの幽霊や妖怪は刀を恐れるのを思い出し、刀を抜いて、押し入れから
跳び出して、小さな踊り手達をなぎ払った。たちまち彼らの全ては姿を変えた
──何だと思う?
                       つまようじ!
 小さな戦士達はもういなかった──たくさんの爪楊枝が敷物の上に散らばって
いるだけだった。
 若い妻は爪楊枝を捨てるのを怠け過ぎて、毎日、新しい爪楊枝を使った後、
それを目につかなくするため、床の上の敷物の間に刺して落としたのだろう。
そのため敷物を手入れする小さな妖精達が怒って彼女を責め苛んだのだ。
夫が彼女を叱ると、たいへん恥じ入り、どうしたら良いのか分からなくなった。
使用人が呼ばれ、爪楊枝は焼き捨てられた。その後、小さな男達がふたたび
帰って来ることは無かった。

17 :ちんちん小袴6 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 11:51:48.58 ID:fltZOasb0
 無精な女の子について伝えられた話が更に有る。その子はスモモを
食べた後で、種を敷物の間に隠す習慣だった。長い間見付からずに
こんなことができた。しまいに妖精達の怒りを買い懲らしめられた。
 毎晩、小さな小さな女達が──全員が長い袖の付いた鮮やかな赤い
着物を着て──同じ時間に床から湧き出してきて、踊り、彼女にしかめっ面
を向けて眠りを妨げた。ある晩母親が身を起こして伺うと、それが見え、
叩いた──すると彼女達全員がスモモの種に姿を変えた。そうして小さな
女の子のいたずらは見付かった。その後、彼女は非常に立派な少女と
なった、確実に。

18 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/15(金) 12:11:24.77 ID:fltZOasb0
Japanese Fairy Tale SeriesのChin Chin Kobakamaという話でした。

このシリーズは布に質感を似せた和紙に印刷された絵本で、
絵もなかなか面白いです。でも、この「ちんちん小袴」では、イラスト
と前書きでネタばれしているような・・・

敷物はmatsの訳で、この話では畳の事ですね、畳と翻訳しても
良かったのですが、文中にJapaneseという単語がいくつか有ったので
外国人視点で見るなら、敷物と訳した方が良いだろうと思いこうして
います。

ところでこの絵本、当時でも高価だったのではと想像できますが、
現在の古書市場でも40万円以上します。ネットを検索すると、
PDFファイルや、画像を掲載しているサイトが複数ヒットします。
そちらで楽しみましょうか…

19 :若返りの泉1 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:05:52.95 ID:8gfWneok0
若返りの泉

 むかしむかし、日本の山々の間のどこかに、貧しい樵《きこり》と
その妻が住んでいた。ふたりはとても年老いていたが、子供が
無かった。夫は毎日ひとりで森へ木を切りに行き、妻は家で座って
機を織った。
 ある日老いた男は、とある種類の木を捜しに普段よりも森の奥へ
進んで行くと、いつの間にか自分が今までに見たことの無い小さな
泉の端にいるのが分かった。水は不思議なほど冷たく澄みきって
おり、またその日は暑い中を苦労して歩いたので喉が渇いていた。
そうして大きな麦藁帽子を脱ぎ、膝をついて長いこと飲み続けた。

20 :若返りの泉2 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:07:46.96 ID:8gfWneok0
 その水は極めて脅威的な方法で彼を元気付けたように見えた。
それから泉に自分の顔を見付けて、後ずさった。間違い無く自分の
顔ではあるが、家の銅鏡で見慣れたのとは全く違っていた。それは
とても若い男の顔であった。彼は自分の目が信じられなかった。
ちょっと前に綺麗にはげ上がった頭に両手をのせて、いつも持ち歩いて
いる小さな青い手拭いで拭いてみた。ところが今ではふさふさとした
黒い髪でおおわれていた。また、顔は皺のことごとくが消え去り、
少年のようにすべすべになっていた。同時に自分に新しい力が
みなぎっているのを発見した。寄る年波で長い間萎え衰えた手足が、
今では引き締まった若い筋肉で固くしなやかになった驚きで目を
みはった。知らぬ間に若返りの泉を飲み、それにより彼は一変したのだ。

21 :若返りの泉3 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:09:47.13 ID:8gfWneok0
 最初に高く跳び上がって大きな喜びの声を上げ──それから
今までの人生でかつて走ったよりも早い速度で家へ走った 。彼が
家に入ると妻は怯えてしまった──彼を知らない人だと思い込み、
不思議な出来事を話しても、一度に信じてはくれなかった。しかし
長いことかかって、今目の前にいる若い男が本当に彼女の夫だと
説得できて、泉の場所を話し、一緒に行こうと誘った。
 それに対して彼女は言った──「あんたは、そんな男前で、そんなに
若くなりなさっては、こんなお婆を愛し続けられません──そんなら
私もすぐに、なんぼかその水を飲まななりません。だけど同じ時間に
家を空けてしまっては、私達双方の為になりません。私が行っている間、
ここで待っていて下さいませんか。」そして彼女は木々の間を全て
ひとりで走った。
 彼女は泉を見付け、膝をついて飲みはじめた。ああ何て冷たくて
気持ちがいいんだろう、この水は。彼女は飲んで飲んで飲んで、息を
継ぐ為だけに休んで、また繰り返した。

22 :若返りの泉4 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:10:24.36 ID:8gfWneok0
 夫はもどかしげに彼女を待った──彼は可愛らしい細身の娘に
なって帰って来る彼女に会えると期待していた。しかし彼女はいつ
までたっても戻って来なかった。彼は心配になって、家の戸締まりを
して、彼女を捜しに出かけた。
 泉に着いても彼女は見付からなかった。ちょうど彼が帰ろうとした
所で、泉のそばの高い草の間から、小さな泣き声が聞こえた。そこを
調べてみると、妻の着物と赤ん坊が見付かった──とても小さな
赤ん坊で、おそらく六ヶ月くらいの歳だろう。
 お婆さんは不思議な水をあまりにもたくさん飲み過ぎたために、
若い頃を越えて言葉を話せない幼児の時代に遠く後退するよう自身を
飲み込んだ。
 彼はその赤ん坊を両手で抱き上げた。その子は悲しく不思議そうに
彼を見た。彼はその子を家まで運んだ──奇妙な哀しみの思いを──
ぶつぶつ言い聞かせながら。

23 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/21(木) 19:18:39.69 ID:8gfWneok0
Japanese Fairy Tale SeriesのThe Fountain of Youthでした。

「お婆」は沖縄の人ならオバアと読みますかね、他の人なら
オババでしょうか。出雲ではおばあさんと言う所をオババと
今でもよく言うので、お婆さんとはしませんでした。

お婆さんのセリフは出雲弁にしたかったのですが、読みづらい
だろうと思い程々に出雲風にしておきました。

鋭い人ならお婆さんが帰って来ないところでオチが読めたかも
しれませんねw

24 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 08:59:49.22 ID:vqaVLv9o0
>>17のスモモを梅干しに訂正します。

plumという単語を調べ直してみると、
plum【名刺】スモモ、西洋スモモ、日本の梅、干しぶどう

という事でした。

25 :因果話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:02:23.54 ID:vqaVLv9o0
因果話

※文字どおり因果の話。因果は悪い宿縁や過去の存在の状態で
誤った関わりによる悪い結果に対する日本の仏教用語。おそらく
この奇妙な説話の題名は、死者が犠牲者の過去の暮らしの中の
悪しき行いとのかかわり合いの結果においてのみ、生者を害する
力を持つという仏教の教えの説明に最適なのだろう。題名と説話の
双方とも、百物語という題名の怪談集で見付かるだろう。

26 :因果話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:04:58.39 ID:vqaVLv9o0
 大名の妻が臨終を向かえていたが、彼女は死にゆくことを
知っていた。文政十年の初秋から寝床を離れることができ
なかった。今は文政十二年の四月──西暦一八二九年、
桜の木が花を咲かせていた。彼女は庭の桜の木と、その
春の喜びに思いを巡らせた。子供達のことを思った。夫の
様々な側室に思いを寄せた──とりわけ十九歳の雪子御前。
「愛する妻よ」大名が話しかけた「そなたは三年の長きに渡って、
とても重く苦しんできた。我々はそなたの為になることは出来る
全てをしてきた──昼夜お前のそばで見守り、祈り、しばし
断食をした。愛情のこもった看病にもかかわらず、我々の
最高の医術を尽くしたにもかかわらず、今そなたの命の終りは
遠くないように見える。そなたの悲しみより、お釈迦様がとても
正しく名付けた「この世の火宅」を旅立つそなたを見送る我々の
悲しみが間違い無く大きいであろう。わしは、そなたの来世の
役に立つと思える法要のことごとくを──どんな費用を
かけても──実施させるつもりで、我々の皆はそなたが
暗闇で迷うこと無く、 速やかに浄土に入り、仏の位に到達
できるように休み無く祈ろう。」
 彼女を優しく撫でながら細心のいたわりを込めて話した。
それから、まぶたを閉じ、彼女は虫のようにかぼそい声で
答えた──
「かたじけのうございます──何よりも感謝いたします──
あなたの親切なお言葉……そうです、あなたのおっしゃる通り、
三年もの長きに渡り病に臥して、できる限りの看病と愛情の
こもった治療をいただきましたのに……まあ、どうして死を
間近に控えて正しいひとつの道から顔をそむけることが
ございましょうか……このような時に俗世の心配をするのは
良くないのでしょうが──最後にひとつお願いがございます
──ひとつだけ……雪子御前をここへお呼びください──
ご存知のように私はあの娘《こ》を妹のように愛しております。
この家の細事について話しておきたいのです。」

27 :因果話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:08:30.57 ID:vqaVLv9o0
 主人の合図に従って、雪子が呼ばれ寝所の傍《そば》に正座
して座った。大名の妻は目を開き雪子を見つめて話した──
「ああ、雪子がここに……あなたの顔が見られてどんなに嬉しい
ことか、雪子……もっとそばにおいで──あなたによく聴こえる
ような、大きな声では話せないのですもの……雪子、私は死に
ます。私の望みは、私達の大切な旦那様の全てのことをあなたが
誠実に行ってくれること──私が逝ってからの勤めは、あなたに
引き継いでほしい……あなたがいつもあの方から愛されるよう
望みます──そう、私がいただいた百倍以上に──そして、
とっても早く高い地位に登って、光栄な妻になるのです……
大切な旦那様をいつも大事にしてくださるよう切にお願いします。
他の女に寵愛を奪われるのは許しません……これがあなたに
言いたかったことです。可愛い雪子……よく分かりましたか。」
「ああ、いとしい奥方様、」雪子は諌《いさ》める「なりません、
お願いでございます、どうしてそのようなおかしな事をおっしゃる
のでしょう、よくご存知のように私は貧しく卑しい身分の者で
ございます──いつか私達の旦那様の妻になるような、
大それた望みをどうして持てるのでしょうか。」
「いえ、いえ」妻がかすれ声で返す──「今は建前を言う時
ではありません。お互いに本音だけで語り合いましょう。私が
死んでから、あなたはきっと高い地位に昇るでしょう、今私が
請け合いますから、私達の旦那様の妻となるよう重ねて
お願いします──そう、これが私の望み、雪子、私が仏と
なることより、もっと望んでいます……ああ、もう少しで
忘れるところでした──あなたにしてほしいことが有ります、
雪子。あなたも知っての通り、一昨年《おととし》大和の
吉野山から持ってきた八重桜[1]が庭に有ります。今それが
満開だと聞いています──死ぬまでの少しの間、お花見
でもしていたいのです──死ぬ前にあの木を見ておかなくては
なりません。今あなたに庭まで連れて行ってほしいのです
──すぐに、雪子──私が見られる内に……そう、あなたの
背中で、雪子──私をおぶっておくれ……」

28 :因果話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:11:38.79 ID:vqaVLv9o0
 こうして求めているうちに、彼女の声は次第に明瞭に、力強く
なっていった──まるで望みの強烈さが、彼女に新しい
生命力を与えたかのように。それから彼女は急にわっと泣き
出した。雪子はどうしたら良いか分からず、正座のまま動けず
にいたが、殿様が同意して頷いた。
「それがこの世の最後の望みだ、」彼が言った。「こいつは
いつも桜の花を愛していて、大和木に花が咲くのを随分と
見たがっていたのを知っている。おいで、可愛い雪子、その
思いを叶えてやるといい。」
 乳母が子供にするかのように、すがりつけるよう背中を向け、
雪子は肩を差し出して言った──
「奥方様、支度が整いました、どうか具合の良いお世話が
できるやり方をおっしゃってください。」
「では、こうして」──瀕死の女は言葉を返し、雪子の両肩に
まとわり付き、ほとんど人間離れした努力で自身を引き上げた。
しかし、彼女はまっすぐ立ち上がりながら、素早く痩せた両手を
両肩の上から下ろし、着物の下へ滑らせ、娘の両乳房を
掴《つか》むと、いやらしい笑い声をほとばしらせた。
「望みは叶った」彼女は叫んだ──「桜の花[2]への望みは
叶った──だけど庭の桜の花じゃあない……望みを叶える
までは死にきれなかった。今それは叶った──おお、
嬉しや嬉しや。」
 そしてこの言葉と共に、しゃがんだ娘の上に前のめりに
なって死んだ。

29 :因果話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:13:20.28 ID:vqaVLv9o0
 お付きの者達が一度体を持ち上げて、雪子の肩から寝床へ
横たえようとした。だが──奇妙なことに──これが見た目ほど
簡単にできることではなかった。冷たい両手それ自体が不可解な
やり方で──急に肉と一体化して成長したかのように──娘の
乳房に張り付いていた。雪子は恐怖と苦痛と共に気を失った。
 医者達が呼ばれた。彼らは何が起こったか分からなかった。
通常の手法では死んだ女の手を、被害にあった彼女の体から
離せなかった──それは余りにもぴったりくっついていたので、
どんなに頑張って取り除いても血を流さずには済まなかった。
これは指で握っているのではなく、手のひらの肉それ自体が
何か説明できない具合に乳房の肉と結合していたからだ。

