怪談:妖しい物の話と研究


トップ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50
奇談
1 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2014/08/04(月) 15:16:03.69 ID:XRRvBaIb0
【出版依頼】
【著者】ラフカディオ・ハーン
【翻訳編集】小林幸治
【予定価格】100円

小泉八雲の「怪談」に収録されていない、霊的な話や不思議な話を収録して
電子書籍にします。

話の画像はいつでも募集してます。謝礼はカラー2000円、モノクロ1000円、
著作権は絵師に残り、私に利用権を与え、著作権者は他所で利用しても良い
という方向です。

2015/03/09修正と追記
内容を追加した改訂版の無料アップデートはKindleの規約上不可能であると分かりました
14話程度で1冊作り3巻の電子書籍にする予定です
最後に全話まとめて1冊作り、計4冊にしようかと思います

145 :人形の墓1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 19:57:53.72 ID:KoOkbeVE0
人形の墓

 万右衛門は屋内の子供をなだめて食事をさせた。
彼女は十一歳くらいで、知的で、哀れなほどおとなし
く見えた。名前は稲《いね》、『生えている米』を意味
するが、か弱い細さは名前にふさわしく見えた。
 万右衛門に穏やかに説得されて話を語り始めると、
彼女の声が変わっていくことから私は何か奇妙な予
感がした。高くて細い可愛らしい声で全く抑揚もなく話
した──炭火の上の小さなヤカンの単調な歌のよう
に感情の無い淡々とした声音《こわね》であった。日本
では少女や大人の女が感動的な、あるいは残酷な、
あるいは恐るべき何かを口にする時、まさにこのような
落ち着いた平板な透る声が聞かれるのは希では
ないが、決して何の関心も無い訳ではない。それは感
覚が常に抑制の元に置かれ続けていると意味している。
「家《うち》には6人いました」と稲は言った──「父と母
とかなり年老いた父の母と兄と私と妹でした。父は表具
屋という壁紙職人で、襖に紙を張ったり掛け物の表装を
しました。母は髪結いでした。兄は印鑑彫りの年季奉公
をしていました。
「父と母はうまくやっていて、母は父よりも多くのお金を
稼ぎました。私たちは良い着物を着て良い物を食べ、本
当に悲しいことなど何もありませんでした、父が病気に
なるまでは。
「それは暑い季節の中頃でした。父はいつでも元気で、
私たちは病気が危険な物だとは思いませんでしたし、本
人もそれほどとは思っていませんでした。けれどまさに
その次の日に死にました。私たちは大変に驚きました。
母は以前のようにお客さんを待つため本心を隠しました。
けれどそれほど強くはなくて、そのうえ父の死の痛みは
すぐにやって来たのです。父の葬式から8日して母も死
にました。誰もが驚くほど突然でした。それから近所の人
たちは人形の墓をすぐに作らなくてはと言いました──
つまりそうしなければ私たちの家から他の死人が出ると。
兄はその通りだと言いましたが、言われたことを先延ばし
にしました。たぶん十分なお金が無かったのでしょう、よく
分かりませんが、墓は作りませんでした……」

「人形の墓とは何ですか」と私はさえぎった。

146 :人形の墓2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:01:35.69 ID:KoOkbeVE0
「思うに」万右衛門が答える「それと知らずにたくさんの
人形の墓をご覧になっています──ちょうど子供の墓
のような見掛けをしています。同じ年に家族が2人死ぬ
と、必ず3人目もすぐに死ぬと信じられていました。『いつ
も墓は3つ』と言われています。そのように1つの家族か
ら同じ年に2人が葬られた時には、この2人の墓の次に
3番目の墓を作り小さな藁の身代わりだけを棺に入れ
ます──そしてその藁人形の墓には戒名[1]を書いた
小さな墓石を載せておきます。墓地のある寺の坊さんは、
この小さな墓石のために戒名を書いてくれます。人形の
墓を作ることで死が避けられるだろうと考えられています
……では稲の残りを聴きましょう。」

 子供は再開した──
「まだ4人いました──祖母と兄、私と妹。兄は十九歳でし
た。父が死ぬ前にちょうど年季奉公が終わっていましたから、
神様が憐れんでくれたようだと私たちは思いました。兄は
家長になりました。仕事の腕はかなり確かで多くの友人が
いましたから、私たちを養っていけました。最初の月に十三
円稼ぎました──これは判屋としてはかなり良い方です。
ある晩、具合を悪くして帰って来て頭が痛いと言いました。
母が死んでから四十七日たっていました。その晩は食べる
ことが出来ませんでした。翌朝は起き上がれませんでした
──とても高い熱が出て、私たちは出来るだけ良くなるよう
に看病し、夜中に起きて世話もしましたが良くなりませんで
した。病気の3日目に私たちはぎょっとなりました──母と話
し始めたからです。母の死から四十九日後でした──その
日に魂は家を去ります──そして兄は母が呼んでいるかの
ように──『はい、お母さん、はい──もう少しで行きます。』
それから母が袖を引っ張ると言いました。指差して私たちに
呼び掛けました──『そこにいる──そこ──見えないか。』
私たちは何にも見えないと言いました。それから言いました
『すぐに見ないからだよ、今は隠れた──畳の下へ行った
よ。』朝の間中こんなことを言っていました。しまいには祖母
が立ち上がって、足で畳を叩いて母をしかりました──大変な
剣幕でした。『タカ』と言い『タカ、何て悪いことをするんだ。お前

147 :人形の墓3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:04:06.34 ID:KoOkbeVE0
が生きていた時はみんな慕っていただろう。意地悪なことは
決して誰も言わなかった。何で今子供を連れて行きたがる、
我が家の大黒柱なのは知ってるだろう。もし連れて行けば、
御先祖様の面倒をみる者がここでは誰も居なくなると知って
るだろう。連れて行けば家名が絶えるのが分かるだろう。オタカ、
それは無慈悲で、恥知らずで、意地悪だよ。』祖母はこのよう
に体全体を震わせて怒りました。それから座って泣き、私と妹
も泣きました。しかし兄は、まだ母が袖を引っ張ると言いました。
日が沈む頃に兄は死にました。
「祖母は泣いて私たちをなでて、自分で作った短い歌を歌いま
した。まだ覚えていられます──

親の無い子と
浜辺の千鳥
日暮れ日暮れに
 袖しぼる[2]

「そうして3番目の墓が作られました──でもそれは人形の墓
ではありませんでした──そして私たちの家の終わりでした。
冬の間親戚で暮らしている時に祖母が死にました。夜中に死に
ました──誰にも知られず、朝方には眠っているように見えま
したが、死んでいたのです。それから私と妹は別れ別れになり
ました。妹は──父の友人の1人の──畳屋に引き取られまし
た。親切にされて、学校にさえ通《かよ》っています。」

「ああ不思議なことだ──ああ困ったね。」万右衛門が呟いた。
少しの間同情の沈黙があった。稲は感謝のお辞儀をして、立ち
去るために立った。草履の紐の下に足をすべらせたので、私は
老人に質問するため彼女の座っていた場所の方へ移動した。私
の意図に気付いた彼女はすぐさま言い様の無い合図を万右衛門
へ送り、彼はちょうど側に座ろうとした私をひき止めることで答えた。
「彼女の願いは」と言う「始めに旦那様がしっかり畳を叩いてくだ
さることです。」
「しかし何故」私は驚いて訊ねた──靴をはかない足の裏に、子供
が正座していた場所の心地よい暖かさの感覚を認識するだけである。

148 :人形の墓4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:05:26.33 ID:KoOkbeVE0
 万右衛門は答えた──
「誰かの体で暖められた場所へ座るということは──最初にその
場所を叩いておかなければ──その人自身の人生の悲しみ全て
を別の人が引き取ってしまうのだと彼女は信じています。」
 そこへ私は儀式を行わずに座り、我々は二人して笑った。
「稲、」万右衛門は言った「旦那様はお前の悲しみをお引き受けに
なる。旦那様は」──(万右衛門の敬語を表現する試みは私には
出来ない。)──「他の人々の痛みを理解なさりたいのだ。涙は要
らないよ、稲。」


[1]死後に埋葬される人の仏教徒名は墓に刻まれる。
[2]「両親のいない子供らは浜辺のカモメたちのようだ。夕方から夕
方に袖をしぼる。」『千鳥』という言葉は──多種の鳥に区別無しに
あてられるが──ここではカモメとして使われている。カモメの鳴き
声は、もの悲しさと寂しさを表現すると考えられ、それゆえの比喩。
日本の着物の長い袖は、悲しい時の顔を隠すだけではなく目を拭く
のにも使われる。「袖をしぼる」は──つまり涙でびしょ濡れになった
袖から水気を搾り取るということで──日本の詩ではしばしば表現
に使われる。

149 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/02(金) 20:09:12.58 ID:KoOkbeVE0
Gleanings in Buddha-Fields(仏陀の畑の落穂)より
Ningyo-no-Hakaでした。

この話はハーンが雇った子守の娘から直接聞いた話です。

150 :伊藤則資の話1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:37:22.17 ID:hA+TYjsp0
 山城国は宇治町に、およそ六百年前、平家一門の
末裔で伊藤帯刀則資《いとうたてわきのりすけ》という
名の若い侍が住んでいた。伊藤は男前の人物に愛想
の良い人柄を備えた立派な学者で武芸の覚えも早かっ
た。しかし家族は貧乏で、彼は身分のある武士の間に
後見人を持たなかった──そのため前途はささやかで
あった。文学の研究に己れを捧げ、(日本の語り部が
言うには)「風月だけを友とした」たいそう穏やかな暮ら
し方であった。
 ある秋の夕暮れ時、近所の琴引山と呼ばれる丘で独
り歩きをしていると、同じ路をたどる若い少女が追い越
す事態が起こった。彼女は立派な服を着て、十一か十
二歳くらいに見えた。伊藤は挨拶して言った「じきに日が
落ちますよ、お嬢さん、ここは少々人里から離れていま
す。お訊ねしますが、道に迷われたのではありません
か。」彼女は朗らかな微笑を浮かべて見上げ、否定の言
葉を返した。「いえ、私はこの辺りで宮使いをしていて、
少し先に行くだけです。」
 宮使いという言い回しを使うことから、少女が高位の人
のお勤め中のはずだと知ったが、この付近ではいかなる
貴族も住んでいるとは聞いたことが無かったので、述べら
れた言葉は伊藤を驚かせた。しかし僅かに言った「私は
家の有る宇治に帰るところです。ここはとても寂しい場所
ですから、道中のお供をすることをお許しなさいませんか。」
彼女は申し出を喜ぶように優雅に謝意を表明し、連れ立っ
て歩き道々会話をした。彼女は天気と花と蝶と鳥について、
かつてした宇治での滞在について、出身地である首都の
有名な名所について話した──また新鮮なおしゃべりを
聞いて伊藤にとって愉しい一時があっという間に過ぎた。
やがて道の曲がる所で、若い木々の木立が色濃く影を落
とす集落へ入った。