30 :因果話6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:15:55.56 ID:vqaVLv9o0
 その頃江戸で最も医術に優れていたのは異国人──
オランダ人船医であった。彼を呼び寄せる決定がなされた。注意
深く診察した後で彼が言うには、この状態は自分には理解
できないが、すぐに雪子を助けるには、死体から両手を切るしか
できることは無い。乳房からそれを切り離すのは危険だろうと
名言した。彼の忠告は受け入れられ、両手は手首で切断された。
だがそれはぴったりくっついたまま残り、すぐに暗い色になり
干からびた──まるで死んでから長い時を経た人の手のように。

31 :因果話7 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:17:16.67 ID:vqaVLv9o0
 これはまだ恐怖の始まりに過ぎなかった。
 干からびて血の気がないにもかかわらず、この手は死んでは
いないように見えた。それらは周期をもって蠢《うごめ》くのだった
──密やかに、まるで巨大で灰色な蜘蛛のように。以来、夜ごと
──いつも丑の刻[3]に始まり──握り、圧迫し、苦しめていった。
寅の刻を向かえてのみ苦痛は止むのであった。

32 :因果話8 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:19:03.12 ID:vqaVLv9o0
 雪子は髪を切り、托鉢の尼僧となって──脱雪の法名を得た。
彼女は死んだ女主人の戒名──妙高院殿知山涼婦大姉──
を担《にな》った位牌(慰霊の銘板)を作り、流浪の旅の間いつも
これを携え、毎日その前に伏して死者に許しを乞い、嫉妬深い
魂が安らぎを得られるよう、仏教の法要を行った。しかし
そのような苦悩をもたらした悪い宿縁を、すぐには解消させられ
なかった。十七年以上にわたって、毎晩丑の刻になると、両手は
彼女を苦しめずにはおかなかった──彼女が、ある晩立ち寄った
下野の国河内郡田中村の野口田五左衛ー門の家で 、最後に
自分の話を語った、そこの人達の証言による。それは弘和三年
(一八四六年)のことである。それ以後の更なる彼女については、
これまで聞こえていない。

33 :因果話9 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:20:18.28 ID:vqaVLv9o0
[1]八重桜、八重の桜、二重に花をつける日本の桜の木の品種。
[2]日本の詩や諺では、女性の肉体的美しさを桜の花と比較
する一方、かよわい貞淑な美しさを梅の花と比較する表現方法。
[3]日本の古代の時間で、丑の刻は幽霊達の特別な時間で
あった。それは午前二時に始まり、午前四時まで続く──古い
日本の時間は現代の時間の二倍の長さがあったからだ。寅の
刻は午前四時に始まる。

34 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/01(月) 09:36:34.30 ID:vqaVLv9o0
In Ghostry Japan(霊的日本にて)よりIngwa-Banashiでした。

私が初めてこの話を読んだのは社会人になってから買った
田代三千稔訳の本でした。
当時は嫉妬の恐ろしさに鳥肌が立ったものでした。

今、改めて自分で翻訳してみると、怪異の原因は嫉妬ではなく、
雪子への異常な愛情ではないかと思えてきました。

奥方は死んでからも、ずっと雪子と一緒にいられて幸せだった
のだろうなと、そう思うと・・・恐ろしさに鳥肌が立ちます。

托鉢という言葉は解説不要ですよね?
原文ではmendicantという単語になっています。
托鉢の他に、乞食や物乞いの意味が有ります。

35 :死骸に乗る者1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:17:05.48 ID:T3Mh4rHn0
死骸に乗る者

※「今昔《こんせき》物語」より

 体は氷のように冷たく、心臓は長らく鼓動を終えていたが、他の死を示す
兆候はまだ無かった。女を埋葬しようとは誰も全く話さなかった。彼女は離縁
されたことに悲しみ怒って死んだ。彼女を埋葬するのは無駄であろう──死に
行く者の復讐に対する最後の望みは滅びることが無く、どんな墓石でも粉々
に吹き飛ばし、最も重い墓場の石でも割れるからである。彼女が横たわる
家の近くに住む者達は、彼らの家庭から逃げ出した。彼女がただ離縁した
男の帰りを待っているだけなのは、皆が知っていた。
 彼女が死を迎えた時、男は旅の途上にあった。戻ってから、何が起こったか
を聞いた男は、恐怖の虜となった。「暗くなる前に助けが見つからねば」男は
自分自身を思った。「あの女は俺を八つ裂きにするだろう。」まだ辰の刻[1]では
あるが、無駄にする時間は無いのが分かった。
 男はいったん陰陽師《いんようし》の元に行き、救いを求めた。陰陽師は死んだ
女の話を知っていて、その死体を見ていた。彼は嘆願する男に言った──「大変
大きな危険が迫っています。あなたを救えるよう努力はします。しかし、あなたは
これから私が言うどんなことでも実行すると、約束しなければなりません。あなた
を助けられる、たったひとつの方法です。それは恐ろしいやり方です。あなたが
勇気を出して挑まなければ、彼女は手から脚から、あなたを引き千切るでしょう。
もしあなたが勇敢になれるなら、夕方の日が落ちる前、再び私の元へ来て下さい。」
男は身震いをしたが、彼が言う必用なことは何でもすると約束した。

36 :死骸に乗る者2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:18:40.95 ID:T3Mh4rHn0
 日が落ちると、陰陽師は男を連れて死体が横たわる家に行った。陰陽師は
引き戸を押し開けると、依頼人へ入るように言った。周辺《あたり》は急に暗く
なっていた。「そんな勇気は無い」男は喘ぎ、頭から足まで全身で震えた──
「あの女を見る勇気なんて無いよ。」「あなたには彼女を見る以上のことをやって
もらわなくてはなりません。」陰陽師は宣言した──「それに、従うと約束した
ではありませんか、入るのです。」彼は震える男を強引に家の中の死体の
横まで連れて行った。

37 :死骸に乗る者3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:24:09.26 ID:T3Mh4rHn0
 死んだ女はうつ伏せに横たわっていた。「今から彼女の上にまたがりなさい」
陰陽師は言う「そして、馬に乗るのと同じように、しっかりと背中に座るのです
……来なさい──そうしなくてはなりません。」陰陽師が支えなくてはならない
ほど男は震え──恐ろしく震えながらも従った。「では、両手で髪を掴み
なさい、」陰陽師が命令した──「半分を右手に、もう半分は左手で……そう
……それを手綱のように握らなくてはなりません。手に巻きつけて──両手に
──しっかりと。そのやり方です……聞いて下さい。あなたは、そのまま
朝まで居なくてはなりません。夜には恐ろしいことが起きるでしょう──きっと
たくさん。けれど何があっても、決して彼女の髪を離してはなりません。もし
離せば──ほんの一瞬であっても──肉の塊にされてしまいます。」
 陰陽師はそれから死体の耳に奇妙な言葉を囁いてから、その乗り手に
言った……「さて、理由《わけ》あって彼女と共にあなたを残して立ち去ら
なくてはなりません……そのまま残っていて下さい……とりわけ彼女の
髪を離してはならないと、覚えておいて下さい。」そして彼は出て行き
──背後の戸を閉めた。

38 :死骸に乗る者4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:26:18.48 ID:T3Mh4rHn0
 何時間も何時間も暗い恐れの中、男は死骸の上に座っていた──
そして周辺を夜の静けさが深く深く増していくと、それを破るため彼は
叫び出した。いきなり男を振り落とすかのように、下から体が跳ね
上がり、死んだ女が大声で叫び出した、「おお、何て重いんだろう。
だが今すぐあいつをここに連れて来てやろう。」それから高く彼女は
上がり、戸口まで跳び、乱暴に開けて──ずっと男の重みを支えた
まま──夜の闇へ突進した。が、男は両目を閉じて、うめくことさえ
できない、凄まじい恐怖に怯えながらも──固く、固く──彼女の
長い髪を両手に巻き続けた。どれだけ彼女が遠くまで行ったか、
男には全く分からなかった。男は何も見えず、暗闇に──ぴちゃ
ぴちゃ、ぴちゃぴちゃ──彼女の裸足の足音と、走るたびにシュー
シュー鳴る息遣いが聞こえるのみであった。
 とうとう彼女は引き返し、家の中へ走って戻り、最初と同じように、
きっちりと床へ横になった。雄鶏が鳴き始めるまで、女は男の下で
喘ぎもがき続けた。その後彼女は横になったまま動かなくなった。
 しかし男は、歯をガチガチ言わせて、日が昇り陰陽師が来るまで
の間、彼女の上に座り続けた。「そうやって彼女の髪を離さなかった
のですね。」──よく確めてから陰陽師は大いに喜んだ。「それで
良いのです……もう立ち上がれますよ。」彼は再び死骸の耳に
囁くと、男に言った──「あなたは恐ろしい夜をやり過ごさなくては
なりませんでしたが、他の方法では助けられなかったのです。
これから先、彼女からの復讐の心配は必用有りません。」

39 :死骸に乗る者5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:28:03.66 ID:T3Mh4rHn0
***
 この話の結末が、倫理的に十分とは思わない。死骸に乗る者が
発狂したとか、男の髪が真っ白に変わったとは、記録されていない。
ただ「男は涙を浮かべて陰陽師を拝んだ」と語られているに過ぎない。
詳細を説明する追加の書き込みも、同様に期待外れだ。「こう知ら
された、」日本の筆者は言う、「〔死骸に乗った〕男の孫はまだ存命
であり、陰陽師の孫もまさしくこの時代に大宿直村〔たぶん、おおと
のいむらと発音するのだろう〕で暮らしている。」
 この村の名前は今日《こんにち》どんな台帳にも見当たらない。
この話が書かれて以来、多くの町や村の名前が変わったからだ。

40 :死骸に乗る者6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:29:27.77 ID:T3Mh4rHn0
[1]辰の刻、龍の時間、昔の日本の時間で、午前八時頃。
[2]陰陽師、陰陽の科学の教授もしくは指導者──陰陽の科学、
万物に浸透する男性と女性の原理に関する理論に基づく、古い
チャイナの自然哲学。

41 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/04(木) 21:31:43.76 ID:T3Mh4rHn0
Shadowings(影)よりThe Corpse-Riderでした。

42 :梅津忠兵衛の話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:42:13.99 ID:RFHpMe2E0
梅津忠兵衛の話

※「仏教百科全書」で語られていた。

 梅津忠兵衛は怪力で勇敢な若侍であった。彼は出羽の国の
横手の近くに在る高い丘の上に城を構える殿様、戸村十太夫
に仕えていた。殿様の家臣の家は、丘の麓の小さな町に集まっ
ていた。
 梅津はその中から城門の夜番に選ばれた者のひとりであった。
夜の見張り番には二種類あり──一番目は日の入から始まって
真夜中に終わり、二番目は真夜中に始まり日の出に終わる。
 かつて梅津は二番目の見張り番の時、不思議な出来事に
遭遇する破目になった。真夜中に守衛の場所へ行こうと丘を
登っている時に、城までの曲がりくねった道の最後の曲がり角
の先に、女がひとり立っているのを認めた。女は両手で赤ん坊
を抱いて、誰かを待っているように見えた。人気《ひとけ》の無い
場所でこんな遅い時間に女がひとり立っているとは、異常極まり
ない状況としか言いようがなく、それに梅津は暗くなってから
妖かしが人を騙したり殺したりするため、か弱い姿をとる習慣が
あるのを思い出した。そういう訳で、目の前の女に見える存在が
本当の人間であるか疑っていると、不意に話をするかのように
顔を向けてきた。ならば無言で通り過ぎてやろうと心に決めた。
しかし、なんとも驚くべきことに、女が彼を名前で呼び、たいそう
美しい声で、話しかけたのだ──「頼もしい梅津様、今夜私は
かなり大きな困難を抱えて、最も苦しい勤めを果たさなくては
なりません。お慈悲でほんの一刻《いっとき》ほど、この赤子を
抱いていては下さいませんか。」そして子供を差し出した。

43 :梅津忠兵衛の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:47:09.75 ID:RFHpMe2E0
 女が見せるたいそうな若さ、疑わしい不思議な声の魅力、
神秘的な誘惑への疑い、何もかもが疑わしく、梅津には受け入れ
られなかった──が、彼は生まれつき親切であったし、妖かし
への不安に取り付かれた一時の感情で、情けを惜しむのは
男らしくないと感じた。彼はためらいもせず子供を受け取った。
「どうか私が戻るまで、その子を抱いていて下さい。」女は言った
「ほんの少しの間で戻って参ります。」「抱いていよう」彼が答えると、
すぐに女は背中を向け、道を下り、とても軽快にかつとても素早く
音も無く跳ねて丘を下って行ったので、彼は我が目を疑った。
女はほんの僅かな時間で視界から消えていった。
 梅津は、はじめて赤ん坊を見た。それはとても小さく、まるで
生まれたばかりのように見えた。彼の腕の中で少しも動かず、
全く泣きもしなかった。
 突然その子が大きくなったように見えた。改めて見直して見ると
……いや、それは変わらず小さな生き物で、全く動いてもいなかった。
なぜ大きくなったと思い込んだのだろう。別の瞬間になぜだか
分かり──冷気に射貫《いぬ》かれたように感じた。子供は大きく
なっていたのではない、重くなっていたのだ……はじめは三キロか
三・五キログラム程度の重さと感じていたが、その重さが次第に
二倍──三倍──四倍となっていった。いまでは重さが二十キロ
を下回ることはあり得ない──そしてそれは、まだまだ増していく
重く重く……五十キロ──七十キロ──九十キロ……梅津は
欺かれたのだと知った──彼は死すべき運命にある女と話した
のではなく──子供は人ではなかった。しかし梅津は約束した。
侍にとって約束は絶対である。したがって彼は腕の中の幼児を
守る、それが重くなり続けても、もっと重く……百十キロ──
百四十キロ──百八十キロ……何が起ころうとしているのか
想像もできなかったが、断固として恐れず子供は離さない、
力の続く限り……二百二十キロ──二百五十キロ──
二百七十キロ!全身の筋肉は張りつめて震え始めていた
──が、重みはまだ増し続けていく……「南無阿弥陀仏」
呻《うめ》くように呟《つぶや》いた──「南無阿弥陀仏──
南無阿弥陀仏」ちょうど三回目の念仏を唱えた時に、衝撃と共に
重みは去っていき、彼は空になった両手と共に茫然と立ち尽くした