〔ここで話を語る上での中断が必要なのは、最高に明るく
最高に暑い天気であっても日本の幾つかの田舎の村が
どれほど暗いままか、実際に見ること無しには想像出来な
いからだ。東京それ自体の近隣に、この種の村は多数存
在する。そのような村落から少し離れると家が見えなくなり、
常緑樹の密集した木立の他は視界に入らない。通常は若

151 :伊藤則資の話2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:40:13.75 ID:hA+TYjsp0
い杉と竹から成るその木立は、村を嵐から守り、また様々
な目的での材木も供給する。幹の間を通る余地の無いほど
密集して植えられた木々は、帆柱のように真っ直ぐ立ち、太
陽を遮る屋根のような外観に天辺が混ざり合う。めいめい
に屋根を葺かれた田舎の家は、植え込みの中の明るい場
所を占めその回りを建物の2倍の高さの木々が柵を形成す
る。木々の下では真っ昼間でさえいつでも薄明りで、朝や
夕方の家は半分は陰になっている。このような村のほとんど
が、およそ穏やかとは言えない第一引用を与えるが、透明で
はない暗がり、静寂の他にそれ自体が確かに持つ不思議な
魅力がある。五十や百の住居が在るかも知れないが、誰に
も会わず、見えない鳥がさえずり、たまに雄鶏が鳴き、蝉の
甲高い声の他には聞こえない。蝉でさえこの木立が薄暗く
過ぎるのが分かり微かに鳴くけれども、太陽を愛する物は
むしろ村の外側の木々を選ぶ。時たま──チャカトンチャカ
トンという──見えない折り返しが聞こえると言うのを忘れて
いたが、そのお馴染みの音は大きな緑の静寂の中ではお伽噺
の出来事に見える。静寂の理由は単に人々が家に居ない
ということだ。一部の弱った年長者を除く大人の全ては近隣
の田畑へ行き、女たちは背中で赤ん坊を運び、ほとんどの
子供はおそらく半里より少なくない道のりの最も近い学校へ
行っている。確かにこのほの暗く静まり返った村は、管子《かんし》
の書に記録された不思議な永久化のひとつを眺めるようだ──
「世界の栄養を手に入れた古代人達は何も望まず、世界は
充足していた──彼等は何もせず、全ての物は変えられた
──静寂は底知れず、人々は皆穏やかであった。」〕

……日が落ちて伊藤がそこへ着いた時には村はたいそう暗
く、夕暮れは木々の陰になって茜色を作らなかった。「さて、
ご親切なお方、」子供はこう言って、大通りに面した細い路を
指差した。「私はこの道を行かなくてはなりません。」「あなた
の家まで送ることをお許しください。」伊藤は応え、道を見るよ

152 :伊藤則資の話3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:42:19.77 ID:hA+TYjsp0
りはむしろ感じるようにして共に路を曲がった。しかし少女は
すぐ暗がりにぼんやり見える小さな門の前で止まった──格
子状の門の向こうに住居の灯りが見えた。「ここが」彼女は言
った「私の仕える高貴なお屋敷です。ご親切にこのような遠く
まで道を外れて来て頂いたのですから、お入りになってしばら
くお休みになりませんか。」伊藤は同意した。略式の招待に喜
び、どんな高位の身分にある人がこんな人里離れた村に住
む選択をしたのか知りたかった。時には貴族が祭り事への不
満や政治的ないさかいを理由に、公の生活からこのような方
法で引退するのを知っているが、目の前の居宅の住人の経
歴もこのような物だろうと想像した。若い案内人が開けてくれた
門を通ると、大きく古風な庭に居るのが分かった。造園された
子庭を、曲がりくねった小川が横切るのが微かに見分けられた。
「ほんのしばらくお待ちくださいませ」子供は言って「高貴なご
来訪をお知らせして参ります。」と家の方へ急いだ。それは広々
とした家ではあったが、たいそう古く、異なる時代の様式で建
てられたように見えた。引き戸は閉められなかったが、明りの
灯った屋内は通路の正面に沿って広がる美しい竹の幕で隠れ
ていた。その背後で影が動いた──女の影が──そして突然、
夜の中を琴の調べがあった。軽快で甘美な様は自分の感覚
の根拠がおよそ信じられないほどであった。聴こえた静かで穏
やかな喜びの感覚に心を奪われた──不思議なことに喜びに
は悲しみが混じっていた。女がどうやってこのような演奏を修得
できたのか疑問に思い──演者がそもそも女なのかどうか疑問
に思い──この世の音楽を聴いたのかどうかさえ疑問に思い、
その音色は血に訴える魔法のようであった。

 柔らかな音楽は終わり、ほとんど同時に小さな宮使いが側
にいるのに気がついた。「それでは」彼女は言った「お入り願
います。」彼女に玄関まで案内され、そこで草履を脱ぐと、老
女つまりは侍女長と思われる年をとった女が歓迎のため入口
までやって来た。それから老女は主屋の多くの座敷を通って
広くて照明の行き渡った部屋へ案内し、たくさんの丁寧な挨拶

153 :伊藤則資の話4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:45:31.70 ID:hA+TYjsp0
と共に賓客として栄誉に相応しい席へつくように懇願した。彼
は広間の荘厳さと、不思議な美しさに驚いた。やがて侍女の
数人が菓子を持ってきたが、前に置かれた茶碗と別の器が希
少で高価な技量で所有者の高い地位を示す様式が認められ
た。どんな高貴な人がこの孤独な隠れ家を選んだのか、どん
な出来事がこのような隠棲の願いを触発できたのだろう、ます
ます疑問に思った。しかし、突然の老いた案内人からの問い
かけが思索を中断した。
「あなたは宇治の伊藤様とは違いませんか──伊藤帯刀則資
様。」
 伊藤は同意のお辞儀をした。小さな宮使いには名前を告げ
ておらず、そういった問われ方に驚いた。「どうか私の問いを
無礼とお思いになりませんように。」案内人は続けた。「私の
ような老婆は余計な詮索なしにお伺いします。この家へおいで
になった時、あなたのお顔を知っていると思い、本題に入る前
に全ての疑いを消しておくだけのつもりでお名前を伺いしまし
た。あなたにしばらくお話しすることがございます。あなたは
幾度かこの村を通り抜けていらっしゃいまして、ある朝私たち
の姫君様[2]があなたが行くのをご覧になる事態が起こり、そ
れからというもの昼となく夜となくずっとあなたのことを考えて
いらっしゃいます。実のところ病気になるほど思い続け、我々
はとても心配しています。そうした理由からあなたの名前と住
所を捜す算段をしており、その場所へお手紙を差し上げようと
したその時に──まったく思いがけず──ちいさな小間使いと
共に我々の門までいらしたのです。今あなたにお会いできて、
どれほど嬉しいか言葉にできません、現実にしては余りにも
幸運な出来事に見えます。この出合いは縁結びの神──幸運
が融和する縁を結ぶ出雲の大神──のご好意によってもた
らされたのに違いないと本当に思います。幸運があなたをこ
ちらへ案内した今──このようなご関係の在り方に差し障り
が無ければ──姫君様のお心を幸せにしてあげることを拒否
なさらないでしょう。」

154 :伊藤則資の話5 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:48:20.98 ID:hA+TYjsp0
 しばらく伊藤はどう返答すべきか分からなかった。老女の話
が真実なら、並外れた好機が提供されたことになる。強い恋慕
の情だけが貴族の娘自身の意思で、富も如何なる見込みも持
たない無名の浪人の愛情を捜させることができた。一方、女の
弱味で利益を得ることに関心を持って行くのは、立派な男の有
りようではなかった。そのうえ状況は不穏で不可解であった。そ
れでも、こんなに思いがけず訪れた申し出をどうやって辞退する
のか少なからず彼を悩ませた。短い沈黙の後で返事をした──
私には妻も許嫁もいませんし、どんな女との関係も有りません
から何の差し障りも無いでしょう。これまで私は両親と暮らして
いて、結婚のことは一度も話し合いはしませんでした。私が高位
の人たちの間には全く後ろだての無い貧乏な侍だと知って頂く
必要があり、またこんな状態を好転させる幾らかの好機を見つ
けられるまでは、結婚をしたくありません。お申し出は大変大き
な名誉を与えてくれますが、私はまだどのような高貴な姫君の
注目にも値しない己れ自身を知っていると言えるだけです。」
 老女はまるでこの言葉に喜んでいるように微笑んで応えた──
「姫君様にお会いになるまで、決断をなされない方が宜しゅう
ございます。お会いになれば、躊躇いをお感じにはならないで
しょう。お引き合わせ致しますから、これから一緒にお越しくだ
さい。」
 彼女は別の更に大きな客間へと導き、宴の仕度のととのった
上座に案内してから彼の元を離れしばらく独りにした。姫君様
を連れて帰って来ると、初めて女主人を視覚にとらえ、伊藤
は再び琴の調べを聴いたような奇妙で不思議な衝撃と喜び
を感じた。このような美しい存在を夢にも見たことは一度も無
かった。ふわふわした雲を通した月のように、存在が光を発し
て衣服を通して輝くようであり、緩やかに流れる髪は柳の垂れ
た枝が春の微風に色めくようで彼女が動く度に揺れて、唇は
朝露に濡れる桃の花のようであった。視界にとらえた物に伊
藤は当惑した。天の河原の織姫──天国で輝く川に住み機
伊藤は呆けたままで、

155 :伊藤則資の話6 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:53:27.02 ID:hA+TYjsp0
↑訂正:[伊藤は呆けたままで、]は削除

を織る乙女──その人を見ていないのだろうかと自問した。
無言で目を伏せ頬を赤く染めた清らかな者に、微笑んだ老
女は振り向いて言った──
「ご覧ください姫様──今までこのようなことを望めそうに無か
ったのに、会いたいと願ったその人は同族の生まれです。こ
のように幸運な事件は、位の高い神々の意志だけがもたらす
ことができるのです。そう思うと嬉しくて涙がでます。」そして声
を出してすすり泣いた。「けれども、それは今」袖で涙を拭い
ながら続けた「あなた方がお互いに固い約束をして──あり得
ないと思いますが、どちらかがお望みにならないと証してくれ
るので無ければ──お二人の婚礼の宴の席が残されている
だけです。」

 比類なき美しさを前に意志は麻痺し舌は縛られ、伊藤は返
す言葉が無かった。侍女達が入って来てご馳走と酒を運び、
婚礼の宴が二人の前で開かれ、誓約は成された。それでも
伊藤は呆けたままで、予期せぬ出来事の驚きと花嫁の美しさ
の不思議にじっと当惑していた。これまで知っていた何物を
も超越した喜びが──大きな沈黙のように──心を満たした。
しかし次第に普段の落ち着きを取り戻し、それから先は当惑
せずに話しを交わすことができると気が付いた。手酌で酒を
飲み、見苦しくはなるが陽気な方法で、気掛かりな疑いと恐れ
について敢えて話した。その間花嫁は、月光のようにじっと目
を伏せたまま掛けられた言葉に頬を染めるか微笑むだけで
返事をした。