44 :梅津忠兵衛の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:49:02.52 ID:RFHpMe2E0
──不可解にも子供は消えていたのだ。しかし、ほとんど間を
置かず神秘に包まれた女が、去っていった時と同じように急いで
戻って来た。まだ喘ぎながら彼の元に来た女は、はじめとても
清らかに見えた──が、額に汗を浮かべ袖を襷《たすき》の紐で
後ろに縛り、重労働でもして来たかのようであった。
「慈悲深い梅津様、」女は言った。「あなたはどんなに重要な
手助けをなさったのか、ご存じ有りません。私はこの地の氏神[1]
で、今夜は氏子のひとりが出産の陣痛に自分で気が付いて、
私に加護を祈ったのでございます。けれどもその分娩は大変な
困難なものに間違いなく、すぐに私ひとりの手で彼女を救うことは
できないであろうと分かりました──そういう訳で、あなたのお力
と勇気におすがりしようと思ったのでございます。そしてあなたの
手に預けたその子は、まだ生まれていない子供で、はじめに子供が
重く重くなったとお感じになった時には、たいへん危ない状態でした
──産門が閉じていたのでございます。そして子供が重くなり過ぎた
とお感じになって、そう長くは重みを支えられないと絶望なさった時
──同時に、母親は死んだようになって、家族は泣いていたので
ございます。その時あなたは念仏を三回唱えられました、南無
阿弥陀仏と──すると三回目の呟きに御仏の加護の力が我々まで
届き、産門が開いたのでございます……あなたの行いには、
適切なお返しがなくてはなりません。勇敢なお侍様には剛力
以上に役立つ贈り物はございませんから、あなただけではなく、
あなたのご子息とそのご子息にも同様に、剛力を授かるでしょう。」
 そして、この約束と共に氏神は姿を消した。

45 :梅津忠兵衛の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 00:51:56.95 ID:RFHpMe2E0
 梅津忠兵衛は、はなはだ奇妙に思いながらも、再び城への
道を歩きはじめた。日が昇り、勤めから開放されて、いつもの
ように朝の祈りをする前に、顔を洗いに行った。しかし使い
慣れた手拭いを絞りはじめると、驚いたことに触れた丈夫な
布地が手の中で音を立てて真っぷたつになったのだ。別れた
布切れを一緒にして捻《ひね》ってみると、再び布地は
千切れた──まるで水に浸した紙のようであった。その四つを
重ねて絞る試みをしたが、結果は変わらなかった。青銅や鉄製
の様々な物に行き当たると、触れただけで粘土のように曲がって
しまう、そうした後、やがて、約束された完全な剛力の持ち主に
なったので、これから先は物を触る時に、指の中でぼろぼろに
しないよう気を付けるべきなのだと理解した。
 家に帰ってから、この集落で夜の間に子供が生まれていた
かどうか聞いて回った。すると、彼の出来事のまさにその時間、
実際に出産が有って、正しく氏神と関わった通りの有り様で
あったと知った。

 梅津忠兵衛の子供達は、父親の力を受け継いでいた。多く
の彼の子孫は──皆が並外れた力持ちで──この話が
書かれた頃には、まだ出羽の国に住んでいた。


[1]氏神は一族や地域を守護する神道の神に与えられた称号。
一族や地域に生活し、神の神殿(宮)の維持を援助する者全員
を氏子と呼ぶ。

46 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/12(金) 01:07:32.94 ID:RFHpMe2E0
A Japanese Miscellany(日本雑記)よりThe Story of Umetsu Chubei
でした。

これは私の好きな話として上位に入るひとつです。

重さの単位がキログラムという事で、違和感が無くもないですが、
原文ではポンドになっていまして、そのままポンドにする訳にも
いかず、かといって尺貫法は現在の人には尺がフィートと同じ
約30センチくらいとしか分からないだろうし、重さを尺貫法に
してもピンと来ないだろうと思いまして、キログラムに変換しました。

実際、私も尺貫法で尺以外はピンときません。

47 :常識1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:04:31.53 ID:bm5068Df0
常識

 かつて京都に近い愛宕山と呼ばれる山に、熱心に時間の
全てを座禅と聖典の研究に費やす、誠実で博識の僧侶が
住んでいた。どこの村からも遠く離れた小さな寺に居住し、
そんな人里離れた所では、公共の援助が無ければ生活に
必要な物を手に入れられなかった。しかし、何人かの信心
深い田舎の人々が定期的に援助のお布施として、野菜と
米の補給物資を毎月運んでくれた。
 この善良な村人の中に、時々獲物を探しに山へ泊まりに
来る誠実な猟師がいた。ある日、この猟師が米の袋を持って
寺にやってきた時、住職が言った──
「友よ、この前あなたに会ってからずっと、素晴らしいことが
起こっていると、お知らせしなくてはなりません。私ごとき
卑賎の身には、どうしてこのようなことが起こったのかは、
確かには分かりません。が、あなたもご存じのように、長年
に渡る毎日の座禅と読経をしていれば、その信心の行動
を通じて相応の功徳の獲得が保証されると考えられます 。
こうと確信してはいません。が、夜ごとこの寺へ象に乗った
普賢菩薩[1]がいらっしゃるのは間違い有りません……
今夜ここで一緒に泊まりましょう、友よ、そうすれば仏様を
拝見して拝むことができます。」
「それほど有難い光景の証人となれるとは、」猟師は返事
をした、「まったくもって光栄です。喜んで泊まって一緒に
拝みましょう。」
 そうして猟師は寺に残った。しかし住職が勤行《ごんぎょう》
に従事している間、猟師は約束された奇蹟について思いを
巡らせ、そのようなことが有り得るのか疑念を持った。考える
ほどに疑念はつのった。寺には幼い少年──小僧──が
いた。猟師は質問の機会を見付けた。「ご住職から伺った
んだが、」猟師は言う、「あの普賢菩薩が、夜更けにここの
寺へ来るんだってね。あんたも普賢菩薩を見たのかい。」
「既に四回ほど、」小僧が返事をした、「お目にかかり、
普賢菩薩をうやうやしく拝みました。」
 少年の誠実さは疑いようも無いにも関わらず、この告白は
猟師の疑念を深める役にしか立たなかった。しかしながら、
熟慮の末、おそらく少年が見た何もかもが見られるだろうと
思い、約束の光景の時間を熱心に待った。

48 :常識2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:09:11.22 ID:bm5068Df0
 真夜中になる少し前に、住職が普賢菩薩を迎える仕度を
する時間だと知らせてきた。小さな寺の戸は開け放たれ、
住職は戸口で顔を東へ向けて正座した。小僧は左手の方
に正座し、猟師は住職の背後に謹んでその身を置いた。
 それは九月二十日の夜であった──暗く、もの寂しい、
かなりの風が吹き荒ぶ夜、三人は長いこと普賢菩薩の到着
を待った。しかし、とうとう東の方角から星のように白い光
の点が表れ、この光が急速に接近してきた──近づくに
連れて大きく大きくなっていき、山の斜面全体を照らした。
やがてその光は形を取りはじめて──六本の牙を持った
雪のように白い象に乗った神々しい姿になった。そして間も
なく輝く乗り手と共に象が寺の前に到着して、まるで月光の
山のように高くそびえ立った──この世の物とは思えない
素晴らしさであった。

49 :常識3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:10:12.02 ID:bm5068Df0
 住職と少年は、自《おの》ずからひれ伏して、熱心過ぎる
ほど普賢菩薩への祈りを繰返した。が、不意に猟師が彼ら
の背後に立ち上がり、手に持った弓を一杯に引き絞って、
長い矢を輝く仏を目掛けてヒューと一直線に放つと、矢の
羽根まで深く胸に突き刺さった。
 間もなく、雷鳴のような音と共に白い光は消え、何も見え
なくなった。寺の前には風の強い闇の他、何も無かった。
「この、恥知らずが、」住職は羞恥と絶望の涙を流して
叫んだ。「卑劣な極悪人め、お前は何をした──一体
何をしたんだ。」
 しかし、猟師は反省や立腹の気配を全く見せずに、住職
の非難を受け入れた。それからとても穏やかに言った──
「和尚様、どうかお気を静めてお聞きください。あなたは、
たゆまぬ座禅と読経を通じて何らかの功徳を授かったと
お考えになった。けれど、もしその通りなら、仏様はあなた
だけに姿を見せるでしょう──私や、小僧さんでさえなく。
私は無学な猟師で、殺生を仕事としています──命を取る
のは御仏の忌み嫌うことです。どうしてあの時私は普賢
菩薩が見えたのでしょう。仏様は我々の回りのどこにでも
存在し、我々が無知で不完全であるため、見えないまま
なのだと教わりました。あなたは──清浄に暮らす博学
な僧侶ですから──仏様を見られるようになる、実際に
そういった修行が身に付いているのかもしれませんけど、
では、生計を立てるために獣を殺す者は、どうやって神々
を見る力にたどり着くのでしょう。私と、この幼い少年は、
共にあなたの見た物全てが見えました。今は私を信じて
ください、和尚様、あなたが見た物は普賢菩薩ではなく、
あなたを騙すための妖かしのたくらみ──おそらくあなた
達を殺してしまうための物でしょう。夜明けまでお気を確か
にお持ち下さるようお願いします。そうすれば、私の言葉
の間違い無いことが証明されるでしょう。」
 夜が明けて、猟師と住職が幻の立っていた場所を調べる
と、薄い血のついた引きずり痕が見付かった。この痕を
たどって行くと、何百歩か離れた窪みで、猟師の矢に貫かれた、
巨大な狸の体に遭遇した。

50 :常識4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:10:47.25 ID:bm5068Df0
 住職は博識で敬虔な人であったが、容易に狸に騙された。
しかし猟師は無学で不信心な人で、経験に基づく分別に恵まれ、
ひとり常識によって破滅へと導く危険な幻を一度で見破る
ことができた。


[1]サマンタバドラ・ボーディサットヴァ。

51 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/17(水) 16:34:12.61 ID:bm5068Df0
Kotto(骨董)よりCommon Senseでした。

狸の原文はbadgerとなっています。これを直訳するとアナグマ(イタチの仲間)
になります。が、他の話の原文にTanuki (badger)というのが有ったので、
小泉八雲は狸をraccoon dogではなくアナグマと認識していたと思われるので、
狸と訳しました。

なおムジナはアナグマの一種ですが、「怪談」に収録されているムジナが狸か
どうかは謎です。小泉八雲はムジナという名前の妖怪と認識していたのでは
ないかと思いますが、真相は不明です。

なお昔は地方によってムジナと狸の呼び名が逆だったり、狸とムジナを区別
していなかったようで、昔話に出てくる狸が現在我々が狸と認識している動物
と同じ生き物だったかどうかは疑問の余地が有ります。

「怪談」のムジナは小泉八雲の認識とは別に、狸かアナグマのどちらだったか
となると、東京で明治の頃に狸とムジナはどういう生き物と認識されていたか
を調べなくてはなりません。個人的には東京での呼称が他の地方の呼称に
とって代わられる可能性は低いだろうと思い、ムジナはアナグマだったの
だろうと思っています。

52 :狐の話1 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:17:16.56 ID:Xfzo83IR0
狐の話

 松江の士族が、ある夜家に帰る途中、母衣町《ほろまち》と
呼ばれる通りで、犬達に追いかけられ命懸けで走っている
一匹の狐を見かけた。彼が持っていた傘で犬を叩いて追い
払うと、そうして狐は逃げる隙を与えられた。次の日の晩に
誰かが戸口を叩く音が聞こえたので、戸を開けてみると非常
に可愛らしい少女がそこに立っていて彼に言った、「昨夜
《ゆうべ》はあなたの尊いご親切が無ければ、確実に死んで
いるところでした。私は十分な感謝の仕方を知りませんが、
これはお粗末なだけの少しばかりのお礼です。」そして小さな
包みを彼の足元に置いて去った。包みを開けてみると二羽の
美しい鴨と二枚の銀貨であった──これは長くて重い葉っぱ
の形をした硬貨で──それぞれ十ドルか十二ドルの価値が
有る──骨董品の収集家が熱心に探し求める類いの物だ。
少ししてから硬貨のひとつは目の前で草切れに変わり、別の
物はいつまでも大丈夫であった。

53 :狐の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:19:45.03 ID:Xfzo83IR0
 松江の医者の杉貞庵《すぎていあん》さんは、ある晩出産の
患者の世話をするために、市街からかなり離れた白鹿山
《しらがやま》という丘の上の屋敷に呼ばれた。彼は高貴な
家紋[1]の描かれた提灯を持った使用人に案内された。豪邸に
入ると丁寧に侍の作法で迎えられた。母親は無事に元気な
子供を産んだ。家族は医者を豪華な夕食に招待して、優雅に
もてなし、土産とお金を積んで家まで送った。翌日、日本の
礼儀作法に従って、もてなしのお礼をしに再び訪ねて行ったが
彼は屋敷を見付けられなかった。実際に、白鹿山には森の他
には何も無かった。家に帰って、支払われた黄金を調べてみると、
全ては良好であった、草切れに変わった一個を除いてのことだが。