156 :伊藤則資の話7 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:55:53.04 ID:hA+TYjsp0
 伊藤は老いた従者に言った──
「しばしば独り歩きでこの高貴なお屋敷の存在を知らずに、
私はこの村を通り抜けました。そしてここに入ってからずっ
と、どうしてこの高貴な一族はこのような人里離れた場所を
選んで留まらなければならなかったのか不思議に思いまし
た……姫君様とお互いに誓約を交わした今、私が気高い家
族の名前をまだ知らないのはおかしなことのように感じます。」
 この言葉を口にすると、老女の優しい顔に影がよぎり、こ
れまでほとんど話すことの無かった花嫁は青ざめて痛々し
いほど心配する様子を見せた。幾らかの沈黙の後、老いた
女が応えた──
「これ以上秘密にし続けるのは難しいでしょう、それに我々
の身内にお成りになった今では、どんな状況に置かれてい
るのか真実を知っておくべきだと思うのです。伊藤様、あなた
の花嫁は名高くも不運な三位中条重衡卿の娘とお知りください。」
 この言葉──「三位中条重衡卿」──によって、若い侍は
氷のような寒気が全身の血管を通して脈打つのを感じた。
重衡卿、名高き平家の将軍にして政治家は何百年も土の下
であった。目の前には人々の姿ではなく死んだ人々の影、回
りの何もかも──広間と灯りと祝宴──は過去の夢だと、突
然理解した。
 しかし次の瞬間に氷のような寒気は去り、魅力が帰ってき
て彼の回りで深まるようで恐れは感じなかった。花嫁は黄泉
──死者の黄なる泉の地──から来たけれども、彼の心を
すっかりつかんだ。幽霊と結ばれる者は幽霊にならなくては
ならない──それでも目の前の美しい幻の表情に苦痛の影
をもたらすようなひとつの考えを言葉や外見でさらけ出すよ
りは、むしろ一度ではなく何度も死んだ方がましだと知って
いた。差し出される優しい愛に不安が無かったのは、無情な
意図でもっと旨く騙すこともできたであろうに、有りの儘が語
られたから。しかし、この考えと感情は瞬く間に過ぎ去り、当
たり前に贈られたような不思議な立場を受け入れて、寿永
年間に重衡の娘から選ばれたなら行動していたであろう通り
に振る舞おうと決意した。
「ああ、あの哀れな。」彼は大声を出した「高貴な重衡卿の残
酷な運命については耳にしています。」

157 :伊藤則資の話8 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 22:59:19.46 ID:hA+TYjsp0
「はい」老いた女は応え、話しながらすすり泣いた──「確か
に残酷な運命でした。馬を矢で殺され、ご存知の通りその
下敷きになり助けを求めた時、彼の恩寵で暮らしていた人
達に見捨てられたのです。そうして捕虜とされ鎌倉へ送ら
れ、恥知らずな扱いを受けたあげくに処刑されました。[3]
至るところで平家は捜し出され殺されましたから、妻と子
供──ここにいる貴い乙女──は身を隠しました。重衡
卿死亡の知らせが届いた時、産後の母親には明らかに
大き過ぎる苦痛で、そうして子供は──血族の全てが処
刑されるか姿を消してからというもの──私の他に誰も世
話をする者も無く残されました。まだ5歳でした。乳母であ
った私はできるだけの事をしました。我々は巡礼姿ではあ
ちこち放浪の旅をして年を重ねました……けれど深く悲し
いこの話は場違いですね」乳母は声をあげて涙を拭き取っ
た──「過去を忘れられない老婆の愚かな心をお許しを。
ご覧ください、私がお世話をした小さな乙女は、今や立派
な姫君様にお成りです──我々が高倉天皇の平和な日々
を生きていたなら、素晴らしい運命が約束されていたでし
ょう。けれども願い通りの夫を獲得され、それは最高に幸
せです……しかし時間が遅くなりました。婚礼のお部屋の
用意は出来ておりますから、これから朝までお互いにお好
きなようにお任せしなくてはなりません。」
 彼女は立ち上がり、隣の部屋から客間を隔てる襖を開け
て寝室の座敷へ二人を案内した。それから沢山の喜びと
お祝いの言葉と共に退室し、伊藤は花嫁と共に残された。
 二人で横になると同時に伊藤は言った──
「教えてください、愛する人よ、最初に私を夫にしたいと願っ
たのはいつですか。」
(何もかもが現実と変わらなく見えたので、回りに織り成す
幻への思考はほとんどしなくなった。)
 彼女は鳩が鳴くような声で答えた──
「尊き主人にして旦那様、初めてお会いしたのは養母と出
掛けた石山寺でした。お会いしたその時、その瞬間から世

158 :伊藤則資の話9 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:02:50.47 ID:hA+TYjsp0
界が変わりました。けれどあなたが覚えていらっしゃらない
のは、私達の出合いは現在ではなく、あなたの現世ではな
い遠い遠い昔のことだからです。その時からあなたは多くの
死と誕生を通過して多くの麗しい体をお持ちになりました。
けれども私は今ご覧の通りいつまでもこのままで、あなた
への大きな願いのため、別の体を得ることも別の存在状態
になることもできませんでした。愛しいご主人にして旦那様、
私は幾世代をも通してお待ち申しておりました。」
 そして新郎はこの不思議な言葉を聴いても決して恐れる
こと無く、人生にこれ以上は無い、つまり来たるべき人生に
おいて彼にまつわる腕の感触と優しく包み込む声を聞く以上
の望みはなかった。

 しかし寺の鐘の響きが、夜明けの近いことを知らせてき
た。鳥達はさえずり、朝の風は全ての木々をざわつかせ
た。突然老いた乳母が婚礼の部屋の襖を押し開けて叫ん
だ──
「私の子供達、お別れの時間です。日の光の下では一瞬
であっても取り返しがつきませんから、一緒には居られま
せん。お互いに別れを告げなくてはなりません。」
 言葉も無く伊藤は立ち去る用意をした。伝えられた警告
を漠然と理解し、全ては自分の運命と観念した。彼の意志
は影のような花嫁の喜びを望む、それ以上は持たなかった。
 彼女は珍しい彫刻のされた小さな硯《すずり》を手に渡し
て言った──
「若き主人にして旦那様は学者ですから、このささやかな
贈り物を蔑みはなさりませんでしょう。古いのでおかしな
作りをしていますが、光栄にも高倉天皇の好意により父へ
贈られました。そういった理由からだけでも貴重な物だと
思います。」
 伊藤はお返しに、梅の花と鶯を表現した銀と金の象眼
細工で飾られた刀の笄《こうがい》を形見として受け取る
ようにと懇願した。
 それから小さな宮使いが庭を通る案内をしに来て、養母
と一緒に花嫁が敷居まで同行した。

159 :伊藤則資の話10 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:05:18.00 ID:hA+TYjsp0
 彼が別れのお辞儀をするために石段の下へ回ると同時
に老女が言った──
「次は亥の年の、ここへいらしたのと同じ月の同じ日の同
じ刻限に再びお会いしましょう。今年は寅の年、十年待っ
て頂かなくてはなりません。しかし言ってはならない理由
から、二度と我々はここで会うことはできず、立派な高倉
天皇と父と身内の多くが暮らす京都の周辺《あたり》に行
っております。平家の皆あなたがいらっしゃるのを祝福す
るでしょう。お約束の日には駕籠《かご》[5]をお送り致します。」

 伊藤が門を潜った頃には村の上では星が燃えるようで
あったが、開けた道に出ると静かな畑のかたまりの先か
ら夜明けの光が見えた。胸の中には花嫁からの贈り物を
携えていた。声の魅力はずっと耳に残っている──それ
でも確かめるように指で触った形見が存在しなければ、
夜に夢を見た記憶であって人生はまだ自分の物だと言い
聞かせることができた。
 しかし自ら死を運命づけたことに少しも後悔の念は起こ
らないと確信し、別離の苦しみだけが、幻の前に繰り返す
べき季節の移ろいを思うと悩ましかった。十年……その年
までの日々が何と長く見えることか。不可解な延期の解明
は望めない、死者の秘密のやり方は神々だけが知っている。

 何度も何度も独り歩きで、伊藤は琴引山の村を訪れ、今
一度過ぎ去りし面影との遭遇を漠然と望んだ。しかし夜でも
昼でも影になった路地の素朴な門を見つけることは二度と
無く、夕焼けの中を独り歩く小さな宮使いの姿を認めること
は二度となかった。
 用心深く問いかけられた村人達は、彼が化かされている
のだと思った。かつて身を落ち着けて暮らした高位の者は
無く、彼が言うようなどんな庭もこの近隣には存在しないと
言った。しかし彼が話す場所の近くに、かつて大きな仏教寺
院があって墓地の墓石の幾つかはまだ見ることができる。
伊藤は密集した雑木林の真ん中で慰霊碑を見付けた。古代
のチャイナの様式のそれらは苔と地衣類に覆われていた。
その上に彫られた文字は、もはや解読不能であった。

 奇妙な体験について伊藤は誰にも話さなかった。しかし友

160 :伊藤則資の話11 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:07:23.86 ID:hA+TYjsp0
人と親族は、すぐに見える姿と態度の大きな変化を認めた。
医者は体の病気ではないと診断したけれども、日に日に顔色
は青ざめやつれていき、動く時は影のようであった。独りで物
思いに耽るのはいつものことであったが、以前に喜びを与え
た何もかもに──名声の獲得を望んでいたであろう文学の研
究においてさえも──関心が無いように見えた。母親へは──
結婚がかつての大望を刺激し人生への興味を甦らせるかも
知れないと考えていたが──生きている女とは結婚しない誓い
を立てたと言った。そして月日はのろのろと過ぎて行く。
 とうとう亥の年が来て季節は秋になったが、伊藤は好きだっ
た独り歩きはもはやできなくなっていた。寝床から起き上がる
ことさえできなかった。原因は誰にも言い当てることはできな
かったが、彼の生命力は衰退し、眠っていると死んでいるのと
間違えられるほどとても深くとても長く眠った。
 そのような眠りから、ある明るい夕方、子供の声に驚かされ、
見ると側には十年前に消えた庭の門へと案内した小さな宮使
いがいた。彼女はお辞儀をして微笑み言った「今夜あなたは新
居のある京都に近い大原でお迎えされ、駕籠の用意がされて
いますとお伝えするよう命じられました。」それから彼女は消えた。
 伊藤は日の光とは無縁の呼び寄せなのだと知っていたが、
その伝言は身を起こし母親を呼ぶ力に気づくほど彼を喜ばせた。
それから初めて婚礼の話を語り、貰った硯を見せた。それを棺
に入れてくれるように頼んだ──それから死んだ。

 硯は彼と共に埋葬された。しかし葬儀の前に調べた専門家が
言うには、それは宝安年間(AD1169年)に 製作され、高倉
天皇の時代に生きた作者の刻印がなされていたそうだ。

161 :伊藤則資の話12 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:09:24.99 ID:hA+TYjsp0
[1]豪邸の使用人。

[2]姫(王女)と君(元首、主人、主婦、領主、貴婦人等々)
の単語を合成された、ほとんど翻訳できない敬称。

[3]重衡は首都防衛の──その頃平《たいら》(つまり平
家)隊が支えていた──勇敢な戦いの後、源《みなもと》
軍の指揮官義経に奇襲され走らされた。家長という名前
の兵士は弓の名手で重衡の馬を射倒し、重衡はもがく動
物の下へ落ちた。彼は別の馬を連れて来るよう従者へ叫
んだが、その男は逃げた。重衡はそれから家長に捕らえ
られ、ついには源族の頭領頼朝に引き渡され檻で鎌倉に
送られることとなった。そこで様々な辱しめを受けた後、一
時思い遣りの有る待遇を受けた──漢詩によって頼朝の
残酷な心さえ感動させられた。しかし次の年には、清盛の
命によって行われた戦に反抗した南都の仏教僧の要請で
処刑された。

[4]これは刀の鞘に添えられた1組の金属の棒に与えられ
た名前で、箸のように使用する。それは精巧に装飾される
場合も有る。

[5]輿の一種。

162 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:13:28.11 ID:hA+TYjsp0
THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES
(天の川縁起その他)よりThe Story of Ito Norisukeでした。

割と長い話でしたので、日本語がおかしくなっている所もちらほら
有りますが、その辺は校正段階で修正しましょう。

163 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/13(火) 23:29:39.21 ID:hA+TYjsp0
>>151
×第一引用
○第一印象

164 :振袖1 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:25:23.65 ID:rbAKAE6Q0
振袖

 最近主に古着屋が入った小さな商店街を通って
いる時、1件の店の前に吊るされた豊かな紫の色
合いの振袖つまり長い袖の着物に気が付いた。
それは徳川の時代に身分の高い淑女に着られて
いたかのような着物であった。私はそれに付いた
5つの家紋を見るために立ち止まると、同時にかつ
て江戸に破壊を引き起こしたと言われる同様な着
物のこの伝説が記憶に甦った。

 二百五十年近く前、将軍の都の裕福な商人の
娘がどこかの寺の祭に参加している最中に、人
混みの中から著しい美貌の若い侍を見付けて
すぐさま恋に落ちた。不運なことに従者を通して
彼が何処の誰であったか知る前に雑踏の中に姿
を消した。しかし彼の姿は鮮明なまま──服装
の細部にいたるまで──記憶に残っていた。その
時の若侍が着ていた晴れ着は、若い娘のそれ
よりはるかに鮮やかで、この美貌の見知らぬ者の
上衣は夢中の乙女には驚くほど美しく見えた。布
地と色が同じ着物に同じ家紋を付けて着れば、
遠からず好機に見付けて貰えるかも知れないと
空想した。
 そういう訳で、その時代の流儀に従ったとても
長い袖の付いたこのような着物を作り、たいそう
大事にした。出掛ける時はいつでもそれを着て、
家に居る時は部屋に吊るして名も知らぬ恋人の
姿をそれに重ね合わそうとした。時にその前で何
時間も──夢を見ながら、打って変わってさめざめ
と泣きながら──過ごすことが有った。そして神
仏に若い男の愛情が得られますようにと──しば
しば日蓮宗の祈願、南無妙法蓮華経と繰り返し
──祈った。
 しかし二度と若者に会うことは無く、絶望したま
ま葬られた。埋葬の後、これほど彼女が大事に
した長い袖の着物は家族が住む地区の仏教寺院
に納められた。昔の習慣では、このように死者
の衣服を処分した。

165 :振袖2 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:29:16.46 ID:rbAKAE6Q0
 その着物を住職が良い値段で売れたのは、高価
な絹とその上に落ちた涙の跡が残っていなかった
からだ。買ったのは死んだ淑女と同じくらいの歳の
娘であった。着たのはたった1日である。 それから
病気になり、おかしな行動をし始めた──若い美貌
の男の幻に取り憑かれ、愛する余り死にそうだと
大声を出した。そして少しの間の内に死んで、寺は
長い袖の着物の2度目の奉納を受けた。それは再
び住職に売られ、再び若い娘が所有し1回だけ着
た。それから彼女もまた病気になって、美しい影の
話をし、死んで葬られた。そして着物は三たび寺へ
納められ、住職は驚き怪しんだ。
 それにもかかわらず、不運な衣服を敢えてもう
1度売る試みをした。もう1度それは娘に購入され、
もう1度着られ、着た者は恋い焦がれて死んだ。
そして着物が寺へ納められたのは4回目であった。
 住職は行いにおいて何か邪悪な影響が有った
のだと確かに感じ、小僧達に境内で火を焚いて
着物を燃やすよう命じた。
 そのように彼らは火を焚いて着物を投げ入れた。
しかし絹が燃え始めると同時に突然、その上に
眩《まばゆ》い炎の文字が──南無妙法蓮華経
の祈願の文字が──現れて、これが次から次へ
と巨大な火の粉のように寺の屋根へ跳ねて寺に
火が点いた。
 燃える寺の残り火はやがて隣接する屋根へ
落ちて、すぐに通り全体が炎上した。それから
海風に煽られ更に遠くの通りへ破滅的に吹き付
けて、大火は通りから通りへ、町から町中へ、
ほとんど都市全体を焼き尽くすまで広がった。
そしてこの惨事は明暦元年(1655年)の1月
18日に発生し、東京では振袖火事──長い袖
の着物の大火──としてまだ記憶されている。

166 :振袖3 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:29:56.18 ID:rbAKAE6Q0
 紀文大尽と呼ばれる物語の本によれば着物
が作られる元となった娘の名前はお雨《さめ》
と言い、百姓町の酒屋の彦右衛門の娘であっ
た。その美貌から彼女は麻布小町[1]とも呼ば
れていた。同書が言うには、言い伝えの寺は
本郷地区の本妙寺と呼ばれる日蓮宗の寺で、
着物の家紋は桔梗花である。しかし物語には
多くの異説が有り、美貌の侍が実は人では
なく湖──不忍の池──に以前住んでいた
龍や水蛇の変化《へんげ》と主張するから私
は紀文大尽を信用していない。

167 :振袖4 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:31:21.09 ID:rbAKAE6Q0
[1]千年以上たっても小町、つまり小野小町の名前
はまだ日本では有名である。当時の最高の美人で
あり、干ばつの時に雨を降らすなど詩歌によって天
をも動かすことができた、とても偉大な詩人である。
多くの男が彼女を愛し、虚しく愛に殉じたと多くの人
は言う。しかし若さが衰えると不運に見舞われ、極
度の貧困へと落ちぶれた末に物乞いとなり、しまい
には京都に近い街道の広場で死んだ。見付けられ
た悪臭漂うボロ布のまま葬るのは恥ずべきことと
考えられ、貧しい誰かが死体を包むための使い古
しの夏の衣(帷子《かたびら》)を提供し、嵐山の近く
今でも旅行者には「帷子の地」として示される地点
へ埋葬された(帷子ノ辻)。

168 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/09/17(土) 21:46:21.17 ID:rbAKAE6Q0
In Ghostry Japan(霊的日本にて)より
Furisodeでした。

注釈に有る小野小町の晩年については諸説有る
内のひとつと考えて下さい。

昔の日本では女性の怨霊を鎮めるために美人の
称号を贈る場合が多々有りましたので、怨霊になっ
てもおかしくないエピソードや祟りを疑われる事件
(大火等の災害)が有ったのかもしれません。

169 :和解1 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:47:25.85 ID:soxkgzCk0
和解

※原話は今昔物語と題された稀覯本で見付かるだろう。

 京都に若い侍がいたが、主君の没落により貧困へと落ち
ぶれ、家を出て遠く離れた藩の領主に仕えざるをえない
自分に気が付いた。首都の勤めをやめる前に、妻を離縁
した──気立ての良い美しい女であった──別の縁組み
をした方が出世の道が開けるとの信念があった。それから
とある名家の娘と結婚し、誘いの有った藩へ伴って行った。

 しかしそれは若さに由来する無分別な時期と辛い貧困の
経験から、侍はこうして軽率に投げ捨てた優しい愛情の
価値を理解できなかった。再婚が幸せな物である証しは
無く、新しい妻はきつく身勝手な性格で、すぐに京都の日々
への哀惜を想うあらゆる原因を見つけ出した。それから
最初の妻をまだ愛していることに気が付いた──これまで
2番目に対してできた愛よりも強く──そして、どんなに
不条理で、どんなに恩知らずな行いであったかと感じ始
めた。心が平穏なままでは居られないほど自責の念に
かられ、次第に後悔は深くなっていった。見捨てた女の
思い出が──優しい話し方、微笑み、華奢で、可憐な
仕草、申し分の無い忍耐力──次々と甦った。貧困に
苦しむ日々、家計の助けにと夜も昼も機を織る彼女を
時々夢に見る、もっと頻繁に、取り残された小さな荒れ
果てた部屋に独り座って着古した着物の袖で涙を隠す
姿を見た。公務の時間でさえ思考は彼女へと彷徨《さまよ》
い、どうやって暮らしているのか、何をしているのか自問
するのであった。彼女は別の夫を受け入れられないし、
許しを請えば決して拒まないと心の何処かで確信して
いた。そして京都に戻れるならすぐに彼女を捜し出そうと
決心した──それから許しを乞い、連れ戻して、男として
できる償いなら何でもする。しかし何年かが過ぎた。
 とうとう領主の公務の任期が満了し、侍は自由になった。
「愛する者の元へ今戻ろう。」自分に誓った。「ああ何と
無慈悲な──彼女を離縁するとは何と愚かであったこと
か。」(子供のできなかった)2番目の妻を実家へ返し、

170 :和解2 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:53:09.63 ID:soxkgzCk0
京都へ急ぎ、以前の連れ合いを捜しにすぐ出かけた──
旅装束に着替える暇さえ惜しんだ。