[1]携帯する灯火の全ては、主の紋を入れて、暗い夜道を照らす
ために使われる。

54 :狐の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:24:38.37 ID:Xfzo83IR0
 物好きは都合良く狐神に関する迷信を利用する。
 松江に何年か前、珍しく幅広い常連を抱えて繁盛する豆腐屋
があった。豆腐屋は豆腐が売られた店──豆を調理した凝乳
で、外見が良質のカスタードによく似ている。全ての食べ物の中
で狐は、豆腐とそば粉で調理された蕎麦が大好物だ。上品に
着飾った男の外見をした狐の伝説さえ有り、かつて湖水端
《こすいばた》の人気の蕎麦屋、乃木の栗原屋を訪れてたくさん
の蕎麦を食べた。しかし客が帰った後で支払われたお金が木の
削り屑に変わった。
 豆腐屋の持ち主は違った経験をした。みすぼらしい着物を着た
ひとりの男が毎晩彼の店へ豆腐を一丁買いに来て、しばらくの
空腹を埋めるため早急にその場でがつがつ食べた。数週間毎日
やって来て、ひと言も話さなかったが、ある晩主人は客のボロ着
の下から、ふさふさした白い尻尾の先が突き出ているのを見た。
見たことによって奇妙な憶測と異様な期待を引き起こした。その
夜から彼は不思議な訪問者の機嫌を取るように世話を焼き始めた。
話しをする前に更に一ヶ月が過ぎた。それから話したのは、およそ
次のようなことだ──
「そなたには拙者が人に見えるであろうが、拙者は人ではなく、
ここを訪ねる時のみ人の姿を取るのである。拙者は高町から
やって来たが、そなたもよく訪れる拙者の寺がそこに有る。そなた
の信心と善良な心に報いたいと思って、今夜は大災厄から救う
ためにやって来た。我が通力によって明日この通りが焼けるのを
知った。全ての家は、そなたの家を除いてすっかり滅びてしまうで
あろう。拙者が回避のための護符を作ろう。しかし拙者がこれを
行うには、そなたは蔵(土蔵)を開けて拙者が入れるように
しなくてはならぬ、そして誰も拙者を見てはならん、生者の目に
ふれると護符の効果が無くなってしまうからな。」
 店の主人は、熱烈な感謝の言葉と共に倉庫を開け、うやうやしく
稲荷もどきを入れて、家族や使用人に、誰も見張りをしないように
指示を与えた。この指示はとてもよく守られ、倉庫内の貯蔵品と
家族の貴重品は、夜の間に支障無く持ち去られた。翌日、空っぽ
になった蔵が発見された。そして火事は起こらなかった。

55 :狐の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:28:32.57 ID:Xfzo83IR0
 簡単に別の偽《にせ》稲荷の餌食になった、もうひとりの
松江の裕福な店主の確かな実話が有る。この稲荷は夜に
決まった宮へいくらかのお金を置いておけば、朝には二倍
になって見付かるだろう──それが終生の信仰への褒美
であると言った。その店主がごく少数の金額を宮に運んだら、
十二時間の内に二倍になっているのを見付けた。それから
もう少し大きな金額を預けると、同様に増加した。更に覚悟
の上で数百ドル相当にしても再現した。しまいには、ある晩
その神の宮に銀行から全財産をおろして置いた──が、
再びそれを見ることは無かった。

56 :狐の話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:31:10.19 ID:Xfzo83IR0
 地行場《じぎょうば》稲荷への滞在からの帰り、案内をして
くれた私の使用人がこの話を語ってくれた。
 隣の家の七歳になる息子が、遊びに出たまま二日間消息を
断った。はじめ両親は心配せず、もしかしたら親戚の家へ行っ
て、時々するように一日か二日泊まるのかも知れないと思って
いた。しかし二日目の晩になって、問い合わせた家に子供が
いないのが知れた。ただちに捜索が開始されたが、どこを捜し
ても、誰に問い合わせても、全く甲斐が無かった。しかしながら
夜遅くなって、少年の住む家の戸口を叩く音が聞こえ、母親が
急いで出てみると、地面の上で熟睡する不在であった子供を
見付けた。彼女は戸を叩いた者を発見できなかった。その少年
は起きてから笑い、失踪した朝とても可愛らしい目をした同じ
くらいの年齢の男の子に会い、離れた森へと誘われて、そこで
昼も夜も次の日もずっと一緒に不思議でおかしな遊戯をして
遊んだと語った。しかし、しまいには眠くなったので仲間が家
まで運んだ。腹は減っていなかった。その仲間は「明日来る」
と約束した。
 しかし、その神秘的な仲間は来なかった。それに近所に該当
するような子供もいない。その仲間は狐がちょっとからかって
みたくなったのだという結論になった。からかわれた子供は
愉快な仲間を想って、長らく虚しい悲しみに暮れたという。

57 :狐の話6 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:33:55.69 ID:Xfzo83IR0
 三十数年前、松江に飛川《とびかわ》という名前の元力士が
住んでいた。彼は狐を目の敵にし、常々情け容赦無く狩っては
殺していた。彼は物凄い腕力によって魔力に対する免疫を得て
いると一般に信じられていたが、古老達は自然な死に方では
死なないだろうと予想していた。この予想は的中して、飛川は
非常におかしな死に方をした。彼は、はなはだしく悪ふざけの
実践を好んだ。ある日、自分で天狗という神聖な妖かしに変装
して、翼と鉤爪《かぎづめ》と長い鼻を付け、楽山《らくざん》に
近い神聖な林の木の高みに登り、そこでしばらくしていると、
無邪気な百姓達がお供えを持って拝みに群がってきた。この
見世物を自分で面白がって、枝から枝へと素早く跳び移る
演技に挑み、足を踏み外して落下し首を折った。

58 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/21(日) 15:46:00.57 ID:Xfzo83IR0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
のKitsuneの章よりの抜粋です。原文はStory of Foxes
というタイトルでサイト上に公開予定です。

湖の周辺を湖水端と呼ぶのは出雲地方独特の言い回し
かどうかは、よく知らなかったりしますが、松江の話なので
こういった表現にしました。ちなみに海の近くは海水端では
なく、海岸端ですね、川の近くは川端で・・・

最後の話は子供の頃、「出雲の民話」という本で似た話を
読みました。その話は「しくじった飛川(ひかわ)」という題名
で、飛川は死んだとは書いてなくて、旅人をからかった話
でしたから、小泉八雲とは別のソースかも知れません。

59 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/09/24(水) 21:49:00.95 ID:r/qVr9WZ0
>>51でムジナについて触れましたが、「怪談」の古い訳のPDFが
有ったので解説を読んでみたところ、小泉八雲の「ムジナ」は
原話ではカワウソになっているのだそうです。

そういえば子供の頃に見た特撮「変身忍者嵐」に顔盗りカワウソ
という妖怪(怪人?)が出ていたな〜と思い出しました。

のっぺらぼうは脅かすだけでなく、顔を盗る危険な妖怪なのかも。

60 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/03(金) 23:50:51.13 ID:t13QPURV0
忠五郎の話

 長らく前、江戸の小石川地区に、鈴木という名前の旗本が
住んでいた。彼の屋敷は江戸川の岸に位置していて、中野橋
と呼ばれる橋からそう遠くない。鈴木の家臣の中に足軽[1]の
忠五郎という名前の者がいた。忠五郎は凛々しい若者で、とても
愛想が良く聡明で、同僚達から大変好かれていた。
 忠五郎は鈴木に仕える数年の間、よく自己を律し、これといった
間違いも見当たらず勤めを続けていた。しかし、とうとう忠五郎が
毎晩庭の道から屋敷を抜け出して、夜の明ける少し前まで外泊
する習慣を、別の足軽が見付けた。はじめこの奇妙な行動に
ついては、彼の不在によって正規の勤めにこれといった支障が
出る訳では無く、色恋沙汰による物だと思われたので何も言わな
かった。しかし、しばらくする内に彼が青白い顔をして衰弱して見え
始めると、同僚達は重大な過ちを犯しているのを疑い、やめさせよう
と決めた。そういう訳で、ある晩、ちょうど彼が屋敷を密かに抜け出そう
とする時に、初老の家臣が傍らに呼んで言った──
「おい、忠五郎、お主が夜ごと出掛けて朝方まで外泊しているのは、
我々も知っておるが、見たところ余り具合が良くないようだ。間違った
付き合いを続けて健康を害してないかと皆が心配しておる。お主の
振る舞いについてまともな申し開きが出来なければ、この問題を上役
に報告する義務が有ると思っている。何が有っても我々はお主の同僚
であり友人だ、だからこそ何故この屋敷の慣例を破って、夜中に出掛け
て行くのか知らねばならん。」
 忠五郎はこの言葉に、非常に当惑して不安な姿を見せた。が、少しの
沈黙の後、同僚に促されて庭を通り抜けた。それから二人は、人に
聞かれず休むのに都合の良い場所を見付けると、忠五郎が立ち止まって
言った──
「今、何もかも話してしまおうと思いますが、あなたには秘密を守って頂く
ようお願いしなくてはなりません。これから話すことを他所でされると、
私に大きな不運が起こるかも知れません。

61 :忠五郎の話2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:02:00.96 ID:rF/Ax54J0
「それは、先頃の早春のことです──およそ五ヶ月くらい前──その
頃、初めて夜に外出し色恋の付き合いを始めました。ある晩、両親を
訪問した後、屋敷へ戻る途中に、正門までの道からそう遠くない所で、
女がひとり川岸に立っているのを見掛けました。彼女は高い身分の人
がするような服装をしていたので、こんな時間に女がひとりで立派に
着飾って立つ必用が有るとは、おかしな事だと思いました。けれど、
まともに問い掛けようとは思わず、黙って通り過ぎようとすると、前に
出て私の袖を引っ張ったのです。その時私は彼女が非常に若く魅力的
なのが分かりました。『橋の所まで、ご一緒しませんか』彼女は言いました、
『あなたにお話しすることが有ります。』彼女の声は非常に落ち着いて
いて感じが良く、微笑みながら話し、その微笑みに抗うのは困難でした。
そうです、私は彼女と一緒に橋まで歩き、道々話してくれたのですが、
彼女は屋敷に出入りする私をよく見掛けて、好感を持ってくれていたの
です。『あなたを夫にしたい。』彼女は言いました──『もし、あなたが
私を好いてくれるなら、お互いをとっても幸せにできるでしょう。』私は
どう答えたら良いのか分かりませんでしたが、彼女をとても魅力的に
思いました。橋に近づくと再び彼女は袖を引っ張り、堤防を下った川の
ごく端の位置まで案内しました。 『一緒にいらっしゃい』そう囁いて私を
水の方へ引っ張りました。ご存知のように、そこは深くなっているので、
急に彼女が恐ろしく思えてきて、引き返そうとしました。彼女は微笑み、
私の手首を掴んで言いました、『あら、私と一緒なら恐れることはありま
せんよ。』どういう訳か、彼女の手に触られると子供よりも無力になって
しまうのです。夢を見ている時は走ろうとしても手や足を動かせない、
そんな感じでした。水中深い所へ彼女は歩を進めて私を引き寄せました
が、私は見えも聞こえもせず、明かりに満ちた大きな宮殿が見えてくる
まで、彼女の傍らを歩き通した自分に気が付く以上のことは、何も感じ
ませんでした。濡れもせず冷たくもなく、回りの何もかもが乾いて暖かく
美しかったのです。どこに居るのか、どうやって来たのか私には理解
できませんでした。女は私の手をとって、部屋から部屋を通り抜け──

62 :忠五郎の話3 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:04:54.64 ID:rF/Ax54J0
どれも空っぽではあっても、非常に立派なたくさんの部屋を通り過ぎ──
千畳敷の客間へ入るまで私を導きました。ずっと先の端まで灯りが燃や
された大きな床の間の前には、宴をするように座布団が敷かれていました
が、お客は見当たりませんでした。彼女は私を床の間の傍《そば》の上座
まで案内し、私の前の自分の席につき言ったのです。『これが私の家、
ここで一緒に幸せになれるとお思いになりますか。』彼女は訊ねると共に
微笑み、私は彼女の微笑みが世界中の他の何よりも美しいと思い、心から
答えました『はい……』と。その瞬間に私は浦島の話を思い出し、彼女は
神の娘かも知れないと想像して何かを訊ねるのが不安になったのです
……間もなく侍女達が入ってきて酒とたくさんの皿を運んで私達の前に
並べました。それから私の前に座った彼女が言いました。『今夜は私達の
婚礼の夜になるでしょう、あなたは私を好いているのですから、これは私達
の婚礼の披露宴です。』我々はお互いに七生《しちしょう》の誓いをし、宴の
後で、準備の整った新婦の部屋へ案内されました。
「朝のまだ早い時刻に、彼女は私を起こして言いました。『愛しい人、今あなた
は真実私の夫ですわ。けれどもあなたには言えない、訊《き》いてもならない
理由によって、私達の婚礼は秘密のままにしておく必要が有るのです。あなた
が夜明けまでここに留まると、お互いの命に関わる犠牲が出るのです。
そういう訳で、お願いですから、今あなたの主の家へ送り返さなくてはならない
からといって、お気を悪くなさらないでくださいね。あなたは今晩再び、私の元へ
おいでになれるのです。これから先毎晩、初めて会ったのと同じ刻限にです。
いつも橋の所でお待ちになっていて下さい。そう長くはお待たせしませんから。
ただ何よりも覚えていて頂きたいのは、私達の婚礼は秘密にしなくてはならない
こと、もしそれについてお話しになったら、きっと永遠のお別れになるでしょう。』