 彼女がかつて住んでいた街へ着いた頃には、夜は更け
ていた──九月十日の夜──都は墓場のように静かで
あった。しかし明るい月が何もかもを明瞭にしていて、家
は苦もなく見付かった。それは寂れた外観をしていて、
高い草が屋根まで伸びていた。雨戸を叩いたが、誰の
返事も無かった。戸がしっかりと締められていないのが
分かり、それを押し開けて入った。居間は畳が無く空っ
ぽで、敷き板の隙間から冷たい風が吹き、ボロボの床の
間の壁の裂け目から月が輝いていた。他の部屋は荒れ
果てた様相を呈していた。見たところ家には全く人が住ん
でいないようであった。それでも侍は住居の更に端にある
別の座敷のひとつ──妻のお気に入りの休憩場所で
あった、とても小さな部屋──を訪ねる決心をした。閉じ
られた襖に近寄ると、中から漏れる灯りを認めて驚いた。
襖を脇へ押しやると、そこに──行灯の灯りで針仕事を
する──彼女が見えて喜びの叫びを上げた。その瞬間
に目が合い、満面の笑みをたたえて彼女が挨拶をした
──ただ訊ねる──「お帰りなさい、いつ京都へ、真っ
暗な部屋ばかりですのに、どうしてここがお分かりに成っ
たのでしょう。」月日が経っても変わっていなかった。
記憶に残る極めて好ましい彼女と同様に、清楚で若く
見えた──しかし、どんな思い出よりも甘い驚き喜ぶ
声の調べが届いた。
 それから嬉しそうに旁へ座り全てを話した──自分
のわがままをどんなに後悔したことか──彼女が居
なくてどんなに惨めであったか──絶えず気にかけ
ずにはいられなかったこと───どんなに長らく償い
を望んで計画していたか──彼女を抱きしめながら
何度も何度も赦しを求めた。彼女は心に望まれるまま
の愛する優しさで答えた──自責の念は全部しまう
よう懇願した。間違いです、妻として相応しくないので
はと常々感じていたのだから、考えてくれるなら自身
を赦すべきですと言った。別れたのは貧乏なだけだと
知っていたけれども、一緒に暮らしている間はいつも

171 :和解3 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:54:55.07 ID:soxkgzCk0
優しくしてくれたと、彼の幸福を祈ることを決して止め
なかった。たとえ償いを話す理由が有ったとしても、
この名誉な訪問は身に余る償いです──ほんの束の
間でも、このようにまた会うよりも大きな幸せがありま
しょうか「ほんの束の間だと」彼は嬉しそうに笑って答
えた──「むしろ7度生まれ変わってもと言ってくれ、
最愛の者よ、おまえが禁じないなら儂はいつも一緒に
暮らすために戻って来る──いつも──いつも。二度
と別れるようなことは無い。今は財産と仲間が有る、
貧乏を恐れる必要は無い。明日、儂の荷物を持って
来よう、お前に付き添う使用人も来る、一緒にこの家を
綺麗にしよう……「今夜は」すまなそうに付け加える
「このように──着替えさえせずに──遅くなったのは、
おまえを愛する余りだと、会ってこれを伝えるべきだっ
た。」この言葉に彼女は大変嬉しそうにして、お返しに
離れた時から京都で起こった全てについて語った──
自身の不幸は話しから外し、やんわりとはぐらかした。
2人は夜遅くまでお喋りをして、それから彼女は南向き
のもっと暖かい部屋へ案内した──それは前の時の
婚礼の部屋であった。「この家には手伝いをする者は
誰も居ないのか。」彼女が寝床の支度を始めたので聞いて
みた。「いいえ」そう答えて元気に笑い「私には使用人を
雇う余裕が有りませんでした──それでずっと独りで
暮らしてきました。」「明日、沢山の使用人を持つことに
なる」と言った──「良い使用人達だ──何の不自由も
ない。」2人は休むために横になった──お互いに話す
ことが多過ぎて眠らなかった──過去と現在と将来の
ことを灰色の夜明けになるまで話した。それから、知ら
ぬ間に侍は目を閉じて、眠った。
 目が覚めた時、日の光が雨戸の隙間を通って流れ込
んでいて、朽ちかけた床の裸の板の上に寝転んでいる
自分に気が付きすっかり驚いた……夢を見ていただけ
なのか。いや、彼女はそこに──眠って……彼女の上
にかがみこんで──見て──悲鳴を上げた──寝てい
る人に顔が無かったからだ……目の前には経帷子だけ
で包まれた女の死骸が横たわる──死体は僅かに骨が
残されたとても痩せ細ったもので、長い黒い髪がもつれ
ていた。

172 :和解4 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 19:56:14.53 ID:soxkgzCk0
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ゆっくりと──日の下で震えながら気分を悪くして立っ
ていたから──氷のような恐怖は、とても耐え難い絶望、
とても残酷な苦痛を生じ、あざ笑う疑惑の影を掴んだ。
近所のことは知らないふりをして、敢えて彼女が暮らして
いた家への道で訊ねることにした。
「あの家には誰も居ません。」訊ねられた者は言った。
「以前は何年か前に都を離れた侍の奥様の物でした。
侍がここを去る前に別の女と結婚するために離縁され、
大いに心を痛めそれで病に成りました。京都に身寄り
は無く、世話をする人も居らず、その年の秋に亡くなり
ました──九月の十日に……」

173 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/04(火) 20:02:09.04 ID:soxkgzCk0
Shadowings(影)よりThe Reconciliationでした

カッコで囲まない部分の言葉遣いが悩みどころですね。
ですます調か伝聞調で統一するべきですが、微妙に
混じってます。

174 :茶碗の中1 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:39:03.65 ID:lX0r3yKt0
茶碗の中

 これまでに何処かの古い塔の階段を登ろうとして、暗闇
から突き出て蜘蛛の巣が張った端の何も無い暗闇の中心
に居る自分に気が付いたことが有るだろうか。あるいは、
何処かの海岸沿いの切り立った崖に沿って進んだ曲がり
角のギザギザになった行き止まりの縁で自分を発見した
だけの経験が有るだろうか。このような経験の価値は─
─文学的見地から──感覚を覚醒させる力と、それが記憶
された生々しさによって証明される。
 さて、奇妙にも日本の物語の本に収録された、ほとんど
同様な感覚の経験を生じる確かな作り話の断片が存在
する……おそらく作者は不精で、おそらく出版者と仲たがい
をしていて、おそらくは突然小さな茶伏台から呼び出され
ずっと戻っていない、おそらく死んで中途半端に筆が止
まった。しかし死を免れない人には、どうしてこれが未完成
のまま残されたのか、決して語ることはできない……私は
代表的な実例を選んだ。

  * * *

 天和3年1月4日──つまり百二十年くらい前──中川
佐渡守が新年の訪問をする道中で、江戸の本郷地区に
ある白山の茶店で行列を止めた。一行がそこで休憩する
間、お供の1人──関内《せきない》とよばれる若党[1]─
─がたいそう喉の渇きを感じて大きな湯飲みにお茶を満た
した。茶碗を唇まで上げたその時、突然透き通った黄色い
お茶の中に自分ではない顔の映像、つまり映り込みを認
めた。驚いて周囲を見回したが、近くには誰も見つからな
かった。お茶に現れた顔は、髪型から若い侍の顔のようで、
妙に明確で美男子であった──少女の顔のように優美で
ある。そして目と唇が動くことから生きた顔が映っている
ようであった。この不可解な幻影に当惑した関内は、お茶
を捨てて注意深く茶碗を調べた。それには、どんな種類の
工芸的なカラクリも無い、かなり安物の湯飲みであると
確認できた。別の茶碗を見付けて満たすと、またお茶の
中に顔が現れた。それから新しいお茶を注文して再び
茶碗を満たすと、もう一度奇妙な顔が現れた──今度は

175 :茶碗の中2 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:42:27.33 ID:lX0r3yKt0
嘲《あざけ》る笑いが有った。しかし関内は自分が怯える
のを許さなかった。「お主が誰であろうと」彼は呟《つぶや》
いた「これ以上惑わせないだろうよ。」──それから顔ごと
全部お茶を飲みほして道を行き、幽霊を飲み込んだの
だろうかと訝《いぶか》しく思った。

 同じ日の夕方遅く中川候の屋敷の当直の最中、関内
は音も無く座敷にやって来た余所者に驚いた。この
余所者は豪華な着物を着た若い侍で、関内の正面へ
勝手に座ると若党に会釈で挨拶して観察した──
「拙者は式部平内《しきぶへいない》と申す──今日
初めて会った……見覚えは無いか。」
 かなり低いが、よく通る声で話した。そして関内は、
お茶の中で見て飲みほした幻影の整った顔と同じ禍々
しさに気付いて驚愕した。幻が微笑んでいたように、
今それは微笑んでいるが、据わった目で見つめ微笑む
唇の上にはすぐに挑発と侮蔑が浮かんだ。
「いいえ、覚えは有りません」怒りながらも冷静に関内
は返した──「それと、できましたら今この家に立ち
入る許しをどうやって得られたのか教えて頂けませんか。」
〔封建時代の領主の御殿はいつでも厳しく守られて
いて、希に武装した見張り役の許しがたい手抜かり
でも無ければ、公表されずに入場することは誰にも
出来なかった。〕
「ああ、覚えが無いのだな。」訪問者は皮肉っぽく声を
上げて、話しながらごく近くへ摺り寄ってきた。「いいや、
お主は今朝方自分で拙者に酷い怪我をさせたのに、
見忘れたのだな……」
 咄嗟に関内は帯から短刀[2]を取り、激しく男の喉に
突きかかった。しかし刃が物に当たった気配は無かっ
た。同時に侵入者は音も無く部屋の壁に向かって横
に跳び、それを通り抜けた……壁に退出の跡は見当た
らなかった。ただ行灯の紙を通過する蝋燭の光のよう
に横断していた。
 関内が事件の報告を上げると、彼の説明に家臣達は
驚き困惑した。事件のあった時間に屋敷を出入りした
余所者は見当たらず、また「式部平内」という名前は
中川候に仕える誰もこれまで聞いたことが無かった。


 次の夜、関内は非番で両親と共に家に残っていた。

176 :茶碗の中3 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:44:59.94 ID:lX0r3yKt0
やや遅い時間になって、何人かの余所者が家に呼び声
を掛け、話しが有ると面会を求めていると知らせが有った。
刀を携え玄関まで行くと、そこで戸口の段の前で待つ─
─見たところ何処かの家臣らしい──3人の武士を見い
出した。3人は恭《うやうや》しく関内にお辞儀をし、その
内の1人が言った──
「我々は松岡文吾、土橋文吾、岡村平六と申します。
式部平内様の家臣です。昨夜我々の主人が畏れ多くも
お訪ね遊ばした時、あなたは刀で斬りつけました。主人
は大怪我をし、今は温泉に行って傷の治療に専念せざ
るをえない状態です。されど来月の十六日に帰って参り
ますから、その時は受けた傷に見合った報復を致します……」
 それ以上聞かずに関内は跳び出し、手にした刀で
余所者達を右に左に薙ぎ払った。しかし3人の男は付近の
建物の壁へ跳んで、影のように壁を飛び回り……

  * * *

 ここで古い物語は中断している、話の続きは1世紀の間
に塵となった幾つかの脳内にだけ存在している。
 結末の可能性は幾つか想像出来るが、その内のどれも
1人の西洋人の空想を満足させないだろう。魂を飲み込ん
で起こりそうな結末は読者自身が決定して受け入れるの
が好ましい。