63 :忠五郎の話4 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:07:33.01 ID:rF/Ax54J0
「私は全てのことに従う誓約をしました──浦島の悲運を覚えていましたから
──そして彼女は全てが空っぽで美しいたくさんの部屋を通って、私を玄関
まで連れて行きました。そこで再び彼女が私の手首を掴むと、またたく間に何も
かもが真っ暗になって、中野橋近くの川岸にひとりで立っている自分に気が付く
までは、何も分かりませんでした。それから寺の鐘がまだ鳴らない内に、屋敷へ
戻りました。
「夜になって指定された時間に再び橋へ行くと、彼女が私を待っていました。彼女
は以前のように私を水の深みへ連れて行き、そして素晴らしい場所で夫婦の夜
を過ごしました。それから毎晩、同じように会って彼女の元で宴をしました。今夜
も間違い無く彼女は私を待っているでしょう、彼女を失望させるくらいなら死んだ
方がましですから、だから私は行かなくてはならないのです……ですが、重ねて
お願いさせて頂きます。友よ、私が語ったことについては、決して誰にも話さない
でください。」

 年長の足軽はこの話に驚き心配した。忠五郎は真実を語っているのだろうが、
この真実は嫌な可能性を示しているように感じた。おそらく体験の全体は幻覚
であろうし、幻覚は悪意に満ちた結果を狙って、何か邪悪な力によって作られた
のだろう。とは言え、本当に魅入られているのなら、この若者を非難するのは
気の毒であるし、強引な口出しは良くない結果を招くと思われた。そうして足軽
は優しく答えた──
「話しはせんよ、お主の言ったことは──お主が無事に生き続けている限り、
最後まで決してな。行って女に会うが良い、だが──その女には用心しろ。
わしはお主が悪霊か何かに騙されているのではないかと心配しておる。」
 忠五郎は老人の忠告に微笑だけを返して、急いで去った。数刻の後、彼は
妙に落胆した姿で再び屋敷へ入って来た。「あの女に会ったのか」同僚は
囁いた。「いいえ、」忠五郎が返した「彼女は居ませんでした。彼女が居ない
なんて、初めてのことです。もう二度と会ってはくれないと思います。あなたに
話したのがまずかった──約束を破った私がまったく馬鹿でした……」彼を

64 :忠五郎の話5 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:10:06.31 ID:rF/Ax54J0
慰めようと、いたずらに話を逸らしてみた。忠五郎は寝転んで、それ以上ひと言
も口を利かなかった。彼は悪寒がするかのように、頭から足まで全身で震え出した。

 寺の鐘が夜明けの時刻を告げると、忠五郎は起き上がろうと試みて、再び意識
を無くした。彼が病んでいるのは明らかであった──それも瀕死の病である。
とある漢方医が呼び寄せられた。
「何故この人には血液が存在しないのだ。」注意深く診察した後、医者は声を荒げ
て言った──「存在しないのに血管を水が流れている。彼を救うのはとても難しい
だろう……これは一体どんな禍《わざわい》なのですか。」

 忠五郎の命を救うため、出来ることの全てが行われた──血管の中を除いて
だが。彼は日が沈むように死んだ。それから同僚は話の全体を繋ぎ合わせて
みた。
「ああ、大いに疑わしいでしょう。」医者は大声で言った……「彼を助けられる力は
存在しません。あの女に破滅させられたのは彼が初めてでは無いのです。」
「あの女とは誰です……いや何ですか。」足軽が訊ねた──「妖狐ですか、」
「いいえ、あの女は太古の昔からこの川で狩りをしているのです。彼女は若い
血を好みます……」
「蛇女ですか──龍女ですか、」
「いえいえ、あなたが日中に橋の下のあの女を見ようとすれば、彼女はとても
忌まわしい生き物の姿を見せるでしょう。」
「どういった類いの生き物ですか。」
「ただの蛙ですよ──大きな醜い蝦蟇《がま》。」



[1]足軽は兵士では最下級の家臣。

65 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/04(土) 00:27:46.62 ID:rF/Ax54J0
Kotto(骨董)よりThe Story of Chugoroでした。

夜中に怪しい女の人から声を掛けられたのは梅津忠兵衛と
同じなのに、この理不尽な違いは何だろうと思ってしまいます。

さて、奇談用の話も10話翻訳できたので、電子書籍の出版
準備をしたいところですが、同時に改訂版出版予定の怪談
虫の研究の蟻の翻訳が仕上がりません。

蟻の翻訳をしつつ、他の話も少し翻訳するかも知れません。

66 :普賢菩薩の伝説1 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:52:33.59 ID:mjHdshVn0
普賢菩薩の伝説

 かつて非常に信心深く博学な性空上人《しょうくうしょうにん》
という僧侶が、播磨の国に住んでいた。長年に渡って法華経の
普賢菩薩〔ボーディサットヴァ・サマンタバドラ〕の章を黙想し、
かつ朝夕の祈祷に使用するのを日課としていたから、いつか聖典
に描写された姿の生身のような普賢菩薩を拝する許しを得られない
ものかと思っていた[1]。

 ある晩、お経を読んでいる最中に睡魔が彼を打ち負かし、脇息[2]
にもたれたまま眠りに落ちた。それから夢を見て、普賢菩薩を見る
ためには、神埼の町に住む遊女の長者[3]という者の娼館へ行くべき
だと、夢の中の声に言われた。眠りから醒めると早速神埼へ行く決意
をし──できるだけ急いで仕度をして、翌日の晩には町へ到着した。
 彼が遊女の館に入った時、既にたくさんの人達が集まっているのが
分かった──その大部分が美貌の女の評判に釣られて神埼へ来た
京の若者達であった。彼らが飲食をする前で、遊女は鼓《つづみ》
(小さなハンドドラム)を非常に巧みに使って演奏しながら歌った。彼女
が歌ったその曲は室積《むろづみ》町の有名な神社についての日本の
古い歌でこんな詩だった──

周防《すをう》室積の中なるみたらい[4]に
風は吹かねども
水の面《おもて》に波のたたぬ時なし

67 :普賢菩薩の伝説2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:54:23.58 ID:mjHdshVn0
 甘美な声が皆を驚きと喜びで満たした。離れた所で耳を
傾ける奇妙な気持ちの僧侶は、突然娘にじっと見つめられ
ると、瞬時に彼女が六本の牙を持った雪のように白い象に
乗る普賢菩薩に姿を変えて、額から宇宙の果てを越えて
貫き通すかのような光の束を放射するのを見た。彼女は
依然として歌い続けた──が、その曲も今では様相を
変えて、僧侶の耳にはこのような言葉がやって来た──

滅私静穏なる大海に
五堕六欲の風は吹かねども
深く面《おもて》に広がる悟道の大波うねらぬ時なし

68 :普賢菩薩の伝説3 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 18:57:46.81 ID:mjHdshVn0
 神々しい輝きのまぶしさに僧侶は目を閉じたが、まぶたを
通してまだ明瞭にその映像が見えた。それから再び開けて
みると、それは過ぎ去り、ただ鼓を持った娘が見え室積の水
についての歌が聞こえるだけであった。しかし彼は、目を
閉じる度に六牙の象に乗った普賢菩薩が見られ、滅私静穏の
神秘な歌が聴けるのに気が付いた。その場の他の人達には、
遊女が見えているのみで、顕現を拝してはいなかった。
 それから不意に歌い手は宴の部屋から姿を消した──いつの間に
どうやってかは誰にも言えなかった 。その瞬間からどんちゃん騒ぎ
は止み、歓楽の場は陰気な物になった。あても無く娘を待ったり
捜したりした後、大きな悲しみの中で座は散々《ちりぢり》に
なった。一番最後に立ち去った僧侶は、その晩の感動に戸惑った。
しかし、ろくに門を通過しない内に遊女が姿を現して言った──「主様、
今夜ご覧になったことは、まだ何方《どなた》にも言ってはなりんせんよ。」
そしてこの言葉と共に彼女は消え去った──辺り一帯に芳《かぐわ》しい
香りを残して。

***

 ここまでの伝説を書き残した修業僧は、次のような見解を述べて
いる──遊女の身分は低く哀れなもので、かつては男の色欲に奉仕
する運命にあった。したがって、そのような女が菩薩の化身や転生
かも知れないと誰が想像するだろう。だが忘れてはならない、如来
や菩薩はこの世に無数の異なる形を選んで顕現できると、高貴な
慈悲のためなら、粗末極まりなく卑しむべき姿でさえも、このような
姿で危険な幻から衆生を救い、正しい方向へ導き救済することができる。

69 :普賢菩薩の伝説4 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 19:02:10.01 ID:mjHdshVn0
[1]僧侶の願望は、おそらく「普賢菩薩の激励」
(カーン氏訳の「東洋の聖典」─433から434
ページ─の妙法蓮華経に見える)と題された章
に記述された約束に触発されたのだろう──「その
時、普賢菩薩は領主に言った……『この法門に
専念する伝道者が歩を進めるであろう時、お殿様、
私は六牙の白象に跨がり、この法門を守護する
ために、その伝道者が歩む場所へ向かうでしょう。
そして、この法門に専念する伝道者がひとつの
言葉や音節しか思い出せない時、私は六牙の白象
に跨がり、その伝道者に私の顔を見せこの真理の
全体を繰り返すでしょう。」──しかし、この約束に
当てはまるのは「時の終り」である。
[2]脇息は詰め物をした肘掛けもしくは腕置きの一種
で、僧侶が読み物をする時に片方の腕をもたれさせる。
とは言え、そのような脇息の使用は仏教の聖職者
に限定されない。
[3]昔の遊女は、高級娼婦であると同時に歌姫で
あった。「遊女の長者」という用語は、この場合単純に
「一番(最高)の遊女」という意味だろう。
[4]みたらい。みたらい(みたらし)は──石か青銅の
──水溜《みずため》または水盤に付けられる特別な
名前で、神道の社の前に置かれ参拝者が祈願の前に
唇と両手を清める。仏教徒の水溜に、そのような作法は
無い。

70 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/15(水) 19:17:34.11 ID:mjHdshVn0
※古い物語の本「十訓抄《じっくんしょう》」より

Shadowings(影)よりA Legend of Fugen-Bosatsuでした。

冒頭に注釈を入れるのを忘れていました。

歌詞については、検索した十訓抄の一部を参考に英文から
それっぽく意訳しました。
十訓抄に載ってる歌詞は次の通り

周防むろつみの中なるみたらゐに、風は吹ねとも さゝら波たつと、
實相無漏の大海に五塵六欲の風は吹ねとも、随縁真如の波のたゝぬ時なしと、

これに対する小泉八雲の英文は
Within the sacred water-tank of Murozumi in Suwo,
Even though no wind be blowing,
The surface of the water is always rippling.

On the Vast Sea of Cessation,
Though the Winds of the Six Desires and of the Five Corruptions never blow,
Yet the surface of that deep is always covered With the billowings
of Attainment to the Reality-in-Itself.

当初は十訓抄の詩をそのまま持ってくれば良いと考えて
いましたが、英文と比較すると微妙に意味が違うみたいなので、
自分で訳しました。誤解していなければ良いのですが・・・

71 :川の子供1 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:33:24.46 ID:/8/M4UZA0
川の子供

 河童は正確には、海の妖怪ではなく川の妖怪だが、河口
近くの海にだけは出没する。
 松江からおよそ2キロ半、河内と呼ばれる川が通る河内村
という小さな村に、カワコの宮と呼ばれる小さな祠が建っている
(出雲の一般の人々の間では河童という言葉は使われず、「川の
子供」の意味でカワコと表現する)。この小さな社には河童が署名
したと言われる文書が保管されている。話は昔へ遡るが、その
河童は河内を棲みかとし、多くの村の住人や家畜を捕らえ殺して
暮らした。しかしながら、ある日馬が水を飲みに川へ入ったところを
捕まえようとして、どうした拍子にか河童はその頭を馬の腰帯の下
に巻き込んでしまい、怯えた馬が慌てて水から出て地面に河童を
引きずった。そこで馬主と数人の百姓が河童を捕まえて縛り上げた。
聞こえるように許しを請い地面に頭を下げる化け物を見るために、
村人の全員が集められた。百姓達はすぐに殺してしまおうと望んだが、
たまたま村長であった馬主はこう言った「河内村のために、人や家畜
に二度と悪さをしないと誓うなら、それで良い。」誓約の様式をした
書き物が用意され、それを河童に読み聞かせた。そいつが言うには、
字は書けないが文書の最後へ手に墨を付けた手型を押し、それを署名
としよう。これを守ると同意して、河童は解き放たれた。その時から後、
河内村の住人や動物が妖怪に襲撃されることはずっと無かった。

72 :川の子供2 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:36:15.01 ID:/8/M4UZA0
 かつて出雲の持田の浦と呼ばれる村に、たいそう貧しく子供を
持つことを怖れる農夫が住んでいた。そして妻が子供を産むたびに
川へ投げて、死産であったと偽りを述べた。時には息子であり、
時には娘であったが、いつでも幼子は夜中に川へ投げられた。
このようにして六人ほど殺された。
 しかし、時は流れ、農夫は自分が少し裕福になっているのに
気が付いた。お金で土地を買い賭けをできるようになった。そして
とうとう、妻が七人目の子供を産んだ──男の子だった。それから
男は言った「今、我々は子供を養えるし、年を取った時に手助けして
くれる息子が必要だ。それにこの子は綺麗だ。だからこの子を育てよう。」
 そして幼子は育つと共に、毎日冷酷な農夫は自分の心に驚きを
深めるのであった──日々息子への愛が深くなっていくのに気が
付いたのだ。
 ある夏の夜、彼は子供を腕に抱いて庭を散歩していた。小さな子は
五ヶ月になっていた。
 その夜は大きな月が出ていてとても美しく、農夫は感嘆の声を上げた──
「ああ、今夜めずらし、え夜《よ》だ。」
〔ああ、今夜は本当に素晴らしく素敵な、美しい夜だ。〕
 その時幼子は彼の顔を見上げて 、大人の話し方で話すように言った。
「どうして、お父さん、わしを最後に投げ捨てた時も、ちょうど今夜の
ようで、月の見掛けは同じではありませんか。[1]」
 以後その子供は、他の同じ年頃の子供達そのままの話しぶりである。