[1]武装した侍の従者はこのように呼ばれた。若党の侍へ
の関係は騎士と地主のそれである。
[2]侍が携帯する2本の剣より短い物。長い方の剣は刀と
呼ばれていた。

177 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/10/11(火) 21:48:54.82 ID:lX0r3yKt0
Kotto(骨董)よりIn a Cup of Teaでした。

この話、冒頭に作り話(fiction)と有りますが、作り話に
しては不自然ということで、色々と想像が膨らみます。

178 :お白洲にて1 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:26:07.42 ID:dh0IOTnu0
お白洲にて

 偉大な仏教僧である文覚上人は著書の教行信証で言う
──「人々が崇拝するその神々の多くは不公平な神〔邪神〕
であるから、そのような神々は三宝[1]を尊ぶ者達からは崇拝
されなかった。祈りに応えたその神々から恩恵を受ける者達
でさえ、そのような恩恵が後の日になって不幸を引き起こす
と分かるのが常である。」この真実は日本霊異記という本に
記録された話が、良い例となる。

 聖武天皇[2]の時代、讃岐国の山田郡《やまだごおり》と呼
ばれる地区に布敷《ふしき》の臣《しん》という名前の男が住ん
でいた。彼の子供は衣女《きぬめ》[3]と呼ばれる娘の1人だけ
であった。衣女は器量良しでたいそう丈夫な娘であったが、
十八歳になって間もなく国のその地域に流行り始めた危険な
病気にかかった。それから両親と友人達は彼女のために信仰
する疫神にお供え物を捧げ──彼女を救って欲しいと強く願い
──疫神を祀る大変な苦行を行った。
 数日の間昏睡状態で横になっていた病気の娘は意識が戻っ
たある晩、両親に見た夢を告げた。夢に疫神が現れて話した
──「お前の身内はとても熱心に祈り、とても信心深く崇める
から我はお前を助けたいと思う。だが誰か別の者の命を与え
なければそう出来ない。誰でもお前と同じ名前を持つ別の娘を
知っているということはないか。」「そういえば、」衣女は答えた
「鵜足郡《うたりごおり》に私と同じ名前の娘が居ります。」「では
我に示せ」神は言って眠る者に触れた──触れられて1秒も
たたない内に宙へと浮かび上がり、2人は鵜足郡のもう1人の
衣女の家の前に居た。夜中ではあったが、家族はまだ寝床に
入っておらず、娘は台所で何かを洗っていた。「あの娘です。」
と山田郡の衣女は言った。疫神は帯の紅色の袋から鑿《のみ》
のような形をした長く鋭い道具を取り出して家に入り、鵜足郡の
衣女の額に鋭い道具を打ち込んだ。すると鵜足郡の衣女は恐ろ
しく悶え苦しみ床へ転がり、山田郡の衣女は目を覚まし見た夢
を語った。

179 :お白洲にて2 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:28:50.25 ID:dh0IOTnu0
 しかしながら、それを語ったすぐ後に再び彼女は昏睡に
落ちた。3日の間何が起こっているのか分からないまま
彼女は生き続け、両親は回復を諦めはじめた。それから
彼女はもう1度目を開けて話した。しかし、その瞬間に寝床
から起き上がり狂ったように部屋を見回して、大声で叫び
ながら家を飛び出した──「ここは私の家じゃない──
あなた達は私の両親ではありません……」

 何か奇妙なことが起こっていた。
 鵜足郡の衣女は疫神に打たれた後に死んだ。両親は
大いに悲しみ、菩提寺の住職達は仏教の法要を行い、彼女
の遺体は村の外の野原で燃やされた。死者の世界である
冥土へと降《くだ》った彼女の霊魂は──魂を裁く王──
閻魔大王の法廷へ召喚された。しかし裁司《さばきづかさ》が
彼女に目を投げるや、すぐに大声を上げた──この娘は鵜足郡
の衣女、こんなに早く連れて来るべきではない。すぐに
娑婆界[4]へ送り返し、もう1人の衣女──山田郡の娘──を
呼んで来い。」すると鵜足郡の衣女の霊魂は閻魔大王の前
で呻《うめ》いて異議を唱えた──「大王様、私が死んでから
3日以上に成りますが、今時分なら体は火葬されている筈です
ので、これから娑婆界に送り返されましても私はどうしたら
良いのでしょう。体は灰と煙に変わりました──私には体が
有りません。」「心配には及ばん」恐ろしい王は答えた──
「お前には山田郡の衣女の体を与えよう──彼女の霊魂は、
すぐここへ連れて来るべきだからな。体が焼かれたことについて
は気に病む必要は無い、もう1人の衣女の体の方がかなり良い
と分かるだろう。」話しが皆まで終わらぬ内に、鵜足郡の衣女の
霊魂は山田郡の衣女の体の中で生き返った。

180 :お白洲にて3 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:31:19.90 ID:dh0IOTnu0

 さて山田郡の衣女の両親は病気の娘が「ここは私の家
じゃない」と大声を上げて飛び出して逃げるのを見た時──
彼女の心は外へ行ったのだと想像して、叫びながら後を
追った──「衣女どこへ行く──ちょっと待ちなさい、お嬢
さん、そんなに走るには病気が重すぎる。」しかし彼女は逃
げて鵜足郡の死んだ衣女の家族の家に来るまで走るのを
止めなかった。その中に入って老いた身内を見付け、泣き
ながらお辞儀をした──「ああ、家に戻れてどんなに嬉しい
ことでしょう……お加減はいかがですか、お父様お母様。」
2人は見覚えの無い彼女が狂っているのだと思ったが、母親
が優しく話して訊ねた──「どちらからお出でになりましたか、
お嬢さん。」「冥土から来ました」衣女は答えた。「死から生還
したあなた方の娘、衣女。でも今は別の体です、お母様。」
彼女は起こったことの全てを語ったが、老いた身内は極めて
怪しみ、何が正しいのかまだ分からなかった。やがて山田郡
の衣女の両親も家へやって来て娘を捜し、それから2人の
父親と2人の母親は共に相談して話を繰り返させ、何度も何度も
質問した。しかし供述の信憑性に疑いようの無いそのような
方法で、彼女はあらゆる質問に答えた。しまいに山田郡の衣女
の母親は、病気の娘が見た不思議な夢を語った後で鵜足郡の
衣女の両親に言った──「私達はこの娘の精神が、あなた方
のお嬢さんの精神だと納得します。されどご存知のように彼女
の体は私達の子供の体ですから、双方の家族が彼女を共有
するのが当然だと思われます。それで今後は両方の家族の娘と
みなすのに賛成するようお願い致します。」鵜足郡の両親は
大喜びでこの提案に賛成し、その後衣女は両方の世帯の財産
を相続したと記録されている。

「この話は」仏教百科全書の日本の著者は言う「日本霊異記の
一巻十二枚目の左側で見付かるだろう。」


[1]三宝(ラテナトゥラヤ)──仏陀と教義と僧侶(訳注:仏法僧)。
[2]8世紀の第2四半期の間統治した。
[3]金色の梅の花。
[4]娑婆界は俗に言う人間界を意味する──人間が存在する領域(訳注:現世)。

181 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/06(日) 20:44:58.43 ID:dh0IOTnu0
A Japanese Miscellany(日本雑記)より
Before the Supreme Courtでした。

原題を直訳すると「最高裁判所前」となりますが、
時代背景を考えると、そのまま使えませんね。

紙の書籍では「閻魔の庁にて」となっている物が有ります。
この題名を拝借すれば良さそうにも思いましたが、私の
頭からは絶対に出て来ない表現だろうという事で見送りました。

182 :天狗の話1 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:37:20.69 ID:2i2hxR390
天狗の話

※この話は『十訓抄』と呼ばれる古く珍しい日本の本で見付か
るだろう。同じ伝説は興味深い能の舞いの演目を提供し、大会
《だいえ》(大きな会合)と呼ばれた。
 日本で人気の芸術で天狗は一般的にくちばし状の鼻をした翼
の有る人として、あるいは猛禽類として、どちらかで表現された。
異なる種類の天狗もいるが、全ては山に出没する精霊と想像され、
多くの姿を装う能力が有り、時おり烏や鷲や鷹として姿を見せる。
仏教ではマーラ・カーィカスの仲間に天狗を分類するように見える。

 後冷泉《ごれいぜい》天皇の時代、京都に近い比叡山という山
の、西塔寺に住む徳の高い僧侶がいた。ある夏の日、この善良な
僧侶が都への訪問からの帰り、寺のそばの北の大路の道で何人
かの子供が鳶《とび》を虐めているのに出くわした。彼らは罠で捕ら
えた鳥を棒で叩いていた。「ああ、かわいそうなことだ。」僧侶は情け
深く大きな声で言った──「子供達よ、どうしてそれを苦しめるのだ。」
子供の1人が答えた──「殺して羽根を取りたいんだよ。」憐れみに
動かされた僧侶は、持っていた扇子《せんす》と引き換えに鳶をよこす
ように子供達を説得し、鳥を解き放った。重傷ではなかったそれは、
飛び去ることが出来た。

 仏教徒の善行を施せた満足をし、僧侶は歩みを再開した。それほど
遠くまで進まないうちに、道端の竹薮から奇妙な修行僧が出て来て
急いで彼の方へ向かうのが見えた。修行僧は恭《うやうや》しくお辞儀
をして言った──「お坊様、あなたの情け深い親切のお陰で命を拾い、
それで今礼儀正しく謝意を表明したいと思います。」このように自分に
宛てられた口上を聞いて驚いた僧侶は答えた──「本当ですか、これ
までに会ったのを思い出せませんが、どうかあなたが何者なのか教え
て頂けませんか。」「この姿の私に覚えが無いのは不思議では有りま
せん」と修行僧は返した「私は北の大路で狂暴な子供に苦しめられて
いた鳶です。あなたは命の恩人、そしてこの世に命より大切な物は有
りません。それで今何かしらの形で親切のお返しがしたいのです。何
か欲しい物や知りたい事、見たい物が有れば──要するに、私に出来

183 :天狗の話2 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:38:54.38 ID:2i2hxR390
ることなら何でも──少しばかり備わってきた六心通の力で、お申し
出なされるどんな望みでもほぼ満足して頂けますから、どうかおっしゃっ
て下さい。」この言葉を聞いた僧侶は、天狗と話しているのだと分かり
率直に答えた──「友よ、齢《よわい》七十になる今の私は、長らくこの
世の物事を気にすることを止めています──名声も娯楽も少しの魅力
も有りません。来世についての事だけが気掛かりに思いますが、誰に
も助けて貰えない問題ですから、それについて訊ねるのは無益でしょう。
実のところ1つだけは、望む価値が有ると思っています。私の生涯で悔
やまれるのは、釈尊《しゃくそん》の時代の天竺に生まれなかったため、
聖なる山の霊鷲山《りょうじゅせん》で行われた偉大な説法に参列出来
なかったことです。朝晩の祈祷の時間に、この無念が起こらないで済む
日は有りませんでした。ああ我が友よ、菩薩のように時空の征服が可能
なら、私はあの素晴らしい集会を見られたら、どんなにか幸せでしょう。」
──「おや、」天狗は声を上げた「その敬虔な願いは簡単に叶えられま
すよ。霊鷲山での説法は完璧なまでによく覚えていますから、そこで起
こったことを正確にあなたの前で、何もかも起こったまま再現してあげら
れます。そのような聖なる問題を表現するのは、我々の大いなる喜び
です……この道を一緒に来て下さい。」
 そして僧侶は、丘の斜面の松の間の地へ苦労して案内された。「さて、」
天狗は言った「あなたはここで目を閉じて、しばらくお待ちになるだけです。
法を説く仏陀の声が聴こえるまで開けてはなりません。それから見ること
が出来ます。けれど仏陀が姿を現すのが見えても、どんな形であれ信心
深い感情の影響を許してはなりません──お辞儀や祈りもしてはならず、
『仰《おおせ》のままに』とか『ありがたや』のような、どんな感嘆も絶対にし
ないで下さい。全く話すべきではありません。少しでも崇拝の仕草でもする
なら、私は何かとても不幸なことに見舞われます。」僧侶はこの指示に従う
と快く約束し、天狗は見せ物の用意をするかのように急いで立ち去った。

184 :天狗の話3 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:42:12.15 ID:2i2hxR390

 日が暮れて暗くなってきたが、老いた僧侶は目を閉じた
まま根気よく木の下で待った。ついに、唐突に声が頭上に
響き渡った──鳴り響く大鐘のような低く明瞭な素晴らしい
声は──正道《しょうどう》を布教する釈迦牟尼仏の声で
あった。それから大きな輝きの中で僧侶が目を開けると、
周囲の全てが実際に霊鷲山の地に変わっているのを認識
した──インドの神聖な山、霊鷲山で時は法華経の頃であっ
た。今では周囲から松は無くなり、宝石の果実と葉を付けた
不思議な輝きを放つ七宝珠の木 が有った──そして大地は
天界から降る曼陀羅華と曼珠沙華の花で覆われ──夜は
芳香と光輝と甘い大きな声で満たされていた。そして中空で
世界の上に輝く月のような、右手に普賢菩薩を左に文殊菩薩
を従える獅子の座(1)に座る祝福された存在を僧侶は見た─
─その前には──星の洪水のように果てしなく宇宙に広がる
──摩可薩と菩薩の軍勢が無数の「諸天、夜叉、龍蛇、阿修羅、
人、人外」を引き連れて集まった。舎利仏が、そして迦葉、阿難陀、
それと共に如来の弟子のことごとくが──そして諸天の王──
更に火の柱のような四方位の王──偉大な龍王──乾闥婆と
迦楼羅も──日と月と風の神──梵天が統べる天界の無数の
輝きが見えた。そしてこれまでの無限のこの栄光の輪よりも比較
にならない遥か先に──祝福された存在の額から放たれる、1条
の光線が時空を貫いたその先まで照らされて──東方の百八十万
の仏陀の畠とその住人の全て──六道のそれぞれに生活する
存在──涅槃に入り寂滅した諸仏の姿まで見えた。これ等と諸天
の全てと夜叉の全てが獅子の座を前にひれ伏すのが見え──
釈尊の前に海の唸りのごとく──無数の群集が法華経を讃える
のを聞いた。その時すっかり誓約を忘れ──正に仏陀そのものの
面前に立つ愚かな夢を見て──愛と感謝の涙を流して礼拝のため
に身を低く投げ出し大きな声で叫んだ「ありがたや……」

185 :天狗の話4 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:42:39.68 ID:2i2hxR390
 荘厳な光景は地震のような衝撃と共にあっという間に消失し、気が
付くと僧侶は暗闇の中を山腹の草の上に独り跪いていた。それから
無分別にも約束を破ったせいで幻影の喪失を招いたことで、言いよう
の無い悲しみに襲われた。悲しそうに帰途へと歩を返すと、もう一度
妖かしの修行僧が彼の前に現れ苦痛と非難のこもった調子で言った
──「私とした約束を守らずに、不注意にも感情の支配を許したため、
教義の守護者である護法天童が突然ものすごい怒りで天界から我々
の上に飛び降りて強く打ちのめし『どうして汝らは、このように信心深い
者を欺く企《たくら》みをするのか。』と叫びました。すると私が集めた
別の僧徒達は恐れてみんな逃げました。私自身はどうかと言えば翼
の1つを折られました──これで今は飛ぶことが出来ません。」この
言葉と共に天狗は永遠に姿を消した。


(1)訳注:玉座。

186 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2016/11/12(土) 00:45:04.86 ID:2i2hxR390
In Ghostry Japan(霊的日本にて)より
Story of a Tenguでした。

187 :果心居士の話1 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 14:59:52.38 ID:tWyIpi6/0
果心居士の話

※古い奇書『夜窓鬼談』で語られていた。

 天正時代の頃、京都の北の地域に人々から果心居士
《かしんこじ》と呼ばれる老人が暮らしていた。彼は白く
長いあご髭をたくわえ、いつも神道の神官のような服装を
していたが、仏教の絵を見せ仏教の説法をすることで生計
を立てていた。天気の良い日には、祇園寺の境内へ行っ
て、適当な木に地獄の様々な刑罰が描かれた大きな掛け
物を吊るすのが常であった。この掛け物は全ての物が現実
に見える程の表現で描かれた、たいそう素晴らしい物で、
老人はそれを見に群がる人々に因果応報の教義を説明す
る講話をした──それぞれ異なる苦痛の詳細を、常々持ち
歩いている仏教の杖〔如意〕で指し示し、誰もが仏陀の教え
に続くよう熱心に勧めた。その絵を見て、それについての老
人の説法を聴きに大勢が集まり、時には賽銭を受け取るため
に前へ広げた敷物が、上に投げられて積み重なる銭で覆わ
れて見えなくなる程であった。
 織田信長は、その頃の京都と周辺地方の支配者であった。
荒川という名の家来の1人が祇園寺に出向いている間、そこ
に掛けられている絵を見る機会があり、城に戻ってからそれ
について話した。荒川の説明に興味を覚えた信長は、直ぐに
絵を持って城まで参れと果心居士に命令を送った。
 信長が掛け物を見た時、その鮮やかな仕事に驚きを隠しよ
うもなく、鬼達と拷問される亡者が実際に動いて目の前に出現
し、叫び声が絵の外まで聞こえ、そこに表現された血は実際
に流れているように見えた──絵の具が濡れているなら確か
めるために指を出さずにはいられない程であった。しかし指は
汚れなかった──紙が完全に乾いている証しであった。さらに
さらに驚いた信長は、その素晴らしい絵は誰の作なのかと訊
ねた。これは有名な小栗宗湛《おぐりそうたん》[2]が──百日
の間、毎日斎戒沐浴の儀式を行い、大変な苦行を繰り返して
天啓を得るために清水寺の観音様へ真摯な祈りを捧げた後
に──描きましたと果心居士は答えた。

 その掛け物が欲しいという、信長の明白な気持ちを察知し
た荒川は、大殿様へ献上品として「差し出すか」どうか果心

188 :果心居士の話2 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:03:23.14 ID:tWyIpi6/0
居士に訊ねた。しかし老人は勇敢に答えた──「この絵は私
の全財産で、こいつを人々に見せることではした金が稼げる
のです。今この絵をお殿様に献上すれば、生活の糧を得るた
った1つの手段を自分で奪うことになります。しかしながら、お
殿様がそれを手に入れたいと強くご所望なさるなら、彼から
金百両のお支払いをお願いします。それだけの金子《きんす》
が有れば、多少なりとも儲けの良い稼業に就けるでしょう。さも
なくば、絵を手放すのはお断りしなくてはなりません。」
 この返答に信長は面白くなさそうに沈黙したままであった。し
ばらくして荒川が殿様の耳に何かささやくと、同意してうなずき、
それから果心居士は謝礼の少額の金子と共に退去させられた。

 しかし老人が城を出ると、すぐに荒川は後を追った──汚い
手段で絵を奪うつもりであった。好機が来た、果心居士は町
外れの丘に通じる道をとったのだ。丘の麓《ふもと》の確実に
人気の無い急な曲がり角に差し掛かった時、突然荒川が襲い
掛かって言った──「お前は何故その絵に金百両を要求す
るほど強欲なのだ。金百両の代わりに今から3尺の長さの
鉄を1欠片《かけら》お見舞いしてやろう。」そうして荒川は刀
を抜いて老人を斬り殺し、絵を奪った。
 あくる日、荒川は──果心居士が城を出る前に包んだまま
になっている──掛け物を織田信長へ献上し、すぐに掛ける
よう命令された。しかし広げてみると、全く絵が無いと分かっ
て信長と家来は驚いた──白紙の他には何も無かった。
荒川はどうして元の絵が消えたのか説明できず──故意に
せよ過失にせよ──主君を欺いた責任が有るので罰を受ける
べしとの決定が成された。その結果、少なくない間謹慎をする
宣告を受けた。

 荒川の謹慎期間のほとんどが完了しない頃、果心居士が
北野寺の境内で、有名な絵を見せ物にしているとの知らせ
が届いた。荒川は自分の耳をほとんど信じることが出来な
かったが、その知らせは漠然とした希望と共に、どうにか掛
け物を確保して、それによって先の失敗による汚名が返上
できるかも知れないと予感させた。それですぐに何人かの
身内を集めて寺へ急いだが、到着した頃には果心居士は

189 :果心居士の話3 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:08:09.97 ID:tWyIpi6/0
去ったと告げられた。