 農夫は出家した。


[1]「おとつぁん、わしをしまいにしてさした時も、ちょうど今夜のよな月夜だたね。」
──出雲の方言。

73 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/10/21(火) 21:54:03.16 ID:/8/M4UZA0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
から民話を語られている部分を抜き出しました。

出雲地方では河童の事をカワコと言うのは知識として知って
いますが、いまだ河童をカワコと呼ぶ人には会った事が有り
ません。日常会話で河童が話題になる事は有りませんから

カワコを棒読みするなら、発音はかーこになるはずですが、
アクセントがワに有るからカワコなのかも知れません。

子捨ての話は持田の浦という地名が何処なのか今ひとつ
分かりませんが、松江市に西持田町という地名が有ります
から、その周辺の話なのかもしれません。

注釈の出雲の方言というのは、今ひとつ方言という感じが
しませんが、「し」を「す」に読み替えるとそれっぽくなるかも
しれません。

なお「我々」は出雲風に訛ると「わーわー」もしくは「わーわ」
となります。今でも年配の人はこの発音をします。

74 :破られた約束1 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:28:48.45 ID:YQx3cNNR0

※出雲の伝説



「私は死を怖れません。」死にかかった妻が言う──「今、ひとつだけ
心配な事が有ります。この家の私の立場に、どなたがお座りになる
のか、それが知りとうございます。」
「おまえ、」悲痛な声で夫が返す「永遠にわが家でおまえの立場に
座る者は、誰もいないだろう。わしは決して、決して再婚をしない。」
 この時の言葉は、命を失いそうな女を愛していたので、心からの
話しである。
「侍の信念に誓って、でございますか」弱々しく微笑みながら訊ねた。
「侍の信念に誓ってだ。」夫が答える──やつれた青白い顔を撫で
ながら。
「でしたら、あなた」妻が言う「お庭に葬っていただきたいのです
──ふたりで向こう側へ植えた、あの梅の木々の側《そば》へ──
いかがでしょうか。ずっと前からこのお願いをしたかったのですが、
思うに、もしもあなたが再婚なさるなら、こんな近くに私のお墓が
有るのを、お好みにならないでしょう。今あなたは他の女性を、私の
後へ置かないとお約束なさいました──ですから遠慮なく望みを
話せます……私はお庭への埋葬をそれはもう強く望んでいるの
です。お庭なら時にはあなたのお声が聞こえるでしょう、それに
まだ春のお花が見られるでしょう、そう思うのです。」
「おまえが望むようにしよう、」夫が答えた。「だが今は埋葬の話を
するな、望みが全く無いほどひどい病ではない。」
「私は……ます。」妻が返す──「私は朝の内に死にます──
お庭に葬っていただけますか。」
「ああ、」夫が言う──「ふたりで植えた梅の木の陰の下へ──
そこで綺麗な墓石の持ち主となろう。」
「それに、小さな鈴を頂けますか。」
「鈴を」
「はい、小さな鈴をお棺の中に置いて頂きとうございます──
お遍路さんが持ち歩くような小さな鈴でございます。頂けますか。」
「おまえは、小さな鈴を持つことになろう──他に何か欲しい
物は有るか。」
「他には何も望みません、」彼女は言った……「あなた、あなたは
いつでも、私にとてもよくして下さいました。今私は幸せな旅立ち
ができます。」

75 :破られた約束2 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:30:51.62 ID:YQx3cNNR0
 それから彼女は目を閉じて息を引き取った──疲れた子供が眠りに
落ちるような安らかさであった。顔に笑みを浮かべて死んだ、この時の
彼女は美しく見えた。

 彼女は庭の愛した木の陰の下へ葬られ、小さな鈴も一緒に埋めら
れた。墓には綺麗な石碑が建てられ、一族の家紋で飾られ、戒名が
刻まれた──「大姉光影梅花院慈大海殿居士」

………

 しかし、妻の死から十二カ月も経たないうちに、侍の親類と友人は
再婚を強く奨め始めた。「お主はまだ若い、」彼らは言う「それにひとり
息子な上に子供が無いではないか。結婚するのも侍の務めだ。もし
子供の無いまま死んでみろ、ご先祖様達を忘れず、お供えをする
のは誰になるんだ。」
 多くのそうした進言によって、とうとう彼は再婚の説得に応じた。新婦
はほんの十七歳であったが、彼女を心から愛せるのに気が付いた。
物言えぬ庭の墓石が悲しげに非難するにもかかわらず。

76 :破られた約束3 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:33:56.50 ID:YQx3cNNR0



 婚礼から七日の間は若妻の幸せを脅かすことは何も起こら
なかった──その頃夫は、夜の城に居なくてはならない、とある
任務の命令を受けていた。最初の晩、やむを得ず妻を独りで
残したが、彼女は説明しようの無い不安を感じていた──なぜ
だか分からない漠然とした恐怖であった。寝床に入ってはみた
が眠れなかった。空気に奇妙な圧迫感があった──嵐の前の
静けさのような言い知れぬ重苦しさである。
 丑の刻あたりで、夜中の屋外から、鈴を鳴らす音が聞こえて
きた──遍路の鈴だが──どんな巡礼がこんな時刻に侍屋敷
の周辺《あたり》を通り抜けるのだろうと不思議に思った。やがて
鈴の音は、しばらく間を置いてかなり近くへ来た。どうやら巡礼
は家のすぐ近くまで来ているようだ──でも、どうして後ろから
近づくのか、道も無いのに……不意に犬が尋常ではない
恐ろしい唸《うな》りと遠吠えを上げた──そして恐怖は恐ろしい
夢を見るかのようにやって来た……鳴っているのは間違い無く
庭の中……彼女は使用人を起こすつもりで立ち上がろうとした。
が、体を起こせないことに気が付いた──動くことも──叫ぶ
こともできなかった……そして更に近く、より一層近くに、鈴の
響きがやって来た──そして、おお、どれだけ犬が吠《ほ》えた
ことか……その時、影が忍び込むように静かに、部屋の中で
女がすっと動いた──どの戸もしっかりとした状態で、どの
衝立も動いていないのに──女は経帷子《きょうかたびら》を
着て、巡礼の鈴を身に付けていた。目が無い顔で来た──
長らく死んでいたから──ほどけた髪は顔の周りに垂れ
下がっていた──その乱れたすき間を通して無い目で見て、
無い舌で話した──

77 :破られた約束4 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:36:51.36 ID:YQx3cNNR0
「この家ではない──お前が居ていいのは、この家ではない。ここの
女主人は、まだ私だ。帰るがいい、そして言ってはならん、お前が
帰る理由は一言も。もしあの人に言えば、細切《こまぎ》れに引き
裂いてやる。」

 そのように話しながら、化生《けしょう》は姿を消した。花嫁は
恐怖と共に意識を失った。夜が明けるまでそのままであった。

 それにも関わらず、日中の陽気な日射しの中で、彼女は見た
こと聞いたことの現実を疑った。警告の記憶はまだかなり重く
のし掛かり、見たことを敢えて夫や他の誰にも話さなかったが、
具合が悪くなって嫌な夢を見ただけともう少しで納得できる
ようになった。
 しかしながら、続く夜は疑いようが無かった。再び丑の刻に
なると、犬が唸りと遠吠えを始めた──再び鈴の音が響き
渡り──ゆっくりと庭から近づいて来た──再び聞き手は
起きて叫ぼうと無駄な努力をした──再び死者が部屋へ
入って来て非難をした──

「帰るがいい、そして誰にも言ってはならん、なぜ帰らねば
ならぬのか。もしあの人に囁《ささや》きでもしたら、お前を
細切れに引き裂いてやる……」

 今度の化生は、寝床に近寄り──その上で体を曲げて
低く呟《つぶや》き顔をしかめた……
 翌朝、侍が城から帰ると、その前で若妻は自《みずか》ら
嘆願のためひれ伏した──
「伏してお願い申し上げます、」彼女は言った「このような
申し出をする恩知らずで大変な無礼をお許し下さい。けれど
私は実家へ帰らせて頂きとうございます──すぐに出て行き
とうございます。」
「ここは楽しくないのか。」彼は心から驚いて訊ねた。「わしの
不在の間に誰かが、けしからん意地悪でもしたのか。」
「そうでは有りません──」彼女はすすり泣きながら答えた
……「けれど、あなたの妻で居続ける訳にはいきません──
出て行かねばならないのでございます……」

78 :破られた約束5 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:39:32.39 ID:YQx3cNNR0
「おまえや」非常な驚愕に彼は声を荒げた、「それは非常につらい
ことだ、この家でおまえを不幸にする原因にさらしいていると分かった
のだから。しかし、おまえがどうして出て行くのを望まねばならん
のか、想像すらできん──誰かがおまえに酷《ひど》い意地悪でも
したのでなければ……まさか離縁を望むつもりで言っているのでは
有るまいな。」
 彼女は震えて涙ながらに返事をした──
「離縁して頂けなければ、私は死んでしまいます。」
 彼はしばらくの間沈黙したまま──この驚くべき告白の原因となる
幾つかに、無駄な考えを巡らせていた 。それから、幾らも感情を
抑え切れないまま答えを返した──
「何の落ち度も無いおまえを、今から里の人達に返せば、恥ずべき
行いに見えるだろう。おまえの望みの納得できる理由を語ってくれる
なら──恥ずべきことの無い重要な説明であれば、どんな理由でも
わしは受け入れ──離縁状を書いてやれる 。だが、納得できる
理由を提示できなければ、離縁には応じられん──我がお家の
名誉は、非難を浴びながら維持されねばならんからだ。」
 そうして彼女は話さざるを得ないと感じて、何もかも語った──
恐怖による苦悩を付け足した──
「あなたに知らせた今となっては、あの女は殺すでしょう──私を
殺すでしょう……」

79 :破られた約束6 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:43:13.92 ID:YQx3cNNR0
 勇敢な男で、幽霊を信じる性分では少しも無かったが、
一時的に侍を驚かすには十分以上であった。しかし単純
で自然な問題の説明は、すぐに彼の心へ届いた。
「おまえや、」彼は言う、「今はとても不安定になっていて、
誰かが馬鹿げた話を聞かせたのだと心配している。
離縁状は渡せない、おまえはこの家で悪い夢を見たに
過ぎないからだ。だがわしは、不在の間このようなやり方
で、確かにおまえを苦悩させねばならなかったと、非常に
申し訳なく思う。今夜もわしは城に居らねばならんが、
おまえを独りにはせん。わしは二人の家臣に命令して
おまえの部屋で見張らせよう、それでおまえは安心して
眠れるだろう。彼らは立派な男だ、おまえの世話を何でも
してくれるだろう。」
 それから彼は非常に思い遣り深く、非常に愛情を込めて
話したので、ほとんど恐怖を恥じるようになり、家に残る
決心をした。

80 :破られた約束7 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:45:53.79 ID:YQx3cNNR0



 若妻の請求によって残された二人の家臣は大柄で度胸が
有り、誠実な男達であった──女や子供達の護衛の経験を
積んでいた。彼らは新婦の気持ちを和ませるために愉快な
話を語った。彼女は長いことお喋りをし、彼らの好ましくも
滑稽な冗談に笑い、ほとんど恐れを忘れた。しまいには眠る
ため横になり、武士達は衝立の後ろの部屋の隅の持ち場に
つき、碁[1]の試合を始めた──彼女を不安にさせないよう
囁き声だけで話した。彼女は幼子のように眠った。
 しかし再び丑の刻になると、彼女は呻《うめ》き声と共に目を
覚ました──鈴が聞こえ……それも既に近く、ごく近くまで
来ている。彼女は立ち上がり、絶叫した──しかし部屋の中に
動きは無かった──死のような静寂が有るだけで──静寂は
増大し──濃縮した静寂となった。彼女は碁盤の前に座る
武士達の元へ急行した──動きは無い──それぞれ動かぬ
目で一方を凝視している。彼女は鋭い悲鳴を浴びせ、彼らを
揺さぶったが、凍りついたようにそのままであった……

 後になって彼らが言うには、鈴の音を聞いた──新婦の
叫びも聞いた──目覚めさせようと揺さぶる彼女の試みさえ
感じていた──それにも関わらず、彼らは動くことも話すことも
できなかった。それから間もなく、聴覚や視覚を失い黒い眠り
に支配された。
……………………
 明け方に新婚の部屋へ入った侍は、消えかかった行灯の
灯りで、血の池に横たわる、若妻の頭の無い体と対面した。
やり掛けの試合を前に、座り込んだまま二人の家臣が眠って
いる。主人の叫びに彼らは跳び起きて、床の恐ろしい事態を
茫然と見つめた……

81 :破られた約束8 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 22:48:20.02 ID:YQx3cNNR0
 頭は何処にも見当たらず──忌まわしい致命傷は、切断
されたのでは無く、もぎ取られたことを示していた。血の跡は
寝室から縁側の角へ続き、そこの雨戸はバラバラに破られた
のが確認できた。三人の男はその跡を庭へたどった──
草の広がりを越え──砂の敷地を越え──菖蒲が縁取る
池の岸に沿って──杉と竹が色濃く影を落とす下へ。そして
突然、曲がった先で、彼らは悪夢の正体に対面したのだと
気付いたが、それは蝙蝠《こうもり》のようにヒューヒュー咽を
鳴らし、長らく埋葬されていた女の姿で、その墓石の前に
真っ直ぐ立っていた──片方の手に鈴をしっかり握り、もう
一方には濡れ滴る頭……一瞬の間、三人は茫然と立ち尽くし
た。それから武士の一人が、念仏を発しながら、抜刀し、その
姿に向かって斬りつけた。即座にそれは地面へと崩れ落ちた
──空っぽで四散した埋葬のぼろ布《きれ》と骨と髪──鈴は
音を立てて残骸から転がり出た。しかし、肉の無い右手は、
手首から分断されてはいたが、まだもがいていた──その
指は血の滴る頭を握り続け──ずたずたに引き裂いた──
落ちた果物にしきりと執着する黄色い蟹《かに》のハサミの
ように……

***

〔「それは酷い話だ。」それに関係する友人に私は言った。「死者
の復讐は──全て受け入れるとして──男が受けるべきだ。」
「男はそう考えます」彼は答えを返した。「しかし、女の感覚では
そうしません……」
 彼が正しかった。〕

[1]チェッカーに似た遊びだが、もっと複雑である。

82 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/14(日) 23:34:09.02 ID:YQx3cNNR0
A Japanese MiscellanyよりOf a Promise Brokenでした。

日本では珍しいゾンビの伝説ですね。数十年前に怪談が
映画化される際、この話は恐ろし過ぎて映像化出来ない
と見送られたいわく付きの話です。

今回は辞書を引いてもよく分からない単語が有りました

haunter
手元の書籍を数冊参考に見ると、全て幽霊となっていました。
しかし、phantomでもghostでも無いし、動く死体を幽霊とは
言いません。
動詞のhauntが「幽霊のように出没する」なので出没する存在
には間違い有りません。日本語では「お化け」や「化け物」
「物の怪」が適切な気がしますが、表現が大袈裟に過ぎます。
当初は「怪異」としていましたが、違和感有りまくりでした。
そういう訳で現在あまり使われていない「化生」を当てました。
妖魔詩話でも「念の化生」というタルパのような存在を指す
言葉が出て来ます。

nightmare-thing
プロの翻訳複数で、魔物となっていました。直訳すれば悪夢の
物、新妻の悪い夢に出て来た存在と解釈して悪夢の正体とし
ました。

chippered
辞書では出て来ませんでしたが、動詞のchipperは鳥がチュッ
チュッと鳴く、人がぺちゃくちゃ喋るなので、日本語のピーチク
パーチクのような擬音と解釈し、舌の無い口で喋ろうとして喉の
空洞を空気が通り笛のような音を出している状態と推測しました。

83 :守られた約束1 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 09:52:02.60 ID:h3tzpEyN0
守られた約束


※「雨月物語」で語られていた。

「初秋の頃には帰るだろう、」赤穴宗右衛門《あかなそうえもん》が
言ったのは、何百年か前──義兄弟の若い丈部左門《はせべさもん》
へさよならを告げた時である。時は春、所は播磨国《はりまのくに》の
加古《かと》村。赤穴は出雲の侍で、生まれ故郷への里帰りを望んでいた。
 丈部は言った──
「あなたの出雲──八雲立つ国[1]──は 、かなり遠方です。ですから、
どれか特別の日にここへ帰る約束は、きっと難しいでしょう。けれど
我々にその特別な日が分かるなら、嬉しく思います。それなら、歓迎の
ご馳走の準備と、門口でお出迎えが出来ます。」
「どうして、そのような」赤穴が返す「わしは旅にはよくよく慣れたもの
ゆえ、その場に着く迄どれだけかかるか、普通に話せるが、ここでの
特別な日を確実に約束できる。我々が重陽《ちょうよう》の節句と呼ぶ日
だろう。」
「それは9月の9日ですね、」と丈部は言い──「その頃には菊の花が
咲きます、一緒に見に行けますね。どんなに楽しいことでしょう……
9月9日にお帰りになる、確かな約束ですか。」
「9月9日に、」赤穴は繰り返し、微笑みながら暇乞《いとまご》いをした。
それから彼は播磨国の加古村から大股で歩き去った──丈部左門と
丈部の母は、目に涙を浮かべて見送った。

84 :守られた約束2 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 09:55:54.50 ID:h3tzpEyN0

「日も月も、」日本の古い諺《ことわざ》は言う、「彼らの旅に決して
休み無し。」瞬く間に月は流れ、秋が来た──菊の花の季節である。
そして9月9日の朝早く、丈部は義兄弟の歓迎の仕度をした。立派な
物でご馳走を調理し、酒を買い、客間を飾り付け、二色の菊の花で
床の間の花瓶を満たした。そんな彼を見て母は言った──「出雲国
は、せがれや、この地から百里以上もあって、そこから山を越える旅
は難儀で疲れますから、赤穴が今日帰るとはあてにできませんよ。
この骨折りは仕上げてしまわずに、お帰りを待ってからにしませんか。」
「いいえ、母上」丈部は答える──「赤穴は今日ここでと約束したの
ですから、彼は約束を破れません。それにもし到着した後から用意
し始める我々が見えたとすれば、彼の言葉を疑ったと知られて恥を
かきます。」

85 :守られた約束3 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:00:16.66 ID:h3tzpEyN0

 その日は雲ひとつ無い素晴らしい天気で、空気は澄み渡り
世界は平素より千里も広がって見えた。朝の内に多くの旅人達
が村を通り過ぎた──その中には侍もいて、来る人それぞれを
丈部は注目し、一度ならず赤穴が近くにやって来る想像をした。
しかし寺の鐘が正午を鳴らしても、赤穴は現れなかった。午後の
間じゅう丈部は見続け虚しく待った。日が落ちてもまだ、赤穴の
気配は無かった。それでも丈部は木戸に留まり道を注視し続けた。
遅くれて母が彼の元へ来て言った──「人の心とは、せがれや
──諺が言うように──秋の空のように変わりやすいものです。
けれどあなたの菊の花は、明日になっても新鮮なままでしょう。
今は眠った方が良い、そして朝になって、あなたが望むなら、また
赤穴のために待てるでしょう。」「母上は休んで下さい、」丈部が
返す──「でも私は、まだ彼が来ると信じています。」それから母は
自室へ行き、丈部はいつまでも木戸に残っていた。その夜は昼間の
ように澄み渡り、空には満天の星が瞬き、白い天の川が常ならぬ
輝きを揺らめかせていた。村は眠っていた──静寂を破るのは
小川のかすかなせせらぎと、遠くから聞こえる農家の犬の遠吠え
だけであった。丈部はまだ待っていた──細長い月がほど近い
丘の向こうへ沈むまで待った。それから最後には、不安になり疑い
始めた。ちょうど家へ入り直そうとした頃、遠方に背の高い男が
近づいて来るのを認めた──とても静かで素早く、そして次の瞬間
はっきりと赤穴と分かった。

86 :守られた約束4 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:04:16.07 ID:h3tzpEyN0
「おお」丈部は叫び、出迎えのために跳び出した──「朝から
今までずっと待っていました……やはり、この通り本当に約束は
守るのですね……しかしお疲れになったはずです、お気の毒に
兄上──お入り下さい──何もかも用意はできています。」彼は
赤穴を客間の上座へと案内し、低く燃えていた灯りを急いで整え
た。「母上は、」丈部は続けた、「今夜は少し疲れを感じて既に寝床
へ入っていますが、すぐに起こして参ります。」赤穴は首を振り、
小さく制止の身振りをした。「分かりました、兄上、」丈部は言い、
暖かい食べ物と酒を旅人の前へ置いた。赤穴は食べ物や酒に手を
付けなかったが、動きを止めたまま少しの間沈黙した。それから、
囁《ささや》き声で話し──母が起きるのを気遣うかのように言った──
「さて、何が有ってこのように遅れて来たのか、話さなくては
ならん。わしが出雲に帰ってみれば、人々は先の領主、立派な
塩冶候のご恩を忘れ、富田《とんだ》城を占拠する略奪者、
経久《つねひさ》に気に入られるよう努めているのが分かった。
わしは従兄弟の赤穴丹治を訪ねなくてはならなかったが、彼は
経久への配下へくだるのを受け入れ、家臣のように城下の土地で
暮らしていた。彼は経久の前でわしを土産《みやげ》とするよう
説得し、わしは専《もっぱ》ら顔も見たことの無い新しい領主を
見極めるために従った。それは度胸溢れる熟練の兵士であった
が、狡猾で残忍でもあった。それを見抜いたわしは、その臣下に
加わることはできないと知らせる必要が有った。対面から去る
わしを従兄弟に引き止めさす命令が下った──屋敷から
出られぬまま拘束するためだ。わしは9月9日に播磨へ帰る
約束が有ると断言したが、出立の許可は拒否された。わしは
それから、夜に紛れて抜け出す望みを抱いたが、四六時中
見張られていて、今日まで約束を果たす方法を見付けられ
なかった……」
「今日までですって」当惑した丈部が叫んだ──「城はここ
から百里以上ありますよ。」

87 :守られた約束5 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 10:06:23.71 ID:h3tzpEyN0
「左様、」赤穴が返す「生者の足では1日に百里の旅は
できん。しかし、約束を守らねば、お主はわしを良く思っては
くれまいと感じ、そして、魂《たま》よく1日に千里を行《ゆ》く
〔人の魂は1日に千里の旅ができる 。〕という古い諺を思い
出した。幸い刀の所持は許されていた──こうしてお主の
元へ来られたのだ……我々の母上を大切にしてくれ。」
 この言葉と共に立ち上がり、その瞬間に姿が消えた。
そうして丈部は、約束を果たすため赤穴は自害したのだと知った。

 夜が明けるとすぐ、丈部左門は出雲国の富田城を目指して
出発した。松江に着き、そこで彼は9月9日の夜、城の土地に
在る赤穴丹治の屋敷で赤穴宗右衛門が腹切りを実行したと
聞かされた。丈部は赤穴丹治の屋敷へ行き、家族の目の前で
赤穴丹治の裏切り行為を非難して殺害し、無傷で逃走した。
そしてその話を聞いた経久候は、丈部を追ってはならんと命令を
出した。彼自身不道徳で冷酷な男ではあったが、経久候は
他人の真実の愛を尊重し、丈部左門の友情と勇気に感服
できたからである。


[1]出雲すなわち雲州《うんしゅう》の古い詩的な名前。
[2]1里はイギリスの2マイル半におよそ等しい。

88 :小林 ◆matome2rkQ:2014/12/27(土) 10:25:46.60 ID:h3tzpEyN0
A Japanese Miscellany(日本雑記)よりOf a Promise Keptでした。

上田秋成の有名な雨月物語の「菊花の約(きっかのちぎり)」を
元にした話ですね。

固有名詞の多くは雨月物語から漢字を拾いました。ただ、
Lord Enyaは雨月物語は塩谷ですが、誤記であろうと、塩冶を
あてました。

この話は「守られた約束」であって「菊花の約」ではない、という
のと、出雲市を拠点に活動していた人の名前は間違えられ
ないという理由からです。

富田城は松江じゃなくて、安来では?という疑問も有りますが
その辺は気にしないことにします。

経久とは、もちろん尼子経久です。

義兄弟の苗字は雨月物語の通りにしない方が良いのでは?という
気がしないでも有りませんが・・・

「破られた約束」と「守られた約束」は、約束をテーマにした点と
出雲地方に関係した話という点で、やはりセットにすべきですね。

89 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/12/27(土) 14:40:39.18 ID:h3tzpEyN0
>>83
「どうして、そのような」
why, as for that

と訳していましたが、

「ああ、そうだな」

の方が良いかもしれません。

90 :鳥取の布団の話1 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:40:55.81 ID:iH9pV0ck0
鳥取の布団の話

 かなり昔、鳥取の町のとても小さな宿屋が、最初の客として
行商人を受け入れた。この小さな宿屋に良い評判を立てようと
いう主《あるじ》の望みによって、普通より親切に迎えられた。
新しい宿ではあったが、主人が貧乏なため大部分の道具──
箪笥《たんす》と調度品──は古手屋《ふるてや》[1]から購入した。
ではあるが、なにもかもが清潔で快適できれいであった。お客は
思う存分食べほど良く暖められた酒を存分に飲んだ後で、柔らかい
床《ゆか》に用意された寝床に倒れこみ眠るために体を横たえた。

91 :鳥取の布団の話2 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:43:40.00 ID:iH9pV0ck0

〔ここで少しの間、日本の寝床について言及するため話を
中断しなくてはならない。病気になって療養でもしていない
限り、日中どんな日本の家屋でも、部屋のことごとくを訪ね、
隅々まで覗いたとしても、あなたは決して寝床を見ることは
ない。実際に西洋的な言葉の意味での寝床は存在しない。
日本人が寝床と呼ぶ物は、寝台が無く、バネも無く、マットレス
やシーツや覆いも無い。綿で満たしたと言うよりは詰め物を
した、布団と呼ばれる分厚いキルトだけから成る。ある枚数の
布団は畳(床敷き)の上に横たえ、そして別のある枚数は掛ける
ために使う。金持ちは布団を五六枚敷いた上で横になり、同じ
くらい多くを自分に掛けて満足できる一方、貧しい庶民は二三枚
に甘んじなくてはならない。もちろん種類は多く、西洋の炉の前の
敷物ほどの大きさもなく、さして厚くも無い使用人の木綿布団から、
8尺の長さで7尺幅の、裕福な金持ちだけが買える、厚くふくらんだ
極上の絹布団まで有る。
その上、幅の広い着物のような袖を備えて、どっしりとした布団で
作られた夜着《よぎ》まで有って、極めて寒い天気の時には、
非常に快適であるのが分かる。こういった物の全てが、日中は
壁に細工をして窪《くぼ》ませた小空間へ、きちんと畳んで
襖《ふすま》──普通は上品な模様の入った不透明な紙で
覆《おお》われた、綺麗な仕切りの引戸──を閉め、視界の外に
しまい込まれている。また、日本人の結い髪を寝ている間の乱れ
から保護するために考案された、おかしな木製の枕もしまわれて
いる。
 この枕は、間違いなく神聖視されているが、その起源と明確な
信仰の本質に関して、私は確認できていない。今これだけは
分かる、それを足で触るのは大変な間違いと考えられ、偶然で
あっても蹴ったり、そのように動かしたなら、不調法は枕を手で
額まで持ち上げて、お許しをお願いしますという意味の言葉
「ごめん」を添え、丁寧《ていねい》に元の位置へ置き直して
償わなければならない。〕

92 :鳥取の布団の話3 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:48:50.38 ID:iH9pV0ck0

 さて、夜がことのほか涼しく、寝床がとても心地良ければ、
暖かい酒をたらふく飲んだ後は、たいてい人はぐっすり眠る
ものである。しかしその客は、部屋の中から声がするせいで、
ほんの少しの間眠っただけで目を覚ました──いつまでも
同じ問い掛けでお互い訊ね合う子供の声であった。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 このような日本の旅館には、部屋と部屋の間を仕切る紙を
貼った引戸の他に扉が無いため、部屋の中の子供の存在は、
お客を悩ませはするが、驚かせはしない。それゆえ彼には、
闇の中を誤って子供が何人か座敷へ迷い込んだに違いない
と思われた。彼はいくらか穏やかに小言を口にした。しばらく
沈黙だけが有って、それから優しく、か細い、哀れな声が耳元で
訊ねた「あにさん、寒かろう」〔お兄さん、寒くありませんか〕そして
別の優しい声がなだめるように答えを返す「おまえ、寒かろう」
〔いや、お前の方が寒くないか〕
 彼は立ち上がり、行灯[2]の中の蝋燭に再び火を灯し、部屋を
見回した。誰も居ない。障子は全て閉まっている。戸棚を
調べると、空《から》ばかりであった。訝《いぶか》りながらも、
灯りを燃えるまま残し再び横になると、すぐに枕元から再び
ぶつぶつと話す声がした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 その時初めて、夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を
全身で感じた。繰り返し聞こえ、その都度怖れは深まった。
声は布団の中からだと分かったのである。それは寝床の掛け
布団が、このような呼び声を出していた。
 彼は慌ただしく少ない所持品をかき集めて階段を降り、
家主を叩き起こして、何が話されたかを伝えた。すると主は
たいそう腹を立てて言い返した「大事なお客だから喜んで
貰おうと何もかもやったのに、本当は大事なお客どころか
大した大酒呑みで、悪い夢を見たんだ。」それでもお客は、
さっさと宿代を払ってどこか他所の宿を捜すと言い張った。

93 :鳥取の布団の話4 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:51:37.90 ID:iH9pV0ck0
 次の晩、ひと部屋泊まれないかと別のお客がやって来た。
夜更けになって、家主は同じ話で泊まり客に叩き起こされた。
そしてこの泊まり客は、不思議なことに全く酒を飲んで
いなかった。何かの妬みから、商売の破滅を企んでいるのかと
疑い、家主は感情的に答えた「汝を喜ばせるため、全てのことを
立派にこなしたにも関わらず、不吉で忌々しい悪態の限りを
浴びせる。この宿屋にはわしの生活が掛かっている──
それは汝にも分かりきっている。であるから、そんなことを話す
のは正しくない。」するとお客は怒りだして、もっと悪いことを大声で
言い、二人は激しい怒りの中で別れた。
 しかし、お客が去った後、家主はこういった全てがとても奇妙に
思えて、布団を調べに空の部屋へ登った。そうした内に彼は声を
聞いて、お客は本当のことしか言わなかったのだと気が付いた。
呼び掛けるのはある掛布団──たったひとつ──であった。残りは
静かである。彼は自分の部屋へ掛布団を持ち込み、夜の残りをその
下で横になった。その声は夜明けの時刻になるまで続いた。
「あにさん、寒かろう」「おまえ、寒かろう」そのため眠れなかった。
 しかし日が昇ると起き上がり、布団を買い取った古手屋の店主を
捜しに外へ出た。販売者は何も知らなかった。彼は布団を更に
小さな店から買い、その店の持ち主は遠く離れた市の郊外に
住んでいる更にもっと貧しい商人から、それを購入していた。そして
宿屋の主人は次から次へと訊ねて回る。
 それで最後に分かったのが、その布団はある貧しい家族の物で、
町の近隣に暮らしていた家族の小さな家の大家から買われた。そして
その布団の話はこうだ──

94 :鳥取の布団の話5 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:54:24.55 ID:iH9pV0ck0
 その小さな家の家賃は、月にたったの六十銭であったが、
これでも貧しい庶民が払うには大きな負担であった。父親が
稼げるのは月に二三円だけ、母親は病気で働けず、二人の
子供がいた──六歳と八歳の少年である。そして彼らは
鳥取では他所者であった。ある冬の日、父親が病気になり
7日の間苦しんだ後に死んで埋葬された。それから長く病んだ
母親も後を追い、子供達は身寄りも無く残された。彼らは助け
を求められる者を誰も知らず、売れる物が有れば生きるために
売り始めた。
 それは多くない、死んだ父母の着物、それと自分達の物の
ほとんどと何枚かの木綿の布団、僅かな貧しい家庭の調度品
──火鉢、皿やお椀に茶碗、他の些細な物。毎日何かを売って
1枚の布団の他は何も残らないまでになった。そして食べる物が
何も無く、家賃を払っていない日が来た。
 恐ろしい大寒、最も寒さの厳しい季節の到来、吹き寄せる雪が、
小さな家から遠く歩き回るには激し過ぎた。そのため、1枚の
布団の下で横になるしかできず、寒さに震え、子供らしいやり方で
お互いにいたわり合った──
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 火は無く、火を焚ける何物も無いまま闇がやって来て、凍える風が
ヒューヒューと小さな家の中まで吹き抜けた。
 彼らは風を怖れたが、家賃の取り立てで乱暴に追い立てる家主が
もっと恐ろしかった。邪悪な顔をした厳しい男であった。何も払えないと
分かると、子供達を雪の中へ追い出し、1枚の布団を取り上げ、
家に鍵をかけた。

95 :鳥取の布団の話6 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 09:56:09.58 ID:iH9pV0ck0
 それぞれが薄く青い着物しか持たず、他の全ての衣類は
食べ物を買うため売ってしまい、何処にも行くあてが無かった。
遠くない所に観音の寺は在るが、たどり着くには雪が激し
過ぎた。そうして大家が去ると 、彼らはこっそり家の裏へ
戻った。そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるよう
抱き合って眠った。眠っている間に、神々が彼らへ新しい
布団を掛けた──霊的な──白くてたいそう美しい物で
あった。彼らはもはや寒さを感じなかった 。多くの日々を
そこで眠り、それから誰かが彼らを見付け、寝床を用意
されたのは千手観音の寺の墓場の中であった。
 この事を聞いた宿屋の主人は、小さな魂のために経を
読み上げて貰うため、布団を寺の坊さんに渡した。それから後、
布団は話しをやめた。


[1]古手屋、中古品──古手──の商人によって設立
された。
[2]行灯、独特の構造をした紙灯籠で夜の灯りに使う。
行灯のいくつかは実に美しい外観である。

96 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2015/01/03(土) 10:12:39.45 ID:iH9pV0ck0
Glimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)
日本海に沿っての章よりStory of the Futon of Tottoriでした。

出雲地方では今でも年配の人が中古品の事を古手《ふーて》と
言ったりするので、古手屋は方言なのかと思いましたが、検索
したところ、全国的な言葉と分かりました。

江戸時代の日本は小氷河期だったという説が有るくらいですから、
鳥取でも相当に寒かったでしょう。

子供を見捨てたという点で、鳥取の人にはありがたく無い話かも
知れませんが、こういう話が伝わっているという事は、身寄りの
無い子供に優しくしようという気持ちが鳥取の人に有ったのだと
思います。

97 :妖魔詩話1 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:05:37.30 ID:7WXFPAHM0
妖魔詩話

 最近一件の古本屋を散策している時に、たくさんの妖魔の絵を収録した3巻から
なる妖魔詩集を見付けた。詩集の名前は「狂歌百物語」という。百物語とは有名な
幽霊の本のことだ。話の個々の主題には、異なる時代の様々な者達の詩で構成
されている──詩の区分は狂歌と呼ばれる──そしてこれらは収集され私が幸運な
所有者となった3巻の形式に編集された。詩集は確かに工匠《たくみ》甚五郎《じんごろう》
によって「天明老人」の筆名の下(往古の天明時代)に書かれた。工匠が死んだ
のは文久元年(1861年)、八十歳の大往生であり、嘉永6年(1853年)の出版と
詩集に見える。絵は「亮斎閑人」の筆名の下に仕事をした正純と呼ばれる画家の作で
ある。
 序文の覚え書きによると、かつては人気が有り世紀のなかば以前に廃れてしまった
詩歌の種類を甦らそうと望んで、工匠甚五郎は収集品を出版し公開したのだ。狂歌
という言葉は漢字で「非常識」や「いかれた」を示し、独特で風変わりで多様なお笑い
の詩を意味する。その形式は古典的な短歌の三十一音節(五七五七七の配置)
から成る──しかし主題はいつでも古典的とは対極にあり、芸術的な効果は数多くの
先例の助け無しでは説明できない、言葉の曲芸の手法に依存する。工匠によって
出版された詩集は、西洋の読者が価値を見い出せない数多くの要素を含むが、
その最高の物が持つ明白で奇怪な特色は、恐ろしい主題で遊ぶフッドの怪奇な
技巧のひとつを思い出させる。この特色と恐ろしさに遊び心を混合させる日本独特
の手法は、様々な狂歌の原文をローマ字で模写し、翻訳と注釈を添えてのみ暗示
と説明ができる。
 私が行った選抜は、それが少ししか、あるいは全くまだ英語では書かれていない、
日本の詩歌の一種について読者へ紹介するからだけでなく、それ以上に大部分が
まだ未発見のまま残された超自然の世界を幾らか垣間見させてくれるから、
面白いと保証する。極東の迷信と民話の知識無くして、日本の小説や芝居や詩の
本当の理解は決して可能とは成らない。

98 :妖魔詩話2 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:07:20.98 ID:7WXFPAHM0

 3巻の狂歌百物語には何百もの詩が有るが、幽霊や妖魔の数は書名が示す
百には足りない。ちょうど九十五である。この妖かし全部が読者の興味を惹く
とは推測できないから、主題の7分の1未満の選抜とする。顔無し赤子、長い
舌の乙女、三つ目坊主、枕返し、千頭、提灯持ち小僧、夜泣き石、化け鷺《さぎ》、
風妖、龍灯、山姥は、印象に残らなかった。西洋人の神経には凄惨過ぎる空想
──例えば、おぶめどりのような──また、それらが単なる土地の伝統として
の扱いなら、狂歌の選択から外した。地方の民間伝承よりむしろ全国を代表
する主題を選んだ──かつて国中で広く認められ、一般的な文学にしばしば
取り上げられた古い信仰(大部分はチャイナ起源)である。

99 :妖魔詩話3 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:09:15.29 ID:7WXFPAHM0

一、狐火

 ウィル・オー・ザ・ウィスプは『狐火』と呼ばれるが、昔は妖狐がそれを生成する
と想像されたからである。古い日本の絵画でそれは、暗闇を浮遊する青白く赤い
舌のように表現され、すっと動く時に外面が発光を放たない。
 この主題で取り上げる幾つかの狂歌を理解するため、読者は狐が起こす各種の
おかしな言い伝えの妖力について、ある迷信を知っておくべきだ──他所者との
結婚に関するもののひとつである。以前のまともな一般人は、外部ではなく自身
の共同体からの結婚を期待され、この考えの中で伝統的な慣例を無視する男は、
それの集団的な憤怒をなだめるのが困難であると悟る。今日でさえ、長らく生まれ
故郷を留守にした後の村人が、見知らぬ嫁を連れて帰ると、もっともらしく意地悪
な事を言われる──このように、「分からない物を引っ張って来た……何処《どこ》
の馬の骨だ。」(「誰も知らないどんな種類の物をここまで彼は後ろに引きずる
のか、何処で拾い上げた古い馬の骨か。」)馬の骨、「古い馬の骨」の表現は、
説明を要する。
 妖狐は多くの形をとる力を持つが、男を騙す目的のため、通常は可憐な女の
姿をとる。この種の魅力的な見せ掛けを造ろうとすると、古い馬の骨か牛の骨を
拾い上げて口に咥《くわ》える。やがて骨は光り輝き、その回りに──遊女か
芸妓《げいこ》の形体で──女の姿の輪郭を形成する……そういう訳で、見知らぬ
嫁と結婚する男への疑問について「どんな古い馬の骨を拾い上げたのか」が
本当は、「どんな尻軽女が誘惑したのか」と意味している。それは更に、他所者は
特殊部落の血筋かも知れないという疑いを含んでいる 。ある種の遊び女《め》
は、古くからエタや他の下層階級の娘達の間から主に募集されてきた。

100 :妖魔詩話4 ◆YAKUMOZcw.:2015/05/12(火) 19:10:46.48 ID:7WXFPAHM0

   灯ともして
 狐の化せし、
   遊び女[1]は
 いずかの馬の
 骨にやあるらん

〔──ああ、その尻軽女は(提灯に灯を点けている)──そうして狐が変化《へんげ》
する時の、狐火を燃やす……おそらく本当は何処かしらの古い馬の骨でしか
ない……〕

   狐火の
 燃ゆるにつけて、
   わがたまの
 消ゆるようなり
 こころほそ道[2]

〔そこで狐火が燃えているから、まさに私の魂は消えていくようだ、この狭い道で
(あるいは、この気が滅入る寂しい場所で)。〕

[1]遊び女、高級娼婦、字義通りなら「遊びの女」。エタと他の下層階級が、この
女達の大きな割合を提供した。詩の意味全体は次のようになる「提灯を持った
あの若い尻軽女を見ろ。ちょっと見は可憐だ──しかし、そういうのは畜生の
鬼火を燃やしている狐のちょっと見で、作り物の娘と思われる。ちょうどお前の
女狐のように、古い馬の骨に過ぎないと証明されて、そうしてあの若い娼婦も、
その美貌で男を愚行へと惑わす、エタよりマシな者では無かろう。」

[2]遅くなった旅人が、鬼火を怖れて語ったと想像される。最後の行は2つの読み
を可能とする。『こころほそい』は「気後れ」を意味し、『細い道(ほそみち)』の意味
は「狭い道」で、具体的には「淋しい道」である。



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