 数日後、荒川の元へ清水寺で果心居士が絵を見せて、
それについての説法をしているとの知らせが届いた。荒川
は全速で清水へ向かったが、到着した頃には解散する群集
を見るだけであった──またしても果心居士は姿を消した。
 ある日、予想もしなかった酒屋でとうとう果心居士を見付け
て、そのまま捕らえた。捕まったことに気付いた老人は、ただ
上機嫌に笑って言った──「行きますよ、一緒に、されど少し
ばかり酒を飲むあいだ待ってはくれませんかね。」この要求に
荒川は異議を唱えず、果心居士はすぐさま飲み干したが、野
次馬が驚いたことに酒はどんぶり十二杯であった。十二杯目
を飲んだ後で満足の意を表明したので、荒川はお縄について
信長の屋敷までついて来るよう命令した。
 城のお白洲で果心居士は、ただちに奉行によって吟味され
厳しく叱責された。最後に奉行は言った──「お前が妖しげな
術を使って民を惑わせていたのは明白だ、この罪だけで重罪
に値する。ではあるが、今からあの絵を信長様に謹んで差し
出すなら、この度の罪は大目に見てやろう。さもなくば間違い
なくとても厳しい罰をお前に与えるだろう。」
 この脅しに果心居士は当惑した風に笑って大声を上げた──
「民を惑わす罪を犯しているのは私ではありません。」それか
ら荒川に向き直って叫んだ──「詐欺師はお前だ。お前は
あの絵を献上することで殿様の機嫌を取りたくて、それを奪う
ために私を殺そうとした。確かにそのような不道徳なことが有る
なら犯罪だ。運よく私を殺すことには成功しなかったが、もし
望み通りに事を成していたら、そんな行いをどんな申し開きを
したら許されるのか。いずれにしても、お前は絵を盗んだ。今
私が持っている絵は、ただの写しだ。そして絵を盗んだ後に
なって、それを信長様に献上することについては考えを変え、
自分のために隠しておく計略を思いついた。そうして白紙の
掛け物を信長様に献上し、秘密の行動と目的を隠すために
本物と白紙の掛け物をすり替えることで、私が騙したと嘘を
ついた。本物の絵がどこに有るのか私は知らない。おおかた
お前の仕業だ。」
 この言葉に荒川は怒り心頭に発し、囚人に向かって突進し

190 :果心居士の話4 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:11:02.86 ID:tWyIpi6/0
殴り掛かろうとしたが、警護の者に取り押さえられた。しかし
この突然の怒りの爆発によって、荒川は完全に潔白では無い
と奉行はうっすらと感じた。彼は果心居士にしばらく牢屋に
入っているよう命令し、続けて念入りに荒川を尋問した。目下
の荒川は自然と口が重くなって、この場合は興奮し過ぎて全く
まともに話しが出来ず、どもって矛盾すること自体がことごと
く有罪の徴候を示していた。そして奉行は真実を話すまで
荒川を棒で叩けと命令した。しかし真実を言っているように
見せることさえ容易では無かった。そのため感覚が無くなる
まで竹で打たれ虫の息で倒れた。

 牢屋の果心居士は、荒川に起こった一部始終を伝えられ
て笑った。しかし、少したってから牢番に言った──「お聞き
ください、あの荒川という奴は本当にならず者のように振る
舞いますから、この悪辣な傾向を矯正するつもりで、わざと
罰が下るように持って行きました。荒川は真相を知らなかった
筈ですから、これから私が全ての事が納得の行くように説明
しますとお奉行様にお伝え下さい。」
 それから果心居士は再び奉行の前に連れて行かれ、次の
告白をした──「本当に優れた物なら、どんな絵にも必ず
念が宿り、そういった絵は自分の意志を持って、命を与えた
者や正当な所有者からでさえ切り離されるのを拒否できます。
真に偉大な絵は魂を持つということを証明する数多くの話が
有ります。法眼淵信《ほうげんえんしん》によって襖《ふすま》
に描かれた何羽かの雀は、かつて飛んで逃げて表面を占め
ていた場所が空白のまま残っているのはよく知られています。
また、とある掛け物に描かれた馬が、夜になると草を食べに
よく出掛けたというのもよく知られています。さて、この現在の
状況は、同様に信長様が掛け物の正当な所有者にならなかっ
たがために、御前に広げられた時の絵は自らの意志で紙から
姿を消した、というのが真相だと思います。しかし最初にお願い
した金額──金百両──をお支払いになれば、今は空白となっ
ている紙の上に自然と絵がまた現れるだろうと思います。いずれ
にせよ、やってみましょう。何も危険は有りません──絵が再び
現れなければ、ただちにお金はお返しするのですから。」

191 :果心居士の話5 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:15:54.35 ID:tWyIpi6/0
 この一風変わった主張を聴くと、信長は百両が支払われるよう
命令し、結果を自分で確認しに来た。それから御前に広げられ
たその掛け物は、列席者全員が驚いたことに細部に至るまで
絵が再現していた。しかし色は少し褪《あ》せているようで、亡者
や鬼の姿も以前のように本当に生きているようには見えなかっ
た。この違いに気付いた殿様は、果心居士に理由を説明する
よう求め、果心居士は答えた──「初めにご覧になった時の、
その絵の価値は絵としては計り知れない値打ちでした。しかし
今ご覧なされている絵の価値は、それに支払われた物──金
百両──を正確に表現しています……他に有り得ましょうか。」
この答えを聞いた列席者全員が、これ以上老人に抵抗するのは
無益というより悪い事になると感じた。彼はただちに放免され、
荒川もまた刑罰による苦痛を受けて十分以上に罪をつぐなった
ために釈放された。

 さて荒川には武市という名の弟がいた──やはり信長に仕
える家来である。荒川が打たれ投獄されたことで武市は激しく
腹を立て、果心居士を殺そうと決意した。果心居士は再び自由
の身になったと気が付く間もなく、まっすぐ酒屋に行って酒を
注文した。武市は後から店に入り突進して押し倒し首を斬り落
とした。それから老人に支払われた百両を奪い、武市は頭と
黄金を一緒に風呂敷で包み荒川へ見せるため帰りを急いだ。
しかし風呂敷をほどいて目に入った物は、頭の代わりにただの
空の酒徳利とただの汚物の塊が黄金の代わりであった……
そして頭の無い死体が酒屋から消えた──いつ、どうやって
かは誰も言えなかった──との知らせに兄弟の当惑は深まる
ばかりであった。

 およそ一ヶ月の間は、それ以上果心居士のことは何も聞か
なかったが、ある晩信長候の城の門までの通路で眠り込んで
いる酔っぱらいが見付かったが、そのいびきときたらどれも
遠くで鳴り響く雷のゴロゴロいう音のような大音量のいびきで
あった。家来の1人が、その酔っぱらいは果心居士だと気が
付いた。この無礼な罪によって年寄りはただちに捕らえられ
牢屋へ放り込まれたが、十日と十夜の間絶え間なく眠り続け
た──遠く離れた所まで聞こえる大音量のいびきをずっと

192 :果心居士の話6 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:17:04.82 ID:tWyIpi6/0
かきながら。

 ちょうどこの頃、信長候が死を迎えたのは配下の指揮官
明智光秀の裏切りによる、光秀はすぐさま支配を奪った。
しかし光秀の権力はたった十二日間しかもたなかった。
 さて、京都の支配者となった光秀は、果心居士の事件を
知らされ囚人を眼前に連れて来るよう命令を出した。それ
に応じて果心居士は新しい領主の面前に呼び出されたが、
光秀は好意的に話し、客人を扱うように立派な夕食を出す
べきだと命じた。老人が食事に手を付けた時に光秀は言っ
た──「たいそう酒がお好きだと伺いましたが──一度の
席でいったいどれだけお飲みになれますか。」果心居士は
答えた──「どれだけかはよく分かりませんが、酔ってきた
なと感じた時だけ飲むのを止めます。」それから殿様は大き
な盃[3]を果心居士の前に置いて、家来には老人が望む
ならその度ごとに盃を満たすよう告げた。そして果心居士
は大きな盃を立て続けに十回空にして、お代わりを求めたが、
家来は酒樽が空っぽだと答えた。全ての出席者は、この
飲みっぷりに仰天し、殿様は果心居士に訊ねた「まだ足りま
せんかな、お客人。」「ああ、そうですな、」果心居士が答える
「いくらか満足しています──さて、立派なおもてなしの
お礼に、ちょっとした芸をお見せしましょう。それでは、あの
衝立をよく見ていて下さい。」近江の湖の美しい八つの景色
の描かれた大きな8曲の衝立(近江八景)を指差すと誰もが
その衝立を見た。景色の一つの中に、湖の上遥か遠く一艘
の舟を漕ぐ男を絵師が表現していた──その舟は、衝立の
表面の2センチに満たない空間を占めていた。果心居士は
それから舟に向かって手を振ると、舟は皆が見ている前で
突然向きを変え絵の前景の方へ進み始めた。素早く進み、
近づくに連れて大きく大きくなって、やがて船頭の顔形が
明瞭に見分けられるようになった。さらに舟は近くに描かれ
──どんどん大きくなっていく──ごく近くの距離に現れる
まで。そして不意に湖の水が──絵の外の部屋の中に──
溢れ出して見え、部屋は水浸しになり水が膝の上まできた

193 :果心居士の話7 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:17:49.07 ID:tWyIpi6/0
ので、見物人は急いで着物をたくし上げた。舟が衝立から
すべり出ると──本物の釣り舟である──同時に櫓のキィ
キィきしむ音が聞こえた。部屋の大水はさらに上がり、見物人
が帯まで水に漬かって立ち上がるまで続いた。それから舟
は果心居士のごく近くに来て、果心居士がそれに乗り込むと、
船頭は辺りに回してとても素早く皆から離れはじめた。そし
て舟が遠ざかりながら──絵の中へ引き返すよに見える
と共に──部屋の水は素早く下がりはじめた。舟がはっきり
と絵の前景を通り過ぎるやいなや、部屋は再び乾いた。しかし
描かれた船はさらに描かれた水の上をすべるように現れて
──遥か彼方まで遠ざかり、それに連れて小さくなっていき
──しまいには、どんどん小さくなって沖合いの点にまで
なった。それから完全に消えて、果心居士も一緒に消えた。
日本で再び彼が見られることは決して無かった。


[1]天正時代は西暦1573年から1591年まで続いた。この
話で表現した偉大な指導者織田信長の死亡は1582年に
起こった。
[2]小栗宗湛は十五世紀初頭に活躍した偉大な宗教画家
である。晩年に仏教の僧侶になった。
[3]「どんぶり」という用語の方が、語り部の伝える器の種類
をよく示している。祭りの際に使われるいわゆる盃のいくつか
は、とても大きい──1リットルよりかなり大きな容量の浅い
漆塗りの鉢。寸法の最も大きな物でぐいぐい飲んで空にする
のは、少なからず妙技と考えられた。

194 :小林 ◆YAKUMOZcw.:2017/01/09(月) 15:29:29.46 ID:tWyIpi6/0
A Japanese Miscellany(日本雑記)より
The Story of Kwashin Kojiでした

ちなみに司馬遼太郎の「果心居士の幻術」という
短編集にほぼ同じ話があります。

ただ若干結末が違います…その辺は司馬遼太郎
が夜窓鬼談を元にしたのか、ハーンの話を元にして
独自の解釈を付け加えたのか確認していません。

果心居士に限らず昔の本に登場する幻術使いは
魅力的なのですが、その術が超能力か、手品か、
催眠術か全くのフィクションかはよく分かっていま
せん。
手品や集団催眠で説明できるという話も有りますが、
幻術使いの奥義書が存在するという話は聞かない
ので謎のままです。


現在も別の話を翻訳中ですが、仕事の休憩時間が
短くなった関係で、今までより公開ペースは遅くなり
ます。



掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :
画像: